恩人はリッチー研究家
最近、ナッガンクラスのノワレはスイーツ巡りばかりしている。
というのも帰郷するに出来ない寂しさを無意識のうちに甘味でごまかそうとしていたのだ。
「はぁ……お母様……」
母と言ってもエルフの母とはカホの大樹であり、動いたり喋ったりはしない。
ただ、優しくエルフの子らを見守るのみである。
世界樹とも呼ばれ、大量のマナを放出しているとされる。
それが世界に与える恩恵は計り知ることが出来ないほどと言われる。
ノワレはショートケーキなどオーソドックスなライネンテスイーツのカフェ「ル・コルシエ」でため息をついた。
彼女はどちらかといえば「素逸庵」よりライネンテのこちらのほうが好きである。
「クラスの半分くらいは帰郷したと聞きますし……。あぁ……アシェリィは元気でやってるでしょうか……」
ドライアドの蜜を塗ったパンケーキの欠片を口に入れようとしたときだった。
右手の通りを巨大なリュックを背負い、長い黒髪をゆする女性が目に入ったのだ。
服装は白衣でその場では浮いていた。
思わずエルフの少女はパンケーキをほったらかしてデッキから駆け下り、その人物に声をかけた。
「すいません!! 貴女、依然にわたくしとお会いしたことがありませんこと? ほら、ノットラントで助けてもらったエルフですわ!!」
「んん?」
やはりみたことある顔だとノワレは確信した。彼女は―――
「あ、ああ!! 覚えてるよ~~!! キミは……たしかエルフのシャルノワーレ・ノワレ・ヒュンゼータインズ・H.G.T・ウィンタルスマー・クランヴェリエンズ・ネ―――」
彼女は長々とした名前を言い続けた。
「あっ!! それはもういいんですの!! ノワレでよろしくてよ!!」
なんだか昔の名前に対する態度がこっ恥ずかしくなって彼女は相手を遮った。
「え~、でも、いいのかい? それ多分、キミの婚約名でしょ? 大事にとっとかなくていいの?」
話がややこしくなってきたのでカフェに誘ってみる。
「先輩、もし急ぎでなければゆっくりスイーツでも食べませんか? ここで立ち話もなんですし」
相手は照れた仕草で髪をいじった。
「せっ、先輩ぃ~? なんか呼び慣れないな。恥ずかしいよ」
そうして2人はパラソルの下のイスに腰掛けた。
「改めて、ニャイラ先輩お久しぶりですわ。お元気そうで嬉しいですわ!!」
ノワレはにっこりと笑った。
このニャイラという女性はノワレが”悦殺”のクレイントスを滅ぼしに行ったときに無茶をする彼女を救った人物である。
「おかげさまでボクは相変わらず元気でやってるよ。まぁリッチーの研究なんて雲を掴むようなものでさ。滅多なことじゃコンタクトが取れないんだけど、ここ最近はツイてるかな。それはそうと、キミも受かったみたいだね。リジャントブイル」
まだ合格報告をしていないのになぜ彼女はわかったのだろうかとノワレは首を傾げた。
「だって、キミ、出会ったときよりすごく人間臭くなったもん。人間のコミュニティで過ごさないとこうはならないよ。エルフは元々、樹木から生まれてるから感情の起伏があまりないところがあるんだよ。きっと心当たりがあるはずだよ。彼らはキミみたいに笑わないよ」
言われてみれば里の皆は人間ほど感情がなかった。人間で言うと常に冷めているかのような態度である。
だが、外に出てみて初めてわかった。人間はこんなに表情豊かなのだ。
「ねぇねぇ、別れてから、合格するまでの道のりを聞かせてよ。キミの学力ならさほど苦戦しなかったとは思うんだけど。ま~、ノーブル・ハイのプリンセスだからね。ちょっとやそっとの勉学くらいはやってのけるでしょ」
ノワレは思わず俯いた。
「それが……船が難破して東部のフォート・フォートに……」
それを聞いたニャイラはおでこからテーブルにずっこけた。
「え~!? あちゃ~……それは最悪だね……。ボクが着いていけばそんなことには……。突破するくらいは造作もないはずだよ」
それを聞いてエルフの少女は疑問に思った。
「突破って……戦闘系の魔術でも持っていますの?」
黒髪のメガネ女性はがばっと起き上がって彼女は指を振った。
「ちっちっち。先生から習ったでしょ? 人に無闇矢鱈に自分の魔術を教えるなって。でもまぁキミならいいかな」
そう言うとニャイラは振っていた人差し指をピンと立てた。
「ボクは自分のこと、変わり者だと自覚しているんだ。リッチーを熱心に研究してる時点でね。それは今に始まったことじゃなくて、一時期、ボクはリッチーという存在に憧れたんだ。理解できないかもしれないけど、なりたいとさえ思ったこともある。そしてボクがまっさきに発現したのは”リッチー・エンカウンター”って魔術なんだ。」
クセのある連中と付き合ってきたノワレば特に驚くでもなく話を聞いた。
「あれ……もっとドン引きされると思ったんだけどな……。で、この魔術は”新たなリッチーに会う度にその残留思念でパワーアップする”ってものなんだ。もちろん滅多にリッチーには会えないから条件を満たすのは極めて難しいんだけれど……」
そうは言われても目の前に居るのは小さくてかよわそうな女性にしか見えない。
「あー、疑ってるな~。キミを片手でかついで山道を運んだことだってあるんだよ。こういう筋力でしょ、スタミナでしょ、反射神経あたりはリッチーに会ってかなり伸びたね。あとはリッチーらしい点としてはグリモアさえ手元にあれば解読して高速で魔法を発動できるとこかな。かなり難しいものでも出来るみたい。冥界の魔術師は伊達じゃないってとこかな」
変わっているが、恐ろしいほど優秀な魔術にノワレは驚いた。
「まぁそれでも実力はOB・OGのリジャスターの中で言えば並だね。でも、グリモアは高価だったり、レアだったりするのを用意できれば高レベルの戦闘も耐えうるかな。ちなみに普段の活動資金は難しいグリモアの解読依頼で稼いでいるんだ。中には本業のリッチーの捜索願も出たりするけど、そんなあまっちょろい連中じゃないからね。接触率は1割ちょいだね~~~」
ニャイラは頬に手を当てながらドリンクにブクブクと泡を立てていたが、何か思い出したようですぐにストローから口を離した。
「そう言えばキミ、まだ悦殺のクレイントスを追っているのかい?」
ノワレは真剣な表情になるとゆっくりと頷いた。
「それなら学院の地下霊園には行ったかい?」
そう言いつつ、ニャイラはメガネをとって拭き始めた。
素顔は幼い少女といった感じで可愛らしかった。
「地下霊園って……学院の噂のあの地下霊園ですの? そんなの本当に存在して?」
エルフの少女は水色のきらめく髪をゆらして頭を傾けた。
リッチー研究家は額に手を当てて目線を落とした。
「あちゃ~。やっぱ死霊使い(ネクロマンサー)クラスとかじゃないと入れないか……。リッチーの対策は普通の授業で教えてもらえると思うけど、実際にリッチーに会えるのは地下霊園しか無いんだ。大量のおぞましい不死者付きでね」
噂には聞いていたが実在するとは思わず、復讐の少女はその話にとても興味を持った。
学院の先輩は呆れたように首を横に振った。
「ハァ……。地下霊園に行く気満々って顔してるよ。まぁ、話題に出して焚き付けたボクも悪いんだけど。関係者のサインがあれば入ることが出来るから連れて行ってあげるよ。ボクはほら、研究者枠で入れるから。キミは助手でもなんでも適当にサインすれば大丈夫でしょ。あっと、ご飯は食べないでね」
食事をするなと聞いてノワレは不思議そうな顔をした。
「地下霊園は劣悪な荒れ地の環境を再現してるの。強力な腐敗臭を放つアンデッドもウロウロしてるんだ。初めて踏み入れる者は大抵が胃の中のものを吐き出すといわれるくらいさ。ま、ボクくらい入り浸ってると腐臭くらいではなんともないけど。むしろ染み付いた臭いを消すのが大変かなぁ」
想像するだけで虫唾が走る。これは覚悟を決めねばならないと復讐者は思った。
「今回、ボクが地下霊園を尋ねるのは”慈骸のオーザ”っていうリッチーを訪ねるためなんだ。2人ほど新しくリッチーと会うことが出来たからその報告と情報共有かな。本来、リッチーは互いの知識を共有するため”リッチー学会”とかレセプションを開いたりしてるんだ。でもオーザは地下霊園に封印されてるから、そこらへんの勉強会には参加できないわけだよ。だからボクみたいな研究員達がオーザに知識を分けてリッチーとしての知恵を維持してるってわけ」
今までリッチーとはひたすら生物に死を招く存在だと思っていたエルフの少女は意外な話を興味深そうに聞いた。
まだ疑問がわいてくる。
「しかし、なぜオーザは封印されていますの? 何か罪をおかしたのかしら?」
ニャイラは否定のニュアンスで手のひらをひらひらと横に振った。
「いや、”契約”なんだよ。学院の死霊使い(ネクロマンサー)部門ではどうしたらリッチーに転生できるかを研究し続けてる。で、もし仮にリッチーが生まれて好き勝手やりだしたらどうするの? 間違いなく学院の汚点でしょ。だから、被験体になる教授や生徒は必ず地下霊園に封印される契約を結んでいるんだ。もっとも学院の長い長い歴史の中で、リッチーへの転生に成功したのは2人だけなんだけど」
長い時間に学院のあれだけの技術を持ってしてもこの転生率の低さである。
それだけリッチー転生は未知の分野なのだとノワレは思った。
「さってと。地下霊園に時間決めて予約入れてるんだよ。キミが同行するのは完全に想定外だったけど、可愛い後輩のためだからね。ただし、守らなきゃいけないことがいくつかあるんだ。それは向かいながら話すとしようか」
研究員は身長に不釣り合いな大きなリュックを背負うとお金を払ってデッキを降りた。
後を追うようにエルフの少女もパンケーキを残したまま彼女の後を追った。
彼女はそこまで不死者は苦手なわけではない。
しかし、リッチーとなれば話は別だ。
エルフの里を襲ったアイツの姿が目に浮かぶ。
ノワレの鼓動はドキドキし始めていた。




