半日ママさん奮闘記
ザティス達がカルティ・ランツァ・ローレンを旅立った頃、ファイセルはリーリンカと一緒に歩いていた。
「いやー、中々休みが合わなかったね。久しぶりのデートじゃない?」
黒髪の青年がそう問うと美しい青髪を揺らし、瓶底メガネをかけた女性が答えた。
「ああ、全くだな。私としてはもっと一緒にいる時間が増やしたいのだが、なにしろ寮住まいだからな……」
二人は結婚しているが、節度ある付き合いということで互いに寮に入ったままだ。
学生寮は男女別で異性の出入りが禁止されているので二人は外でないと会えないことになる。
今日はのんびりと静かなシアート公園でのデートだ。
年中真夏の気候のミナレートだが、点々と過ごしやすい気候に調整されたエリアが存在する。
その一つがシアート公園というわけだ。ここは少しひんやりする程度で外の酷暑から守ってくれるのである。
デートの定番が公園とは同年代のそれと比べてエキサイトに欠けたが、素朴な二人にしてはそれくらいがちょうどよかった。
人気もまばらな公園のベンチに座るとリーリンカが持ってきたランチを広げた。
「わぁ。こんなに一杯。大変だったでしょ?」
リーリンカは首を左右に振った。
「大した事はない。さ、食べようか」
青色卵サンドを食べながらファイセルはつぶやいた、
「う~ん。やっぱ薬と同じく、レシピを守って作るからリリィのお弁当は美味しいのかな」
その反応に彼女は小さくため息をついた。
「ハァ……。愛妻弁当なんだぞ。愛情がこもってるくらいの世辞は言えんのか」
弁当をほおばる青年はそれを聞いてすぐにリアクションを取った。
「あはは。そうだね。愛妻弁当の愛情のおかげだね」
あまりにも屈託のない笑顔にリーリンカはすっかり毒を抜かれてしまった。こういうところはファイセルの長所でもある。
「ふふふふ。もっと食べて良いんだぞ。まだ作ってあるからな」
ファイセルはリーリンカを見ながら思った。
結婚直後はメガネを外し、ファイセルのことをあなたと呼び、言葉遣いまで変わっていたが、結局は元の形に落ち着いたようだ。
少々ぶっきらぼうであるが、こっちのほうがいつもの彼女らしいのでファイセルとしても今までどおりのリーリンカのほうが良いと感じていた。
ランチを食べる彼女の横顔を見ているとほっぺに食べ物のかけらがくっついているのが見えた。
「リリィ、食べかすついてるよ」
ファイセルはリーリンカの頬の食べかけを取って自分の口へ運んだ。
「ななっ、な!!」
リーリンカは突然の出来事に驚いていたが、事態を把握して真っ赤に染まってしまった。
二人の関係性はこんな感じであり、互いにこういったちょっかいを出したり出されたりしながら生活している。
だが、どれも進んだカップルからしたらじゃれあいの範疇である。
夫妻として互いに焦った時期もあったが、今はこの関係性が楽しく、心地よいと二人は思っていた。
結婚こそしてしまったものの、実際に本格的な夫婦として振る舞えるのは学院を卒業してからだというのもある。
そのため、未だに二人は清い関係を続けていた。
「まったく意地の悪いやつだ。そういうやつはな~~~こうだ!!」
リーリンカはメガネを外して一気に顔を近づけてファイセルをじっと見つめた。
互いの距離が近づいて互いにドキドキしているのがわかる。これは”来る”とファイセルが思った。
プロポーズといい、リーリンカのこういうところはヘンに積極的である。
ところが静かだったはずの公園に泣き声が響いた。
「ぴょえ~~~~。おかーちゃ~ん。おかーちゃ~ん。ぴょえ~」
ひっついていた二人はすぐに離れた。今度は別の意味でドキドキしていた。
さっきまで近くには誰も居なかったはずだ。ファイセルが泣き声のほうを見ると亜人の子供が居た。
真っ白い体毛でずんぐりむっくりの体型、背の丈は人間のすねくらい。スラッっと伸びた手足でサラサラの毛をしている。
「ぴょえ~~~。おかーちゃ~~~ん。おか~ちゃ~~~ん」
ファイセルとリーリンカはすばやくランチをたたむと亜人のそばに近寄って話しかけてみた。
「君、もしかして迷子なのかい?」
コクリコクリと亜人は頷いて、涙を拭った。
「おか~ちゃ~ん。どこなの。おか~ちゃ~ん」
青年は肩をすくめた。
「まいったね。こりゃこの子から情報を聞き出すのは無理かもしれない。きっとお母さんもこの子を探しているだろうからこっちからお母さんを探したほうが早いかもしれないね。かといってこの暑さの中、その子を連れ回すのも良くない。僕は人探し場を当たってみるよ。リリィはその子の面倒を見ておいて。それでいいね?」
リーリンカは気乗りしない様子で答えた。
「あ、ああ……」
「じゃ、行ってくるよ!!」
そしてその場にはリーリンカと亜人の子が残された。
「人助けは立派なんだが、こうもあっさりとデートをすっぽかされるとなるとな。まぁそれがあいつの良いところだし、そこに惚れたのは私なのだから文句は言えない、か」
リーリンカは足元の亜人に目をやった。泣きつかれたようでぐったりしている。
「ほっ、ら、大丈夫っ、か?」
亜人の体をなんとか持ち上げて膝の上に抱きかかえるととバッグの中から栄養ドリンクを取り出して薄めて飲ませた。
「お、重い……。だがまるでこれは赤ちゃんを抱いているような感じだな」
栄養ドリンクを飲ませてしばらく揺すっていると亜人は元気を取り戻し始めた。
「きゃっきゃっ。おか~ちゃ~ん。おか~ちゃ~ん」
自分のことを母親と勘違いしだしたのだろうか。だがこれは逆に都合が良かった。泣き喚かれると色々と面倒だからだ。
それにこうやって母親役をやるのも重たいことを除けばまんざらでもなかった。
やがて落ち着いたのか、スゥースゥーと寝息を立てて眠ってしまった。
「ふふふ。呑気なものだな」
一方のファイセルはミナレート中の人探し場を尋ねて、子供を探している亜人が居ないか探して回っていた。
人探し場は人を探す人たちが集まるところだ。直接本人が訪れられればいいのだが、今回のケースではそうもいかない。
あの亜人は真っ白な体毛で胴体はずんぐりむっくりであり、手足がスラッと長いなど特徴的な見た目だ。
きっと親もある程度、似た外見をしているように思えた。
三つ目の探し場でようやくそれらしい亜人と会うことが出来た。
自分よりかなり背が高い。成長すればあの子もこうなるのだろうか。
「うちのこ!! みつかった!? ほんとう!! ですか!?」
焦った母親に両肩を掴まれてファイセルは前後に揺られた。
「み、みつかりましたから……そんな激しくゆすらないで……」
「あ!! あ!! あ!! ごめんなさい!!」
何という亜人なのかはわからないが、思ったより力のある亜人だ。
慌てる彼女をなだめて、ファイセルはシアート公園に戻った。
公園に戻るとリーリンカと亜人の子がベンチに座ったまま揃って眠っていた。
二人ともとてもリラックスしているのだろう。
思わずファイセルと亜人の母の顔はほころんだ。
「ジット!! おかーさんきた!! ジット!!」
ジットと呼ばれた亜人は母親の声を聞くと飛び起きて母親の胸に飛び込んだ。
その反動で目が覚めたリーリンカは寝起きでよだれを垂れていた。
「ん……んあ?」
ファイセルはハンカチを取り出すとリーリンカの口周りを軽く拭ってやった。
「よだれ、垂れてるよ」
「な!! なっ!! これはだな、あれがあれで……居眠りしていたわけじゃ……」
またもや事態を把握してリーリンカは赤くなってしまった。
夫婦漫才みたいな事をしていると亜人の母親が子供と共にこちらにやってきた。
「ほんとう!! かんしゃ!! なにも!! いえない!! おれい!! したい!!」
亜人はファイセルの手になにか渡してきた。
手を開くと何かの植物の根が握られていた。
「これ!! くすりのそざい!! つかってほしい!!」
ファイセルにはこれが価値のある品なのかわからなかった。
手の中のものをリーリンカに見せる。
「これは……アーデンベの根だ。かなり高度な薬物錬成に使う素材だな。ありがたく頂いておこう」
「にーちゃん。ねーちゃん。ありがと。とてもありがとう」
ジットと呼ばれた子供はアメ玉をいくつかくれた。
さんざん頭を下げてお礼を言われた後、亜人の親子と公園で別れた。
必死に親探しと子守をしていて、気がつく頃にはもう夕暮れ時だった。
「……なんかせっかくのデートなのにすっぽかしちゃってごめんね。それに丸々半日くらいデートも台無しになっちゃってさ……」
ファイセルが申し訳なさげに言うとリーリンカは笑いだした。
「ふふふ。はははは」
「リリィ?」
思わずファイセルが顔を覗き込む。
「い~や。今日は大変だったがまんざら捨てたもでもなかったぞ。子守も含めて母親の気持ちってのがわかった気がしたよ。私も……ああなるのかもしれないな」
それにニッコリとした笑みで旦那は返した。
「そうだね。そうなれると……いや、そうなっていこう」
彼は首の漆黒の婚姻チョーカーをいじっていた。恥ずかしがるときのクセである。
リーリンカもお揃いの自分のチョーカーを触ってそれに答えた。




