悪魔憑(つ)きの見る悪夢
フォーリン・ナイト・ラブ作戦が決行されている頃、スララは一糸まとわぬ姿で研究室の一室へと入っていった。
腰まであるダークブルーの長髪が肌色に映えた。
「よロしクおネがイしマす……」
手術台の周りには白衣を着た研究員だけが集まっていた。
男性の研究員も居たが、スララは人前に裸体を晒すのに全く抵抗が無い様子で前に出た。
“検査慣れ”しているとでもいったところだろうか。
「スララちゃん。久しぶり。それがリジャントブイルで施してもらった制御刻印ね? ここ半年間の経過も見ましょうか。さ、横になって」
悪魔憑きの少女は案内されると手術台に登って上を向いて寝そべった。
「コントロールされていないエ・Gが目覚めたら私達、皆殺されちゃうから……。悪いけどいつものように専用の麻酔マスクをつけていて。大丈夫。着けている間は強力な鎮痛効果があるから……。あと、いつものやらせてもらうからね」
女性の研究主任は緊張を解くように優しく微笑みかけたが、彼女は微塵も強張っている様子がなかった。
スララはコクリと頷くと天井から下がってきたチューブのついたマスクを口に装着した。
すると彼女は眠りに落ちるように瞳を閉じ、寝息を立て始めた。
彼女の脳裏で幼い頃のある日の出来事が再生された。
「みんなー!! 逃げろーーーッッッ!!! 隣村がアンデッドにやられた!! 連中が来るのも時間の問題だ!! 戦える者は住民が逃げるのを援護してくれ!!!! もう西門に奴らが迫っている!! そのため、侵入を防ぐために西門は閉鎖した!! 村の東門へ急ぐんだーーーーッッッ!!!」
スララの家の中にも声は響いて来ていた。
「浄化人ならこんなとりこぼしはしない。大方、武勲を焦った守護騎士の幹部の掃討作戦ってところだろう」
小柄だが逞しい男性は暖炉の上に祀るようにかけてあった片手剣を握った。
「まさかまたこいつを振るう事になるとはな……」
背後からスララの母、シュネが抱きついた。
「あなた!! ……あなたのことだからきっと行ってしまうのでしょう。でもお願い!! 生きて帰ってくると約束して!!」
「おとーさん!! イヤだよいかないで!! おとーさん!!」
スララの父、ガラハドはひっつく娘の背を抱きしめてから妻に託した。
「いいか、二人とも絶対に生き残るんだぞ。俺の還る所はお前らだけだからな」
名残惜しそうに体を離すと父は娘の髪をわしゃわしゃと撫でて笑ってみせた。
「父さんが声をかけたら2人は一気に走り出して村の東口の門から外へ逃げるんだ。攻撃は俺が引き付けるからその間にタイミングを見て走れ!! いくぞ!! いち、にの!!」
ガラハドがバンと扉を開いた外は既に弓矢飛び交う戦場と化していた。
父は走りだすと骨の剣を持ったスケルトンを鮮やかに一体切り捨てた。
後ろから突進してきた槍兵のスケルトン・ランサーの攻撃も避けて叩き伏せる。
「皮肉なもんだな。体は覚えているもんだ!!」
同時に飛んでくる骨の弓矢の数本を剣で弾き返して自ら囮になった。
「今だ!! 走って他の人と合流しろーッ!! チッ!! 屋根の上に陣取ってやがる!! とりあえずマテラおばさんと合流すべきかッ!!」
そう言いながら父は妻子をかばいつつ、村の中央広場へ向けて走っていった。
どうやら亡者の集団は西側から侵攻してきているらしい。
おそらく、村の中でも戦力になる者達が集まって逃走する時間稼ぎにあたるつもりなのだろう。
「さぁ、いくよスララ!!」
呆気にとられていた娘の手を母は強く引いた。
このトートラ村は開拓時代に荒れ地に巣食うアンデッドと人々の間で熾烈な攻防戦が繰り広げられた元要塞である。
非常に小規模な要塞ではあるが村としては破格の城塞を備えていた。
流れ矢に当たらないよう祈りながら村の路地を2人して駆け抜ける。
途中、粉々に砕けた白骨が散らばっていた。誰かがスケルトンを撃破したようだ。
しかし何の対処もせずに放置しておくといつ復活してもおかしくはなく、気が抜けなかった。
シュネとスララは運良く無傷で村の入口近くまでたどり着くことが出来ていた。
だが、どうしたことだろうか。町の外に逃げる通路はおしくらまんじゅうになっていた。
「こ、こら!! おすでねぇ!! あんなもんにかなうわけねぇべさ!!」
「ひええ~。ありゃどう見ても無理だ。俺らが束になったところでどうしょもないぞ~。おしめぇだぁ~」
「あ~~~、村長様~、ガラハドさん、早く来てくれー」
人並みの間からスララが覗き込むと3mはあろうかという巨大なダークパープルの甲冑が村の入口に立ちふさがっていたのだ。
それもただの甲冑ではない。
紫のオーラを纏っていて中身が空っぽで、そこにあるはずの肉体がないのだ。
巨大な盾と剣で武装もしている。子供から見ても凶悪なアンデッドだとすぐにわかった。
村人たちが絶望しかけた時だった。神殿守護騎士の女性が果敢にも挑みかかったのだ。
「くっ!! 教会への救援要請を優先すべきですが、こうなっては仕方ありません!!」
美しい純白のマントを羽織っていて、それなりに腕は立ちそうだった。
彼女はメインストリートに飛び出ると村の入口から敵をおびき寄せるような位置に立った。
抜刀して魔物にに刃を向ける。
「私がお相手いたします!! 村の人には指いっぽ―――ぶッッ!!」
あっという間だった。彼女が臨戦態勢に入った直後の一瞬。
甲冑が恐ろしいほどの速さで迫り、ショルダータックルを女性の顔面にぶちこんだのだ。
女性騎士は盾を装備していたが、盾もろとも彼女の顔は判別不能なほどぺしゃんこになってしまった。
まだ生きているようだったが、無慈悲の追撃が彼女を襲った。
鎧のアンデッドは流れるように抜刀して彼女を細切れにしてその返り血を浴びた。
それなりの重装備だったのに、まるで紙のようにスパスパと斬れていた。
そして、ゴミクズを捨てるかのように女騎士だった肉塊を蹴り飛ばして壁に叩きつけた。
この光景を見て住民たちはすくみ上がって動けなくなってしまった。
そうこうしているうちに東門からもゾンビやスケルトン、そして他のアンデッドがじわじわと侵入してきていた。
想像以上に彼らのスピードは速く、もはやこの集落は骸に包囲されてしまっていたのがわかった。
城塞の抜け道などから村から外に出たとしても、連中に襲われるだけだろう。
住民たちは仕方なく広場へと引き返せざるをえなかった。
一方、村の中央ではじわじわと城塞を乗り越えて来るアンデッドに村の精鋭十数名が当たっていた。
なんとか連中を食い止められていたので、彼らは無事に他の村人が退避できたのだろうと安心していた。
だが、同時に違和感も感じていた。攻めてくるはずの骸が急に減ったのである。
嫌な予感は的中した。村人たちが混乱しながらこちらへと逃げてくるのが見えた。
その後ろから村人たちを追い立て襲撃しつつ、モンスターが村の中になだれ込んできていた。
村の中央を守り抜いてきたガラハド達はまさかの事態に愕然とした。
死者たちの先頭をきって巨大な甲冑型アンデッドがやってくるのが見えた。
「あいつは……ファントムメイルか!!! クッソ!! よりにもよってこんな厄介な奴を仕留めそこねやがって!!!」
彼と背中を向けあって戦っていた村長が顔をしかめた。
「なに!? アレが噂に聞くファントムメイルか!! 見てくれは甲冑じゃが、その実体は紫の亡霊!! おそらく奴とまともにやりあえるのはガラハド、お主くらいしかおらん!! わしは先頭で切り込みつつ、西門を開放し活路を開く!! 村の中央にも多めに人員を割いておくから死ぬんじゃぁないぞ!! 聖神からの賜物!! シクリッド・ギフト!!」
村長がそう唱えるとガラハドの体がうっすらと光を帯びた。
「助かります!! 村長こそ死なないでくださいよ!! 生命の女神よ。どうか我の剣に、しばし祝福の加護を与えん……。ディヴァイン・ブレッシング・ブレイド!!!」
金色の美しい装飾の施された白刃の剣が昼間だというのに輝き出した。
「ファントムメイルか……一人で葬るとなるとシャレにならねぇな。だがやるしかねぇ!!! 他の連中だって俺に邪魔が入らねぇよう必死にやってくれてんだ。俺がマジにならねぇでどうするよ!!」
ガラハドは片手剣を両手で握る独特なスタイルで化物に斬りかかっていった。
小柄な体格を生かして横ステップを踏みつつ猛スピードで強襲をかけた。
だが相手も速さでは負けては居ない。突進してくる獲物めがけて剣を横薙ぎで振った。
「速い!! が、まだ見える!!」
ガラハドは高く跳んで回避した。そのまま魔力を一気に込めて甲冑の頭部に下突きを放った。
ゴィイン!!
攻撃は直撃した。鈍い音を立てて鎧の頭部が吹っ飛んだが手応えがない。
ファントムメイルは敵の背後に着地した剣士めがけて振り向きざまに盾を振り抜いてきた。
こいつの場合、たとえ盾の一撃でも致命傷になりかねない。
ガラハドは優れた反射神経で盾をタイミングよく蹴り、一気に跳んだ。
そして地面に転がっている敵の頭部めがけて飛ぶとそれを輝く剣で貫きつつ側転した。
「おお、おおおおお、あおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」
甲冑の頭部の紫色のもやもやが消えていく。するとファントムメイルがうめき、もがき始めた。
「さすがに頭は痛ぇよな? ま、おめえさんにゃあ関係ねぇか。こっからが本番だぜ」
串刺しにした頭部はガタガタと震えるとスーッと浮かび上がって本体の元へ戻っていった。
そして本来あるべき位置へと戻るとまた戦闘の構えを取った。
(こいつの鎧は一切ダメージを受付けねぇ。こうやって露出した霊体を狙うことでのみの浄化が可能……。俺のブランク、疲労面などを考えると長期戦は厳しい。しばらく戦ってると攻撃を回避しきれなくなっちまうはずだ。しかも最悪なことにコイツはタフなんだよ。誰かの助けがあればあるいはだが、別格過ぎて村の精鋭程度じゃ無駄死にするだけだ)
彼は既に汗だくだった。年齢というよりはブランクによるところが大きい。
しかも相手が強敵となれば長く平穏な暮らしをしていた彼にとっては厳しいものがあった。
「皆の者~~~!!!!! これから閉じた西門を開放する!! わしに続いて西門の方へ逃げるんじゃ!! いいな、慌てるでないぞ!! 頭を低くして矢に当たらないように駆け抜けるんじゃ!!」
村長は杖を大きく振って戸惑う村人たちを誘導した。
村の長は戦力の半分を西門方面の突破に、東から迫りくる大群に残り半分に分けた。
門の方はなんとか突破出来そうだったが、村の中央に残った者たちは出来る限り村人の脱出を助ける必要があった。
そのため、彼らに撤退の二文字は無く命を賭けての戦いとなっていた。
村長の一声で村人たちは西に向けて逃げ始めたが、じわじわ沸く東側の死体と押し寄せる東側の死体に挟み撃ちにされてしまった。
村の中央広場は激戦区と化した。
人々はパニックになり、逃げ惑い殺されていく者も少なくなかった。
剣や槍での被害より、スケルトン・アーチャーや、スケルトン・ソーサラーの矢と魔法での犠牲者が多かった。
特に流れ矢は多く、あちこちを飛び交っていた。
スララと母のシュネは他の村人と共に広場を横切っていた。
周りの人々がバタバタと倒れていく中、必死に2人は走った。
だが、突然シュネが倒れ込んだ。
「痛ッ!!」
娘が座り込んだ母の体を見ると、太ももを骨の矢が貫通していた。
みるみるスカートは紅く染まり、地面も血が滲んだ。
「おかーさん!! おかーーさーーーーん!!! おかーさんが死んじゃう!!」
まだ10歳にもならないスララは泣き叫ぶしかなかった。
そんな彼女の肩を母は痛いほど強く握って揺すった。
「スララ!!! お母さんのことはいいからみんなと逃げるの!! 早く!! 早く走って!! スララ!! お願いだから聞いてちょうだい!!」
シュネの悲痛な叫びが響いたが、混乱でかきけされてしまった。
スララは喚き叫ぶだけだったが、自分のことが必死で誰も彼女を助ける余裕はなかった。
村の精鋭達も次々と倒れていき、徐々に骸の密度が上がっていった。
スララは霞む視線の中、遠目に父の姿を捉えた。
先程見た鎧の化物と戦っているが、もうズタボロだ。
体中から血を吹きながらも懸命に喰らいついている。
スララはそれを見て一層、絶望感を強めた。
両親が死にかけているショックのあまり、涙さえ出なくなった。
頭は真っ白になり、まるで心が空っぽになったようだ。
そんな彼女を突然、胸の痛みが襲った。
流れ矢が当たったのかと思ったが何かが刺さっているわけではなかった。
それでも心臓を貫くような痛みはどんどん強くなっていく。
(うぬは……力が欲しくはないか? 全てを呑み込む暗黒の深淵の如き力を……)
頭の中から聞いたことのない不気味な声が響いてきた。
スララは激痛のせいで両腕で頭を抱えていたが、すぐに痛みは収まった。
「だれ……? あなたはだれなの……?」




