ロマンティックな膝枕
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ザティスとアイネはカルティ・ランツァ・ローレンを立ち、王都ライネンテのドラゴン・バッケージ便の空港に来ていた。
空港は様々な人が行き交い、マーケットもあった。
まるで宝石を散らしたように色とりどりの物があって、人々の心は躍った。
道の両脇にある露店と人混みをかき分けて進んでいくと巨大なピンクのドラゴンが見えてきた。
「ザティスさん!! ドラゴン・バッケージ便ですよ!! ドラゴン・バッケージ便!!」
アイネが美しい金髪を揺らして、振り向きいて、はしゃぎながら無邪気に呼びかけた。
純白のスカートが鮮やかに風ではためく。
だがなぜだかザティスの足取りは重い。
「あのなぁ……お前、俺が高所恐怖症なの知ってるだろ。ハァ……こちとら気が重いぜ……」
ぐったりうなだれるザティスを見て、うっかりしていたと思ったアイネは無神経な発言を謝罪した。
「ご、ごめんなさい。そうでしたね。前に実習で一緒に乗ったときも怖がってましたもんね。でも、怖いもの知らずのザティスさんが高いところが苦手なんて意外でした」
高所恐怖症の青年は荒っぽく頭を掻いた。
「何、謝るこたぁねぇよ。誰にだって苦手なものの一つや二つあんだからよ。ああ~早くフライトを終えたいぜ。こっからだとミナレートまで半日はかかるな。ハァ……憂鬱だぜまったく……」
アイネはザティスがドラゴン・バッケージ便がダメなのをすっかり忘れていた。
彼の様子からするに、楽しい旅というのは難しそうである。
この旅でもっと彼と親密になりたいと考えていただけあってアイネもなんだか拍子抜けしてションボリしてしまった。
もしいい雰囲気になればそのまま自分の気持ちを打ち明けようとも覚悟していたからだ。
同時にアイネは焦っていた。このままミナレートに帰れば起伏のない、いつもの生活が戻ってくる。
告白するシチュエーションとは程遠い日常がだ。
それにミドル(中等科)に進学したため、もうザティスと同じ班ではない。
何かの機会がないと会えなくなってしまうのは非常に辛いものがあった。
カルティ・ランツァ・ローレンで毎日のように会えていたのは実はとても恵まれていたのである。
リーリンカの話を聞くに、彼女は自分からプロポーズしたらしいが、どうもほんわかのほほんとしているアイネにとってそれは難しそうだった。
せっかくの絶好のチャンスであるはずなのだが、彼女は頭を抱えた。
乗り口でチケットを買うと二人はドラゴンにくくりつけてあるゴンドラに乗り込んだ。
今回のゴンドラは5階建てと大変広く、下階にいくほどフロアが狭くなる逆さの台形のつくりになっていた。
5階から座席のあるフロアを抜けて階段を登っていく。
このゴンドラの中には設備が豊富で食堂や簡単な遊戯施設まで完備されていた。
座席は階層にもよるが、横に5席、通路を挟んでまた5席となっていた。
二人の座る座席は二階の左側の窓際だった。
「げっ。俺、窓際じゃねぇか!! アイネ~頼むよ座席を変わってくれ~」
ザティスが情けない声を上げた。普段の落ち着き払った態度とは別人のようである。
アイネは幻滅するかと思われたが、なんだか逆に可愛く見えてきてしまって、彼の出すヘルプに応じた。
「はいはい。じゃ、私とチケットを交換しましょうね~~~」
チケットをやりとりした青年の顔は気の毒なまでに真っ青だった。
席に座って落ち着くとドラゴン・バッケージ便は離陸した。
ドラゴンは助走を必要としないので、離陸時の反動は殆どなかった。
こうして静かにゴンドラは上昇し始めた。
アイネは大きな窓から外を眺めた。賑やかだった市場がどんどん小さくなっていく。
そしてそのままマーケットは小さくなって、航行を始めると見えなくなってしまった。
ドラゴンは風を切り、本格的なフライトが始まった。
ゴンドラにのって30分ほど経っただろうか、ザティスの様子がおかしくなっていた。
「うえ~気持ち悪っ。酔っちまったよ……」
高所恐怖症をかばうため、不自然な姿勢をとっていたので乗り物酔いを起こしてしまっていたのだ。
そんな彼を見かねてアイネは声をかけた。
「ザティスさん。酔い止めの治癒魔法をかけます。わたしに膝枕してください」
ふくよかで母性に溢れた女性はポンポンと自分の膝を叩いた。
「お……おう……。悪いな」
彼女に膝枕をするのは内心、恥ずかしかったが、もはや意地を張っている場合ではなかった。
ザティスは座った姿勢から上半身を左へと傾けてアイネの膝枕に頭を横にして寝転んだ。
「迷える汝の神経よ平静を保たん!! キュア・サーク・ラウド・コンフュージ!!」
急速に魔法が効いて、ザティスの気分の悪さが抜けていった。
「あ、私から離れちゃうと効果が弱くなってしまうので、膝枕し続けていてくださいね」
「お……おう……」
アイネは膝枕を提案したものの、彼女自身も恥ずかしくて頭から湯気が吹き出そうだった。
ザティスもそこそこ恥ずかしがってどぎまぎしていた。やわらかい太ももが頭に当たる。
いくらチームメイト、仲間だったとしても若い男女がこうやって実際にピッタリ接触するとまた関係性は変わってくる。
二人の距離はひょんなことから急接近した。
アイネは照れ隠しで窓の外を見ながら疑問に思ったことを聞いた。
「ザ、ザティスさん、どうしてアンナベリーさんのプロポーズを断ったんですか? 私、てっきり受けるものとばかり思っていました」
酔いの治まったザティスは腕で目を覆いながらその件について語った。
「なんだ? ま~だそんな事言ってんのか? 言ったろ。あいつにゃもっと明るいところへ引っ張ってくれる奴が適してるだろって。俺みたいなひねくれ者と付き合ってもろくなことにならねーって。そりゃ俺も彼女が居たらいいなと思うこともあるが、彼女がいると呑み歩いたり、闘技場で暴れて心配をかけられなくなるだろ。そんな甲斐性のねぇ男になる気はねぇのよ」
なんだか視線を感じる。腕をのけて脇目でチラリと見るとアイネがじっとこちらを覗き込んでいた。
「なんだ、なんだなんだ!」
彼女の熱い視線に違和感を感じてザティスはたじろいだ。
「もし、もしもですよ。街中をさんざ呑み歩いても、闘技場でしょっちゅう大怪我しても、とにかく好き勝手しても良いっていう女性がいたとしたらどうしますか?」
思わず顔の向きを変えて下からアイネを見つめ返す。その表情は真剣そのものである。
瞳は潤み、涙がポタポタとザティスの顔に落ちた。
これはただごとではないと彼は向き直った。
「アイネ……お前……」
彼女は涙を裾でこすりながら素直な気持ちをぶつけた。
「私もよくわからないんです!! でも! カルティ・ランツァ・ローレンでザティスさんと再会して嬉しくて、舞踏会でダンスしてもらってドキドキして、そしてザティスさんが学院に戻るって聞いて、もうザティスさんの居ない生活が考えられなくって、居ても経ってもいられなくて……。私、私!! 私が彼女じゃダメですか!?」
思わず興奮して力がこもってついに告白してしまった。
自分でも信じられないくらいの勇気で彼女は気持ちを伝えることが出来た。
そうしないとザティスが遠いところへいってしまうような嫌な予感が彼女にそうさせたというのもある。
アイネが言うとザティスは彼女の涙を指でぬぐってやった。
「わかったから泣くんじゃねぇよ。流石にお前がそんなこと考えてたってのは予想できなかったし、驚いた。今まで、気づかなくてすまなかったな。そっちから告白なんて野暮なことさせちまった……。そうさな、こんな俺と恋人として付き合ってくれるなら大歓迎だぜ!! 俺もお前みたいな優しくて、ほんわかした娘が好みだしな!! それに気心も知っている仲だしな!」
ザティスは突然の告白に驚きはしたようだったが、至って落ち着いた様子で彼女の告白を正面から受け止めた。
決死の告白は実って、仲間という関係を乗り越えて男女の関係に進展することに成功した。
そして彼はアイネの膝の上で満面の笑みを浮かべて親指を立てた。
「ザディズざああああああああんんんんーーーーーー」
それを聞いた娘は泣きじゃくりながら思いっきり膝の上の彼を抱きしめた。
「ぐうぅう!! 胸が!! 苦しい胸が!!」
胸が顔に当たってラッキーと一瞬思ったが、ギリギリと締め付けるような抱擁にザティスはアイネの腕を叩いてギブアップサインを出した。
「ギブ!! ギブギブ!!」
「あ……ごめんなさい……」
「ハァ……ハァ……。落ちるかとおもったぜ……」
自然と二人の間に笑みがこぼれた。
「ふふ……ふふふふ」
「へへっへへへっ」
そのまま二人は膝枕したままロマンチックな空の旅を楽しんだ。
「おじいさん、隣にに恥知らずのアベックがいますよ……」
「おーお熱いお熱い。いいじゃないか。ワシらも若い頃はあんなもんじゃったろ」
「まぁ、おじいさんったら…………」
となりの老夫婦がこそこそ話をしているのが聞こえたが、乗り物酔いの関係から膝枕を解除することはできなかった。
これには思わず恥ずかしくなって二人は顔を見合わせた。
羞恥心をごまかすため、ザティスが話題を振った。
「そ、そういや、まさかファイセルの班のうち、ファイセルとリーリンカ、俺とお前がくっつくとは思わなかったな。…………ラーシェはどうなんだ?」
そう聞かれてアイネは首を傾げた。
「私が研修に出る直前の段階では彼氏は居ないって言ってましたね。齢20にもなって彼氏が出来ないっていつも嘆いていました。このままのペースだと残念ながら…………」
ザティスはまた顔を横に向けて腕を目の上にかぶせた。
「…………これを知ったら、あいつ大噴火するんじゃないか?」
その頃、ラーシェは自分の部屋で苦手なグリモア精読の課題をやっていた。
「え~と、ここは崩壊した文法の再構築の法則で……サッパリわかんないなぁ……へ、へえっっくしょん!!!!」
彼女はおおきなくしゃみをした。
「へえええっっくしゅ!!!」
「いっくしゅ!!」
「へあっくっしょん!!」
4回も連続でくしゃみをしてラーシェは鼻をかんだ。
「誰かあたしの噂でもしてるのかなぁ……? 気のせいか」
ラーシェは新たなカップルの誕生を知る由もなく呑気に課題を続けるのだった。




