これが僕の戦いです
「おんしら、怪我はないな?」
人の良さそうな老人はフランクな態度で声をかけてきた。
一息ついた面々は服についた土と草を払いながら立ち上がった。
「ええ。おかげさまで。助かりましたよ。本当にありがとうございます」
ファイセル、リーリンカ、サランサ、マルシェルは彼に向けてお辞儀した。
だが老人は納得行かない様子で首をひねった。
「まぁ、下手にわしが手を出さずともおんしらだけで勝てたじゃろうがな。むしろ手を出さんほうがあんなヒヤヒヤな思いをせんですんだかもしれん」
それを聞いてファイセルは首を横に振った。
「確かに僕らだけでも勝てたかもしれませんが、全員無傷というわけには行かなかったでしょう。追いつめられたときの暴れっぷりとか、あのアテラ・クイーンは想像していた以上にしぶとい強敵でした。あなたが居なければどうなっていたことやら」
後ろの三人も頷いて同意した。
「ほっほ。そりゃ買いかぶりすぎじゃて。さて、いつまでもこんなところにおらんで、村に帰るぞい」
曲がりきった背中を向けた男性にリーリンカが声をかけた。
「あ、あなたのお名前は?」
振り向きざまに彼は微笑んだ。
「ジルコーレじゃよ。ジルコーレ・ナンバラス」
どこかで聞いたことあるような名前だったが、誰も思い出せなかった。
「さ、いくぞい。怪我をした連中が気になる。村で十分な手当てを受けられているといいのじゃが……」
巨大な女王を倒したからか、森は静まり返っていた。
きっとアテラ・サウルスのオスは逃げ出したのだろう。
5人はすぐに村まで帰還することが出来た。その広場には驚くべき光景が広がっていた。
地面いっぱいに鉱石のチョークで水色の円形の魔法円が描かれていたのだ。
そこには森に倒れていた人たちが寝かされていて、その中央にはシャンテがしゃがみこんで治癒魔法を唱え続けていた。
「あ、あれは……S・O・R!! 極めて高度な範囲治癒呪文だ!! 教会の高位の者しか使えないって噂に聞いたことがある……」
ファイセルは驚いて思わずそう口に出す。
いきなりサランサが彼を押しのけて前に出た。
「シャンテ様!! いけません!! その治癒魔法は負荷がかかりすぎます!! ましてや貴方様は幼い御身!! 無茶な魔法発動をするとお体に障ります!! 今すぐ魔法円を解除してください!! さぁ!!」
彼女は怒鳴りつけるように巫子に声をかけたが、少年は詠唱を止めない。
「サ……ランサ……。あと……少し……。ここで僕が治癒を止めれば……一部の負傷者には……後遺症が残ります……。完治まではまだ時間が……」
マルシェルも大声を張り上げる。
「シャンテ様!! 彼らは既に命の危機からは脱しております!! 私やここに居あわせるヒーラーで完全治癒が可能です!! サランサの言う通り、無茶はお止めください!!」
シャンテは顔を上げた。額からは汗をだらだらと流している。
そして彼は強い意志を感じさせる瞳でこちらを向いた。
「マルシェル……ウソはいけません……。どなたかが……応急処置呪文をかけて……くれてはいますが、この痛めかたでは……並の呪文では治りきらない……。それに、あなたがたにだけ……戦わせておいて……僕が……なにもしないのは……不公平ではないのですか? これが……これが、僕の戦いです」
彼が目をつむって瞑想するとそれに応えるように魔法円は色鮮やかに輝いた。
「シャンテ様!!」
「シャンテ様!!」
二人のお供は止めるに止められず、名前を叫ぶことしか出来なかった。
しかし、その覚悟を汲んだのか彼女らは沈黙してシャンテを見守った。
シャンテは無言のままひざまずいて全身からマナを放出していた。
このペースで生命の源であるマナが体から失われていくと命に関わってくる。
それこそ文字通り、死ぬ気で彼はS・O・Rを発動し続けた。
だが、当たりに広がる魔法円の水色の輝きがパタリと消えた。
「ははは……。やり……ましたよ。完全治癒……できまし……た」
か細い声でそう言うとシャンテは前のめりに倒れ込んだ。
「シャンテ様!!」
「シャンテ様!!」
またもやお供の女性二人が叫んだ。すぐに彼の元へと駆け寄った。
サランサが体を慎重に起こして抱きかかえる。
「おい!! どこか巫子様がお休みになられそうな場所はないのか!?」
すぐに若い女性が手を挙げた。
「ウチの宿の部屋が空いています!! 通せんぼをくらった旅人で部屋は埋まっていますが、私の自室なんかでよければお貸しします」
女騎士は無意識にいつもの不遜な態度が出た。
「宿屋はどこだ!! 案内しろッ!!」
お供とファイセル達はそれぞれ顔を見合わせると、シャンテを連れてすぐに宿屋の娘の後をついていった。
すぐに宿屋が見えてきた。娘は先頭を切って扉を開け、中にはいっていく。
「げっ!!」
ファイセルは飛び退いた。焦って宿に駆け込む二人をよそにリーリンカだけが彼の異変に気づいた。
「ん? どした?」
彼はわなわなと震えだした。
「田舎の宿……若い娘……。そして忘れもしない、この宿ッ!!」
それを聞いた妻は蒼く美しい髪をわしゃわしゃして、しかめっ面をした。
「あ~~~、これがお前の話に聞く”オウガーホテル”か?」
旦那はゆっくりコクリと首を縦に振った。
「しかし……確かにオウガーは退治したんだろう? そんなしょっちゅうオウガーが出るわけでもあるまい」
いじった髪を撫ぜ直しながら彼女は指摘した。
「そりゃそうなんだけどさ……。確かにあのお姉さんがオウガーとは思えないよ。でもさ、人が解体されて喰われてた宿に入るの、気が進まないなぁ……」
ファイセルは漆黒の婚約チョーカーをいじりながら建物から目線をそらした。
「じゃあ、もしあの女がオウガーだったらどうする? シャンテ達はどうなるんだ? 私は先に行くぞ。そうなったら私もどうなるかわからんな」
サインを返すようにリーリンカは漆黒のエンゲージ・チョーカーをトントンと指先でつついた。
「わかったよ。リリィに腰抜けって言われたくないからね。それに、君に何かあったら一生後悔する。さ、巫子様御一行の護衛と行こうじゃないか」
もう青年の顔に戸惑いはなかった。サプレ夫妻は横に並ぶと揃って宿に入ろうとした。
「ほぉ~ん。お熱いのぉ」
全く気配を感じなかったが、背後には森で出会った老人のジルコーレが居た。
二人のやりとりを見てニタニタしている。
「わし、ちょいとこの手のトラブルには詳しくての。さ、教会組の後を追うぞい。ボケっとしなさんな」
彼はポンと夫妻の腰を叩いて宿へ入るよう促した。
すっかりムードを崩された二人はすぐに宿に入って、カウンターに居た宿の主に聞いた。
「巫子様の付き添いなんですが、お部屋はどこですか?」
なんだかお姉さんは顔を赤らめていた。
「そ、その……本当に私の自室なので、あまり多くの人を招き入れるのは大変お恥ずかしいのですが……。それでも付き添いの方々ということなら致し方ありません……こちらです……」
彼女は渋々だったが、シャンテの運ばれた場所へ案内してくれた。
扉を開けると年齢にしてはやけにファンシーな趣味の部屋が広がっていた。
部屋の隅のピンクのベッドにはシャンテが寝かされていた。手を組んで胸の上に乗せてある。
そのベッドの脇に張り付くようにサランサとマルシェルが並んでしゃがみこんでいた。
ファイセル達が覗き込むと巫子は苦しそうに息を荒げて、青いような顔色をしていた。
マルシェルが必死に彼の汗を拭う。
「ふ~む……こりゃ出魔性ショックじゃな。マナの急激な体外流出によって体内を循環するマナが減る。すると生命維持に必要な各器官の働きが鈍るというものじゃ。酷いと死に至る深刻な状態じゃよ」
ジルコーレ老人は難しげな顔をしながら顎に指をかけた。
「シャンテに造魔剤を打つぞ。体内を循環するマナの不足を解消する薬だ」
リーリンカはそう言うとマントを弄って注射器を取り出した。
振り向いてそれを見たサランサは両手を広げて立ちふさがった。
「ばっ、馬鹿者ッ!! そんな得体のしれない薬物を巫子様の体内に入れる気か!! 貴様、不敬の罪でひっとらえるぞ!!」
注射器を片手に持つ女性はやれやれとばかりに肩をすくめた。
「ハァ……。教会の治癒魔法至上主義派もここまでいくと病気だな……」
仁王立ちするサランサをマルシェルが怒鳴りつけた。
「どきなさいサランサ!! 魔法薬学も治癒魔法も両方使えるのならそれに越したことはないのよ!! 変な意地を捨てて、すぐにそこをどきなさい!!」
「ぐっ!!」
女騎士は鋭い眼光を向けたままベッドの脇からどいた。
「なんだ、話がわかる人が居て助かるよ。マルシェル、あなたは巫子の心臓をケアしてやってくれ。造魔剤を打っても体に血を巡らせる器官である心臓が不全ならば意味がない」
マルシェルはリーリンカと顔を合わせると心臓の当たりに手をやって瞳を閉じた。
それを確認した魔法薬学の使い手は注射器をシャンテの腕に刺し、薬物を投与した。
「よし。そっちはどうだ?」
リーリンカが青い髪を揺らしながら頭をマルシェルの方に向けると彼女は何とも言えない表情をしていた。
「しまった…………私のコンディションが悪いわ。さっきから内臓治癒を試みているのだけれど、集中できないの……。私はあなた達ほどマナのスタミナが無い。特に体を動かすことに関する燃費は非常に悪いのよ。使い魔のSOSから巨大恐竜まで短時間に動きすぎたわ……。くっ、不覚!!」
彼女は崩れ落ちるようにベッドに突っ伏してしまった。
「シャンテ様が無茶をすることも想定して、私一人でこの状態から回復させる訓練は何度もしたわ。でもそれはあくまでお傍に待機していた時のシミュレーション。これだけ時間が経過していると、たとえ私がベストだったとしても!!」
お供の魔術師はベッドの縁を拳で殴りつけた。
ジルコーレ爺さんはまだ難しげな表情をしていた。
「わしも一応ヒーリング・スペルは使えるが、今は無理じゃ。彼女と同じくな。あれだけ援護や回復にマナを使った後じゃからなぁ……」
宿屋の一室は絶望のムードに包まれた。
だがすぐにリーリンカがそれを破った。
「手がないわけではない。魔強心剤といって、心臓を刺激して機能を一気に回復させる薬がある。ただ……これはできれば使いたくない……」
「どうして?」
ファイセルは疑問を抱いて問いかけた。
「強制的に心臓を叩き起こす薬だからな。使うと激しい苦痛を伴う。私も実習で打ってもらった事があるが……。思い出したくもない。まるで拷問のようだった。心臓から指先、つまさきまで感電するような痛みを感じる。それが5分は続く。苦しみのあまりのたうち回るから、誰かが体を拘束しておかないと患者が怪我をする。お前らにそれを見届ける覚悟はあるか?」
その場は静まり返ってしまった。こんな幼気な少年の顔が苦痛に歪むのを誰が見たがるだろうか。
「早く……打ってください……。手遅れになる前に!!」
マルシェルは上半身を起こして懇願した。
「正気かマルシェル!? 拷問じみた効果があるのだぞ!?」
サランサは彼女に近づいて食ってかかった。
「命には変えられないわ!! さぁ、あなたとファイセルさんでシャンテ様を押さえつけるのよ!! それが……あなたの使命」
そう言い返された女騎士は口をポカーンと開けていた。
自分が巫子を拘束するという行為自体が発想になかったのだろう。
「え、僕も!?」
青年は突然のことで間の抜けた声を出してしまった。
「話はまとまったな。さっさとやるぞ。この場合はマギ・トローチを使う。これに薬剤を吸わせてから患部を念じて置くと内臓まで直接、投薬することも可能だ」
彼女はアメのような小さな医薬品を取り出した。
「あー、ちょっと待った。わしもこれはやりたくなかったんじゃが、もっと穏便に治療できると思うぞい」
その部屋の全員がジルコーレに視点を向けた。
「な~に。簡単じゃよ。そこの若いのが腰から下げた綺麗なアクアマリン色の液体をシャンテ様に飲ませればいいんじゃ。それ、万病に効く特効薬なんじゃろ?」
彼はファイセルのそばに近寄って来て、馴れ馴れしく顔を覗き込んできた。同時に囁く。
(若いの、その腰の瓶、妖精詰めじゃろ? 減るもんでもないし、飲ませてやったらどうじゃ? その妖精なら心臓で血流の勢いを上げることができるはずじゃ。のお、聞こえておるんじゃろ? “幻魔さん”よ)
「!!」
(!!)
ファイセルとリーネは驚いて老人の顔を二度見した。




