命の恩人につぶてを投げて
スララは脳内に響くような謎の声と対話していた。
(あなたは……あなたは誰なの?)
口に言葉を出さなくても返事は帰ってきた。
(我が名は”エ・G”。うぬの血族とは切っても切れぬ縁のある悪魔だ。うぬの曾祖母も我と契約していた)
難しい言葉の連続に幼女は戸惑ったが、なんとか話を理解しようとした。
(そーそぼ? おばーちゃんの……おばーちゃん?)
野太い男性に似た声は特に感情を抱くでもなく話をぶった切って話題を変えた。
(うぬは……力が欲しくはないか? うぬの父と母は死の危機にあるではないか。もし、我と契約を結べばこの程度の骸を呑むのは造作も無いことだ)
それを聞いたスララは驚きで目を見開いた。
(ウソでしょ!? こんなおばけたち、簡単に倒せるわけがないよ!!)
信じられないといった様子で彼女は首を左右に振った。
(我としてもうぬがここで死んで血が途絶えてしまうのを危惧して覚醒したのだ。正直、我はうぬ以外の命に全く興味はないが力の使い方は自由だ。うぬが望むのなら父母、村人を助けることも出来なくはない)
少女の顔色が変わった。彼女はお世辞にも勇気がある方では無かったが、皆が助かるかもしれないとなると凛として構えた。
(エ・Gさん!! 私に……私に力をください!! 皆を助けるために、私は力が欲しい!!)
すぐに悪魔からの返事が帰ってきた。
(その意気や良し。うぬは曾祖母によく似ている……。ただな、長い休眠で我の目は退化してしまったのだ。力を発揮するには新たな眼が必要だ。眼を捧げなければ戦うことは出来ん。さぁ、どうする?)
悪魔は非常識で不平等な契約や取引をすることをスララは勉強していた。
もしかしたら眼だけでなく命まで取られるかもしれない。
だが、彼女はひいばあちゃんが彼と契約していたという話を信じ切っていたのでやや警戒心が薄れていた。
眼を差し出したらどうなるだろうか。もし助かったとしてもその後の人生に大きな支障が出るのは間違いない。
しかし、醜いアンデッド達の群れを見ているといっそ視界を断ってしまいたい気持ちもあった。
(う、う、う……こ、こわいけど……。命には変えられないよね……。エ・Gさん。……いいよ……。私の眼を使って!!)
スララはガタガタと頭を震わせながら、歯を食いしばり、眼を思い切りつむった。
(確かに契約は完了した。我の視界はしかと回復した)
そう聞いてゆっくり少女は瞳を開けた。
「あれ!? 眼が見える!!」
驚いてかざした両手に目をやる。至って視界に異常はないようだ。
「え、あ? スララ!! スララ!! どこにいるの!?」
突如、半身を起こした母が叫んだ。何事かと思って彼女の方を見ると眼のあるはずの場所が空洞になっていた。
目のくぼみの暗闇は深く、その顔はまるで忌み嫌うおばけのようだった。
「きゃ、きゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
スララは衝撃を受けて思わず飛び退くと、頭を抱えて金切り声を上げて叫んだ。
(ふはははははは!!!!!! 誰がうぬの眼をもらうと言った。寄生するのに母体のうぬの眼が潰れていては話にならんではないか。よって母の眼を頂いた。さて、では力の覚醒といこうではないか!!)
悪魔憑きの少女は自分の胸元を両手で鷲掴みにした。
「がああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
断末魔のように絶叫する娘に違和感を感じた母は繰り返し呼びかけた。
「スララ!! スララ!! ああ、どうして眼が見えないの!?」
すると少女はオエッ、オエッと嘔吐きはじめた。
「うっ、うっぷ……うぐぅ!! おげええええええええええぇぇぇぇぇ!!!!!!」
口から飛び出てきたものを見てスララは心臓が止まるかと思った。
内臓と思われる部位が一通り体外に出てしまったのである。
(あぁ……、やっぱり悪魔となんか契約するんじゃなかった。お母さんの眼を奪って、私の命も奪う気なんだわ……)
膝に手をついて前かがみで息を荒げる。また吐き気がきた。
「お、おえお、げぇぇぇぇぇぇっっっ!!!!!」
次に口の中から出てきたのは白く図太い胴体をした肉厚なエイのような形状の悪魔だった。
かなり大きく、ファントムメイルと同じくらいのサイズだ。
手足はなく、ふわふわと浮いていて体中に赤く不気味な文様が刻まれている。
それに全身の半分の大きさはあろうかという大きな口が前面についていた。
母の眼を取り込んだはずだが、それらしい器官は全く存在せず目は無かった。
しっぽは先に行くにつれて細くなり、スララの口、体内へと連結しているのが確認できる。
これなら呼吸したり、会話したりするのに邪魔にならなさそうである。
「こッ、こレがえ・Gナの……!? あ、アれ? なンか、コえガ、へンにナっチゃっタ……」
(小娘。何をぼさっとしている。さぁ、久方ぶりに喰らおうではないか。骸とはゲテモノもいいところだが、まぁそれも悪くあるまい。宴の始まりだ!!)
「こ、コうカな!?」
彼女は自分がガブリと噛み付くイメージを向かってくるアンデッド集団に向けた。
すると、エ・Gが瞬時に反応して二十体弱のモンスターを一気に丸呑みにした。
「す、スごイ……!! でモ、こンなニたベて、オなカこワしタりシなイかナ? おナかハれツしタりシなイ?」
少女の素朴な疑問に悪魔は答えた。
(脆弱な人間の内臓などとと比べてもらっては困るな。くだらん心配はいらん。いいからもっと喰わせろ!!)
実際に敵を撃破出来たことが確かな自信に繋がり、スララは怯えつつも生まれて初めて戦いの構えをとった。
「こレなラ……!! で、デも、おカあサんヲおイてハいケなイよ……」
娘の名前を呼びながら這い回る母を見下ろして彼女は心配した。
(簡単なことだ。あまり広くはないが我の体内には消化しないポケット空間がある。呑み込んでそちらへ送って保護すれば良い)
そうは言ってもなかなか母を飲み込むのは決意がいる。
「おカあサん、ゴめン!! しバらクがマんシてテ!!」
がぁふっ!! ぐむぐむぐむ……
悲鳴をあげる間もなく、母はエ・Gが丸呑みにしてしまった。
少女は自分の母を体内に取り込むという奇妙な体験をすることとなった。
「まズは、タおレそウなオとウさンをッ!!」
悪魔憑きは父ガラハドとファントムメイルが一騎打ちしている広場の中央めがけて走った。
悪魔との契約によって彼女の身体能力も著しく向上しており、同年代の子供とは比べ物にならない速さで駆けた。
「おトうサん!!」
スララが叫ぶと父は振り向いた。戦いに必死で娘のことには気づかなかったらしい。
「お前……そいつぁ……なんて事だ……。ばあさんと同じじゃねぇか……」
彼は絶望の表情を浮かべた。それが大きなスキとなってしまった。
亡霊の甲冑の強烈な突きが迫る。
「えエいっ!!」
少女は頭を横に振って脇からエ・Gの胴体でファントムメイルを思いっきり叩きつけた。
衝撃で敵は大きく横に吹っ飛んだが、悪魔は口の位置を体の側面に移動させて追いかけてそのまま呑み込んでしまった。
鎧のアンデッドは口の中で暴れたが、しばらくすると反応が無くなった。
(ふむ。こいつはなかなか美味だな)
ご満悦と言った風な声が脳に響く。
滅茶苦茶に硬そうな鎧を体内に取り込んでしまった。
この白く赤い文様の悪魔には歯が一切なく、飲み込むのみである。
しかし、スララの腹部は全く膨れない。
また、満腹感や空腹感の感覚が完全に失われていた。
一体、体の中では何が起こっているのか、さっぱりわからなかった。
熾烈攻撃から開放されたガラハドは立膝で座り込んだ。
「ぐっ、スララ……。やめろ……。そいつにそれ以上関わるな……。力を行使し続けると呪われて身を滅ぼし、恐ろしいことになるんだ……。ばあさんみたいになっちまう……」
こうなってしまった以上、今更何を恐れるというのだろう。
幼女は勇気とはまた違った意味で肝が座ってしまっていた。
「おトうサん!! もウしゃベらナいデ!! じッとシてチをトめナきャ!! あトはワたシが!!」
そう言うとスララは村人を追い回すアンデットを片っ端から巨大な口の中に放り込んでいった。
巨大で、白と赤で目立つ新たなモンスターの出現に村人はなおのこと混乱した。
寄生対象が小さかったので傍から見れば悪魔が暴れているようにしか見えない。
向かうところ敵なしと言った感じでゴミを掃除するようにザコアンデットを始末していく。
(本当は人間も喰らいたいところだが、残念なことに宿主の命令には基本的には逆らえないのでな。喰らう機会が来ることを期待しておくとするか)
あまりの勢いに村人まで一緒に食べてしまうのではとスララは心配した。
だが、慎重に狙いを定めなくてもエ・Gは自動的に人間を弾いた。
そのペースでひたすら喰らっているとうじゃうじゃと湧いていた村のアンデットは10分程度で全滅してしまった。
父が気になり、すぐに広場へと戻った。父のそばに戻るど彼女は母を吐き出した。
「げエぇェえェえェえエえエ!!!!!!」
するとポンっとエ・Gからシュネが飛び出した。
「!!!! シュネ……。だ、大丈夫か……? ッ!!!!!!!」
妻の顔を見たガラハドは絶句した。
スララは気が狂いそうなほどの罪悪感を感じ、顔をそむけた。
「スララ……悪魔を……ひっこめろ……。早く……早くだ……」
「う、ウん……」
少女が喉の奥に飲み込むようイメージするとエ・Gは体内にスーッと消えていった。
あんなに大きいのに普通の少女の中にすっぱりと収まったのだ。
結局、悪魔の貪欲さに助けられ、村人の犠牲者はさほど多くなかった。
攻撃が止んだのを確認した住人たちは緊急時の集合場所である広場へと戻り、集まりつつあった。
危機を乗り切ったのだという実感が湧いてきて、悪魔憑きはへたりこんで呆然としていた。
その時、少女の額に小石が当たった。
「あイたッ!!」
それなりに大きい石だったが、そこまで痛くはない。心なしか打たれ強くなっている気がした。
今度は後頭部にまた石が当たった。
振り向くと、村人がガタガタ震えていた。
「こ、この悪魔憑き~~~~~~~~!!!!!!」
そう叫んでまた石をこちらに投げてきた。
他の者も次々とつぶてを投げ始めてきた。
「なんて汚らわしい!! 出て行けこの売女!!」
「お前みたいなやつが居ると村が滅びちまう!! とっとと失せろよ!!」
「悪魔だわ!! 悪魔の羽を背負っているのが見える!!」
「さっきの化け物たちを呼んだのはお前だろ!? この疫病神が!!」
無数の石はそばにいる父と母にも当たった。娘は悲鳴をあげる。
「やメて……。やメてェぇェぇェーーーーーーーー!!!!!!」
「やめんかかああああーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!」
広場にたどり着いた村長が制止の命令を出した。
「お主ら、誰に救ってもらった命だと思っておる!! 悪魔の力とは言え、スララの勇敢な行動がなければわしらは死んでおったのは間違いないじゃろ!! 命の恩人に石を投げるとは何事か!! 恩を仇で返すでない!!」
彼がそう諭すとつぶてを投げる者は居なくなった。
そして村長はスララ達の家族へ歩み寄った。
「ガラハド、スララ。よくやってくれた……。わかっているかと思うが、いくら村の救世主とは言え、悪魔憑きは悪魔憑きじゃ。傷が癒えたら村からは出ていってもらう。今まで村を守ってくれたガラハドを追放することになるとは……わしは……わしは心が張り裂けそうじゃ……」
村の長はがっくりと項垂れた。
それにガラハドは笑顔で返した。
「ははは……。こればっかりは仕方ないですよ。娘には来ないと思って黙ってましたが、甘かったみたいだ……。村長が気に病むことはないですよ。俺たち一家は旅に出る。そういうことでいいじゃないですか。お互い、後腐れ無しってことにしましょう」
与えられた猶予の間、誰もスララ達の家に近づく者は居なかった。
本人の治癒力もあって、父の傷が癒えるのは早かった。
その間、娘はバンダナ状のオシャレなアイマスクを母に作り、両目の眼の暗い穴を隠した。
悪魔との契約で眼を失った事は話せなかったが、両親は既に悟っているようだった。
療養中にシュネは血の滲む思いでリハビリをし、杖があればなんとか一人で歩けるようになった。
無常にも追放は早く行われ、治りかけの父と盲目に慣れない母、そして幼い娘はあてもなく村の外に放り出されることとなった。
一家は3人揃って長らく親しんだ村を振り返ったが、誰も見送りに来るものは居なかった。
スララはこれ以降、この時に体験したこの場面ばかりを夢で見る。
楽しい夢、そんなものは彼女には存在しないのだった。




