特訓相手はテロリスト?
それはファイセル達がポカプエル湖に到着するおよそ20日ほど前の出来事だった。
夏季休暇に入ってそう経たないうちにアシェリィは師匠である創雲のオルバの元へ帰ってきていた。
「やあ、アシェリィ。元気そうじゃないか」
「師匠も。お元気そうで何よりです」
互いに健康で再会の挨拶を喜べた。
「で、修行するって話は聞いたね? 覚悟は出来ているかな? 初めに言っておくけど、この修業は私の精神力も削って行われるんだ。君は君で間違いなくしんどいけれど、私も同じくらいしんどい思いをする。そしてファイセル君もそれを乗り越えてきた。何かを失って後悔する前ならまだ手の打ちようはある」
いつになくオルバは真剣な表情をした。
それに返すようにアシェリィはシリアスな面持ちでコクリと同意の意を示した。
「私……正直、あんまり対人戦には興味がありません……。でもミナレートで師匠に聞いた話は心に響きました。もし仲間が……私が誰かに狙われたとき、なんにも出来ないまま皆を失ってしまうなんて……。私、耐えられません。それならば苦しい思いをしてでも、皆を救う力を身に着けて置かなければならない。そう決心したんです」
彼女は目線を落としながら群青色の制服のスカートをギュッっと握った。
すると賢人は指を振った。
「ノン、ノン。救うのは”皆”ではないよ。まずは君自身を外敵から護るのが第一!! 味方はその次!! 自分の足元を固めてからでないと逆に足元を救われるよ。そこも誤解しないように。じゃあ早速やるとしようか」
創雲は茶目っ気たっぷりにウインクしてみせた。
殺伐とした空気が和らぐ。
「はいッ!!」
アシェリィはいつもの師匠を見てリラックスして勢いよく返事した。
「おいで。まだ君には見せたことがなかったな」
オルバは自室から出るとアシェリィの木をくり抜いた家の近くを歩いて、霧の奥へと進んでいった。
「こっちへは来たことがないですね~」
少女は辺りを見回しながら師匠の後をついていった。
「おやおや? カッゾの霧を見切れる事が出来るようになったのかい? これは嬉しい誤算だね。今の君なら突破することも出来るかもね」
しばらく歩いていくと霧がもわ~っと晴れて、樹々に囲まれた広場が姿を現した。
小さな木の家と広場の脇に黄緑色に輝く不思議な泉があり、神秘的な雰囲気の場所だ。
「ここは修練の森神域。ポカプエル湖の源泉で、女神が居る場所さ。まぁ女神枠はちょいちょいチェンジしてて、リーネの姉妹が代わり番こでやってたりするんだけどね。ちなみに今はポットーが担当してるよ。一番上の女神は滅多にポカプエル湖には顔を出さないから、アシェリィが見てないのも無理ないね」
話を聞きながら学院生の少女は美しい泉に近づいた。
「師匠……もしかしてこれって……。外傷や火傷……場合によっては切断面の接続が可能な魔術修復炉……レストレーション・リアクターですよね!?」
アシェリィは驚きながら振り向いた。
こんな代物、学院か大病院にしかないはずだったからだ。
「ああ、そうさ。それが”リアクター”だよ。ほら、前にアルマ村が大火事になったときレンツ先生が大火傷を負って死にかけたろ? あの時、この魔術修復炉で治療したのさ。服までは用意できなかったからゾンビみたいになっちゃったけどね……」
果たして気にするべきはそこなのだろうとアシェリィは内心ツッコミをいれた。
「でも……”これ”があるって事は……」
賢人はいつもどおりのマイペースで答えた。
「そ、リアクター沙汰は覚悟してねって事だよ」
どよ~んと少女の気分は重くなった。
「さて、君のお相手だけど……。サモン!! レッサー・ゲンガー!! ダーク・ヴァイオレッツ!! “モルポソ”!!」
彼が目にも止まらぬ速さで召喚するとニュッっと人型の物体が出現した。
アシェリィの顔はひきつった。
「こっ……こいつは!! 斬宴のモルポソ!! なんでこんな所に!!」
忘れもしない。シリルの街を襲ったテロリストの1人である。
名を呼ばれた”鏡”はにんまりと笑いながら二刀流のダガーを舐めた。
その表面は日光を浴びてキラリキラリと光っている。
「ま、私が討伐したからね。賞金の代わりにそいつの”鏡”を映させてもらったんだ。ミラー・トレーサーっていう魔術でね。私のレッサー・ゲンガーの能力だよ。対象の能力からは大幅に弱体化するけど、相手の姿形、魔術をモノマネ出来るんだ。でもあくまでモノマネ。意志は無いし、喋ったりもしない。かといって決して侮ってはいけないよ。たとえ劣化コピーと言えど、二つ名持ちだからね。うっかりしてると死ぬよ」
ヒュンヒュンヒュン!! ヒュオン!!
モルポソのまがい物は恐ろしい速度で短剣を素振りした。
「う~ん……いくらなんでもこりゃ強すぎかもしんないなぁ。ちょっと調整するから待っててよ。あ、よ~く視るとわかると思うけど、これは鏡の幻魔なんだ。だから本物に比べるととても脆い。まぁそれでもこの攻撃力や素早さから考えるとコイツをブチ割るのは難儀だと思うけどね」
オルバはサモナーズ・ブックをなぞってあれこれいじっていたが、調整が完了したのを確認するとモルポソの前に立った。
「サモン!! ぐっ!!」
分厚い本を広げたまま創雲は思いっきり自分の出した鏡に首を締められた。
そのまま流れるように紫の毒々しい二刀ダガーで切り刻まれていく。
「ぐっ、がふっ!! げほっ!! ごぼっ!!」
「師匠!!」
モルポソの鏡はそのままオルバを激しく蹴り飛ばして泉に叩き込んだ。
アシェリィは泣きべそをかきながら魔術修復炉へ駆け寄った。
泉は真っ赤に染まり、男性の体がうつ伏せに浮いていた。
「いやああああああああああああああッッッッーーーーーーー!!!!!!!」
少女は首を激しく左右に振りながら悲鳴を上げた。
「これ。これこれアシェリィ」
聞こえてきた声で我に返った緑髪の少女は泉の方を見た。
すると先程まで死人のようだった賢人が水面に顔を出してこちらを向いているではないか。
泉の色はみるみるもとの美しい黄緑色へと戻っていく。
「師匠!! 師匠!! 大丈夫なんですか!? お怪我は!?」
もうアシェリィの顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。
相手は聞こえているようでちゃんと応答した。
「痛つつつ……いや~、死ぬかと思ったよ。かなり傷は深いけどリアクターに浸かってればそのうち治るでしょ。それより見たかい? 何も私は防御面で手を抜いていたわけじゃない。召喚術師の打たれ強さなんてハイレベルでもこんなもんだってのを知っておかないといけないからね。それに、君だけに痛い思いをさせるのはフェアじゃないしね。あいつつつ…………いって~」
オルバはまるで他人事のようにあっけらかんと答えた。
「素早い相手だと詠唱を妨害されることはままあるんだ。だからそれに対処するために省略詠唱やショートカット、詠唱キャンセル……そして、我々が使うのはファスト・サモニングと呼ばれる詠唱法なんだよ。達人の召喚術師はサモナーズ・ブックに触れずに呼びかければ召喚可能なんだよ。私も一応出来る。さっき斬られたのは未熟な場合の見本だね」
そうこうしているうちに彼の胸部から腹部にかけての致命傷は驚異的なスピードで治癒していった。
落ち着いたアシェリィが力なく座り込みながら聞いた。
「ほえ~……リアクターってこんなに傷が癒えるの早いんですね~。痛みも引くのが早いみたいだし……」
痛い思いをした男はザバッっと回復の泉から立ち上がった。
「バカいっちゃあいけないよ。むっちゃくちゃ痛いから覚悟しておくように!! あ~こりゃダメだな。あと数段階は弱体化させないと君じゃ即死だよ。細切れ肉になっておしまいさ」
その一言には流石のアシェリィもゾッとしたが、勇気は折れていなかった。
モルポソもどきは広場の中心に棒立ちしていた。
「いいかい。確認しておくよ。見ててわかったと思うけど、私はアイツの行動は部分的にしかコントロールできない。もちろん、止めることもね。今、攻撃してこないのは私が魔術修復炉に浸かっているから。ここに逃げ込めば休憩出来るんだ。あとは相手が致命傷を負った場合、リアクターに放り込むように設定しておいた。ヤツの格もそれなりに高いし、いじるのはこれが限界だね」
召喚術師の少女は振り向きながら立ち上がった。
森神域の森がザワザワと揺れる。
「師匠の仇……私が討ちます!!」
その背後で傷の完治した賢人がツッコミを入れた。
「お~い……私はまだ生きてるんだが……。まぁいいか。アシェリィ、君には召喚術、マナボード、釣り竿と幸い戦闘のバリエーションには長けている。あらゆるケースを想定して、特訓していくんだ。マナボードに乘りつつ、釣り竿で牽制、召喚で攻撃とか器用なことも出来るかもしれない。まぁさすがにサードスキルの発動は負担も難易度も高いから厳しいんだけどね」
それを聞いてか聞かずかアシェリィはツカツカとモルポソの鏡に歩み寄った。
「私、鏡でもなんでもあなたみたいに平気で人を傷つける人は許せない!! バッキバキにぶち割ってやるんだから!!」
そう言って彼女は相手の喉元に指先を突きつけた。
モルポソの写しは紫色の長髪を振り乱し、気味の悪い蛇のような舌をチロチロと出している。
オルバは魔術の液体に浸かりながら観戦モードにはいった。
「ありゃ……アシェリィ、完全に人扱いだよ……。ま、対人戦の訓練としてはこの上ないシチュエーションなんだけど」
こうしてアシェリィVSモルポソもどきの特訓が始まった。




