リベンジェンス・デイズ
アシェリィはノワレの背中に体を密着させ、肩に両腕をかけるようにして彼女を包んだ。
咽び泣くエルフは胸の前に垂れてきた少女の手を両手で握った。
泣き声は波音にかき消された。もっとも人の居ない浜だったので他の誰かが聞くでもないのだが。
しばらくその調子でシャルノワーレは泣いていたが、やがて気持ちが落ち着いてくるとアシェリィに声をかけた。
「ありがとう……。もう大丈夫ですわ。そんなにギュッっとされたら、なんだか恥ずかしくってよ……」
彼女は涙を拭いながらクスクスと笑った。
それを聞いて思わず抱いていた方の少女は飛び退いた。
「あ、あ……ごめん……」
「いいですのよ。さ、隣にお座りになって……」
ポンポンと彼女の隣の砂浜を軽く叩かれ、再びアシェリィはそこに足を伸ばして座った。
「わたくし、咎と復讐と言いましたが、まだ”復讐”の話をしていませんでしたわね。あの最悪なニンゲン狩りの続きがちゃんとありましてよ……」
ノワレの顔を横から覗き込むともう涙は流れていなかった。
なんだか覚悟や決意といったような面持ちが見られ、泣いていたのがウソのようだった。
「里を追放されて間もない頃はただただ混乱するばかりでしたわ。でも、ニンゲンを殺めるのが板についてきた頃に強く思うようになりましたの。里を襲った”悦殺のクレイントスを殺す”と。まぁ、リッチーは既に死んでいる存在なので滅ぼすというのが正しいのですわ……」
彼女は手持ち無沙汰に片手を開いたり、ギュッと握ったりを繰り返していた。
「皮肉にもニンゲン狩りが役に立ちましたの。死体を漁って戦利品を得ることができましたわ。今思えば信じられないほど醜悪極まりない行為ですわね……。でも、気づけば復讐の旅に必要な資金や装備類は揃っていましたわ。今になって自分を狙ったハンターに感謝するというのもなんだか変な話ですわね」
エルフの少女はやれやれとばかりに肩をすくめた。
「そういえば、奪ったものの中で”お金”という概念がエルフの里には一切無かったのですわ。でも、カホの実から生まれる王子と姫の位のエルフは大樹の根の張る大陸の文化や情報の影響を受けて、ある程度はそれらを理解して生まれてきますの。だからわたくしは里以外の街でも一般常識や、言語、読字などで苦労はしませんでしたわ」
「えー!? 理解してって……赤ちゃんの頃からって事!?」
驚いたアシェリィは素っ頓狂な声をあげた。
「赤ちゃん……と言っても、わたくしたちエルフは人間と違って、生まれた時から人間で言う10代後半くらいの姿で誕生するのですわ。そのままの姿で数百年と過ごしていくことになりますの。ですから見た目がお年寄りになるのはそれこそ気の遠くなる年月がかかりましてよ」
風の噂に聞いたことはあったが、まさか本当だとは思えなかった。
それに、勉強もせずに生まれながらにして他種族の知識まで身についているのはズルいなと感じた。
「……もしかして、学院の入試も楽勝だったりしたの……?」
「さぁ? どうかしら……さすがに少しは勉強したかしらね?」
ノワレはお茶を濁すと話を本題に戻した。
「かれこれ一年近くニンゲン狩りを強いられましたの。包囲網が手薄になったので、里を南下してドートン共和国という国にたどり着きましたわ。とんがり耳が見つかるとエルフだとバレてしまうので、ニット帽子を常にかぶっていましたの。水色できらめく髪も酷く目立ったのでダークブラウンに染めましたわ」
彼女はトンガリ耳を押さえて頭にピッタリくっつけた。
こういう耳の付き方なら痛みを感じずに帽子を被れるだろう。
「ドートンはライネンテ程ではありませんが、それなりに広い国でしたの。敵の情報を得るなら栄えている港町がいいと思って港湾都市リンガリーを目指しましたわ。貧富の地域格差が激しい国ではありましたが、紛争などは無く、おおむね平和な国でしたの。無事に港街にたどりついたわたくしは片っ端から”悦殺のクレイントス”について聞いて回りましたわ……」
アシェリィは難しそうな顔をした。
「敵探しってスムーズには行かないイメージ……。ましてやリッチー探しでしょ? リッチー同士じゃないとわからないんじゃない?」
エルフの少女は首を横に振ってそれを否定した。
「ところが……声をかけて数人目で有力な回答がありましたの。クレイントスとは約100年前のノットラント内戦で活躍した魔術師だと言うことがわかったのですわ。他の人も『有名な人物で、伝記もいくつか出ている』と教えてくださりましたの。早速、図書館で関連本を漁ってみましたわ」
田舎の少女はノットラント内戦について学院で学ぶまで詳しくなかった。
ライネンテは南部になるにつれ、ノットラントは完全に外の世界の事と思い込む傾向がある。
一方、ミナレートの人々は常にそこを”未だくすぶる争いの火種”と捉えており、強く意識している。
ましてや非常時の戦闘要員となる学院生達は非常にその情勢にナーバスだ。
「う~ん……ノットラント歴史学で色々勉強したけど、クレイントスについてはわからないなぁ……。これから勉強するのかな?」
シャルノワーレは頷いた。
「ええ、そうですわね。いくら有名人とは言え個人ですから。でも、多くの学院生が程度の差こそあれ、彼を知っていると思いますわ。なにしろ英雄と呼ばれるはずの男だったのですから。……奴はある日突然、自分の武家の者達を殺戮しだしたのですわ。そこからついた二つ名が”悦殺”……」
そのエピソードだけで異常性があるのは明らかだ。
エルフの里の一件でもそうだが、いわゆる殺人狂というやつなのだろうか。
「そして……奴は軍法会議にかけられて72歳で処刑された……という事になってますわ。それで表舞台からは姿を消すのですが……。まさかリッチーに転生して死してなお活動しているなんて思う人は居ないでしょうね……」
とんがり耳の少女は深い溜め息をついて夜空を見上げた。
「でね……わたくし、あまりの復讐心に駆られて、居ても立ってもいられなくなってすぐにノットラントに渡りましたの」
「えぇ!? いきなり乗り込んだの!?」
アシェリィは目を点にして隣を見つめた。
そして彼女は額に手を当てて呆れたようなジェスチャーをとった。
「我ながら早まってしまいましたわ。クレイントスが研究所を構えていたとされるウォルテナ近郊のヴァルー山に単身乗り込みましたの。リッチーを滅するにはその者の”遺品”を破壊する必要がありますわ。わたくしは直接この手で破壊してやるつもりでしたが、あまりの寒さに凍えてしまって、行き倒れになってしまったの。エルフは寒さには弱くってよ……」
「それで? どうやって乗り切ったの?」
先が気になってすぐさま聞き返すとエルフは思い返すかのような顔つきで答えた。
「助けてもらいましたの。リッチーの研究家という変わった女性に……」
ノワレはその時の思い出を振り返っていた。
「あ、起きた? キミ、エルフだね? こんなところでエルフに会えるとは思わなかったなぁ~。って無茶しちゃダメじゃないかぁ~。エルフの体に寒冷地は厳しいよ? さ、この北方砂漠諸島群のガガルーの実のおじやを食べなよ。体がポッカポカになるよ」
辺りを見回すとどうやらここは洞窟のようだ。
自分は分厚い毛布に寝かされていたらしい。
「こんなところで悪いね。ボクはリジャントブイル魔法学院卒のOG……リジャスターのニャイラ・エルトンだよ。今はここを拠点にしてリッチーを研究してるんだ。この山に確かに悦殺のクレイントスの研究所があるはずなんだけど、探すのに苦労しててね。そりゃまぁ自分の”遺品”の置き場所が見つかったら困るしね~。こっちが探ってるつもりなんだけど、逆に向こうに探られてる感あるし」
「クレイントスですって!? わたくし、奴を探していますの!!」
思わずエルフの少女は大きな声をあげた。
この反応はただ事ではないと悟ったニャイラは彼女のこれまでの経緯を聞いてくれた。
研究家は分厚いメガネをかけていて、白衣を着ていた。黒髪が美しい。
「そっか……。それならボクが見つけたクレイントスのダミーの研究所を見にいってみようか」
彼女はクイッとメガネを上げると出発の準備を始めた。
荷物を背負って勢いよく立ち上がるとニャイラは装備や道具類をまとめてノワレと洞窟の外へ出た。
そしてこちらに着いてくるようにサインを送ると雪山をぐるぐる回り始めた。
同じ場所を巡っているのではないかと疑っていると、いつの間にか景色が変わっていた。
「シッ!! 静かに!! 見てよ。あれがダミーの研究所の入り口だよ。そんでもって、そばで見張ってるのがシェオル・ケルベロス。使い魔だね。何にもないところにも番人を置いておくと本物の研究所を偽装できるからね。……ところでキミ、ずっと殺気を放ってるけどアレを見てもまだ闘れる?」
ノワレはすくみあがって、その場でへなへなとへたりこんでしまった。
この距離から見てもかなり大きい。3m前後はあるだろうか。
ビロードのような暗く紅い体毛、射殺すような赤く鋭い眼光、そして禍々しい形相の3つの頭、殺意を隠さない牙。
これで恐怖を感じねば何に感じろというのか。
だが、ニャイラは平然としていた。踏んだ場数が違うのだろう。
彼女は小さな体にもかかわらず、放心状態のノワレを片手で担いで山を下った。
「気づくとそこは宿屋でしたわ。ニャイラはわたくしに言いましたの。『もし、本気でクレイントスを討ちたいならば、リジャントブイル魔法学院以外には選択肢がない』……と。そこならばリッチーの狩り方を学ぶことが出来ると聞きましたわ。彼女は優しくて、『学院を紹介するだけでは無責任だから』と、勉強を教えてくれましたの」
「いい先輩なんだね」
フフフとアシェリィは笑った。
「ええ、とても良い方でしたわ。こんなにニンゲンに親切にされることは初めてで……。戸惑いながらもニンゲンも悪くないかなと思えるようになりましたの。彼女と勉強しつつ、フィールドワークしながら敵を探しましたが、一年かけても本物の研究所を発見する事はできませんでしたわ……」
シャルノワーレは拳で砂浜を殴りつけた。
相当クレイントスが恨めしいのだろう。
「結局、ニャイラは別のリッチーの研究に移るということで、ウォルテナを離れる事になりましたの。そして、わたくしにミナレート行きの船のチケットを渡しくてくれましたわ。機会があればまた会おうと言ってくださいましたの。わたくしはミナレートであと一年かけて、入試の追い込みをすることにしたのですわ。ですが……」
「ですが……?」
聞き手の少女は首を傾げた。
「船が難破してしまって……。ミナレートに着くはずが、ライネンテ東部の”フォート・フォート”に……」
あちゃ~とばかりにアシェリィは目をそむけた。
「……最悪だね、それ」
またもやエルフの少女は鬱憤を晴らすように地べたを叩いた。
「もう思い出したくもありません。そこの住民がわたくしたちが遭難者と知ると問答無用で身ぐるみを剥がれましたわ。奴隷にこそならなかったものの、あそこから抜け出すのに時間がかかってしまいましたの。わたくしはあそこでニンゲンの汚いところをまじまじと見せつけられて、すっかり人間不信に戻ってしまいましたわ。それこそ本気で殺意が湧くくらいに……」
あんな環境に置かれたら誰でもおかしくなるのは間違いない。
「そして何とかミナレートに到着し、学院の入試に受かりましたの……。これがわたくしの咎と復讐の自分語りですわ……。やっぱり、こんな話、貴女にしかできなくってよ……」
話を聞き終わった少女はポンポンとノワレの肩に触れた。
「辛かったんだね……としか言えないけど、私が話を聞くことで気が楽になったのならいいんじゃないかな。あと、ノワレとしては復讐のために学院に入ったのかもしれないけど、個人的には学院生活を楽しんでほしいな。だって、復讐のために毎日を過ごしているなんて苦しすぎるから」
ノワレは無言のまま、アシェリィの肩に頭を預けてきた。
二人は飽きるほど星を眺めると別れを告げてそれぞれの寮の部屋へと帰った。




