どうしても譲れないもの
百虎丸は西園寺家の長い渡り廊下を女中に案内されて歩いていた。
部屋がいくつもある立派な作りの武家屋敷だ。
やがて、大きな襖の前に着くと女中は身を引きつつそこを開いた。
大きな座敷に初老の男と若い女がポツンと正座していた。
推薦された亜人は前に出て、深く礼をすると彼らの正面に立ってから正座の姿勢をとった。
「拙者、百虎丸と申す者でござる。拙者が属していた誠心流の道場から推薦書が届いていると思うのでござるが……」
代表と思われる男性はコクリと頷いた。
「私が西園寺家当主の康一郎だ。君がかの菜翁の推薦状の……そして私の娘、カエデが出会ったという剣客だな?」
相対する武家の二人は刺すような視線でこちらを見つめてきた。
緊張感でその場の空気が張り詰めたが百虎丸は萎縮せず、胸を張った。
それを見た当主は声をかけた。
「いい目をしている。立派なもののふの面構えだな。肝も据わっている。確かに推薦の書は受け取っているが、これだけでは君の実力を知ることは出来ない。悪いが試させてもらおう。ここに居る次期当主、西園寺 楓と一太刀交えてもらう。我が家の武士に迎え入れるかはその結果次第で決める事にしよう」
格式ある武家だけに、ただでは済まないだろうと事前に覚悟を決めていた百虎丸はこの話にあまり驚かなかった。
ただ、カエデと刀を向け合うことになるとは流石に予想外であり、その点については困惑せざるを得なかった。
その顔色を察してか、カエデは微笑みながら話しかけてきた。
「ふふふ……まさかこんなことになるなんてね。ごめんなさい。私が西園寺の人間って事、黙ってて。それに町娘ってウソもついちゃった。知ってるとは思うけど、まぁ色々事情があってね……しょうがなかったの。でもやるからには真剣よ。くれぐれも手加減しようなんて思わないでね。逆に大怪我することになるわ。私を斬り捨てる気でかかってきて!!」
早速、さきほど稽古が行われていた屋敷の中庭に通された。
中庭をぐるりと囲む廊下にはこの家の武士達が多く集まり、これからぶつかる二人を見つめていた。
「広いから大丈夫だと思うけど、庭と廊下の間には障壁が張られているわ。遠慮なく刀を振るってね」
カエデは優しい笑みを浮かべて屈み、視線を合わせてこちらに語りかけてきた。
西園寺家はしばしば容赦なく人を殺めることがあると聞く。
本当にこんな心優しい女性が刀を握り、人を殺すものなのか。
百虎丸はわからなくなった。
釈然としない彼に向けてカエデは立ち上がりながら忠告した。
「手加減だけじゃなく、剣に迷いがあっても大怪我するわ。実際の戦場ではそれが命取りになる……。あなたが信じる誠心流……見せて頂戴!!」
そう言いながら彼女は鞘から刀を抜刀した。刀身がキラリと光る。
百虎丸はそのプレッシャーに気圧された。
(な、何という気迫!! 今までの刀の使い手と比べ物にならんでござる!! これは先手必勝!!)
重圧を跳ね除けるように彼は走り出した。
一気に距離を詰めると抜刀の勢いを上手く活かした斬撃を放つ。
背中の日本刀「飯倉西蔵」を両手で持ち、斜めに斬りつけた。
キィン!!
刀の刃と刃がぶつかり合う。そのままスキを作らずに小さなウサ耳亜人は剣技を放った。
「割・昇嵐!!」
すかさず相手を巻き込むようにして天高く打ち上げようとしたが、カエデは後ろに飛び退いてそれをかわした。
「両手で扱ってるから自然と振りが大きくなるのよ!!」
空振った百虎丸は宙高く舞った。
「まだまだッ!! 割・龍降!!」
今度は落下の勢いを刀身に乗せて空中から一気に地上の女侍へと奇襲をかけた。
この流れるような一連の動きを捉えきることは出来ず、彼女はこの剣技を自分の刀で受けた。
キィン!!!!! ギリギリギリギリギリ…………
つばぜり合いの状態になって、互いに刃がぶつかりあう。激しい衝突に火花が散った。
屋敷の中庭の武士たちは戦いを見るのに集中し、静まり返っていた。
「まだまだっ!! 勢いに乗せたつもりでしょうけど、その体格じゃあ軽いッ!!」
カエデは叩きつけられた一斬に対し、自分側の刀を傾け、うまい具合に相手の刃を滑らせた。
その結果、百虎丸とすれ違うような位置取りになった。
彼女は目にも留まらぬ早業で左脚を軸とした右脚による回し蹴りを亜人の背中めがけて打ち込んだ。
「ぎゅむっ!!」
藍色の小袖の背中を思いっきり蹴りつけられた亜人は吹き飛んだ。
同時に彼はあることに気づいた。
(間違いない!! この太刀筋!! 確かに見たことがあるでござる!! これは……イクセント殿のそれと酷似しているでござるよ!! 相手の刀の勢いを殺したり、格闘術を挟んだりするところがソックリでござる。然らば!!)
吹っ飛んだ百虎丸が柱に正面衝突する直前だった。
「はっ!!」
彼はネコの特性を生かして空中で鮮やかに一回転し、肉球のついた小さな足で柱を蹴った。
これはぶつかると思っていた立会人達は感嘆の声をあげた。
さきほどからカエデは片手しか使っていない上に剣技も全く使っていない。
飛車角落ちにも関わらず、互角以上の相手だと悟るのに時間はかからなかった。
だが、それでも彼は恐れること無く、果敢に攻めた。
「手加減をするのは必ずしも相手の為とは限らん!! それは間違いでござるぞッ!!」
異形の侍は体の横に剣を構えたまま、宙を突進していく。
(ここで斬り払うフリをしつつ、突きをお見舞いするでござる!! イクセント殿ならこの攻撃は嫌がって反射魔法で避ける。ということはこの流派も何らかの対策を取らねばならない局面になるはず!! そのスキを突くでござる!!)
一方のカエデは刀を垂直に立てたまま構え、瞳を閉じた。
(むむ!! 斬り払いに備えた!! これなら!!)
二人の距離が一瞬で縮まる。
「割・蜂刺突!!」
百虎丸は素早く流れるように突きの姿勢へと移行した。切っ先が試合相手に迫る。
それとほぼ同時にカエデは開眼した。
疾風のような速さで手首を捻り、刀の平たい面で突きを受けた。
そのまま、刃へと先端をずらして攻撃の軌道を絶妙にそらした。
彼女の長く艶のある黒髪が数本散り、頭のすぐ横を彼の刀の切っ先がかすめていく。
その後のカエデの反応は恐ろしく早かった。
一突きをかわすと同時に刀を鞘に重ねるような位置に振るとそのまま柄で強烈な一撃を相手のみずおちに打ち込んだ。
「うぐぅっっふぅ!!!!!」
柄はウサ耳侍の急所にクリーンヒットし、彼は宙に打ち上げられながら悶た。
彼は薄れゆく意識の中で、師匠である菜翁の言葉を思い出していた。
「”とら”や……この奥義はの、使いどきを考えねばならん。なぜならこの技は不殺の誠心流の中でも邪道中の邪道。それでも誰かを護りたい時や、どうしても譲れぬ事態になった時。そういう時はこの技を使うがよい。ただし、ゆめゆめ忘れるでないぞ。これが人を殺めかねん奥義であることを……」
高く打ち上げられた獣の剣客はもがいてバランスを崩していたが、精神統一を図って姿勢を整えた。
もう西園寺家所属の許可はどうでもよかった。
手も足も出ないまま試合に負けることほど惨めなことはない。
百虎丸は意地でもカエデに剣技を使わせ、一矢報いることだけに執心していた。
一方の次期当主は空を見上げた。真っ青な空に日差しが眩しい。
そこに黒い影が見えていた。相手を見据えると彼女は刀を納刀した。
一見無防備に思える行為だが、抜刀術の基本の構えでもある。迎え撃つ気は満々だった。
「にゅおおおおお!!!!! いくでござる!!!! 奥義・斬鬼裂波!!!!」
百虎丸は中庭の地面めがけて宙から刀を何度も振り回した。
剣から放たれる気が斬撃となってカエデを襲った。
おそらく、かなり硬いものでもこれが直撃したらスパッと真っ二つに斬れるだろう。
並の使い手ならば即死は免れない。
圧倒的な実力差はハッキリしている。それでも臆さず向かってきた事に対して、彼女は感動していた。
「あなたの本気、見せてもらったわ!! 私もそれに答えましょう!!」
迫りくる剣気が至近距離まで近づいたその時だった。
「月詠弧閃・峰!!」
カエデは抜刀と同時に刀を逆手に持ち替え、そのまま上空に弧を描くように振るった。
彼女に当たりそうだった百虎丸の奥義は一刀両断された。
逆に月詠弧閃の一刀はまるで透き通る月のようにそれらを打ち破り、空中のネコ侍の胴に直撃した。
「ぐはっ!! み、峰打ち……。技は使えど……真剣を使う気は……さらさら……無いという……」
彼は宙で気を失ってだらりとしたまま落下してきた。
カエデは納刀するとそれをしっかりと抱きとめた。
女性の腕に収まるくらいのサイズの侍とは思えない戦いぶりだった。
「もうウサ耳にゃんこさんなんて言ったら怒られちゃうね。百虎丸さん……」
そんな二人を見ていた西園寺家の武士たちは惜しみない拍手を挑戦者に送っていた。




