綺麗な薔薇の刺は鋭い
服屋の店主はファイセルに伝えた。
「私は先にロンカ・ロンカへ下見に行きます。明後日の早朝、ロンカ・ロンカの宿で会いましょう」
少年は自力でノダールを脱ごうとしたが、絡まってしまった。
すぐに店長が手伝ってくれ、元の服装に戻った。
これには思わず2人共、苦笑いを浮かべた。
「遅れて申し訳ありません。私、服屋のアッジルと申します。お客さん、その服装ではやはり目立ち過ぎます。ノダールでない民族衣装をお貸ししましょう」
ファイセルは民族衣装に着替えた。
通常の服はノダールほどヒラヒラしておらず、頭には何も巻かない。
布切れを集めて服にしているという感じだ。
ところどころ肌が露出しているが、この気候ならば十分だった。
少しスースーするのは気になるが。
ファイセルが着替え終わるとアッジルがペコペコ頭を下げながら言った。
「申し訳ありませんが、明日一日は婚前のかき入れ時でして、ノダールがそれなりに出ますので店番させていただきたいのです。明後日の早朝、できるだけ早く宿にお伺い致しますので、何卒ご容赦を」
契約主はそれに了承して、契約書類を受け取った。
とりあえず偽名を名乗っておこうとしたがいい名前が思いつかない。
オルバの話によれば魔術局タスクフォースの人間は偽名を使うらしい。
一緒にオウガーを狩ったコフォルの名をもじる。
「私も名乗りが遅れた。私はコフォーラという名だ。覚えておいてくれたまえ」
それを聞いたアッジルは笑いながらファイセルに忠告した。
「はははっ。失礼ですが、やっぱりノダールを着ないとただの少年って感じですな。その喋り方も全く似つかわしくないですよ。中年男性に化けるのは無茶がありますな」
ファイセルは思わぬ指摘に恥ずかしくなり、目線をそらした。
「まぁまぁ。それが歳相応というもんですよ。あっ、そういえばコフォーラさん。花嫁の方とはお知りあいなんですか? それともただラーレンズの顔に泥を塗りたいだけですか?」
ラーレンズ個人にはいい感情を抱かないが、恨むというほど深い関係でもない。
とりあえず下見で花嫁と接触してみるつもりである旨をアッジルに話した。
それを聞いた店主は脱いだノダールを丁寧に畳みながらまた忠告してきた。
「それは無理ですね。この地方の花嫁は式を挙げる2~3日前は異性との接触を禁じる風習があるのです。恐らくもう自宅にはいないでしょうし、花嫁の居る建物に不用意に近づくのもまずい。結婚式までは会えないと思ったほうがいいでしょう。ただ、式場を見ておくことは潰しの基本です」
それを聞いてファイセルは考えてばかりいてもしょうがないと思った。
彼に礼を言って一足先にボークスを発った。
森のなかの街道を進み、昼になる頃には目的のロンカ・ロンカについた。
街はとても活気にあふれていて、まるでお祭りでも始まるかのようだ。
結婚を想起させる飾り付けも多く、例の結婚式のためなのだなとファイセルは悟った。
(ラーレンズ・セブンス・ブライド……か)
ロンカ・ロンカは思ったより広い街でカルツと同程度の規模はあった。
案内所のおじさんにチップを渡し、銀行と広場の位置を聞いた。
まずは銀行に行き、リーリンカのカバンに詰めた約450万シエールを預けた。
預金残高は1000万シエールに達した。
残りの資金で青いあんかけスープにちぢれ麺のブルースライム・ヌードルを食べて空腹を満たす。
昼食をとってすぐに街中央の広場へ向かってみた。
広場に着いてファイセルは想像以上にはるかに大きい式場に仰天した。
広場全体が貸し切られ、豪華な舞台や客席が組まれている。
どれだけ人が来るのかわからないが、これでは半分くらいは立ち見だろう。
こんな巨大な式をぶち壊す事になるのかと思うと体が震えだした。
もうちょっとこじんまりしていると思ったのだが、考えが甘かった。
少年は自分にそんな大それた事が出来るのかと臆病風に吹かれた。
広場の隅の椅子に座り込んで石畳に視線を落としてしばらく愕然としていた。
悲しそうな顔をしたリーリンカが脳裏をよぎった。
彼女は何度も振り向きながら
悲しげな笑顔を浮かべながら遠くへ歩いて行く。
ふと我に返ると広場は会場を設置する職人の喧騒と通行人の楽しげな声で溢れていた。
(ええい!! ここまで来て尻込みしてどうする!! 一番苦しんで、悲しんでいるのは誰だ!! 僕じゃなくてリーリンカだろう!! しっかりするんだ!!)
少年は自分の頬を叩いて気合を入れなおした。
そう簡単に恐怖は払拭できるものではなかった。
しかし、もはや覚悟を決める他ない。立ち上がって次にするべき事を考えた。
オルバと婚潰しの打ち合わせはしたものの、現地人ではないので式の段取りなど具体的な情報が足りなかった。
となると現時点で頼れるのはアッジルしか居ない。
冷静になって考えれば結婚式まであと1日残っている。
一度ボークスへ戻って体勢を立て直すのも一つの策だと思いファイセルは来た道を戻った。
服屋に入るとアッジルは”やはりな”といった表情でファイセルを迎えた。
「おや、戻ってきたんですか。顔色が優れませんね。見てきたんですねあの結婚式場を。あれがラーレンズの権力です。ああやってなんでもかんでも札束で頬を叩けば解決すると思っている。それがラーレンズという男です」
そうアッジルが話すと店の奥から店とは不釣り合いの若くてスタイル抜群な美女が出てきた。
「あ。あなたが潰しの富豪さん? とてもそうは見えないんだけど」
アッジルは慌てて女性に頭を下げさせて自分も頭を下げた。
「す、すいません。家内です。こらっ、失礼な事言うんじゃない。色々と事情がおありなんだ!!」
不服そうに顔を上げた女性はなおもキツイい言葉をあびせ続ける。
「ちぇっ。第一、なんでそんなシケた顔してるわけ? そんなんじゃラーレンズの野郎をますます天狗にさせて終わりよ。みんな心のどっかじゃラーレンズはくたばりゃいいと思ってんだから、潰しが成功すりゃきっとみんな喜ぶに決まってるのに」
アッジルの妻は吐き捨てるように言った。
それについてはアッジルも何も口出ししなかった。
ファイセルは祝いの式を破壊することに強く戸惑っていた。
だがその話を聞いて、今回の場合はむしろそれが歓迎されそうな雰囲気であることを知り気が楽になった。
「すいません、他言無用のはずが妻にさっきの話を盗み聞きされていまして……」
そう店主が申し訳なさそうにしていると妻がすぐに口を挟んだ。
「ちょっとちょっと。なんであたしがラーレンズのスパイみたくなってるのよ? こんな面白そうなこと誰にも言うわけ無いじゃない。アタシ達は”共犯者”じゃない? 仕事は全部アンタに任すわ~。あたしはこの貧乏臭いエセ富豪さんにみっちりレクチャーしてやることにするわ」
アッジルの妻だという女性はそう言いながらこちらに歩み寄ってきた。
そして舐めるように足元から頭の天辺までじろじろと見る。
「あんたがどのくらいリッチなのかは知らないけど、せいぜい楽しませてちょうだい。今回の結婚式はバックれるつもりだったけど、あんたがツブすっていうなら話は別よ。私も見物に行くわ」
その態度を見るに、真剣なファイセルと対照的にまさに物見遊山らしい。
そのまま、妻は店の奥の方へすたすたと歩いて行った。
やれやれといった風にアッジルはファイセルの方を見た。
何も言い返さない辺り、完全に尻に敷かれているようだった。ファイセルがアッジルにささやく。
「奥さん居たんですね。それも相当若くて美人だけど……なんというか血の気が濃い……」
冴えない中年男性は照れたように頭を掻きながらうなづいた。
「ええ、ちょうど若い嫁が余っているというので結婚したのですが、これがとんだじゃじゃ馬でして……あれだけの見た目で余っているのはそれなりの理由があったというわけですな」
この調子で夫婦生活が続いていることが意外だった。
きっとこれはこれでうまくいってるのだろうとアッジルの懐の深さを見てそう思った。
「富豪もどきのおぼっちゃん!! つっ立ってないでとっとと奥へおいで。店先にいたら邪魔だし目立つだろ。さっさとしな!!」
なんだかこんな感じの女性には以前も合った気がする。あれは人間ではなかったが……。
奥に行くと居住スペースが広がっていた。
女性はいきなり結婚式の流れから婚潰しの手順までを説明し始めた。
すぐにそれを止めて最低限のやり取りをする。
「あ……あの、奥さんの名前を教えていただけませんか? 僕はコフォーラといいます」
そう聞くと女性は思い出したとばかりに名乗った。
「ん、ああ、まだ名乗ってなかったね。わたしはレッジーナ。んで、コフォーラぁ?……まぁどうせ偽名なんだろう?」
レッジーナは見透かした感じでニヤリと笑い、こちらを見つめた。
偽名に関してあっさり看破されてしまった。
「だってさー、コフォーラなんて富豪や貴族の名前はこの近辺では聞いたことがないし。流れとか、旅をしてるとか、新規参入したとか適当に誤魔化さないとパンピーだって事がバレるよ。まぁ大金持ってるようだから実質的には富豪なんだろうけど、体裁は大事だからね」
こちら風の名前の付け方はまだ知らないし、ましてや富豪の名前というとますますわからない。
ファイセルが少し考え込んでいるとレッジーナはビシッっと指をさしてツッコミをいれた。
「あとそのナヨナヨした態度と、喋り方はすぐに止めな。一発でガキんちょだってバレる。いくらツブしが歓迎されるとはいえ、ヨソモノのガキんちょが買い戻せるほど甘くはないし。ちょっと勘違いしたくらいの振る舞いをしないと式をひっくり返す事はできないね」
妻は座敷に座り、テーブルに頬杖をついてファイセルを手招きした。
それに従って座敷に上がろうとしたが、制止された。
「おっと座敷に上がるときは靴は脱ぎな。家具の位置取りからしてどこが座敷なのかわからないのかい? アンタ、マジモンのよそ者だねぇ」
ファイセルはバカにされっぱなしなのが気に触って、中年の富豪のフリをして見得を切ってみた。
「ぼ……私だって、一端の富豪だ。バカにしてもらっては困る!!」
「あー、ダメダメ。わざとらしすぎる。それにそんな心に余裕のない金持ちなんていないでしょ。そんなんラーレンズだけで十分。あとヒス持ちの男は嫌われるよ。おまけに方言の訛りが無いからヨソモノだってバレバレ。なんだ~、式の説明だけすりゃいいかと思ったけどそっから始めないとなのか。こりゃダメかもなぁ~」
その後、しばらく会話のやりとりをしてみる。
しかし、どうも言動や所作がこの地方の富豪のそれとは大きくズレているらしい。
レッジーナが言うに、節々から庶民臭さがにじみ出ているとのことだ。
これはファイセルも自覚するところではあった。田舎者の宿命である。
「あ~、めんどくさっ。金払いからするに久々の対抗馬かと思ったけど、とんだ見当違いだったようだね」
突き放し気味の対応にファイセルは思わず打ちひしがれた。
レクチャーが一段落する頃にはもう日が暮れ始めていた。
「諦めな。望み薄だね。そもそもあんたなんで潰しなんかやるんだい。そんなタマじゃないだろ」
ファイセルはかいつまんで経緯を話した。
ガールフレンドを自由の身にしてやりたい。ただそれだけだった。
相手は興味が無いのかそっぽを向いて黙ったままだ。
店じまいの支度をしていたアッジルもこちらにやってきた。
驚くべきことに、顔を真赤にして涙を流している。
レッジーナも肩を震わせて泣いているようだった。
「あ、あの……お二方……?」
思わず2人に声をかけると感極まった様子で語りかけてきた。
「いーい話じゃないかい。くーーーーっ!! あたしこういう話には弱くってさ!!」
「うーむ、はるばる遠方から彼女のために……なんという好青年なんだ!!」
まるでとびきりの美談でも聞いたかのような反応だ。
「あ、あの、彼女じゃなくてガールフ……」
アッジルが無言で両手を握って熱を込めて応援してきた。
レッジーナも鼻をかみながら謝罪している。
「あたしがわるかったよぉぉぉぉ!! まだ結婚式までは時間がある!! 貴族とまではいかないが、ダンナとアタシであんたを立派な富豪に仕立ててやるからよぉぉぉ!!」
レッジーナはテーブルを叩きながら立ち上がった。
あれよあれよという間にに3人の間で円陣が組まれた。
「打倒ラーレンズ、花嫁奪還ッ!! おーーーーーーっ!!!!」
……と手を重ねあって掛け声を上げた。
ファイセルはそのノリに置いてけぼりにされ、唖然とした。
だが、頼もしい協力者が居てくれることを実感して、自信をつけた
そしてラーレンズ対3人の戦いが始まろうとしていた。




