泥儡(でいらい)の血脈
召喚術クラスの遠足はナッガンクラスとは違う意味でハードだった。
旅先が限りなく無秩序に近い外法都市、フォートフォートだったからだ。
アシェリィ、ラヴィーゼ、リコットの3人に付き添ってくれたハーヴィーという研究生が彼女らを助けてくれた。
その縁もあってか、ハーヴィーとその面々はときどきお茶するような親しい間柄となっていた。
そんな彼女は学院のゴーレムの共同研究でリーダーを務めていたので、気がつけば夏季休暇も残り半月を切っていた。
彼女は和気あいあいと仲間同士で打ち上げを済ますと足早に帰郷の準備を始めた。
赤茶けてやや縮れた長髪を垂れながら学院を出ると打って変わってハーヴィーの表情は険しくなっていた。
ミナレート発のドラゴン・バッケージ便に乗ると虚ろな目で窓の外を眺める。
しばらくは常夏の透き通る真っ青な空が続いていた。
だが3日目の朝、シャルネ大海を抜けてしばらくする頃には既に窓の外は吹雪いていた。
彼女が帰省したのはライネンテ北西の島国、ノットラントだった。
約100年前に東西に分かれてライネンテとラマダンザの間に起こった第三次ノットラント内戦の国である。
現在も東西間の冷戦は続いているが、トラディショナル・ノットラントという派閥の仲裁によって表向きは平和な情勢を保っていると言える。
長年に渡って平和を保てていることに住民たちは幸福を感じているが、同時にいつ再び火の手が起こるかもわからない日々に怯えているのもまた確かな事実だった。
ハーヴィーはそんな現実を憂いながら窓に映る自分をボーッと見つめていた。
やがて目的地が近づいて来た。
「間もなくウォルテナ、ウォルテナでございます。着陸が完了するまで席をお立ちにならないでください。お忘れ物もなさらないよう―――」
少し前までノットラントには空港がなく、船が主な渡航手段だった。
特殊な技術がないとマナを帯びた吹雪の荒天に耐えることが出来ず、ドラゴンが進入出来ないのである。
先の内戦では衝突した互いの国家の魔術で人や物資の空輸が可能だった。
しかし戦が終わるとそれも無くなって、海路だけが残された。
もともと船が中心の国だっただけあって、人々は空を飛ばなくても何ら不自由を感じなかった。
多少、物の入りが早いか遅いかといった程度の問題に過ぎなかったのだ。
だが、ある問題が起こった。
東ノットラントと結託して代理戦争を繰り広げたライネンテとの間にだ。
もっともその仲が険悪になったわけではなく、中間にあるシャルネ大海が大時化を起こしたのだ。
おそらく船に搭載された風の結晶石の大破が原因と推測されたが、並大抵の衝撃では壊れるはずがないという否定意見もある。
数日で収まったかに見えた海路の乱れだったが、いつまで経ってもそれは収まらなかった。
決死の思いでライネンテを目指した船は一隻も戻ることはなかった。
事態を重く見たライネンテは魔術力を駆使して空港を建造することを東ノットラントへ提案した。
いくらかつて結託したといえ、国家でもない東部に同盟としてライネンテが介入するのは色々と問題があった。
特に魔術面での補助はパワーバランスを大きく東に傾けかねない。
それを平和利用の四文字で押し切って資金を捻出し、空港を作らせたのが新体制のウルラディール家だった。
お家騒動で信頼性が疑われていたところで、あえて厄介事を引き受けようとするその姿勢は東西問わずの各武家の評価を得た。
同時にライネンテとの交易が耐えて困っていた民衆の支持も集め、一気にウルラディールは東部一番の武家の威光を取り戻したのだった。
そしてウォルテナ近郊の森を切り開いて作られたのがこのエアポート・ウォルテナムだ。
ハーヴィーはカーキ色のトレンチコートを羽織ってトランクを持ち、ドラゴン・バッゲージを振り返った。
「キュル……キュルルル…………」
美しく真っ白な長い冬毛のなびく龍が赤い目を光らせながら鳴き声を上げていた。
「氷結窟で生まれ育つと言われるアイスヴァーニアン……か。かなりの稀少種ね。あれならこの荒天くらいなんてことはないわね。この空港と言い、一体ウルラディールはいくら払って媚びたのかしら……」
白銀のドラゴンに背を向けて彼女はウォルテナへと入った。
メイン通りのサレヂナ・ストリートを歩く。
「いつみてもここは驚くほど整備されているわね」
都市のあちこちにはバルネア草という花が植えられている。
これは雪を溶かす効果があり、ノットラントの特に市街地、都市部には不可欠な植物である。
家畜の餌として利用することも出来るが、それは副次的なものである。
ナーゼン・B・バルネアという大昔の植物研究者が開発した人工の多年草だ。
彼は他にも食用を中心として優れた品種を数多く生み出しており、”栄穣のナーゼン”の二つ名を持つ。
二つ名は何も腕っぷしの強い者だけに与えられるものではない。
創雲のオルバのように、人の役に立った者、ある分野で秀でた者にも送られるのだ。
完全に防寒装備した学院生の女性は通りの賑には目も向けず、ピリエー乗り場へと向かった。
ノットラントでは二足脚で立ち、まるでヨーグの森の恐竜であるアテラサウルスのようなピリエーという動物がいる。
ハツカネズミと恐竜の中間のような体格をしているが、白い毛がふさふさと生えていて真っ赤なクリッっとした目が愛くるしい。
アイスヴァーニアンとちょっと似ている点が多いかもしれない。
性格は温厚で大人しく、人によく慣れるがエサを目の前にすると激しく興奮する貪欲さもある。
ノットラント・コーンという色鮮やかなトウモロコシが好物でこれを竿で釣りながら走らせて乗るという原始的な方法だ。
ライネンテにはある程度、賢い巨大ナメクジ「ウィールネール」が居るが、寒さには弱く北国では活動できない。
そこでこの寒さに強いピリエーがこの島の陸の主要な移動手段なのだ。
エサで釣って走る様があまりにも滑稽なので海外の観光客は揃って笑う。
可愛いには可愛のだが、この二足歩行ネズミの頭は非常に悪くそれが更に笑いを誘う。
本当にこんなのを陸路のメインで使っているのかと疑う人もいるくらいだ。
だが、プロのピリエー使いをなめてはいけない。
彼らは巧みに竿を操ってじゃじゃ馬を乗りこなす。
体高1.5m程度の小型で小回りが効くので、ウィールネールよりは速度が出る。
ただし、パワーには負けるので馬車など重い物を引く場合は複数頭での利用が前提となるが。
「ふふっ。この子達は相変わらずね」
ハーヴィーがポンポンと白くきめ細かい毛並みを撫でるとピリエーは耳や尻尾をピクピクさせた。
「チュッ……チュチュチュ!!」
故郷への道を往く女性は次にこのピリエー馬車に乗った。
ほろ馬車はある程度大きく、7人くらい乗客が居た。
周りが知らぬ者同士で雑談する中、学院生は無言のまま一人で暗い顔をしていた。
途中、街に寄りながら一行は街道の轍に揺られた。
旅路はゆったりで一週間くらい経っただろうか。
馭者は指を指して案内した。
「あ~、みなさん。ダッザニアに着きましたぜ。ここはちょいと前にウルラディールの連中と泥儡アーヴェンジェが正面衝突した場所のすぐそばでね。見てみてくだせぇ。あの山の頂きを。ゴッソリ無くなってるでやんしょ?」
乗客たちが小さく開けた前方から覗くと峠の上部がまるごと吹き飛んでいて、まっ平になっていた。
かつての景色を知る彼女はこれを見て視線を下に落とし、俯いた。
結局、ハーヴィーはダッザニアで下車した。ここが彼女の故郷だ。
一般人にとっては途中で寄り道する程度の何の変哲もない街だが、彼女にとっては違った。
「あの記事が確かならここに……」
トレンチコートを羽織り直して手袋もはめなおす。
そして彼女は街の中心の広場へとたどり着いた。
目に入る光景に思わず口に手を当てた。
「ウソでしょ……ひいおばあちゃん……」
そこには氷漬けになったまるで美しいオブジェのような老婆が置かれていた。
その顔は恐怖と苦悶に満ちていた。
そばのレリーフにはこう書いてあった。
「ダッザニアを中心に広く山賊行為をはたらいていた泥儡のアーヴェンジェは我らウルラディール家によって征伐されたし。ここにその死体のレプリカを展示し、晒し者とす」
一応、花などが供えてあったが弔うというよりは事務的で化けて出ないようにといった感じがにじみ出ていた。
涙が止まらない。実の曾祖母がこんな形で見世物にされていて憤らないものは居ない。
もっとも街の人はもうだれもそんな悪趣味なオブジェに興味はないのだが。
「アーヴェンジェおばあちゃん……。ウソじゃないんだね……。本当にウルラディールのレイシェルハウトに殺されたんだね……。アイツはまだ指名手配されたまんま。手がかりは全然ないけど、きっと今もどこかで隠れ住んでると思う。だから……アーヴェンジェおばあちゃんの仇は私が必ず討つよ。今度は私がレイシェルハウトを殺す番!! そして、きっと冷凍保存されたままの遺体を屋敷から取り戻す!!」
悔しさでおもわず唇を噛んだ彼女の口からは血がしたたった。
死者が不死者にならないように願掛けで供える黄色いランサージュの華を決意の女性は醜い墓標に置いた。
「私には……ひいおばあちゃんが徹底的に教えてくれたゴーレムの魔術がある。レイシェルハウト、首を洗って待っていなさい……」
こうして彼女もまた復讐を誓ってからダッザニアの実家へ帰宅した。
親族はアーヴェンジェの悪行を見かねて早いうちに絶交したため普通に暮らしている。
だが、泥の傀儡使いは跡取りがほしかったらしく、極秘でハーヴィーに稽古をつけていたのだ。
曾祖母が悪いことはわかっていたが、魔術の魅力にとりつかれたひ孫にとってそれは些細な問題だった。
今でもその事は家族にさえ内緒にしているし、ましてや復讐については口が裂けても言えない。
アーヴェンジェの死に安堵する家族の言葉に辟易して、早々とハーヴィーはミナレートへと帰ったのだった。




