さよならアーバンライフ
「あなた……もう忘れたの? 私は忘れてない……。いえ、忘れられるわけがな・い・じ・ゃ・な・い!! たとえあなたが忘れようともね!!」
アシェリィは馬乗りになられて首をギリギリと締め上げられていた。
顔を確認しようにも苦しさのあまり、目が霞んで誰だかわからない。
強烈な圧迫感と酸欠で意識が遠のいていく。
「ぐっ……ぐぐっ……!!」
思いっきり腕を相手に伸ばしたその時だった。
「……かはッ!!………………なんだ……またこの夢か…………」
目覚めると寝巻きは汗でぐっしょりと湿っていた。額からも冷や汗が滴った。
この不穏な夢はたまに見ることであるだけあって、彼女にとっては慣れっこだった。
特別、誰かから恨みを買っている覚えはないのだが。
それにしても、なぜ毎度毎度、殺意を向けられているのだろうか。
それに関して何度考えても答えは出なかったので、彼女はドライにスルーするようにしていた。
「ハァ……勘弁してよね……。あ、それより、今日からもう夏休みじゃん!! 予備日だけど」
本日は裏山猫の月の最終日で、エレメンタリィ(初等科)初の長期休暇の入りだ。
嫌な夢をぶっ飛ばしてアシェリィは舞い上がったが、昨晩のことを思い出してブルーになった。
「あ~……。昨日の夜の事は夢じゃないよね。こうしている間もノワレは復讐の事を考えているんだろうなぁ……。思ってたよりめちゃくちゃ苦労人だし、なんだか今まで通りに接していく自信ないなぁ……」
彼女を思い浮かべると情けをかけられてむくれる表情が容易に想像できた。
「い~や、逆にヘンに気を使ったらノワレに失礼だね……それに、怒られると思う。よ~し!! 気を取り直して……せっかくの長期休暇だし、ミナレートを隅から隅まで探検するぞ~!!」
田舎のおのぼりさんはそういうところが未だに垢抜けなかった。
もっとも都会のミナレートにはまだ知らないエリアやスポットがたくさんある。
それらは彼女のアドベンチャー精神を刺激した。
しっかり長めに帰郷しようとしていた田舎娘は、すっかり都会の魔力にやられてしまったというわけだ。
そんな時、カバンに入れていたサモナーズ・ブックが突如、喋り始めた。
「おい、出してよ。出せって!!」
うっすら魔力的な光も漏れている。こんな事をするのはリーネしかいない。
「はいはい。今出しますよ~」
不機嫌な態度をテキトーにあしらって、本を取り出してテーブルの上に置いた。
表紙を開くと勝手にページがパラパラとめくれて、最後のページまで達した。
すると金髪に赤のリボンタイ、茶色のブレザー、紺のプリーツスカートにルーズソックスのコギャル妖精が現れた。
その格好はもうしっちゃかめっちゃかでこの世のものとは思えなかった。
彼女は不遜な態度で要求してきた。
「アシェリィ、水!!」
「はいはい……」
リーネが水と言った場合、コップに水を汲んだのでは認めてもらえない。
洗面器くらいの容器でないと狭くてやってられないらしい。
ともかくアシェリィは風呂桶に水を張るとテーブルの上に置いた。
彼女はサモナーズブックからそちらへ移動すると、くつろいたように下半身を水に溶かして座った。
「よろしい。呼び出しがあるということは何かしら特別な連絡事項があるってコト。オヤジから伝言があるってさ」
リーネはすぐに横に寝ている姿勢に変化した。よく見ると水に少しだけ浸かって前後にゆらゆら揺れている。
これはオルバ愛用のハンモックの挙動だろうか。背中を向けて寝そべっていた。
「あ~、これ逆か~。こっちに顔を向けて……っと」
一瞬で彼女の向きが変わって、妖精とアシェリィと目があった。すると一気に仕草がオヤジ臭くなった。
「やぁアシェリィ。久しぶりだね。楽しい学院生活を送っているみたいじゃないか」
明らかにリーネとは違う口調で相手はそう声をかけてきた。
「ええ、おかげさまで楽しくやっています。師匠はいかがですか?」
精霊にヒゲは無かったが、無精髭を撫でるような動きをしている。
「こちらもまずまずだよ。ファイセル君の水質チェックのおかげで、雲創りが順調でね。ライネンテ中部の環境が向上しているらしい。同時にイレギュラーも発生してるみたいだけど。あとはまぁ、地元のパトロールとか、変なお客さんへの対応とか、いつも通りだよ」
リーネの皮をかぶった雲の賢人はマイペースに報告を返してきた。
「そういえば、ファイセル君から誘いを受けていなかったかい? 彼らには急激に変化する中部を調査してもらうように依頼してあるんだ。君にも話が行ったと思うんだけど?」
確かにファイセルやリーリンカに「陸路でフィールドワークしつつ、帰郷しようと思うんだけど、アシェリィも一緒にどうだい?」と提案されていたのだ。
そう持ちかけられた時点では早めに帰ってもいいかなとは思っていたが、なんだか夫婦水入らずの旅を邪魔する気がして既に断っていた。
「いえ、せっかくのお誘いでしたが二人の仲に割り込むのもどうかと思いまして……」
それを聞くと妖精はあぐらをかいて腕を組んだ。
なんだか違和感ある動きだが中身は中年男性なのだから仕方ない。
「ふ~ん。そうか。ま、もしサプレ夫妻が出発するとしても明日だろうから、今日のうちに君に連絡すれば問題ないとは思ってたんだけど……」
「ん? 私になにか用事があるんですか?」
屈んでアシェリィは風呂桶の幻魔を覗き込んだ。
彼女、いや、彼は人差し指を立てて問いかけてきた。
「ところでアシェリィ、一学期の間に何回くらい学院のコロシアム観戦に行ったかい? 選手としてのエントリーは二学期まで出来ないハズだけど、観戦や賭けは君にも出来たはずだよ?」
正直、サモナーの少女はさほど対人戦に興味がなく、観戦も課題として課されたものや、友達に誘われて見に行った程度だった。
「えっと……10回ちょいくらいですかね……」
少女は視線を泳がせながら記憶を辿った。
回数を聞くとリーネの顔つきが急に険しくなった。
「そんなことだろうと思ったよ。あのね、トレジャーハンターは野生動物やモンスターとだけ戦っていればいいと思ってるのかい? 同じ財宝を狙う人や密猟者とかと出くわして真剣の殺し合いになることもままあるんだよ? それだけじゃない。もし、何かの拍子で君が命を狙われたら? もしくは大事な友達や仲間が襲撃されたら? 君は黙って見過ごすのかい? それとも、勝算なしに挑んであっけなく返り討ちに合って死ぬ……か」
オルバはいつになく厳しい態度でアシェリィに説教した。
ここまでシビアに師匠が問題点を指摘してくる事は珍しい。
学院の講義でも似たようなことは常日頃言われてきた。
だが、身近な人にピシャリと言われると改めて深刻さが際立った。
今まで自分は色々と楽観視しすぎていたのではないだろうか?
いつのまにかアシェリィとリーネの間に重い空気が漂っていた。
それを破ったのは師匠だった。
「ほら、何を辛気臭い顔をしてるんだい。幸い、君はまだ何かを失ったわけじゃない。失ってしまう前に努力していけばいいだけの話なんだよ。これは私の個人的な意見だが、自分の実力次第で最悪のケースを乗り切れる事は意外と多い。逆に言えばどんな時も、自分自身の責任は重大って事。それを肝に命じておくんだね」
リーネは人差し指を立てて横に振り出した。
「本題に戻ろうか。今回のアシェリィへの連絡事項とは、今までやってこなかった対人戦の修行を本格的にやろうという話だったんだ。だからそういう話をしたんだよ。と、いうわけで必要な装備をを揃えて、すぐにドラゴン・バッケージ便に乗って最短ルートでポカプエル湖へ帰ってきてほしいんだ。そうだな、今日、もしくは明日辺りにはそちらを発ってほしい。急な話で申し訳ないんだけど、出来る限りの時間を修行に割きたいからね」
コギャル妖精はひらひらと手を振った。
それを聞いて弟子の少女はすぐに返事を返せず、固まった。
(あぁ~。憧れの優雅なアーバンライフがぁ~……)
ため息と共に思わず落胆の言葉を出しそうになったが、あれだけ言われたら修行を疎かにするわけにもはいかない。
落ち込む少女を横に、オルバは別の話題を振った。
「ところで”サブウエポン”は決まったかい? そろそろ本格的にやるころだと思うんだけど」
召喚術のクラスで「二学期までに召喚術以外の戦闘手段を訓練しておくこと」と言われていたのだ。
この課題に関して疑問に思ったアシェリィはオルバに聞き返した。
「でも、師匠もフラリアーノ教授もサブの武器は使ってないですよね?」
妖精はボリボリと雑に後頭部を掻きながら解説した。
「ああ、それね。サブウエポン使ってたけど、幻魔が充実して必要なくなるパターンと、最初からサブ武器を使う気がない2つのパターンがあるんだよ。私とフラリアーノは後者。リスクが高いけど幻魔の性能はかなり上がる。でも、後からでもどうとでもなるからとりあえずサブの武器を用意したほうがいいと思うよ。で、何か心当たりは?」
そう問われて、何が自分の武器に適しているかとアシェリィは考えた。
「う~ん……マナボードは武器にならないですし……。そうだな~」
できれば愛用品のほうが武器にしやすいとフラリアーノは言っていた。
部屋を見回すと部屋の隅に立てかけてある釣り竿が目に入った。
そういえば熱砂クジラの砂漠で少しだけ実戦で使ったことがあった。
あの時はいまいち使いこなせていない感があったが、鍛えれば十分に武器として通用しそうだった。
「決めました。釣り竿をサブ武器にしようと思います」
大きく間抜けなあくびをしながらリーネは答えた。
「いいけどさぁ。それ、だいぶ前の君が買ったやつだろ? かなり使いにくいんじゃない? 本格的にバトルに転用するならもっとしっかりしたのを買わないと。戦竿とか呼ばれてるタイプのがいいかな。新しいのを買ったら装備と荷物一式を用意して、早速帰郷してくれたまえ。んじゃ、またね」
妖精はそう言うと意識がプツンと切れたように首を前に垂れた。
少しすると再び魂が入ったかのように動き出した。
「チッ、なんだよ……かくいうあたしもファイセルのフィールドワークの水質調査に同行することになってるんだよ。全く、オヤジも身勝手で人使いが荒い。お互い苦労するな……。そういうわけでしばらくはあんたの呼びかけや召喚に応じることは出来ない。緊急時でも自分で乗り切るんだぞ?」
彼女はどこか心配そうな視線でこちらを見ていたかと思うと水に溶け込むように消えてしまった。
試しにサモナーズ・ブックで呼びかけてみると反応はあるにはあった。
「こちら、リーネでございます。御用の際はピーという音声の後にメッセージを吹き込んで下さい……ピー……」
何度アクセスしてもこのリアクションしか無い。何かの決まり文句なのだろうか?
寝起きの少女はちゃちゃっと着替えるとミナレートの釣具屋に行った。
展示してある商品を物色する。
彼女が愛用しているのは人食い燕のキリング・スワローをモチーフにしてる”燕尾”というブランドの初期型だった。
「へぇ~!! 今はスワローテイルmk-Ⅲ(マークスリー)まで出てるんだ~。えっ、リールが無い!! これどうやって巻くんだろ?」
興味深げに竿を眺めていると店長のおじさんがやって来た。
「お嬢ちゃん、お目が高いね。それは戦竿にも使える兼用ロッドなんだよ。最近になってオゼ社のブランド、”スワローテイル”もバトルタイプを開発してね。それがこのmk-Ⅲ(マークスリー)ってわけ。後発だから他社の技術をフィードバックしまくってる名品さぁ!!」
人の良さそうなおじさんはロッドを棚から下ろして手にとった。
「ほっと!!」
彼が力を込めるとロッドは2m半くらいの尺から瞬時に30cm程度まで縮んだ。
長さが変化したと言うより、竿の芯に格納されたという方が正しい。
「よっと!!」
店長が構えるとロッドは瞬時に元の丈に戻った。
「おおぉ!!」
アシェリィは目を輝かせて新型ブランド品を観察した。
「でぇ、お嬢ちゃんリールが無いって言ったけど、なんとこのスワローテイルmk-Ⅲ(マークスリー)は魔力を送ることによってラインを伸ばして投げたり、巻いたりする事が出来るんだ!! もうこれほぼ高級マジックアイテムだね!!」
そう言うと男性はその場でキャスティングして絶妙のコントロールでルアーを投げた。
疑似餌は店の隅の小さなテーブルの上の缶に直撃した。
「でもってぇ……戻す!!」
すると瞬時にシュルシュルとラインが巻かれてルアーが竿の先端まで戻ってきた。
「おおーーー!!」
思わずフィッシングガールは拍手を送っていた。
「このロッドの良いところはおじさんみたいなあんまりマナのスタミナが無い人にも優しいところかな。マナに自信が無くても、燃費が良くて長時間の使用が可能なんだ。ただ……値段がネックでね……」
「それ、い、いくらなんです?」
アシェリィは恐る恐る尋ねた。
「48万シエールもするんだよ……」
「!!」
高額商品だったが、なんやかんやでそのロッドは買い手がついた。
「あ~。撒糧記念祭の賭けで当たったお金の半分も使っちゃったけど、これは買いだったよね……。うん。買いだった。間違いない……。にしても学生証便利だな~。どういう仕組みで預金からおりてるんだろ?」
戦竿と共に彼女は寮に戻り、帰郷の準備を始めた。
「お父さん、お母さん、師匠にアルルちゃん、それにアルマ村やシリルの皆は元気でやってるかな? 文通でしか事情を知らないからなぁ……」
彼女がふと窓の外を見上げると熱い熱い太陽が各々の夏休みを祝福するように燦燦と輝いていた。




