召喚術師の禁忌属性
オルバの修行が始まって10日と少しが過ぎた。
運動神経バツグンで釣りの経験も豊富なアシェリィは新しい竿にも慣れて幻魔に頼らなくとも高精度で狙えるようになっていた。
モルポソもどきを糸でぐるぐる巻きにして引っ張る。
「このままじゃ逆に引っ張られるから……師匠!! マナボードを!!」
「はいよ」
オルバは木の板を少女めがけて投げた。
彼女は器用にそれに乗ると相手とは逆方向にフルバーストをかけた。
「ぐぐっ!!! ぐぬぬぬぬっっっ!!!!」
必死にロッドを握りしめ、全力でマナボードに魔力を込めると少しずつモルポソもどきが引っ張られ始めた。
ズズ…… ズザザ……
「お、おお?」
思わず賢人は立ち上がって腕を組んだ。
遠くから見ても鏡の男がじりじりと引きずられているのがわかった。
それを確認した師匠は大きな声を上げた。
「アシェリィ!! 今だよ!! 絶好のチャンスだ!! その不利な姿勢なら攻撃が通る!! なんとかして攻撃に転ずるんだ!!」
少女は声の主の方にチラリと視線を移しながらぼやいた。
「攻撃って……足元はマナボード、両手は竿で塞がってるんですよ!? 攻撃手段が……あっ!!」
アシェリィはなにかを思いついたのか、マナボードから降りた。
「あ、いけね。そうは言うものの攻撃手段教えてなかったんだった。なにか考えがあるみたいだけど、こりゃ魔術修復炉行きかなぁ……」
師匠は肩をすくめて首を左右に振った。
強力な推進力が無くなったことによってまたもや釣り師は偽物にすごい勢いで引っ張られた。
「ロッドならダガーよりリーチが長いからッ!!」
反動を活かして彼女は訓練相手の斜め上からスワローテイルmk-Ⅲで殴りかかった。
しかし特に力があるでもない上にしなりのある素材ではほとんどダメージを与えることは出来なかった。
男もしっかりダガー二刀流でガードを決めていた。
「くっ!! やっぱダメか!! でももうむざむざと切り刻まれたりしないんだからッ!! ラインカットからのエアリアル・キャスティング!!」
ロッドのしなりとエセモルポソのガードで生じた隙で糸を切断した。
そして素早く新しい糸を出してリアクターそばの木にひっかけた。
「いっけぇ!!」
高速でラインは巻き取られ、アシェリィの身体は炉のそばの木まで移動した。
そのまま黄緑の泉に飛び込んだ。粘着質な飛沫が上がる。
「ぷへぁッ!!! 危ない!! またズタズタにやられるかと思ったぁ!!」
リアクターは浅いところから深いところまであり、一番深いところでは大の大人がすっぽりおさまる程度の深度はあった。
予想に反して無事に帰ってきた弟子を見て、オルバは驚いていた。
(なんて無謀な策。いや、策と言えるのか? この娘を見ているとまるで諸刃の刃のような危うさを感じるよ……)
浅瀬に上がってきたアシェリィはスカートを両手で絞った。
「あ~あ。こんなに制服ズタボロになっちゃって。にしても頑丈なはずの学院制服がこんなになるってよっぽどですよね……。まるでゾンビみたいじゃないですかぁ……。」
彼女の制服は全身に深く斬りこまれてすっかりボロ布になり、修行用のインナーが丸見えだった。
「まぁまぁ。そう言わず。愛用した品は強力にエンチャント出来るから、それも仕立て直してもらえばパワーアップできるはずだよ。お金は私の方で出すから今は修行に集中するんだね」
弟子はペタペタと傷ついた制服を触った。あいかわらず胸がないななどと一瞬、思っていると師匠が声をかけてきた。
「さっきみたいに両手が塞がってしまった時、召喚術師は絶体絶命に陥る。サモナーズ・ブックが開けないからね。でもここには実はカラクリがあって、ピンチであるが、チャンスでもあるんだよ」
アシェリィは不思議そうに首を傾げた。
「ん? どういう事ですか? 幻魔が呼び出せないならピンチに決まってるじゃないですか」
雲の賢人は人差し指を立てて左右に振った。
「チッチッチ。これは初心者卒業のワザ……というよりは邪道なんだけど……。君らのクラスの生徒達も大抵、これを使っているだろう?」
師匠は腰に巻かれた本を差し込んで携帯するバインダーを指さした。
アシェリィもサモナーズ・ブックをもらってからはこの方法で本を携帯している。
分厚い本の抜き差しがスムーズに行える優れものだ。
もちろん語りかけている男性もバインダーを身に着けていた。
「そして、本を取り出して召喚すると片手が塞がる。でも、両手をハンズフリーにするウラワザがあるんだな。こうやって、表紙をくっつけたい身体の部位に当てて念じると……」
なんと、オルバの脇腹にサモナーズ・ブックがくっついたではないか。
まるで何かで貼り付けたかのようにピッタリとくっついている。
「え!? 先生からそんな事出来るなんて今まで聞いたことないですよ!! 学院でも全く聞かなかったし!!」
少女は驚きのあまり、おそるおそる中年男性ににじりよった。
「そりゃそうだよ。この”バインディング・トリック”ってテクニックはかなりクセのある使い方だからね。初心者のうちにこれを習得してしまうと正しいフォームが崩れて、思うようにいかなくなったりするんだよ。だから先生も、先輩も一切このテクには触れなかったのさ」
彼女は今までの常識が打ち破られてただただ頷かざるをえなかった。
「ほえ~」
「これだけじゃないよ。ま、見てなって」
創雲は器用に脇腹の分厚い本を片手で掴むとそれを腰の後ろへ貼り付けなおした。
「じゃ~ん。どうだい」
そう言いながらオルバはひらひらと両手を振ってみせた。
少女は緑髪を揺らしてますます驚いた。
「おおお!! サモナーズ・ブックが相手から見えない!! この状態だと相手が召喚術師かどうかわからないじゃないですか!!」
それを聞いた師匠は腕を組んでトントンと片足を踏んだ。
「ただね~、いいことばかりじゃなくてさ。手でブックを扱ってる時は気にならないかもしれないけど、腰やお尻みたいに手や心臓から遠い場所に貼り付けるとなると幻魔の大体のページと、詠唱を自分で把握しておく必要があるんだよ。緊急時には焦って召喚失敗という事もあるわけ。だから邪道なの。まぁ持ち変えるのも難しくはないし、使い分けできれば問題無いんだけど」
好奇心旺盛ガールは早速、自分の胸にサモナーズ・ブックを貼り付けてみた。
「ほわあああ……なんだか全身に力があふれる気がします……」
師匠は無精髭を擦りながら指摘した。
「あ、心臓は召喚のパワーが底上げされるけど、基本的には禁忌ね。だって思いっきり目立つ部位だし、貫かれでもしたら大ダメージ間違いなしだからね。腰とか試してみたら?」
アシェリィは胸からサモナーズ・ブックを外すと腰の後ろ側に隠すようにブックをくっつけた。
ジャポッ!!!!
くっつけたつもりが本がリアクターに落ちてしまった。
一瞬、焦ったが不思議とブックは濡れていなかった。
もう一度同じようにくっつけて試す。
トプンッ!!!!!
またもや分厚い幻魔の本は炉に沈んだ。
「あ~、心臓から遠いからそんなもんだね。そうだったな。私はテキトーにこなしてるけど、”バインディング・トリック”をマスターするには必死でやってもそこそこかかる。これも修行の課題とするかね。あ、もし使えるようになっても召喚術クラスの人前で見せちゃダメだからね。どんなはしたない師匠に教えを受けてるのかって言われちゃうからね」
ジャポッ!!
ジャポンッ!!
何度トライしてもサモナーズ・ブックはすとーんと下に落ちた。
その様子を見ていたオルバはアシェリィを呼び止めた。
「アシェリィ、仲のいい不死者が居るね。私が口を酸っぱくして教えたのを忘れたとは言わせないよ?」
少女はぎこちない仕草で振り返った。
「な”……なんでわかったんです?」
師匠は魔術修復炉から浮かび上がるサモナーズ・ブックを指さした。
「高確率でその犬のスケルトンのページが開いているだろう? 存在自体は一緒に見直した時に既に気づいていたんだけど、ここまで信頼度が高いとは思わなかった」
アシェリィには心当たりがあった。用事がなくても時々、スケルトン犬のバルクを喚び出して遊んでいたのである。
骨の犬がウロウロしていれば騒ぎになるので自室内だけだったが。
召喚ガールは反論した。
「でも、臭いで物や人を探す能力はとても重宝してるんです!! それに、この子からは悪意みたいなものは感じませんし!!」
その反論に顔色一つ変えず師は一言だけ言った。
「はい復唱」
弟子の少女は俯いて瞳を閉じた。
「……影、闇、悪魔、不死者……これらの属性の幻魔との契約は非常に危険を伴う。一方的な契約を提案してくるものや、そのまま不平等な契約をさせる者もいる。より悪質であれば支配、寄生関係への発展を試みる者も居る。場合によっては命をも失うことあり。よって、これらとの契約はいかに適正、才能があったとしても禁忌とすべきである。ただし、そのリスクを承知し、すべて負う覚悟がある者はその限りではない」
満足そうにオルバは首を縦に振った。
「それがわかっていれば何も言うことはないよ。その骨犬は可愛いかもしれないし、今は実害がない。でも今後、関係性が変化する可能性は大いにある。なにより、彼を呼び水にして他の不死者が契約を申し込んでくるかも知れない。それが一番の心配事だね」
ロングヘアを垂らして修行中の少女は炉に浮いたブックを拾い上げた。
「ねぇアシェリィ、ところでその不死者の幻魔、どこで契約したの?」
彼女は頬に指を当てて振り返った。
「ん~っと……。確か夜の街角でした」
急に師匠の表情が曇った。
「街角? こんな不死者、荒れ地にしか居ないよ。う~ん……これはもしや、あるいは……」
二人の間にしばし沈黙が流た後、召喚術のお師匠から警告が発せられた。
「アシェリィ、今後、彼を喚び出してはいけない。緊急時のために契約は解消しないけれど、原則として召喚禁止ね。それこそ”生きるか死ぬか”の状況になるまで使ってはいけないよ。いいね?」
いつもはノーテンキでどこか抜けたような面持ちをしているオルバだが、その時の彼はいつになく険しい顔つきをしていた。
自分が冒したリスクを再認識したアシェリィは彼の顔を見返して、真剣な顔つきで頷いて返した。




