お母さんのお腹の中みたいな
アシェリィは小走りでリアクターに飛び込んだ。そして日光を浴びて朝の準備体操をする。
そんな少女にオルバは声をかけ、木に貼り付けられたカレンダーにバツをつけた。
「今日は……裏亀龍の月の16日か。あ、修行は今月の25日で切り上げるよ。休みギリギリまで弟子を酷使するほどスパルタではないんでね。残りの休みをご家族とでも過ごすと良いよ」
ずっと戦いの日々を続けていた少女の顔がほころんだ。
「それと、ついでに今日は軽めのトレーニングにとどめよう。念のために君の身体を完全回復させておく必要があるからね。ま、ここには娯楽の類は一切ないからモルポソで釣りしたり、バインディング・トリックの練習をするくらいしかやることないんだけどね……。治癒の効果を高めるために温泉に浸かるみたいに過ごしてよ」
ウラワザの修得はともかくとして、モルポソもどきをおちょくるのは面白そうではある。
魔術修復炉に半身を浸したまま彼女は器用に竿を振った。
「ふ~む。うまい具合に巻き付ければ糸が斬られないですね。これがとても難しい。それに、やっぱアイツの方が引く力はありますね。切断切断っと」
釣りガールはラインをわざと切ると今度はサモナーズ・ブックを脇の下に貼り付けてみた。
「ほっ!!」
チャポン……
虚しい水音を立てて、ブックはに落ちた。
「う~ん……こっちに関しては心臓から近い所にくっつけたのにサッパリですね。あ~あ……」
アシェリィはザブンと仰向けに炉に浮かんだ。
顔だけ水面に出して空を眺めた。
「あ~。クラスのみんな元気かな~。楽しい夏休みを送ってるんだろうな~。いいなぁ~。わたしも憧れのアーバンライフ、送りたかったなぁ……」
ぼやく弟子を師匠はなだめた。
「まぁまぁ。これが終わればまた嫌ってほど都会生活できるから。おや、もうこんな時間か。休日ってのは早く過ぎるもんだね。私もすっかりリフレッシュできたよ。これなら無事に修行を完了できるはずさ」
オルバは何もなければ一日中、炉のそばの岩の上に座っている。
はたから見ればとても過ごしやすいようには思えないのだが、そこに賢人らしさが現れていた。
「そうだ。アシェリィ、今日はリアクターの中で眠りなさい。そうすれば蓄積したダメージや疲れがすっかり取れると思う。メンタルケアにもなるからね」
召喚術師の少女は水面から跳ね起きた。
ジャボッ!!
「ええっ!? ここで寝るんですか!?」
思わず素っ頓狂な声をあげる。
「色は毒みたいだけど、身体に悪影響はないし。ネトネトしてるけど、沈んでも中で息は出来る。一説にはお母さんの胎内の感覚に近いとかも言われるね。何しろ、健康体のまま魔術修復炉の中で眠るってのは滅多に出来る経験じゃないよ? ちなみに私は毎日ここで寝てるんだ」
「ええ!?」
少し驚いたものの、冒険家とは未知に触れると必ず試そうとするのが常である。
修行少女がその例に漏れるわけもなく、瞳を輝かせて反応した。
「えー!? なんですかソレ!! すっごく興味あります!!」
(ホラ来たよ……)
釣られたのはニセモルポソでなく、アシェリィだった。
「あ、でも、それだと先生は今夜、どこで寝るんですか?」
師匠はポリポリと後頭部を掻いた。
「う~ん……岩の上だと君と近すぎて君が落ち着けないだろう? かといって君用の部屋のベッドを私が使うのもアレだし。私は一旦、いつもの部屋のハンモックで寝ることにするよ。大丈夫。私が離れても炉に浸かってさえいれば危険性はゼロだから」
その発言を聞いて少女は首を傾げた。
「ん? 私、別に師匠がそばで寝ていても気にしないんで大丈夫ですよ?」
オルバは不満ありげにとても大きなため息をついた。
「ハァ……。君もお年頃の乙女なんだからそういうところ、自分で少しは考えるようにしなさい。そっちは私の専門じゃないんだから……」
そう指摘されて弟子である娘は自身を恥じて赤面した。
同時に師匠が予想よりレディに対してとても紳士的である事にこの時気付かされたのだった。
(う~ん……女性関係にもすっとぼけてて、鈍感なイメージあるけど乙女心に気を遣ってくれるあたり、意外と女性とのお付き合い歴があるのかもしれないなぁ……。う~ん……それはそれで想像できないというか)
「じゃ、アシェリィ。おやすみ。いい夢を」
失礼な詮索をしていたお年頃ガールは驚いて挙動不審になった。
「え!? ああ!! は、はい!! おやすみなさい!!」
その夜、アシェリィは魔術修復炉の水面から顔だけ出してプカプカ浮いていた。
きれいな夜空から目線を落とし、広場を見ると直立不動のまま立つ鏡の男が見えた。
「あいつ……絶対ボコボコにしてやるんだから……。明日からの修行に向けて、今日はもう休まなきゃ。さて、コレ、本当に眠れるのかな?」
雲の賢人は事前にアドバイスをくれていた。
「えっと……。力を浮いてリラックスして……。顔が沈んで鼻や口に炉の中身が入り込んできても力まない。それを受け入れる……」
彼女がその言葉通りに全身の力を抜くとゴボゴボと音を立ててその全身は頭からつまさきまでリアクターに沈んでいった。
(あぁ……温かい。とても心が安らぐ……。なにこの穏やかで幸せな感覚……。あぁ……昔……きっと私はこうして大きくなったんだ。そう思える不思議な……ふ、し、ぎ、な……)
アシェリィは深く、安らかな眠りについた。
「……リィ……リィ……アシェリィ……アシェリィ……」
(う……ううん……私を……私を呼ぶのは……誰? 誰なの?)
彼女が目を開けるとそこは一面が真緑のリアクター液の海だった。
「目覚めたのねアシェリィ。主から話は聞いてるわね? 私がこの泉を守護してる幻魔のポットーよ。初めまして。よろしくね」
召喚術師は寝ぼけ眼をこすって声の主のほうを確認した。
そこには純白のローブを着た美しい金髪の女神様が居た。
長い髪でカチューシャを編んでいるのが個性的だ。
「うふふ。あなた、五番目の妹……フィフス、いえ、リーネと仮契約しているのね。じゃじゃ馬な妹がお世話になっているわ。ちなみに私は上から三番目の妖精よ」
彼女はとてもツンデレ妹とは似ても似つかない落ち着いた性格だ。
「ところで……アナタが泉に落としたのは金のブック? それとも銀のブック?」
唐突な問いかけにアシェリィは少し戸惑ったが、正直者の塊みたいな娘は迷わず答えた。
「あ……あの……どちらでもありません。私が落としたのはフツーのサモナーズ・ブックです」
それを聞いた格上妖精は笑いだした。
「ふふふふ。女神様が人間を試す時、形式的にこう問いかけるらしいんだけど貴女は正直者さんみたいね。リーネが気に入るのもわかる気がするわ。あの子、あれでいて真面目な人が好みだから」
慈悲深い眼差しで彼女はアシェリィを見つめた。
「貴女、その本が身体に貼りつかなくて苦戦しているようね? 私は泉の維持保全の仕事があるから契約してあげることは出来ないのだけれど、そのサモナーズブックの表紙にポカプエル一派のサインを刻印してあげるわ。貴女は私達のクランと親和性が高いからブックが身体にくっつくようになるはずよ」
少女が呆気に取られていると腰のバインダーから分厚い本が水中に浮かび上がった。
そしてそれは回転しながらキラキラと水色に光った。
すると目立たない隅のほうに不思議な謎の言語が刻まれた。
「ここは液体の中だけど、環境を問わずにくっつくはずよ。もし、激流にながされたりしても集中力さえ途切れなければブックを紛失することはないわ。外の危機に晒されがちなリーネが無事に存在し続けられるかは、貴女にかかっていると私は思っているの。妹をよろしくおねがいね……」
ブクブク……ゴバァッ!!
「スゥゥゥゥ……ハァァァァ!!!!!」
夢から醒めたアシェリィは水面から顔を出すと呼吸を出来ていたのにも関わらず、思わず深呼吸をした。
なんだか一方的に語りかけられた夢だったが、不思議な感覚はたしかに残っていた。
召喚術少女は夜明けのリアクターの中でバインダーからブックを抜き取った。
そして瞳を閉じると脇腹にサモナーズ・ブックを貼り付けてみた。
(ポカプエル湖のクランズメン達……私に力を!!)
ゆっくり彼女が目を開けるとサモナーズ・ブックは開いたまましっかり脇腹にくっついていた。
「おぉ!! やっぱりあのポットーさんの夢は夢じゃなかったんだ。早速、召喚して試してみよう!! えーっと……えーっと……。ページ数と詠唱と召喚時の感覚をマスターしていないとバインディング・トリックは使えないんだっけ……。くっついたのはいいけど、それってかなりハードル高いじゃん!!」
少女は尻もちをつくように炉に身を預けて座り込んだ。水しぶきがあがる。
彼女はネトネトした水面からサモナーズ・ブックを取り出してページを覚えたり、手をかざして感覚を確かめたりした。
「う~ん……にしても師匠の言ったことは本当だったなぁ。今まで深い傷だらけで入ってたから余裕がなかったけど、魔術回復炉の中で眠るのは確かに病みつきになりそうだったな。お母さんの胎内かぁ……。完全に想像だけどわかる気がする。今後、どんないい部屋の良いベッドで寝てもこれにはかなわないと確信したよ……」
ブックを見ながらチャプチャプと浮いていると朝早くからオルバがやってきていた。
少し驚きつつ、少女は姿勢を座った状態に変えた。
「やぁ。アシェリィ。どうだった? リアクターの高級ベッドは?」
彼女は満面の笑みで返した。
「ええ、最高でしたよ。ほんともう病みつきになるくらい!! あとはポットーさんに会って、ポカプエル・クランズメンの証をもらいました」
ジャバッっと水音を立ててP・クランズメンは立ち上がると腰にブックを貼り付けた。
「おお。これは嬉しい誤算だね。リーネと仮契約してたから成立したみたいね。彼女にもお礼を言わないと。着実にこちらに近づいてるみたいだし。さぁ、そしたら”邪道”の特訓を本格的にやろうじゃないか。修行ももう半分を過ぎたから、あとすこし踏ん張って山を乗り越えるんだ。後少しでラストスパートだよ!!」
雲の賢人の激励にアシェリィは勇ましい顔で答えた。




