こう見えて純情なんです……
「全身の侵蝕の具合をチェックして」
女性研究員達はスララの体を触診したり、採血したり、薄く皮膚を採取したりと全身にわたって様々なチェックを行った。
主任らしき女性は自分たちが刻み込んだ印を補強したり、訂正する形で刻まれた学院製のデモン・コントロール・マークについて分析を始めた。
「……驚異的だわ。およそ半年前のエ・Gによる侵蝕率は32.3%。検査の度に3%前後増えていたのだけれど、今回の侵蝕率は33.7%。体が蝕まれるペースが明らかに落ちている。王都魔術局の悪魔憑き研究部署は国内トップという自負があったけれど、とんだ思い上がりだったようね……」
周りの研究員たちも興味深そうに学院製の悪魔制御術を観察して感心や、驚きの声を上げていた。
「さて、仕上げといくわよ。エ・Gの自己修復能力に異常がないか調べるわ」
そう言うと彼女はいきなりナイフを取り出して逆手に握った。
すると無防備なスララの胸の右上を思い切り刺した。
今回、初参加だった新人研究員は思わず声を上げた。
「主任!! 何をしているんです!?」
血に濡れたナイフを引き抜いた女性は至って冷静な様子で言い放った。
「貴方も資料を見たでしょう? この寄生型悪魔には宿主を護るために傷や病気、毒などを高速で治癒させる能力があるの。見なさい」
さきほど刺した傷口がジュウジュウと音と赤い泡を立ててみるみる塞がっていく。
「そ……そんな……。こんな……こんな、なんの変哲もない女の子がどうしてこんな体に……?」
ショックを受けた新人は力なく膝を床についた。
「彼女の場合は隔世遺伝タイプよ。DNAに悪魔がへばりついているの。親子の関係では発現しないけれど、いくつか代をまたぐと姿を表わすわ。お父様の話を聞くに、家系の女性しか契約は発生しないようだわ」
白衣の女性主任は腕を組んだ。
「そっ、それで……そのエ・Gが彼女に及ぼす影響は……?」
新人は恐る恐る尋ねた。
「信じられないかもしれないけど、彼女は人の姿をしてはいるけれど体の作りはほぼ悪魔なの。実のところ人間の皮を被ったデモンなのよ。脳や骨、臓器などは一切存在しなくて、ヤツが詰まってるの。ただ、主導権は完全にスララちゃんが握っているわ。だから宿主と呼ぶの。体を借りないと具現化出来ないのだから悪魔もしぶしぶ従うわね。彼女自身が望んでいるから姿形だけは人間の女の子ってワケ」
主任は胸糞悪そうに荒っぽく白衣のポケットに両方の手をつっこむ。
「エ・Gとしては宿主が死んでしまうというのは非常に厄介な問題だわ。その血が途絶えることも消滅を意味するの。だから、この子は異常に治癒能力が高いの。手足がもげてもしばらくくっつけていれば元に戻ってしまうわ。おそらく頭が飛んでもリカバリーが可能なはずよ。治癒がどうとかってレベルではないわね……」
「不死身じゃないですか!!」
思わず実習経験が浅いサイエンティストは叫んでしまった。
責任は眼をつむって首を左右に振った。
「そうでもないわ。私達はバトルラボでは無いからそこまで研究できないのだけれど、何かしら弱点は存在しているはずよ。少なくとも判明しているのはエ・Gを出しているうちはいくら呑み込んでも速い速度で空腹になっていくことね。戦いながら食事する事は出来ないから長期戦は出来ないのよ。10分がいいとこかしらね。食料の無い場所にとても弱くて、人より早く戦闘不能になるわ」
上司は振り向いて手術台を遠巻きに眺めた。
「それと……侵蝕率が問題よ。100%になるとエ・Gがコントロールしきれず暴走するわ。情報によると彼女の曾祖母は小さな集落を住民もろとも丸呑みにし、あたり一体を何もない荒れ地にしたとあるわ。もっとも、彼女は刻印もマークも魔法薬も飲んでいなかったから悪魔の力を行使しなくとも侵蝕が速くて食い止められなかったのだけれど……」
新米は動揺しつつも、冷静さを取り戻して問いをした。
「そ、その後、クランケはどうなったんですか……? それだけの貪欲な衝動があるなら被害も甚大なはず……。やはり、武力行使で……?」
責任研究者は頬に手を当てながら首を傾けた。
「それがね……その一件だけで”失踪”してしまったの。エ・Gの解析率はデモンズの中では高い方なんだけれど、侵食率がMAXになった時の反動について詳しくわかっていないの。ただ、数例のデータを見るに全員が失踪しているわ。パワーを使い果たして絶命した可能性は低いわ。悪魔は何かしらを”欲する”ものだから……」
それを聞いたまだ本物の悪魔をよく知らない初心者は何も言わず小走りで手術台に張り付いて、必死に見学を始めた。
「そうよね……。私達の感覚がおかしいのよね。いたいけな少女がこんな目に合っているのに、私達は被験体としてしかこの娘を見ることしか出来ていないのだから。でも、きっとこの研究は今後の悪魔憑きの人達の為になる……。ここで退くわけにはいかないの。それが私達の矜持と覚悟よ」
どのくらい経っただろうか。全裸のスララは目を覚ました。
「あ……セんセい……。どウでシたカ?」
スララはまるで男のように堂々としていた。
乳が見えようと陰部が見えようと全く気にかけていない様子だ。
麻酔無しで隅々まで検査された事が何度もあるのでもう完全に羞恥心が麻痺しているのである。
ただ、彼女は体をいじくり回されている割には貞操には敏感だった。
特に陰部をいじくりまわされているという現実は乙女には酷だった。
だが、こんな自分でもいつか理想の男性と恋愛して普通に子供も欲しいと思っている。
悪魔憑き以外は至って普通の女の子なのである。
ゆったりとしたワンピースに着替え終わるとスララは手術台から降りた。
「あリがトうゴざイまシた。まタよロしクおネがイしマす」
彼女は深々と研究員たちにお辞儀をするとラボの一室を出た。
ライネンテ王立悪魔研究所の扉を開けると父ガラハドと母シュネが待っていた。
「来たな。じゃ、かあさん。いくよ」
夫は妻の手をとって、眼球のない彼女をエスコートした。
「じャ、ワたシはコっチ!!」
娘は笑顔を浮かべて空いている方の母の手を握った。
3人で仲良く横並びになるとそのまま都市をあるき出した。
「よ~し。せっかくスララが帰ってきたんだ。今日は大王蜘蛛の丸焼きにしようじゃないか!! 足はカリカリ、肉とモツの旨さ、そしてあま~いいくつかの目ん玉だ!! あ~。よだれが出てきたぜ!!」
ガラハドは無邪気に顔を綻ばせた。
「まぁあなたったら。呆れるほど蜘蛛料理、大好きなのね」
思わずシュネがふふっと吹き出した。
「わタしモくモすキ!!」
こうして3人は王都の虫専門料理店「俺たちの虫」で食事を済ませ、家に帰った。
そこそこ裕福な家のリビングで家族達はくつろぎだした。
ダークパープルの髪の少女は父に問いかけた。
「最近、お仕事はどう?」
父はまずまずといった表情で近況報告をした。
「まぁライネンテは治安が一番良いから警察官なんてのは命がけで戦う事はまずない。モンスターなんて滅多に現れないし、二つ名の犯罪者も滅多に逮捕されない。俺らの仕事は細かい揉めごとの仲裁や、自己処理、人命救助、いちばん重要なのはテロの抑止だな。前にシリルって南の街で爆弾テロ騒ぎがあったんだ。ああいうのを未然に防ぐ役割だな。まぁ前の仕事に比べりゃ楽すぎるな」
イスに揺られながら妻はつぶやいた。
「あなた、それでも危険性はあるわ。前のお仕事の浄化人の退団手当だけでも暮らしていけるのに……」
元教会関係者の男はヘッっと息を吐いて笑った。
「遊んで暮らせってか? お前ら俺が割と仕事人間なの知ってんだろうが。おまえらを養う金も必要だ。それになにかしら働いてねぇと腐っちまうんだよ」
引っ越して安住の環境を得た家族はみんな一緒に微笑んだ。
「おカあサんハ?」
母に娘が訪ねるとシュネは得意げに答えた。
「眼の再生手術を受けるため特訓してるんだけど、私はただの村娘だし。マナの限界値が低くて手術に耐えられないだろうって。だから小さな魔術教室で必死にトレーニングしてるの。もう6年くらい通ってるけど、まだ手術まで半分いかないって。瞑想が大変でね。集中してるつもりが晩ごはん何にしようかとか考えちゃうのよ」
スララは母の事を尊敬した。杖で歩く特訓もそうだが、すごくガッツがあるのだ。
「スララちゃん。あなた、学院ではどうなの?」
彼女は夢中でこの一学期に起こった事を語った。
大変だったり辛いことも少なくなかったけれど、それでもとても楽しそうに少女は語る。
スパルタながらメリハリの効いたナッガンクラスだからこそそう思えるのだろう。
「がクいンはかワっタひトばッかダかラ、あクまガつイてテもダれモきニしナいんダ!!」
明るく語るが、彼女は悪魔を取り除きたいと思って入学したのだった。
自身の侵食率には常に怯えていた。
研究主任からMAXになると暴走後”失踪”すると聞いてはいたのだ。
人や物に害を加えてしまうのは非常に恐ろしいことだ。
それに疾走したら恋愛も、結婚も、家族も作れない。
ガラハドとシュネと自分のような明るい家庭を築きたい。
そのためにはなんとかして長生きしなければならない。それがスララの切なる願いだった。
こんな危険な悪魔と契約したことを彼女は後悔していなかった。
母の眼は失ってしまったが、幾度となくエ・Gには命を救われた。
そしてスララはちょっとやそっとでは折れない芯の強さを持ち合わせていた。
希望が0.001%でもあればそれに挑んでみる。
賭けに頼らず、努力を積み上げることによって成し遂げる。
そんな強い意志が彼女の真っ赤な眼には満ちていた。
久しぶりにあった彼女を見て両親はとても安心した。
スララは一ヶ月間、ゆっくり王都ライネンテの実家で過ごすことにしていた。
宿題をやりながら自己鍛錬するくらいだろうか。
もっとも悪魔が人目につくとまずいので、悪魔研究所内の実験室だけでしか出せない。
だからこまめにそこに通って自主トレーニングをする予定だ。
二学期の新技開発の課題のためにスララはあれこれと計画を立て始めた。
ライネンテは今、秋である。散歩しながら紅葉を楽しみつつ彼女は王都を満喫した。




