別れの灯台
小さな少年は大時化のオットルー灯台の上でゴーグルをかけなおした。
「………………………………」
そして自分の背丈ほどと変わらないポータブル灯台を担いで、海にめがけて照射した。
海の民には荒くれ者が多い。こんな荒天でもいくつかの光がこちらへと返ってきていた。
彼は指差し確認で海上のルートを照らし、安全を確認し始めた。
こう荒れた日だと”奴ら”も現れやすくなるのだ。
温暖な色をしたランプとは別に、目立つ緑の篝火を灯す船がゆらゆらとやってきていたのだ。
それはどう考えても生者ではない。骸の乗る船である。
揺蕩うだけなら害は無いのだが、幽霊船のクルーは生への執着心が強い。
生きた船乗りを見ればすかさず不死者に引き込もうとするのだ。
灯台の少年は素早く幽霊船に強烈な光線を当てた。
闇属性である連中には強い光は効果が抜群であり直撃させられればその腐って朽ちた体を溶かすことが可能だ。
使い手によっては瞬時に消滅させることも出来るらしい。
一難終えて少年はため息をついた。
「う~す。おつかれさん。ポーゼ、お前の腕にゃあほれぼれするぜ。交代の時間だ。今日はもう休みな」
「……はい」
灯台の守り人をしていたのはナッガンクラスのポーゼだったのだ。
ぐっしょり濡れたカッパのままで小さな灯台を改造した一軒家へと帰っていく。
「母さん。今日も父さんは居なかったよ……」
「ええ。ポーゼ、今日もご苦労さま。遅くなったわね。晩御飯まで上で休んでいなさい」
少年はコクリと頷くと部屋の隅の階段を昇っていった。
少年の父は数年前、海難事故で行方不明になった。
母との挨拶はもう一種の形式張ったものであり、ポーゼも母も父が帰ってくるなどとは微塵も思っていなかった。
あの時、あの時もっと自分に照らす力があったならば……。
荒れがちなオットルーの海と絶望的な現実から逃避するためポーゼは仰向けで腕で目を伏せた。
(リジャントブイルのみんなは元気かなぁ……)
彼はかなり無口な部類に入る。
かといってコミュニケーションが出来ないかといえばそんなこともなく、要所要所ではしっかりしゃべるし、自己主張もする。
背丈と印象が似ているからかフォリオと一緒くたにされることもあったが、ヘタレのフォリオに大してポーゼはやる時はやる男である。
見かけによらずその決断力には定評があり、物静かなものの一目置かれる存在だ。
(う~ん生まれ育ったオットルーもいいけどやっぱ暖かくて、穏やかなミナレートの海が好きだなぁ。流石にあの付近の海域は幽霊船なんて出ないだろうしなぁ……)
オットルーはライネンテ中央部海岸線の港町だが、整備が行き届いておらずにミナレートほど発展もしていないし、治安も悪い。
まどろみかけていると母のマーゼーが呼ぶ声がする。
「ポーゼ。お夕飯よ~」
2人には大きすぎるテーブルを囲んで団らんした。
帰ってから連日、マーゼーは学院の話題ばかり聞いてくる。
「で、で? お友達とかしっかり出来てるの? ポーゼは小さい頃から無口でしょ~。お母さん、お友達ができてるか心配なの」
母は頬に手を当てて首を傾けた。
それにポーゼは控えめな笑顔で返した。
「はは。人並みには、ね。多いとも言えないけど全く居ないとは言えないよ」
少年の母はむくれた。
「もう!! そういうところよ!! 嘘ついてもお母さんにはわかるんですからね。あなたは家の中でしか素を出さないんだから!! きっと学院では無口で変わったやつって思われてるわよ」
そう言いながら少年の母はズビシッっと指をさした。
「ははは……お母さんには参ったよ。でも、友達が出来たってのはあながちウソじゃなくて。そう、自分でも別人じゃないかってほど友達ができたんだ。なんでだろう。今までより変わった人が多いからかな。だから学院生活が苦にならないっていうかさ……」
それを聞くとマーゼーは少し唖然としていたが笑顔でイスに座った。
「ははは……なんだよそれ。つっついておきながら感動しちゃうわけですか? 心配される身にもなってほしいよ」
ポーゼは普段人に見せないような(かた)のすくめかたをした。
「だって……だって私にはもうあなたしかいないのよ? それを心配せずして何を心配しろっていうのよ~~~!!」
本格的に泣きに入ってしまった。酒が入るといつもこうだ。
「お母さん、何言ってるんだよ。まだお父さんが帰ってきていないだろう?」
母はパタリと泣くのを止めた。
「なんだかさ、学院にいってさ、自分でいろいろ経験したら”お父さんあれくらいじゃ死なない”と思えてきたんだよ。だから最近は本気で探そうと海を見つめてる。だからさ、お母さんもそんな悲しい顔をしないで。お父さんを待とう……いや、探そうよ!!」
いつの間にか逞しくなっていた息子に母は涙を止めることが出来なかった。
「ほら。泣いてないでご飯たべようよ」
彼女はエプロンで涙を拭うと笑顔に戻って首を縦に振った。
次の日もポーゼは大灯台に登って海の見張りを始めた。
いかつい船乗り風の中年男性が声をかけてくる。
「おう、ボウズか。おめぇが居てくれると助かるぜ。こんだけ荒くれ海を照らせる奴はなかなかいねぇからな。しかもその歳で、だ。学院に帰っちまうまで頼りにさせてもらうぜ。あ、でもな、課題が大変だったりしたら遠慮なく言えよ。おめぇさんにおんぶにだっこじゃ俺ら灯台守の名がすたるってもんだからな」
「………………………………」
少年はコクリと小さく頷いた。
「がははは!!!! 相変わらず無愛想なこって!!! じゃ、よろしく頼むぜ!!」
夕暮れ時にシフトの交換時間が来る。今夜はまたポーゼスが晩を担当する日である。
ざわざわと少年の長めの髪がなびく。
今日は雨が降っていないから船舶の明かりがよく見える。
船が放つ光は弱く、距離が開くと見えなくなってしまう。
そのため、互いが衝突しないように知らせるのがポーゼ達の役割なのである。
他にも、陸に乗り上げないよう海外線をなぞったり、方角を示すために照らしたりもする。
一箇所だけ照らせばいいというわけではないので、意外と重労働だ。
少年の持つポータブルの灯台はそれなりに重い。
それに加え、ポーゼは身体能力があまり高くないので長時間かついでいるとバテてしまうのだ。
休み休み海面を照らす。
その頭上には小さな光源がふわふわと浮いていた。
これはいつしか身についていた魔術で、道具なしに当たりを照らすことが出来るというものだ。
どうやら灯台を愛用することによって習得できた魔術らしい。
中にはこういった愛着の装備から何か覚醒することもあると授業で習った。
きっとこれがそれなのだろう。
海をチラチラ見ながら”魔術概論1-C”を読む。
器用なもので彼は海の面倒を見ながら気持ちいい夜風の中でリラックスしていた。
パタリ
灯台守の少年は海の彼方を睨みつけた。
“奴ら”である。
今日は雨が降っていないので双眼鏡で確認することが出来た。
赤色の鬼火を上げてゆらゆらと幽霊船が現れたのだ。
未練を持って海で死んだ者の成れの果てと言われている。いわば海の不死者だ。
このまま放って置くと他の船の船員を不死者に引き込んだり、港に上陸したりしてくる。
よって沖に居るときが迎撃のチャンスだ。
ポーゼは素早く手すりに手持ち灯台を置いて狙いを定めた。
(チカッ チカッ チカチカチカ チカ チカ チカチカ)
確かに今、光による通信コードが死者の船から放たれた。
(チカッ チカッ チカチカチカ チカ チカ チカチカ)
「チチ……イマ……カエル……。チチ……イマ……カエル……!? 嘘だ!! そんな!! そんなわけがない!!」
ポーゼは激しく取り乱した。
「父さんがあの船に居る!? でも絶対に幽霊船に生者はいないし、乗ることも出来ない!! よりにもよって、こんなことって……」
(チカッ チカッ チカチカチカ チカ チカ チカチカ)
(チカッ チカッ チカチカチカ チカ チカ チカチカ)
(チカッ チカッ チカチカチカ チカ チカ チカチカ)
骸の船からは壊れたラジオのように同じ通信コードが光り続けていた。
しばらくへたりこんでいたポーゼだったが、このまま幽霊船を放置するわけには行かない。
彼は立ち上がって光源をかまえた。そして細い光で返した。
(チカッ チカッ チカチカ)
「とうさん……おかえり……」
その直後、一気に出力を上げるとほのかに赤く光るアンデッド船は蒸発するかのように消えていった。
消えゆく光の中でコードが帰ってきていた。
(チカ チカ)
「ただいまを言うのが遅いよ……。休暇だから会いに来てくれたんだねきっと」
―――「……今日もお父さんは見つからなかったよ」
夜遅く帰った少年を母は暖かく出迎えた。
「ははは……今日は疲れたよ。少し休ませて……」
そう言うと一仕事終えたポーゼは2階のベッドに転がり込んだ。
そして声をひそめて泣いた。
いくら大人びた少年だからとは言え、年相応のところはある。
それに、出来事が出来事だけあって仕方がなかった。
母、マーゼーはひと目で息子の異変に気がついていた。
本人は気づかないつもりだったのだろうが、父に関して語る瞬間に今にも泣き出しそうな顔をしていたのだ。
こんな顔を見るのはいつぶりかわからなかった。
つまり父に関しては”そういうことだった”のだろうと彼女は察した。
その夜は二人とも酷く落ち込んでそのまま眠ってしまった。
次の日の朝、いつもどおりにポーゼは起きてきた。
「ふぁ~あ。おはよう。昨日、夜食食べなかったからお腹すいたよ」
母は内心悩んでいた。このまま父のことを引きずったままの生活になるのではと。
しかし、息子はあっさり答えた。
「昨日の晩、父さんに会えたんだ。そりゃ酷い有様だったけど、ちゃんとお別れの挨拶を言えたんだ。だから僕はもうこれからはお父さんの報告はしないよ。母さんもここらで一区切りつけようよ」
そう言って少年はパンをくわえながら無邪気に笑った。
一方のマーゼーはまたもやエプロンで涙を拭っていた。
「ほらほら。しけっぽくしてちゃお父さんも報われないよ。さ、朝ごはんにしようよ」
それ以降、どこか影のあったポーゼ達だったが、その日から明るい一家になった。
ふっきれたというのもあるだろうが、やはり父ときちんとした別れが出来たことが大きな理由だった。
そして朝も昼も夜も、今日もポーゼは灯台に立つのだった。




