龍之便の同郷者
ジパ行きのドラゴン・バッケージ便は蛇のように胴が長く、ヒゲの生えた変わった形のドラゴンが引いている。
金色のウロコが陽の光を反射してきらめいていた。
向こうでは龍と呼ばれたりするタイプのものだ。そのため、龍之便と呼ばれたりもする。
その下の大きなゴンドラの中で百虎丸は寒いわけでもないのにガタガタと震えていた。
「お、お、お、お師匠様の体調がとても悪くなったという文を読んで、急ぎで龍之便に乗ってみたはいいでござるが、やはり拙者、た、た、た高いところは……」
まるでフォリオのようにおどおどした口調になってしまっていた。
「ししし、しかもよりによって窓際の座席とは!! 南無三ッ!!」
彼は高所恐怖症故に海の船旅しか経験したことが無かったのだ。無理もなかった。
緊張と恐怖のあまりだんだん呼吸が早くなっていく。
「ハァ……ハァ……ハァ……!!」
その時だった。麦わら帽子に白いワンピース、サングラスをかけたいかにも観光客といった風貌の女性が百虎丸の左の席に座った。
パッっと見で彼の調子が悪いのがわかったのか、彼女は声をかけてきた。
サングラスをひょいっと上げておでこにひっかけて亜人の顔を覗き込んだ。
「ウサ耳にゃんこさん、大丈夫ですか? 顔が真っ青だけど……」
百虎丸は力なく首を左右に振った。
「せせっ拙者……高いところが苦手ゆえ……。しししかし、急ぎの用事でして……」
観光客の女性は口に掌をあてた。
「まぁ大変!! すぐに私と席を交換しましょう。窓際は怖いでしょうから」
「か……かたじけない……」
そう言うと彼は座席を交換してもらった。それでも震えは止まらない。
息使いは荒くなって、呼吸の頻度も増えていった。
パニックを起こしていて、このままでは過呼吸になりそうな勢いだった。
隣の女性はそんなケモ耳亜人の手を握って優しく語りかけてくれた。
「大丈夫。大丈夫だから目を閉じて深呼吸してね。はい。す~は~、す~は~……」
暖かな手の感触が伝わってくる。徐々に心が解きほぐされていく。
「す~、は~、す~、は~」
麦わら帽子の女性は彼に微笑みかけた。
「そうそう。その調子!! そろそろ出航だよ。そのままそのまま。でもジパまでは3日くらいかかるから、だんだん慣れていかないとね」
彼女は茶目っ気を出してウインクした。
ふわっと浮き上がる感触がした。ついに龍とゴンドラが離陸したのである。
「うぅっ!! この内臓が浮き上がるような感じ……気分が悪いでござる……。そ、それに高いところにいると思うと……」
また百虎丸は震えだした。
「しっかり手を握っててあげるから大丈夫だよ。ほら、また深呼吸して。落ち着くから平気だよ」
亜人は瞳を閉じて沈黙していたが、しばらくするとゆっくり目を開いた。
「ふぅ……なんとか山場は乗り切ったようでござる。窓の外を見なければ何とかなりそうでござる。あ……あの……いつまでも手を握っていてもらわなくても大丈夫でござるよ?」
ちょっと照れた表情でネコ顔の亜人は視線をそらした。
いい歳なのに子供のように扱われるのは少し恥ずかしかった。
それにレディに手をギュッとされるのにも慣れていなかった。
「あ、ああ。ごめんね。でも何とかなりそうで良かったよ。救急搬送しないとまずいかと思ったんだけど」
パッっと手を離しながら女性は胸をなでおろした。
「ところで……貴女のお名前をまだ伺っていなかったでござる。拙者は百虎丸と申す者でござる」
観光客の女性は額からサングラスを外してバッグに入れた。
「私? 私はカエデ。見ての通り、ライネンテには観光で来ていてね。常夏のミナレートが好きでよく遊びにやってくるの。今回も常夏のバカンス帰り。名前でわかると思うけどジパの出身でね。キョートに実家があるの」
それを聞いて百虎丸はウサギのような長く垂れた耳をピクピクと動かした。
「奇遇でござるな。拙者もキョートに実家があるでござるよ。同郷者というわけでござるな」
カエデの目には彼の体には似つかわしくない刀が見えた。
「あなた、お侍さん? 刀を使って戦ったりするの?」
そう問われた亜人は何とも言えない表情をした。
「ふ~む。まぁ侍と言えば侍でござろうか。誠心流の門下生で活人剣を主義としているのでござる」
白いワンピースの女性は人差し指を頬にポンポンと当てながらつぶやいた。
「誠心流かぁ……。ふ~ん……」
彼女は少し目線を泳がせていたが、すぐに自分についても語った。
「私は何の変哲もない町娘よ。食堂のお手伝いをしてて、おこづかいを貯めて、こうして気ままに旅行したりしてるの」
こんな感じで二人は他愛のない雑談を続けていった。
ジパが近づく頃にはすっかり互いに打ち解けていた。
無事、フライトが終わり百虎丸とカエデは故郷の大地を踏みしめた。
ウサ耳亜人は世話になった礼に彼女に昼食でもおごろうかと思ったが、お師匠の具合が気になって一刻も早く駆けつけたかった。
「拙者、お師匠様を急いで見舞いにいかねば!! カエデ殿、本当にありがとうでござる。また何かの機会に会えるといいでござるな!!」
カエデも癒やし系の笑顔でそれに答えた。
「いえいえ。うさ耳にゃんこさん、次にドラゴン・バッケージ便に乗る時は気をつけてね!! じゃあね!!」
互いに会釈してから手を振って別々の方向へと別れた。
まさに一期一会というやつである。百虎丸はいい出会いだったなと噛み締めた。
そして、歩みを早めて誠心流の道場へと向かった。
道場に着くと大勢の門下生達が道場の縁側に集まっていた。30人は居るだろうか。
嫌な予感がしてそこへかけこむと布団に寝かされたお師匠様が居た。
「先生!! 百虎丸さんが来ました!!」
教え子の一人が彼がやってきたのを伝えた。
すると周りの人々はまるで道を作るように場所を退いた。
それもそのはず、百虎丸は門下生の中でも屈指の実力を持っていたからだ。
「菜翁様!!」
「お、おお……”とら”か……。そんな顔をするでない。医者には剣は握れんが、命に支障はないと言われておる。お主らが騒ぎ過ぎなだけじゃよ……」
老齢の男性は苦しそうにゴホゴホと布団で咳き込んだ。
「そんな!! まだお師匠様から教わりたいことは星の数ほどあるのです!! まだ隠居するには早すぎるでござるよ!!」
菜翁は首を横に振った。
「何を言う。”とら”や、他の者……。お主らはもうこの道場で学べることは全て学んだはずじゃ。わしからお主らに教えることは何もない。また、わしにこだわって今後、満足な稽古を受けられないというのは由々(ゆゆ)しき事態じゃ。そこで、門下生たちは実力に見合った他の稽古場に推薦状を送ってある。誠心流はこれをもって解散とす……」
「お師匠様ァッ!!」
それを聞いた教え子達は声を揃えて叫んだ。悔しさに顔を歪めるもの、泣き出す者も居た。
「わしは鍛錬を止めたお主らはみとうない。じゃから、わしに報いたいなら移籍先で一層、剣術に励むことじゃ。わしの見舞いになぞ来るでないぞ!! そんな暇があるのなら己の研鑽につとめい!! うおっほ!! ゴホゴホッ!! ガフッ!!」
無理をして怒鳴りつけた師匠は胸を押さえて悶え苦しんだ。
門下生たちが混乱する中、百虎丸は彼の枕元に置かれた移籍先の書かれた巻物を広げて目を通した。
開いてすぐに自分の名前が書いてあった。
「百虎丸……武家・西園寺家に推薦……」
小さな侍は巻物を置くと教え子たちに向かって振り向いた。
「誠心流は消えども、我らの中の魂は消えず!! 同志たちよ!! 今旅立ちの時!! 酷なようでござるが涙を拭いて、新天地で剣を振るうでござる!! さぁ皆、巻物を読んだから早々に往くでござる。お師匠様をいつまでも騒がせてはいかんよ」
「”とら”や……ええんじゃ……それでええんじゃ……ガフッガフッ!!!」
ネコ顔の侍ははニッコリとその場の面々に笑みを向けた。そして、人並みをかき分けて颯爽と道場を後にした。
背後からはまだ自分を呼ぶ声がする。後ろ髪を引かれるのを振り切って彼は最愛の道場を去った。
幼少の頃より剣術を学び、親しんだ道場である。
もちろん本当は百虎丸だって泣きたいくらい無念だったが、菜翁の意志を汲むのが筋だと思った。
虚脱感に負けないように彼は背筋を伸ばしてキョートの街の一等地まで歩いてきていた。
「ここが西園寺家の本家でござるか……。都で一番手の武家であり、並々ならぬ戦闘集団と噂には聞くが……。剣術道場と言うには随分と趣が異なるが、はて……」
なぜ、お師匠様はここを推薦したのかがわからず、彼は首を傾げた。
「ジパの武家は学院と同じく、国の危機の際に駆けつけるという役割を持つ……。剣術を磨くだけでなく、国を担う者となれという意味があるのやもしれん」
百虎丸が門を叩こうとすると同時に中庭からハリのある掛け声が響いてきた。
「せええぇっ!!!!」
思わず彼は反射的に門の扉を開いていた。
突然の来客にも集中力を失うこと無く、開けた中庭で真剣勝負は続いていた。
「あまいッ!! ハルカ!! 振りが大きすぎるわよ!!」
白い小袖に朱の袴を身にまとった女性が相手の攻撃をひらりとかわす。
「そこッ!! 氷顎隆成刃!!」
彼女がゆらりともう一人とすれ違うと地面から鋭利な氷の柱が突き出した。
「きゃあああああああぁぁぁ!!!!!!」
それをモロにくらった女性は天高く舞ってから落下してきて中庭に叩きつけられた。
すぐに救護班が来て倒れた少女は運ばれていく。
これは本当に稽古なのだろうかと思うほどの緊迫感だ。殺気さえ感じられた。
百虎丸は驚いていた。戦いもさることながら、刀を振るう女性の顔にも見覚えがあったからだ。
「あ……貴女は……龍之便で会った……カエデ殿!?」
呼びかけられた女性は刀を片手に持ったまま顔の汗を拭っていた。
目から手ぬぐいが離れると彼女もこちらに気づいたようで、視線を向けてきた。
「え? あ……ウサ耳にゃんこさん……?」
どうして町娘のカエデがこんなところに?
百虎丸は戸惑いを隠せなかった。




