オネエの地下病院
イクセントの姉、シャリラは日の落ちかけた暗い路地を通って帰り路についていた。
「あ~、すっかりエボザおばさんの長話につきあわされちゃった。近所だからカギをかける必要はないでしょなんて急かすもんだから……。まぁイクセントがすぐ帰ってくるから大丈夫だろうけれど……」
遠くに見える家の窓からは灯りが見えていた。
「もう帰ってるみたいね」
ハルシオーネ家の姉がドアを開けると居間には誰も居ない。
真っ先にテーブルの上のお菓子の箱と、その脇に投げ出されたメッセージカードが目に入った。
急いでその内容を確認してそれが脅迫文だとわかるとシャリラは愕然とした。
この箱をくれたのはエボザおばさんだったのだ。
「エボザ……。暗殺者の手先だったなんて……。長いことかけて信頼を得るなんて手の込んだマネを……」
姉は湧き上がる怒りからギリッっと歯を食いしばった。
「エボザはどうでもいい!! あの子ったら!! 家に居ないと言うことは危険を承知で罠に飛び込んでいったに違いないわ!! あの子が引っ張り出されるのはこれが初めて。相手も抜かり無く万全の暗殺計画を立てているはず!! 二つ名を雇うこともあり得る!! いくらイクセントでも一人では!! まだ!! まだ間に合うかもしれない!!」
メッセージカードを手に、シャリラは目的の住所めがけて全速力で走った。
彼女はかなり走るのが速い方だったので、5分程度で酒場跡まで到着した。
(ハァ……ハァ……ここね。……物音が全くしない。既に戦闘は終わっている?)
姉の心臓は嫌な予感で爆発しそうだった。
もし、弟が死んでいたら? いや、死体さえ持ち去られているかもしれない。
今度ばかりは本気の襲撃だ。現実主義の彼女には最悪のケースを想定することしか出来なかった。
ガチャリとドアノブをひねって開けると、そこには凄惨な光景が広がっていた。
酒場跡の奥の壁には人間だったものの部位が形をとどめずにゴミの山のように追いやられていた。
その手前には巨大なカブトムシザリガニの化物が仰向けに転がっている。
どんな攻撃を受けたのだろうか。体中に傷や穴があり、真っ青な体液で全身が染まっていた。
だが、ヒクヒクとザリガニ脚は動いていた。まだ息があるようである。
(確か……あれはイクセントのクラスメイトの……ガリッツ君だったかしら? どうしてこんなところに……)
視点を手前に移すと首なしの死体がうつ伏せで倒れていた。
首はスッパリ切断されている。着ている服から女性であることがわかった。頭を探したがまともな形をとどめていなかった。
(これは……誰?)
もう一度、シャリラは酒場跡を見渡した。すると、ドアの死角に血の沼に浮くような状態で倒れている弟を見つけた。
「!!」
場所が悪く、発見が遅れてしまった。すぐに駆け寄ってしゃがみ、生死を確認する。
「イクセント!! あぁ!! なんて酷い傷!! 全身穴だらけで目も潰れてる!! そして意識もない!! でも脈はあるし、かすかに息もしている!! まだ間に合うッ!! 確か、この近くに”地下病院”があったはず!! 私じゃ迂闊に運べないから救護を頼まねば!! イクセント……そしてガリッツ君も収容してもらう!!」
ミナレートの裏路地の常連は記憶を頼りに目的地めがけてひた走った。
もしかしたら利用することになるかもしれないと、事前に下見をしておいたのが役立った。
いくつかある入り方のうちの一つを選ぶ。
「確か……ヴォートン家のチャイムを3回鳴らしてから、隣のキャスリン家の窓をトン・ト・トンとノック。その30秒後、骨董品屋の看板を裏返すと……」
シャリラが一連の動作を行うと袋小路だった場所に音もなく薄暗い下り階段が出現していた。
「あった!! ここが”地下病院”!! ミナレートにはいくつかあるらしいけれど、最寄りはここ!!」
急いで彼女は階段を駆け下りた。するとそこは診察室に直結していた。
「どうも。わたし、医師のプッティって言うわ。あら~ん。顔色悪いわよ~? 急患かしら?」
いかにもオネエ系の医者がリラックスして椅子に深く腰掛けていた。
白衣は着ておらず、ハデなセンスの私服を身にまとっていた。
「そうなんです!! 瀕死が二名!! 人間一人とよくわからない大きめの亜人が一人!! 私では運べそうにありませんでした!!」
それを聞いたプッティは指笛を吹いた。
すると、部屋の扉を勢いよく開けて人外の生物が3匹現れた。思わずシャリラは身構える。
「ちょっとぉ。ウチの子たちに手ェだすんじゃないわよ。ちゃんとした看護師なんだから。よく見てみなさいよ。愛嬌のある顔してるでしょぉ?」
彼女は落ち着いて出てきたクリーチャーを観察した。
姿は半分が人間、半分が狼のウェアウルフとよく似ているが、頭は家庭犬のそれである。
白いナース服を着ていて清潔感に溢れていた。
ただ、出てきた三人はみんな厳つい顔をしていた。
「リッキー、ミッチー、ヌッチー。聞いてたわね? 酒場跡から少年一人と亜人一人を回収して頂戴」
オネエ医師の指示を聞いた彼らは四足で走り、物凄い速度で診察室をドタバタと飛び出していった。
「あの子達はウェアドックってタイプの亜人よ。ウチでは非合法組織とかマフィアなんかのお得意様が多くてね。身元の情報が漏れるのは論外だから人間は基本的に雇わないの。ま、雇用って言ってもこの子達は三食昼寝付きの契約なんだけど。もっと高い報酬を受け取るべきなんだけど、あげたところでお金の使い方わからないんじゃぁねぇ……。賢いんだか、オバカなんだか……」
ハルシオーネ家の姉は彼を思いやってソワソワした。
この地下病院に来るのだって現場から5分はかかっているのである。
イクセントとガリッツにはもう一刻の猶予も残されていなかった。
だが、思ったよりウェアドック達は速く到着するようだった。
「別の入口からもうすぐ来るわ!! 奥のオペ室へ移動するわよ!!」
プッティに案内されてシャリラは奥の部屋へと移った。手術室は広く、大きな台が用意されていた。
これなら二人を並べても収まり切るだろう。
「えっ!? 先生お一人で手術なさるんですか!?」
オネエ医師は怪訝そうな顔でこちらを見返してきた。
「あなたの話を聞く限り、酷い外傷なんでしょ? ウチにも”アレ”はあんのよ。バカにしないでくれる? こっからは専門家の領域よ。ちょっとお黙り」
彼、いや彼女は人差し指を立てて唇に当て静かにするよう促した。
そんなやり取りをしていると酒場跡からの救急搬送がやってきた。
リッキー、ミッチー、ヌッチーは荒っぽい足音を立て、イクセントとガリッツを担いでオペ室に入ってきた。
そして傷口を広げないよう慎重に手術台に二人を寝かせた。
すぐにプッティは二人の傷口を観察し始めた。
「ふ~ん。"少年"……ねェ……。ま、どっちでもいいけど。こっちは……下半身ザリガニからカブトムシにグラデーションしていくような……。コレ、体の構造的に亜人じゃなくない? ……予想はしてたけど、こりゃもうどっちも助かるには”アレ”しかないわね。ムッキー、サッキー!! このクランケの服を切ってスッポンポンになさい!!」
背後の扉からまた二匹のウェア・ドッグが入ってきた。こちらは優しそうな犬種の顔をしている。
ピンクの看護服を来た二匹は特殊なハサミとカッターを取り出した。
出来る限り傷に触れずに制服を解体していく。あっという間にイクセントは全裸になった。
「リッキー、ミッチー、ヌッチー。早く二人をリアクター室に!! ご家族もついてらっしゃい!!」
プッティは走りながら手招きして手術室を後にした。
一行は手術室向かいの扉を開いた。そこにはホムンクルスの瓶のような大きな容器が置いてあった。
中は緑の粘性のありそうな不思議な液体で満たされており、時折ゴボゴボと泡が立っていた。
ウェアドッグたちはその容器の上部のフタを開けると人一人の大きさの方のリアクターにイクセントを浸した。
もう一方の大きなほうにはガリッツを押し込むようにしてなんとか入れた。
そしてパカッっと上部カバーを閉めると二人は密閉された瓶漬けになった。
「これは……魔術修復炉……レストレーション・リアクター……。こんな代物、先進国の大病院のごく一部にしか無いはず……」
「甘いわね。あるとこにはあんのよ。通称”リアクター”。マナの色を元に、その者の本来あるべき姿へと肉体を再生させる装置よ。出血は止まるし外傷は塞がるわ。火傷なんかも修復してくれるのよ。すぐにリアクターに入れれば部位切断や欠損も元に戻るわ。そっちの”少年”の目は完全に穴が開いちゃってるけど、この経過時間ならギリギリで修復出来るでしょう。ま、万能ってわけでもなくて病気の類は一切治せないんだケド……」
シャリラはリアクターの中で浮いたり沈んだり、ゆっくり回転したり逆さになるイクセントを見つめた。
「この部屋にはあたしとあなた以外には入れない仕組みになってるの。個人情報も一切聞かないわ。安心して養生なさいな」
大きくため息を吐いて姉はよろけるように部屋の隅のソファーにへたりこんだ。
なんとか弟は助かる。一時は絶望した女性は最悪のケースから脱して思わず涙を流した。
「あー、邪魔するようで悪いけど、治療費の話に移るわね。そっちの子と亜人の子とセット割引つけてあげるわ。二人とも完治まで一ヶ月半。で、5000万シエールってとこかしら?」
ソファーに座っていた女性は跳ね起きた。
「ごっ!! 5000万シエール!? 法外だわ!! 一般的な病院なら一人一ヶ月500万シエールってとこなのに!!」
シャリラは両手をギュッと握って抗議した。
医師のプッティは眉をハの字にして指を振った。
「あのね、ここどこだと思ってるワケ? 地下病院よ? 承知で来てるんでしょうに。それに、これでもここいらでは良心的な価格設定なのよ? そもそも富豪でもない限りは普通の病院のリアクターにだって入れないわけだし~。普通の病院に行けば身元は全部バレるし、こんな状態で襲撃されたらひとたまりもないでしょうに。命には代えられないと割り切って頂戴」
ピシャリと言い返されてしまった。しかし、ハルシオーネ家にそんな大金はない。
「ぶ、分割払いは可能ですか……?」
恐る恐る聞いてみると、プッティは笑顔を浮かべながら支払いのシステムを説明し始めた。
「他の地下病院だと短期間で支払いきれない場合、全身のあらゆる組織をバラしてバラ売りされちゃったり、酷いと生きたまんま人体実験の被験体にしたりするところもあるわよぉ」
姉は血の気が引いた。しかし、オネエ医師はすぐに続きを喋った。
「んもう。安心してよね。ウチは良心的にこだわるわ。特に支払いの期限は求めないわよ。未来のある患者の可能性を摘むのはスマートでないもの。ただし、だからといってタダというわけにはいかないわ。分割払いのペースにもよるんだけど、5回通知を受け取ると他と同じく治療を受けた本人の全身を新鮮なうちにバラ売りさせてもらう契約よ。人体実験は無し。まぁでも1回目の通知まで5年は余裕があるからそんなに焦ることもないんじゃな~い?」
まったく気軽に言ってくれる。シャリラは頭を抱えた。
その時だった。リアクター室の扉がノックされた。
「あら、何かしら。ちょっと待っていてね」
オカマ、いや、オネエはしばらくすると戻ってきてニッっと笑った。
「貴女、随分リッチなお知り合いがいるのね」
ふさぎ込んでいた女性は顔を上げた。
「……どういうことですか?」
プッティはウインクしながら小切手を差し出してこちらに見せた。
「これ、”ホムラ”さんからだって。5000万シエールの小切手よ」
「!!」
姉は言葉が出なかった。それもそのはず、彼女は”ホムラ”の名前に心当たりがなかったのだ。
「誰が一体、こんな大金を…………」
謎は深まるばかりだったが、これでイクセントとガリッツがバラ売りを逃れて無事に生き延びられることが確定した。
疾風怒濤の出来事によるストレスで、シャリラは一日で白髪になりそうだった。




