荒む心、荒む都市
ハーヴィーの班員達は無言のまま、フォート・フォートの坂道のストリートを登っていった。
頂上に近づくと段々と視界が開けてきた。
港から見える漆黒のオベリスクのある広場へとたどり着いたのである。
そこは観光客が多く集まり、幾分か荒んだ空気が和らいでいた。
アシェリィは思わず駆け出して塀から軽く乗り出して美しい水平線を眺めた。
そして港へと視線を移す。ここから崖っぷち号は見えるだろうか。
更に下を見ると蒼い壁の町並みに太陽が反射してキラキラと輝いて見えた。
初めて見るその景色に心動かされたが、今までの出来事からして彼女は素直には感動できないでいた。
一見して観光地として開けたここにも浮浪者が多数居た。
「こんなに綺麗な街なのに……ん?」
気づくと誰かがアシェリィのブラウスの裾を引っ張っていた。
「おねえちゃん……おねがい。おかねを……たべものを、めぐんでください……」
ガリガリに痩せた年端も行かぬ少女が裾を引っ張りながら懇願してくるのである。
見るからに貧しい身なりでボロ服に靴も履いていない。奴隷と大差が無かった。
「あ……うっ」
引っ張られたほうの少女は驚いて後ずさったが、壁際だったので逃げ道がなかった。
「ねぇ……おねがい。めぐんで……ください……おなかがへって……」
アシェリィが反応に困っていると素早くリコットが駆け出していった。
「しッ!! しッ!! こんのッ!! とっとと失せろし!!」
腕を振って物乞いの少女を追い払う。するとその少女は逃げるように去っていった。
「リコット!! いくらなんでも、そんな野良犬を追い払うみたいにすることないじゃない!!」
物乞いされた少女はそう怒った。ここに来て何回憤りを感じたかもうわからなかった。
「……アシェリィ、よく見てみるし。この公園に何人物乞いが居ると思う? もし、あの子に施しなんてしたら他の物乞いも全員寄ってくる。そんなにあたしたちお金もってないし、一人ひとりに責任を持つことなんてできないんだ。だからそんな半端な気持ちで物乞いに何かやるべきじゃないし。それに、仮にお金を渡したとこでマフィアに横取りされるだけだし」
言われてみて広場を見渡すと物乞い達が一斉にじっとこちらを見ていた。
先程の少女が失敗したのを確認するや否や、彼らは別の観光客にたかり始めていた。
アシェリィは複雑な心境で尋ねた。
「リコット……もしかしてあなたもこんな生活をしていたの……?」
彼女は背中を向けたまま首を大きく左右に振った。
「あたしはフォート・フォートの出身ではないんだ。ソルタ・ソルタって街の出身。ここほど酷い街じゃないし、実家も東部の中ではマシなほうだよ。それでも奴隷も、浮浪者も、物乞いも当たり前に居る街だった。何度も言うけど東部じゃこんなのが当たり前なんだし……」
リコットは目線を落として俯いた。
吹き抜ける爽やかな潮風とは対照的にアシェリィ達の気分はどんよりと重く漂っていた。
四人が立ち尽くしていると物思いに耽っているラヴィーゼに男がぶつかってきた。
「おっと、お嬢ちゃんごめんよ。よそ見してたぜ。悪いな。それじゃ」
「ッ!!」
ぶつかられた少女は素早く去りゆく男の腕をガシッっと掴んだ。その手には財布が握られていた。
「あ? 『それじゃ』じゃないよ。よそ見はいけないね。前を見てあるかなきゃ……なッ!!」
ラヴィーゼはギリギリと掴んだ男の腕をひねった。
普段から精神鍛錬を欠かさない彼女の握力は男のそれを上回った。
「早くその汚らわしい手をあたしの財布から離しな。このままだと腕が折れちまうぜ?」
ミシミシと男の腕に力が加わって彼は悲鳴を上げた。
「いでででで!! わかった。ほら、財布は返すから!! 腕を離してくれーッ!!」
スリはたまらないとばかりに財布を手放した。
自分の財布が地面に落ちたのを確認したラヴィーゼは握っていた男の腕を振り切った。
「チッ!! このクソアマが!! マフィアの親分にチクってやるからな~~~!!!」
盗人は腕をおさえながら半泣きになって路地裏へと消えていった。
リコットが呆れるように言った。
「あんな末端のこそ泥じゃマフィアの部下にさえなれないし。ラヴィーゼ、ハッタリだから気にすること無いし」
奪い返した財布をジャケットのポケットに入れた長身の少女はぼやいた。
「あたしとしたことが。あんなすっとこどっこいに盗られるとは……。ボーッとしすぎだったな……」
本当にこの都市は根っこから腐っているのだと改めて四人は思った。
ブルーになっている彼女らにハーヴィーが励ますように声をかけた。
「皆さん、気を取り直してください。今晩は高級ホテルに宿泊予約を入れてあります。贅沢のように思われますが、ここでの安いホテルでは治安も衛生面も悪くて危険なんですよ。だから高級ホテルを取ったわけです。荒れ地の掃討作戦は明日になります。今日は色々あって疲れたでしょう。日も暮れてきましたし、宿へとむかいましょう」
気づくとだいぶ陽が落ちてきていた。公園であれこれトラブルに巻き込まれるうちにもうこんな時間になってしまった。
夕日が海に反射してオレンジ色にきらめく様は非常に美しかった。
まるで大量の海岸オレンジのジュースが海を埋め尽くしているようだった。
アシェリィとラヴィーゼが並んで景色を見ているとリコットが声をかけてきた。
「皆、早く宿に向かうし。昼間でさえこの治安の悪さなのに夜なんかもっと酷いし。ここは夜に女性が歩ける街じゃないんだし。変質者は当然のごとくいるし、誘拐されて売春婦にされる人もいるし。暗がりでは通り魔や殺人鬼も動き出す時間帯だし。日が暮れるまでにはなんとしても宿にたどり着かなきゃいけないんだし」
彼女はそう言いながら手をひらひら振って他の三人を急かした。
ハーヴィーも首を縦に振りながら先頭を切って早歩きしだした。
「ええ、その通りです。残念ながらフォート・フォートの夜は昼より更に危険です。観光客は日が暮れるまでに宿に入るのは基本中の基本と言われています。さ、ホテルへと急ぎましょうか。幸い、ホテルはそう遠くありません」
ホテルに到着するとそこは立派な佇まいだった。
“ホテル ブルー・ウォール”という看板がかかっている。
ドアを開けて入ると広々とロビーが広がっていて、そこにはクラスメイト達が集合していた。
その他の観光客たちも居るが、治安の悪さは感じられなかった。
もちろんフラリアーノもその場に居た。
「ハーヴィー班、ご苦労様でした。あと一班合流すれば全員揃います。もう少し待っていてくださいね。あと、ここなら多少くつろいでいても心配事はないでしょう。……して、どうでした? フォート・フォートの街は?」
彼はそう聞いてきたが、アシェリィとラヴィーゼはすっかり参ってしまったという様子でゲッソリしていた。
ハーヴィーとリコットは慣れたものといった感じでくつろぎはじめた。
「まぁ、面食らうのも無理ないですね。ここは王都ライネンテやミナレート、他の地域とあまりにもかけ離れすぎている。ですが、この現状は知っておかねばなりません。貴女達には酷だったかもしれませんが、視野の狭い人間には学院は担えませんからね。今日一日の出来事をしっかり胸に刻んで、ミナレートに帰っても時々、思い出してください」
フラリアーノは彼女らを思いやる優しい笑顔を向けた。
だがその笑みはどこか悲哀に満ちていた。
いくらこういった理不尽な出来事に慣れているからといって、全く平気かと言えばそんなこともないのだろう。
それはハーヴィーやリコットを見てもよく分かった。
「ああ、まだ荒れ地の掃討作戦の依頼が残っていました。ご苦労さまと言うにはまだ早いですね。それに関しては最後の班が合流し次第、説明したいと思います。話は変わりますが、カロルリーチェ様は意識が戻りました」
思わずアシェリィは教授に歩み寄って聞いた。
「本当ですか!? どこか怪我とかはありませんでした!?」
フラリアーノは落ち着いて頷いた。
「ええ、特に手荒に扱われた様子はありませんでした。今は崖っぷち号で保護してもらっていて、食事もしっかりとれています。流石にこれだけ噂になっているのに街を連れ回すわけにはいきませんからね。社会科見学が終わるまでは船で過ごしてもらいます」
アシェリィは胸に手を当てて安堵した。
とんでもない目に合わされたからとは言って、自分とそっくりな人間がひどい目にあうのは良い気がしなかったからだ。
「はぁ~、良かった~」
彼女は思わずため息をついた。そんな彼女にフラリアーノは微笑みかけた。
「ふふふ。なんです? そんなにカロルリーチェ様が気になりますか?」
アシェリィは目線をそらしながら答えた。
「べ、別にそんなに気にかけているわけじゃないです。それなりに痛い目にあわされてるし……」
それに対抗して教授もそっぽを向けながらつぶやいた。
「おやおや、素直じゃありませんね。まぁ船に戻れば会えますから」
そう彼が言った直後、ホテルのドアが開いた。残っていた一班が到着したのだ。
それを確認すると教授は彼らを出迎えた。
「おお、無事で何よりです。大変だったでしょう。まずは休んでください」
帰ってきた班員達の顔色は優れなかった。きっと自分たちと同じような目にあったのだろう。
全員が腰を落ち着けて休まったのを確認するとフラリアーノがしゃべり始めた。
「皆さん聞いてください。明日の不死者掃討作戦の話をしましょう。ロビーの一角を借りておきました。椅子が並んでいるのでボードの前に座ってください」
召喚術クラスの生徒達はロビーの隅へと移動してイスに座った。
そこには文字を描いたり、資料を張り出せるボードが用意してあった。
「さて、今回のターゲットですが、相手をしたギルドの人たちから話を聞きました。そのうえで私の使い魔の幻魔を監視にいかせました。そして確認したのですが、あれは間違いなくネクロノミィ・トレント……通称”首吊りの樹”です」
生徒たちはにわかに騒がしくなった。
ネクロノミィ・トレントは不死者モンスターの中でも厄介な部類に入ると聞かされていたからだ。
「静粛に。首吊りの樹については皆さんも講義で習いましたね。それ故の反応だとは思うのですが、決して敵わない相手ではありません。確かに厄介ではありますが……。では、首吊りの樹について再確認しますよ。よく聞いておいてください」
フラリアーノは一本の樹の絵をボードに描いた。
「えーとですね。ネクロノミィ・トレントは見た目が大量の首吊り死体がぶら下がっているように見えることからその通称がついています。また”不死者製造機”とも呼ばれています。」
教授は樹の絵に首をくくられた人間を何本も書き足した。
「で、ですね。こいつが厄介なのは”死体を飼っている”という点なのです。首吊りの樹は狩りをします。地表には見えませんが、辺り一帯に張った根で冒険者などの獲物を絞め殺したり、串刺しにしたりするのです。樹に擬態しているので何も知らない一般人が近寄るとあっさり餌食にされてしまいます」
次に教授は吊るされた死体に丸をつけていった。
「連中は死体を”飼っている”というか”育てている”のです。捕まって間もない死体はゾンビとして活動を開始します。そして死体の養分を吸い取りつつクラムダ、スケルトン、アルバッサとより強力な不死者へと変化させていくのです。ですから、樹一本が相手ではありません。取り巻きの不死者も敵なのです」
フラリアーノはボードをトントンと叩いた。
生徒たちはやや緊張している様子だった。
「……それで、使い魔によればこの近くの荒れ地にはネクロノミィ・トレントを5本確認しています。飼っている不死者を含めるとチームがいくつか組める規模です。ギルドの方々が総戦力で挑んだ後なので、これでも減っている方です。おまけに荒れ地はじわじわとフォート・フォート側に拡大してきています。荒んだ人の心を好むような連中ですからね。都市を取り込んで荒れ地にしたいのでしょう……」
緊迫した空気を読んでか彼はフォローを入れた。
「そう心配そうな顔をしないでください。あなた方だけでなく、私やセミメンター、医療班も掃討作戦に参加します。実戦というのはどういうものなのか肌で感じること、自分の命の護り方を知ること。それがあなた達の課題です。ミーティングは以上です。今日は疲れているでしょうから、早く休むといいでしょう。それでは解散します」
ホテルはまるでフォート・フォートに居るのを忘れるくらい良い設備やサービスが揃っていた。
召喚術クラスの生徒達は明日の作戦に不安を抱えながらも、ホテルを満喫するのだった。




