もう一人の女史
メガネのオタク少年はせわしなくフレームを揺らして薄暗闇の向こう側の相手を確認した。
「あ、あ、あ……そんな馬鹿な!! あなたは、このお菓子の発案者である色味のチェルッキィー女史ではござらんか!?」
キーモはつばを飛ばしながらエキサイトした。向かいの女性からすかさずツッコミが入る。
鋭いチョップがオタクの頭にめり込む。
「Noooooooォォォゥゥゥ!!!! 痛いでござるよ!!!!」
その様子をうかがっていた女性は額に手を当てて呆れた。
「ハァ……。あんた、チェルッキィーが発明されて何年になると思うんだ。そんなに色味が若いわけがないだろう……」
それでも間違った方にも言い分があって、こちらを観察している女性がチェルッキィー女史の資料と瓜二つなのである。
「あー、あーあー。言わんとすることはわかった。あんたと似たような反応をするやつもいる。詳しいところまでは不明だが、私は彼女と血縁関係にある。親族の中でも飛び抜けて似ているって私は言われるな。まぁ、ホントかどうかは定かではないが、お菓子のチェルッキィーに縁もあるみたいだから正しいんだろうな」
胸元の広めの旅の服に探検用のズボンを着た女性は肩をすくめた。
ここでキーモは疑問に思ったので訊いてみた。
「貴女がチェルッキィー女史でないのはわかったでござる。では、お名前はなんと申すのでござるか?」
一見して常識のなさそうなヤツに常識中の常識の質問を返されて彼女はまずったとばかりの表情を浮かべた。
「ん、あぁ、んん……。カレッカだ。カレッカ・チェルッキィー。ファミリーネームは名乗っていない。カレッカで頼むよ」
やや気性が荒い気はするが、ストロベリーヘアーの綺麗なお姉さんといった風で瓶底眼鏡のオタクはラッキーな気分になった。
「せっかくだ。デンジャラス☆チェルッキィ、やっておくか。あっと、君は目を閉じてればよろしい。”事故”りたくはないからな」
そう言うとカレッカは素早くオレンジ色のチェルッキィーを取り出して、くわえた。
そして手早く自分とキーモの互いの唇を近づけると危なげなく成功させた。
キス顔のまま顔を開けるとカレッカはなぜだか深く落胆していた様子だった。
自分に不手際があったのではないかと不安になっているとカレッカが語気を強めた。
「こんな腕前でここまで来たのか!! 君、さすがにそれは無謀にもほどがあるぞ!!」
「えっ……?」
思わずキョトンとした顔で女性の顔を見返す。
「無謀だと言ってるんだ!! その程度のチェルッキィー使いではこの隠しスポットは危険すぎる。今まで安全だったからと言って、明日安全とは限らないんだよ!!」
厳しい指摘に少年は俯かざるを得なかった。
「顔を上げろ!! これはただの説教じゃないんだよ!! あんたの命にかかわることなんだ!! わかるか!? ここに来るまでだってそう。慢心がまったくなかったと言えるか!? それなりにやれるのは認める!! だからこそ、こんなところで死ぬにゃあ惜しいって言ってるんだ!! さぁ、そして後ろを見るんだ……」
キーモが恐る恐る振り向くとそこには入ってきた水場を塞ぐようにしてモンスターがワラワラと発生していた。
「そ、そんな……!! 鉱物生物「ラーヤラーヤン」……!! な、なぜ……こ、こんなに……!!」
一瞬だけ相手を見ると素早くキーモは両手の穴開きグラブで両目を覆った。
「こいつが体に含む鉱石を直視すると体が石化してしまう。目を覆ったのは良い判断だ。まぁ、もしそのまま目を閉じていたらタコ殴りにされておしまいだな。というわけで殺る前に殺れ……だ!!」
ビスン!! ビスンビスン!!! ビシィィィィィン!!!!!
何かが鉱物を貫く鋭い音が聞こえた。
「はい。いっちょあり~。おい。いつまで目を閉じてるんだ。おい。おいったら」
我に返ったキーモは汗でぐしょぐしょに濡れたグローブを額から離した。
「せ……せっしゃ……。生き延びることができたでござるか……?」
あたりを眺めると岩のモンスターにカレッカが腰掛けて一服、タバコを吸っていた。
鉱石の魔物には無数のチェルッキィーが刺さり、貫通していた。
そして討伐の主は得意げに鼻で笑った。
「ふふん。あぁ、そうさ。あんたは確かに生き延びた。ただし、あたしがいなけりゃ死んでいた。これに懲りたら染料漁りはやめるこったね。最近、多いんだよこの手のカモが。命まで取られたくなきゃ余計にだな……」
カレッカ女史が説教を続けようとした時だった。
キーモは魔物に刺さったチェルッキィーに張り付くように観察し始めたのだ。
「こ……これは一体!? チェルッキィーをまるで投げナイフのように使いこなしておられる!!」
リズムを崩された女史は不機嫌そうな表情を浮かべた。
「ああ、そうだよ。チェルッキィー使いの一派だ。色見流とか呼ばれてる。元祖が使っていたことからこれを知らないものは居ないほどに有名……っていうか君はずいぶん歪なルートを通ってきてるな。……面白い。興味が湧いてきた。君とチェルッキィーのエピソードを教えてくれないか」
彼女の顔色が煙たげなそれから好機へと変わっていくのがわかった。
そもそも、大抵のチェルッキィー使いは国内、つまりトーベで生まれ育つことが多い。
才能や資質というよりはそのお菓子に接するケースが他国より遥かに多いためだ。
キーモのように輸入先で刺激を受けて使い手になるものは教育体系も整っておらず、少数である。
「ふ~ん。キーモ……か。どおりで”順序”が違うわけだ。普通はまず先に戦闘能力を身に着けてから他の魔術へと派生していく。だが、どうやら悪いことばかりでもないらしい。その相手の位置を察知するセンスは頭一つ抜けている。大事にするんだね」
思えば学院の入試のときも同じことを言われていた気がする。
もっとも、そのときはサポートとしての試験だったので戦闘能力は問われなかったが……。
「フムム……道理で拙者だけ腕っぷしが弱かったわけでござるな……。それならそうと教えてくれればよかったものを……」
オタク少年は親指の爪を噛んだ。
「ほら、そこが間違ってるんだよ。自分で気づかなきゃ自分で!!」
厳し目の指摘を受けて彼はピィンっと背筋を伸ばした。
カレッカは倒したモンスターに腰掛けたまま腕を組んだ。
「で、どうしたい? ここで死んだのを見なかったことにするか、それとも直視するか」
未熟なチェルッキィー使いはじっとりと冷や汗をかいた。
その質問はつまりこの先、冒険者として生きていくか、目を背け続けて逃げていくかの二択を迫るものだった。
まるで固形物が詰まったような喉を鳴らして息を飲み込む。
「せ……拙者はこんなところで冒険を終わらせるわけにはいかないでござる……」
相手の女性を見据えて、覚悟を決めた様子で彼はそう口にした。
カレッカは脚を組み直してキーモを見下すような態度をとった。
「いいのか? 本当にいいのか? 死んだほうがマシだって思うことだってあるんだぞ?」
彼女からは見た目にふさわしくない威圧感を感じる。
それは修羅場を潜ってきたもののそれだった。
それでも、こちらとて生半可な覚悟で学院に足を踏み入れたわけではない。
こんなところで諦めてしまうのなら所詮、その程度だったというだけだ。
キーモはフレームの内側から強い意志を込めた真剣な視線を送った。
そしてゆっくり眼鏡を上に押し上げて、胸を張った。
「…………いいだろう。チェルッキィーをした時点で答えは出ていた。どうやら覚悟が出来てないのはあたしのほうだったようだな。あんたみたいな面白い魔術、そのまま死ぬには惜しすぎるからな。時間はあるんだろ? 稽古をつけてやるよ。ただし、あたしはめちゃくちゃスパルタだからな。 身に付けたいなら死ぬ気でかかってきな!!」
そう言うと彼女は腰のベルトから無数のチェルッキィーを取り出した。
それぞれが色とりどりに輝いている。
「お……おおおぉ…………」
反射光でキーモの眼鏡は虹色に輝いた。
「ぼさっとしてないで構えな!! 修行はここでやる。あんまり色味流は露出させたくないもんでね。幸い、水場はそばにあるしチェルッキィーが死ぬほど好きならここで食料に困ることはないはず。どうせ染料を貪りにきたんだろ? 願ったりかなかったりじゃないか!! Let’s……」
少年もニタッっとした笑いを浮かべると腰のお菓子箱を素早く構えた。
「チェェェェェルゥッキィィィィィーーーーーーーーー!!!!!!」
2人は細く短い菓子を激しくぶつけあった。




