舌の肥えた妖精
ある日の放課後、召喚術師の少女は自室で召喚する媒体であるサモナーズ・ブックを手入れして幻魔を整頓していた。
「う~ん……これに、これ。これにっと……。思ったよりいろんな幻魔が集まったなぁ。無名下級や何に使うかわからないのも多いけど……」
その時、サモナーズ・ブックが机の上でガタガタと揺れだした。
「な……なにこれ!? 幻魔の外部干渉!? こんな高度なことが出来るのは……」
急いで分厚い本をパラパラとめくっていくと最後のページの文様が美しく流れるような水色に変化していた。
これはリーネだなと思い、その頁ををさらりとなぞると案の定、リーネが飛び出してきた。
「ちーっす。元気でやってたか小娘」
ずいぶんとでかい態度で幻魔は指を二本立てて挨拶をしてきた。
褐色の肌で茶髪。セーラー服の上下とルーズソックスに茶色のローファーを履いて、紅いリボンタイをしている。
どこの服装かはわからないが、見かけたことのない、まるで異世界の服のようである。
「元気でやってたか? じゃないよ……。もうちょっと砂漠で手伝ってくれてもよかったんじゃない?」
アシェリィは呆れたようにうつぶせるように机に寄りかかって机の上の妖精を眺めた。
本当に質が高い幻魔だ。ほとんど人間と見た目的に遜色がない。
「まぁまぁそんな怒るなって。砂漠は暑くてだる~いじゃ~ん? 気乗りしなかったんだよね。それはそうと海水浴に連れてってくんないかな。長いこと塩水浴びて無くて活力が弱ってんだよ~」
「なんて身勝手な幻魔だ」と怒りたいところだったが、相手のほうが位は上である。
ヘタに機嫌を損ねるのも面倒だと思ったのでアシェリィは無言のまま首を縦に振った。
「へへ。やり~!!」
リーネは無邪気に喜んでいる。こういう根っこのところは素直らしい。
放課後だったので制服のまま寮を出て、学院のプライベートビーチに来た。
「えっと、で、どうすれば?」
少女は首を傾げた。すると妖精が答えた。
「そのまま海めがけて召喚すりゃいいんだよ。ほら、やってみ?」
アシェリィはラストページをさらりと掌でなぞりながら詠唱した。
「アビス・コーリング・プルシャン!! サモン!! リーネ!!」
妖精を喚び出すと彼女はものすごい勢いで海へと飛び込んでいった。
しばらく反応がなかったのでアシェリィは不安になって声をかけてみた。
「リーネ……リーネ?」
なんのリアクションもない。彼女は少し不安になってきた。だが水に動きがあった。
「”さん”をつけろってんだよ!!」
水しぶきを上げて突如飛び出してきたリーネに驚いてアシェリィは尻もちをついてしまった。
「はははは。くくくく。へっぽこ召喚術師!!」
あまりの意地の悪さにアシェリィはちょっと頭に来ていた。
「もう!! そうやって人を馬鹿にするならサモナーズ・ブックに押し込めて帰るからね!!」
急にリーネは慌てだした。
「わー、待った、待った待った。おとなしくしてるから海水浴させてくれよ。な?」
「フン!!」
アシェリィはイラついた様子で靴と靴下を脱ぎ、砂浜に裸足を投げ出した。
「いや~、でもまさかあんたみたいな奴が珍魚コパガヴァーナを釣り上げて、オルバの修練をやりきるとは思わなかったよ」
明らかにごまをすり始めた。だが、気になったことがあったので召喚術師は尋ねた。
「そういえば、長いこと釣りをしている間はリーネ……リーネさんに会うことはなかったよね? 幻魔なんだから視えないってことはないはず。どこにいたの?」
海水を満喫していた妖精は泳ぐのを止めて仰向きにプカプカと浮き始めた。
「ああ、あれ? あれはな、お母様と守護精霊の役割を交代してたからだよ。つまり、諸々の事情であたしがポカプエル湖と一派のリーダーやってたってこと。守護精霊は姿が視えない事も多いんだ。ちょうどあんたが釣りに明け暮れてる頃、あたしは視えなかったってコト」
アシェリィは片方の掌に拳を軽く打ち当てた。
「あ~、守護精霊かぁ。なるほどね~。道理で姿が視えないわけだよ」
リーネは人差し指を左右に振った。
「そういうこと。でも意識がなくなるわけじゃないから毎日あんたの事は見てたんだ。召喚術師としての腕はまだまだだけど、根性と根気だけは認めてやるよ」
腰まであろうかと長い髪を自分の手を変形させたクシでとかしながら妖精は少女を評価した。
それにしても数センチ程度の大きさなため、波に揉まれると見失いそうになる。
だが、本人が溺れている様子は微塵もない。
うまい具合に波に乗っているのだ。時々、ボード状に足を変形させて波乗りしたりもしている。
非常に器用な幻魔だ。とてもオリジナルで構築されたものとは思えない。
改めてオルバの実力を目の当たりにすることになった。
まだ聞いてみたいことがあって、はしゃぐリーネに声をかけてみた。
「そういえばお母様って? ポカプエル湖には更に高位の幻魔がいるの?」
リーネは頭の後ろで手を組んでガムを噛んでいるような仕草を取り始めた。
「お母様は特別な存在だ。ポカプエル一派のリーダーを務めてる。でもちょっと不思議な存在でね。私もわからないところが多いんだよ。オヤジなら何か知ってるかも知れないな」
オヤジとはオルバのことだろう。今度帰ったら聞いてみることにした。
まだ聞きたいことは続く。
「そういえばリーネさん、ファイセル先輩と一緒に旅をしたんですよね? どんな感じだったんですか?」
質問した直後、まるで油に火をつけたようにリーネは怒り出した。
しまった。これは禁忌の話題だったとアシェリィは思い返した。
「ファイセルの話は出すなってあたし言ったよなぁ!? 勝手に結婚なんかして帰ってきて!! オルバもあたしをほっといて!! そりゃグレたってしょうがないだろ!! あたしだってもっと冒険したいんだよ!!」
まるでファイセルに嫉妬でもしているかのような語り口だ。
幻魔と人間との恋愛の話はちらほらあるが、決してメジャーとは言えなかったし、おとぎ話上での話が多かった。
だが、リーネの様子を見るにあながちおとぎ話では片付けられないようにも思えた。
しばらくの間、沈黙が二人を包んだが、アシェリィが口を開いた。
「ねぇリーネ……リーネさん。もし、私と一緒でいいなら一緒に冒険しない? 私も旅に出たかったんだけどずっと出られなくて……。だからあなたの気持ちがよくわかるんだ」
妖精は腕を組んでそっぽを向いて突っぱねた。
「ハン!! ヒヨッコ召喚術師に同情されるようになったらおしまいだね!! そういうのはいっぱしになってから言うもんだよ!!」
少女がシュンとしていると妖精が声をかけてきた。
「だけど悪くない提案だね。今は冒険ごっこだけど、マジもんの冒険が出来るようになったら付き合ってやってもいいかな。冒険出来るか観察しててやるよ」
まるで実験動物のような言われ方が気にかかったが、リーネと共通の目標が出来たことがなんだか嬉しかった。
「あ、でも勘違いすんなし。手伝うか手伝わないかはその時の気分によるから。基本的にヒヨッコのお守りなんてめんどくさいのはゴメンだからね」
棘のある言葉が多いが、以前よりはリーネの接し方がほんの少し和らいでいる気がした。
思わず顔がほころぶ。
「な、何ニタニタしてるし。キモいんですけど」
またもや辛辣な言葉が放たれたがなんだか可愛らしくてあまり気にはならなかった。
「うん。私、頑張ってマジもんの冒険が出来るように頑張るよ!!」
ぐっと握りこぶしを作ってアシェリィは気合を入れた。
「まぁ、張り切るのは結構だけど無茶するんじゃないよ。あんたが死んだら商売相手が一人減ってこっちとしてはマイナスなんだから。そうやって死んでいくやつ、沢山いるんだってさ。生き残るのが一番大事だと肝に銘じておくんだね」
妖精の忠告を聞いてアシェリィはうなづいた。召喚術師は色々なことが出来るが、その分、死にやすいという例の話である。
「わかったよ。あんまり無茶しないようにする!」
それを聞いてリーネは掌を額に当てた。
「はぁ~。ほんとかなぁ~? あんた無茶ばっかしてる気がするんですけど~。危なっかしいったら無いね~」
アシェリィは図星とばかりに後頭部を掻いた。
「そりゃそうと、あんたこのあと暇?」
放課後で特に用事もないので少女は答えた。
「うん。暇だよ。それがなにか?」
いつのまにか海からサモナーズ・ブックへリーネが戻ってきていた。
「ぷっはぁ~!!! やっぱり海水はたまんないなぁ~~~!!! どうせ暇ならあたしの”液体グルメ”に付き合ってよ」
アシェリィはなんとも言えないと言った感じの表情をした。
「えきたい……グルメ?」
妖精は人差し指を立てた。
「そ! あたしは固体の味はわかんないんだけど、液体の味はわかるの。だから液体の味を味わうのが”液体グルメ” やり方は簡単。色んな種類の液体を片っ端からサモナーズ・ブックのラストページに流し込めばいい。それだけ。じゃ、早速行ってみようか」
その後、二人は学院を出て、適当なカフェに入った。
「ほれ。片っ端からドリンク頼んで。アルコールは酔っ払うからやめとくわ」
「え~!?」
幸い、高いドリンクは無かったが、今月使う分だったお小遣いが半分くらい吹っ飛んだ。
テーブルの上に広がるカラフルなドリンクに周囲の注目が集まった。
一人しかいないのにこれだけドリンクがあればそうもなる。
「えっと~、これはコリッキ・ジュース……」
「ん~、柑橘系のような爽やかな風味と甘さ、コリッキの良さが出てるじゃん!!」
次のドリンクをサモナーズ・ブックに垂らす。
「コラート牛の牛乳入りカフェオレ……」
「お、意外と甘いな。上質な牛乳の風味がこれまたたまらない……」
また次のドリンクを垂らしていく。
「甘甘大グモの胃液……」
「うん、とにかく甘い!! 舌がとろけそうだよ~。虫系も悪くないじゃん」
更にドリンクの味見は続いた。
「これは……爆裂海洋炭酸ドリンクΩ」
「ひ~!! 体がバチバチする!! 水!! 水!!」
こんなことを繰り返しているうちに夕暮れ時になっていた。
「ふぅ。楽しんだ楽しんだ。手伝わないとは言ったが、借りができちゃったな。しょうがない。”多少は”手伝ってやらないこともない、かな」
ひねくれた言い方である。でも今日一日、なんだかんだで楽しかったのでアシェリィにとって契約の内容変更はどっちでもよかった。
「リーネさ……リーネちゃん、気が向いたらまた遊ぼうよ!!」
「リ、リーネ”ちゃん”だとぉ!? ……フ、フン。好き勝手に呼べば良いじゃない!!」
アシェリィは脇に大事そうにサモナーズ・ブックを抱えて夕暮れの帰り路を歩いた。




