治療の裏で見えた教会の闇
ジルコーレが”幻魔さん”とファイセルとリーネに声をかけてくるしばらく前のことだった。
宿屋のお姉さんの後をついて部屋に入るとそこには真っ青な顔をしたシャンテが寝かされていた。
老人が指摘する前に、ファイセルは事態を飲み込んでいた。
(これは……!! 出魔性ショックだ!! それも、結構時間が経ってる。この状態になると内臓の活動が落ちる。中でも一番まずいのは心臓機能の低下。出魔性ショックの死因の中でこれがトップを占める。急いで心臓の活性化を図らなきゃ!! リーネ!! 内臓潜入の準備を!!)
リーネはシャンテが同行すると同時に厄介事を避け、液体に完全に義体化していた。
だが、そばにいるファイセルとは頻繁に交信出来ていた。
今もこうやって意志を伝えることが出来ている。
「そ……そりゃあ出来るけどさ……。でもさ、あんだけの魔法薬学と治癒魔法がありゃ十分なんじゃねぇの?」
誰も気づいて居なかったが、ファイセルは険しい顔をした。
「もし、どちらかが失敗したら? 不測の事態に陥ったら? 念のために動くことは無駄にはならないよ」
いつもの柔和な顔に戻った彼は瓶詰め妖精に微笑みかけた。
「頼むよ。これは君にしか出来ない」
サランサとの一悶着の後に、シャンテの腕に注射するリーリンカと彼の胸に手を当てるマルシェルが見えた。
「あ、あたし、男の人にダイブするの……はっ、初めてなんだよね」
その姿は見えないがモジモジしている彼女が容易に想像できた。
「そこを何とか!!」
必死に二度目の頼み込みをすると妖精はしぶしぶ了承してくれた。
「しっ、しかたねーなー!! お前の頼みだから聞いてやるんだぞ!? 内臓潜入の成功率を上げるためにあのガキんちょとシンクロする必要がある。しばらく時間をくれ!! あと、完了するまでは瓶に気づかれるなよ!! 他人の意識が近づくとシンクロの精度が落ちるんだ!!」
するとホムンクルスの瓶の中のアクアマリンの液体は軽く渦を巻きだした。
「これだけ時間が経過していると、たとえ私がベストだったとしても!!」
ベッドを殴りつける音を聞いてそちらに視線を移す。
直後、ジルコーレ老もヒーリングが使えないと伝えてきた。
部屋はシーンと静まり返った。
(やっぱり、リーネをスタンバイさせておいて正解だった。これならシャンテ様を助けることが出来る!!)
ファイセルが巫子の救命を確信して拳を握ったその時だった。
リーリンカが真剣な表情で別の治療方法を提案してきたのだ。
「手がないわけではない。魔強心剤といって、心臓を刺激して機能を一気に回復させる薬がある。ただ……これはできれば使いたくない……」
(げぇっ!! 魔強心剤!? いわくつきのアレじゃないか!! そんなもの使わなくても……あっ!! リリィはリーネが人体に潜れるのを知らないんだ!! だから最後の手段に!! リーネ、シンクロはまだ!?)
リーネはすぐに応答した。
(まだだ!! なんとかして時間を稼げ!!)
「どうして?」
ファイセルはできれば使いたくない理由を知っていながらすっとぼけたふりをして聞いた。
首だけ彼女の方を向き、腰の瓶を上手く隠す。
するとリーリンカがそれに関しての説明を始めた。
(う~ん……しかし、どうやったらリーネの存在をバラさず、かつ円滑にこの液体をシャンテ様に飲ませることが出来るだろうか? 何かの薬とでも言おうか? だとしてもまだシンクロは終わらないみたいだし……まずいぞこれは)
彼が考え込んでいるとマルシェルはファイセルにシャンテを拘束するように伝えてきた。
「え、僕も!?」
驚きのあまりうっかり振り向きそうになるが、踏みとどまって妖精に気づかれないよう体の向きを維持した。
いよいよリーリンカもマギ・トローチを取り出した。投薬秒読みである。
ファイセルはだらだらと脂汗をかいた。もうダメだと思ったその時だった。
(待たせたし!! ガキんちょとあたしの波長を合わせた!! もう誰かに見られても問題ない!! これなら口から進入して心臓を活性化させることができる!! 万能薬とでも何とでも言ってとっとと飲ませろし!!)
リーネがダイブの準備完了を伝える。
(よしッ!!)
一同と少し距離を置いていた青年はコソコソする必要が無くなったので、治療の輪に加わろうとした。
その時、ジルコーレが「もっと穏便に治療できる」と言い出した。
ファイセルが言おうとしていた事をそのまま口に出した彼はこちらへ近づいてきた。
(のお、聞こえておるんじゃろ? “幻魔さん”よ)
「!!」
(!!)
誰にも気づかれて居なかったはずだ。それに今まで彼に悟られた気配もない。
(なぁに。その液体にちっとばかし見覚えがあるだけじゃ。そう構えなさんな。減るもんじゃないという言い方は乱暴じゃが、真理でもある。それに、そのためにおんしらはコッソリとやりとりしておったんじゃろ? ……ほっほ。そう怪訝な顔をするな。ただの年の功じゃよ。さぁ、きっかけはわしが作った。あとはそれを坊やに飲ませれば解決じゃ。よくやったの)
そう囁き終わると老人は前に出るよう青年に促した。
「確かに僕の腰の瓶のこの美しい液体はあらゆる病に効果があるとされるものです。ですが、自分の万が一の時までとっておきたかった。それに、その薬で治るのなら大事なこの液体をわざわざ使うこともないかと……」
色々訳ありで苦しい言い訳になってしまった。これでは我が身可愛さと非難されても致し方ない。
「貴様!! ふざけるなッ!! なぜもっと早くそれをよこさなかった!! もしそのご老人が指摘しなかったら、シャンテ様が苦しむ姿をのうのうと見ているつもりだったのか!? 貴様~!! そもそもシャンテ様と貴様のような不信仰者の命なぞ天秤にかけるまでもないのだぞ!! わかっているのか!?」
彼女は懐刀を取り出して、ファイセルの腰の瓶の紐を強引に切断した。
そしてホムンクルスの瓶をひったくって、その持ち主を思い切り突き飛ばす。
いきなりの事でバランスを崩し、ファイセルは尻もちをついた。
「あだっ!!」
これには流石にリーリンカが声を荒げた。夫へそんな態度をとられて黙っている訳にはいかない。
「おい、お前!!」
子供と大人ほどの身長差があったが、リーリンカはサランサの胸ぐらにつかみかかった。
「ハン!! どけ小娘!! お前の旦那が寄付してくれたこの薬をいますぐシャンテ様に飲ませねばならない!! 邪魔するな!!」
サランサは胸ぐらを掴む手を弾き飛ばしてベッドへと駆け寄った。
マルシェルは座り込んでベッドによりかかりながら、サランサを睨みつけた。
「サランサ……あなた、いくらシャンテ様のためとは言え、そんな横暴が許されると思って!? シャンテ様に意識がないのを良いことに!!」
ジルコーレも渋い顔をして首を横に振った。
「これぞルーンティア教会の驕りであり、目を背けることの出来ぬ暗部じゃよ。今は亡きクレティア様が嘆いておられるわ……」
瓶のフタを開けながら、サランサは反論した。
「ええい!! 貴様ら!! 言わせておけばッ!! 私はシャンテ様を救うために行動しているだけだ!! 教会の人間としてお前らに否定される筋合いはない!! マルシェル、お前にもだ!! お前は信心が足りない!! だからこういう時に正しい物事の判断が出来んのだッ!! さぁ、シャンテ様、この霊薬を……」
サランサは両手で大きめな瓶を傾けてシャンテの口に流し込み始めた。
この状態だと飲めずに口から溢れるところだったが、既にリーネの内臓潜入は始まっていた。
薬を飲ませた女騎士は不安そうな表情でベッド脇にしゃがみ、巫子の手を握った。
「大丈夫か? 災難だったな。しかし、お前、あれが薬ってどういう……」
リーリンカはぶつぶつと言いながらファイセルに手を差し伸べた。
「ああ、ありがとう。詳しいことは後でね。今はリーネに任せよう。心配はいらない」
二人が話しているとジルコーレが近づいてきた。
「すまんの若いの。お主が直接、名乗り出たほうが良かったのお。しかし、あと少しでお嬢さんが投薬しそうじゃったからな。なんとかして止めねばと思ったんじゃ。堪忍してくれ」
ファイセルは両手を左右に振りながら答えた。
「いえいえ。そんな。僕ももう少し上手いやりかたがあったかもしれませんし」
そんなやりとりをしているとリーネから交信があった。
(心臓に到達したし。前回入った経験からするとここに居座ってポンプみたいな役割をすればいいんだったっけ。やってみる!!)
そう連絡が入ってからしばらく経つとシャンテの血色がみるみる良くなっていった。
苦しそうだったが、段々と呼吸が穏やかになっていく。そしてゆっくり目を開いた。
「サ……サランサ? それに皆さんも……。これは……。なんだかとても眠いです。ふぁ、ふぁあ~~~あ……」
そのまま彼は「スースー」と寝息を立てて眠ってしまった。
「シャンテ様!! シャンテ様!!」
傍らの女騎士は叫んで呼びかけた。
「ふむ。体力をかなり消耗しておったから眠ってしまうのは無理もない。経過としては問題ないじゃろう」
横になっている巫子の首筋をリーリンカは触った。脇から鋭い視線を感じるが無視する。
「ああ。顔色、呼吸、そして脈。全て正常だ。ふぅ。どうなることかと思ったが、何とかなったようだな。今はゆっくり休ませてやるのが一番だ。こんなに大人数で見守ることもあるまい。ファイセルにご老人、私達は部屋を出ることにしようか」
呼びかけられた二人は頷いた。
リーリンカ、ファイセル、ジルコーレは宿屋の娘の自室から出た。
宿の部屋は埋まっていると聞いたのでこの後、どこで暇をつぶそうかと廊下で話し合おうとした時だった。
シャンテとサランサの居た部屋からマルシェルが出てきた。
とても申し訳無さそうな様子で頭を下げた。すぐに顔を上げる。
「ごめんなさい。こんなところ、あなたたちには見られたくなかった……。教会も一枚岩じゃなくてね。サランサみたいにかつての教会の権力を取り戻そうとする”回帰派”という派閥が存在するの。中でも過激な人たちは自らの規範を事実上の新たな教典とする”革新派”と言われているわ。サランサは”革新派”の期待の若手なの」
そう説明されて教会について詳しくないファイセルとリーリンカは納得した。
「あぁ……だからあんなに荒っぽいことを平気でやるんだね。不信仰者に人権はない……か。何とも恐ろしい教典だね。きっと他教徒にも厳しいんだろうな」
高齢なのにフサフサの白髪をたくわえたジルコーレ老は腕を組んだ。
「今は鳴りを潜めたり、他人に偽ったりしてはいるが、教会が軍事力を持っていた頃に強い憧れを持つ”回帰派”はかなりおるんじゃ。だから、水面下では着実に教会は武力を蓄えておる。専守防衛というには過ぎるほどの力をな……」
伏し目がちに老人が語るとマルシェルは身構えた。
「あ……あなた!! そんな事、教会の内部でも一部の者しか知らないはず!! あなたは一体!?」
すると彼はそっぽをむきながら適当にやり過ごした。
「だ~か~ら~。年の功じゃと言っとろうに。それに、その程度の事は知っとるもんは当たり前のように知っとる。こんなの極秘情報に分類されんわい。世間話レベルじゃ」
マルシェルが食い下がる。
「ジルコーレさん。あなた、どこでその情報を?」
しれっと言い放った老人に3人の視線が集まった。
一見してただの爺さんのようだが、節々から只者ではない雰囲気を醸し出している。
おまけに見た限りでは魔術の腕も並大抵ではない。
「おんしら、そんなに見つめるでない。照れるではないか。マルシェル殿、部屋に戻らなくてええのかえ? サランサ殿に手柄をもっていかれるぞ。そしたら”革新派”の株が上がってしまうのう……。さて、若いのとお嬢さん。わしらは茶でもしばきにいくか。おごってやるぞえ。ほらほら」
老人はサプレ夫妻の肩をポンポンと叩くと二人を連れて宿屋から出ていった。
「やっぱり……わからない。だってそんな事、知ってるはずが……」
残されたマルシェルはつぶやきながらシャンテのいる部屋へ戻った。




