楓と紗雪
「つっ!!」
百虎丸は痛みで目を覚ました。
胸元から脇腹へとなぞるように手で触れると峰打ちを食らった時のような鈍痛に襲われた。
思わず半身を起こすと額に置いてあった濡れた手ぬぐいが落ちた。
「あっ!! 気がついた!! 大丈夫? 痛くない……わけはないよね……」
寝かされていた布団の脇では介抱してくれていたらしいカエデが正座で座り込んでいた。
申し訳なさげに彼女は俯いていた。
部屋は蝋燭と月明かりで照らされていた。
「む……、もうこんな時間でござるか。いつまでも世話になっているわけにはいかないでござる。帰郷ついでに父上と母上に顔をみせねば……ぐっ!!」
起き上がろうとした彼は苦しそうに峰打ちの痕を押さえた。
「ごめんなさい。貴方の奥義を打ち破るには最低でもこのくらい打たなければならなかったの。無茶をせずに今夜はここで泊まっていって。今、お父様を呼んでくるわ」
返事をする間もなく、彼女は部屋を出ていってしまった。
試合してみたはいいものの、結果はボロ負けだった。
西園寺家は位の高い武家だけあって、所属は望み薄かと思われた。
(お師匠様……どうやら買いかぶりだったようでござるよ。気が進まぬが、また出向いて他所の推薦状を書いてもらうとするでござるか……)
亜人はぼんやりと窓の外の月を見つめていた。
そう時間はかからないうちに当主のコウイチロウが襖を開けて入ってきた。
カエデもその後をついて来ていて、二人揃って布団の脇に座った。
「まずはその怪我について詫びを入れよう。本当にすまなかった。ここまで深く撃ち込むつもりはなかったのだが、娘も自分の身を護る必要があったのでな」
座ったままの百虎丸は首を左右に振った。
「その件に関しては戦いの上の成り行きでなったことでござる。拙者は気にしてもいないし、ましてや恨んでもおらんよ。カエデ殿にも責任はござらん。ご当主殿も気にかけて貰う必要はないでござる」
彼は険しい顔をする二人を気遣って愛想笑いをした。
強がって笑っているのが丸わかりだったが、それが可愛らしくもあって場は和んだ。
「いやいや、武家の者が怪我を負ったのだ。気にかけないというわけにはいくまい。さ、カエデよ。この塩ムカデの塗り薬を百虎丸にすりこんでやれ」
思わずウサ耳侍はその長い耳をピクピクと動かした。
「ぬぬ? “武家の者”? それは……もしかして……」
西園寺家の当主と次期当主は口角をあげつつ首を縦に振った。
少しの間、ネコ顔の亜人はポカーンとしていたが、すぐ我に返って万歳をした。
「やったでござる!! お師匠様!! やったで、いでいでいでで……」
傷を抱えて彼は痛みでうずくまってしまった。
「もう。いきなり万歳なんてするからよ。さ、薬を塗りましょう。上半身の服を脱いでね」
薬を手に塗りそうになったカエデを百虎丸は止めた。
「わ、若い娘に裸体を触られるのには抵抗があるでござる!! せ、拙者が自分で塗るでござるよ!!」
そう言うといっちょ前の男はカエデから薬を受け取った。
ぬいぐるみのようにやたら可愛くてファンシーな見た目をしているが、これでも成人男子である。
そのギャップが面白いと言うか、たまらないという感じでカエデはにんまりと笑った。
彼は二人に背を向けて胸から腰近くにかけて塩ムカデの軟膏をすりこみ始めた。
「そのままでいい。そういえば君は西の島国、ノットラントのウルラディール家が出している指名手配状を知っているかな?」
ベタベタするペースト状のものを体にこすりつけながら後ろの当主に向かって振り向く。
「指名手配書の女性の姓である”サイオンジ”とはここの西園寺家の者である……。もしかしたらとは思っていたでござるが、来たばかりなのにそんな事は聞くに聞けないでござるよ。まぁそれなりに有名で珍しい姓でござるからな……」
コウイチロウとカエデは顔を見合わせると続きを話しだした。
「いかにも。正式に家の者となったのだから、隠さず話しておく必要があると思ってな。手配状のうちの一人……サユキ=サイオンジとは我家の出身なのだ。それもただの武士では無い。ここにいるカエデの実の妹なのだ」
「!!」
百虎丸は驚いてケモケモの肌をはだけたまま、ピョンと飛び上がって当主達の方を向き直った。
次期当主の顔が曇った。
「……ええ。その通りよ。西園寺家とウルラディール家は昔から親交があってね。有望な若い武士を交換する仲だったの。それで交換に出されたのが妹のサユキというわけよ。文通などで話を聞くに、サユキとあちらの当主様の関係は良好で忠義も尽くしていたわ。だから、お家騒動のゴタゴタに巻き込まれてしまったのよ」
それを隣で聞いていたコウイチロウも深く頷いた。
「違和感を感じてウルラディール家に問いただしても”我家所属の武士の問題であるからして、西園寺家への説明責任は一切無い”と突っぱねてきおった。おかげで真相は闇の中。だが、我々としてはラルディン殿が処刑されるまでの不自然な流れは家の内の別勢力による謀り事であると確信している。それに、彼は実の兄を監禁してまで権力を欲するような男ではない!!」
当主は拳を握りしめ、声を荒げた。
色々と事情はあるようだが、つまるところカエデの実の妹、サユキはどうなったのか。
百虎丸はだいたいの予想はつきつつも尋ねてみた。
「あいわかった。西園寺が理不尽にも被っている悪評に関しては承知したでござる。して……サユキ殿の安否は……?」
並んで座る当主と次期当主は揃って首を左右に振って、沈痛な面持ちを浮かべた。
「どこに居て、何をしているか、現時点では全くわからん。そもそも生きている保証さえない。武家の者たちは稽古の合間を見て積極的に諸外国などを旅して探してくれているが、手に入る手がかりは指名手配書のみといった有様だ……」
中年男性は肩を落とした。覇気溢れる姿とは一転して娘を想う父の顔になった。
「私もね、ライネンテには半分観光、半分は妹探しで行ってたんだ。見つかるかもしれないと思って行くと辛いから半分なの。結局、今回も見つからずに帰ってきちゃったんだけどね……」
龍之便では明るく振る舞っていたが、間違いなく彼女は傷心中だったのだろう。
「そういうことなら微力ではござるが、拙者もサユキ殿の捜索に尽力するでござるよ」
しかし、その名乗り出に二人は嬉しそうな態度をしつつも首を横に振った。
「百虎丸よ。お主はまず我が家に慣れるとこから始めるが良い。休暇はおよそ一月しかないそうだが、お前に合った稽古をつけてやろう。案ずることはない。誠心流で学んだ事を出来る限り活かすつもりだ。幸い我家は流派を乗り換える稽古には慣れておる。そして最終的に西園寺流剣術に合流することとなる」
捨てねばいけないと思われていた誠心流の意志を汲んでもらえる気がして、ウサ耳亜人は心打たれた。
「ちなみに、私が振るっているのは西園寺流剣術・”西華西刀”(さいかさいとう)よ。長いから家の中では西華西刀”(さいかさいとう)で通ってるわ」
噂には聞いていたが、その純粋な使い手の本人から流派名を告げられると凄みを感じた。
「戦ってみてわかったと想うけど、刀での攻撃が主体ね。それに出の早い格闘術を織り交ぜる流派よ。奥義は多種に渡るけど、属性付与が真骨頂と言えるわね。使いこなせればどんな相手にも有利に立ち回ることが可能よ。あとは欠点……というかこれは一長一短なんだけど、攻撃回避に重きが置かれているところね。防御して耐えるっていう類の戦術は無くって、私がやったみたいに刃でいなしたりするわ」
新入りは腑に落ちない様子で質問をぶつけた。
「魅力的な剣術に思えるのでござるが、新入りや回避が苦手だったりする者はどのようにしているのでござるか?」
これは中々的を得た問いかけだった。
「う~ん。そういう門下生達は間違いなく稽古で負傷してしんどい思いをするね。でも、治癒組はとても優秀だし、傷を負えば負うだけ強くなるってのが格言の流派だからね。最初から全部避けろってわけじゃないよ。実際、回避が苦手って人のほうが伸びがよかったりもするしね」
百虎丸はどちらかといえば”叩かれる前に叩く”という戦法で攻撃を食らった後の動きについては特に決まっていなかった。
これは誠心流の教えの一つに魁の重要性を説いたものがあったためである。
そのため、回避に関してはおざなりにしてきた感がある。
今までそのネコ並に恵まれた反射神経で適当に避けられていたが、カエデには一切それが通用しなかった。
完全に避ける動作を読まれているということである。
これは茨の稽古が待っているのではないだろうかという懸念を抱きつつも、どこか心躍る百虎丸であった。




