コホッズ熱にご用心
ある日を境に、イクセントが休むようになった。数日経った後、ナッガン教授から話があった。
「ここのところ、イクセントが休んでいるが、過ごしている気候の変化に耐えきれず、コホッズ熱を出して寝込んでいる。ミナレートはかなり高温な都市だ。お前らも出身地との気候差に心当たりのあるものはコホッズ熱には注意するように。適応するまでのこの時期はコホッズ熱にかかる学生が多くてな。なお、一班はこのあと残るように」
そうしてクラスメイトたちは解散していったが、アシェリィ達の班は残された。何の用だろうか。
ナッガンは部屋に残ったアシェリィたちに告げた。
「イクセントへの通知や課題、プリントが溜まっている。お前ら、家へ届けてやってくれないか。ああ、全員で行く必要はない。ガリッツは置いていったほうがいいだろう」
それを聞いたガリッツはバンバンとハサミを打ち付けたが、やがて静かになった。
「…………これが地図だ。良い地図だから迷うことはないだろう。ルーネス通りをしばらく行って、ミナレート郵便局の通りを右へ、そしてだな……」
教授の指はメインストリートから外れた位置を刺していた。
「ここだ。あいつの家族構成は姉と二人暮らしだ。おそらく行けば姉が応対してくれるだろう。俺が直接行きたいところなんだが忙しくてな。よろしく頼んだぞ」
アシェリィは紙袋を受け取った。中にはプリントやら何やらが入っていた。
「ノワレちゃんにフォリオくん。じゃあ、行こうか」
二人ともあまり乗り気でないといった感じである。さっさと用事を済ませて帰ってくるのが無難に思えた。
教授の指示通り、学園を出てルーネス通りを歩く。
やがて大きな郵便局が見えてきたのでそこを右に入った。
今まで大通りだったが、その角を曲がると一気に庶民じみた小さな建物が林立するエリアになった。
この建物のどれかにイクセントの家があるのだろう。
地図を頼りに歩いていくと小さくてみすぼらしい一軒家にたどり着いた。
アシェリィは実家がこんな感じなので何も思わなかったがノワレは声をあげた。
「まーーーーっ!!! ここが人の住む家ですの!? まるでニワトリ小屋ですわ~~~!!」
まるで実家が馬鹿にされたような気分になり、少女はエルフの少女を威圧的に睨みつけた。
「ひっ!! じょ、じょジョーダンですわよ!!」
ノワレは思いっきりのけぞった。彼女への対応はそこそこに、アシェリィは地図の位置を確認した。
「シャリラ・ハルシオーネとイクセント・ハルシオーネ宅……ここで間違いないよね」
ドアに付いた金具を握って木ノ戸に打ち付けた。
コンコン……
鈍い音がしたが、何の反応もない。
もう一回、金具を握ってノックしてみた。
コンコン……
「はーい」
今度は返事があった。しばらく待っているとドアが開いた。
群青色の髪、丸メガネ、凛とした顔立ちの女性がひょっこり顔を出した。
イクセントの姉だろうか。彼よりは身長が高い。
「あら、あなた達、何か御用?」
アシェリィはペコリとお辞儀をすると本題に入った。
「あ、イクセント君に用事です。プリントや課題が溜まっているので担任の先生に届けるようにって頼まれました」
イクセントの姉は少し考え込んでいたが、すぐ理解したようだった。
「あ~、リジャントブイルの同じ班の皆さんですね。こんな場所で立ち話も何ですから、上がってお茶でも飲んでくださいな。あ、申し遅れました。私、イクセントの姉のシャリラです。よろしくお願いしますね」
彼女はペコリと頭を下げた。なんだか品を感じさせる立ち振舞である。
「すいません、狭いものでお客さんを案内できるのはリビングとトイレくらいとなっています。ごめんなさいね」
リビングのテーブルの椅子に座っているとお茶とお茶菓子が出てきた。
そういえば肝心のイクセントの容態はどうなのだろうか? アシェリィは早速聞いてみることにした。
「あの……イクセント君は大丈夫なんですか? なんでも”コホッズ熱”だとか」
深刻な表情をするアシェリィにシャリラは答えた。
「ええ、お医者さんに見せたら一過性の病だそうで。安静にしていれば心配ないとのことです。あと数日も休めば学院に復帰できると思いますよ」
それを聞いてアシェリィは胸をなでおろした。
一方、ノワレとフォリオは上の空だった。
(うわ~、このお茶とお茶菓子、安物もいいとこですわね……)
(えええええええ、遠足のせいでフライトクラブへの申込みが遅れちゃった……。ととととととと、通るかな?)
それでも心配だったアシェリィはイクセントの顔を見ておこうと姉に聞いてみた。
「イクセントくんの様子が見たいんですが、大丈夫ですか?」
シャリラは残念そうに首を横に振った。
「ごめんなさいね。今、あの子、眠っているの。体調自体は問題ないから心配しないでください。ふふっ。貴女みたいなメンバー思いの班長さんなら安心してイクセントを預けることができるわね」
アシェリィはなんだか照れくさくなって頬を軽く掻いた。
今までイクセント自身が多く物を語ることはなかったが、これは彼を知るいい機会なのではと班長は姉と雑談してみることにした。
「イクセント君、砂漠で苦労してたみたいなんですが、寒い地方の出身なんですか? 今回のコホッズ熱もそれが原因だろうって」
シャリラは優しそうな眼差しでこくりとうなづいた。
「ええ、私達はライネンテ中央部の出身でね。冬の気候が多く続く土地だったんです。イクセントが学院に受かったので私が世話役としてミナレートに来たの。故郷にはお父さんお母さんもいるの」
アシェリィはライネンテ中部を通ったことはない。ファイセルが通ったとは聞いたことがあったが、厳しい道中だったらしい・。
寒い土地であるという話も聞いていた。
「そうですか……。じゃあイクセント君は砂漠に熱帯と苦労してきたんですね……」
イクセントの姉はにこやかに笑いながら答えた。
「大丈夫。結構打たれ強いところあるから。いえ、我慢強いかしら? そこが不安点でもあるのだけれど。我慢の限界まで頑張りすぎてしまう子なのよ。今回の件もそうだったのかもしれないわね。まったくお姉さんに心配かけて……」
シャリラは大きなため息をついてお茶を飲んだ。
「そういえば、イクセントは学院ではどうなの? うまくやってるのかしら?」
すかさずノワレがテーブルを叩いた。
「まーーーーったく!! とんでもない生意気なガキんちょですことよ!!」
腕を彼女の前に差し出してアシェリィはなだめた。
「ちょっ、ちょっと!! ノワレ、静かに!!」
「はっ!!」
再び蒼い狼の幻影を見てノワレは大人しく席についてガタガタ震えだした。
それをよそにアシェリィは自分から見たイクセントについて語った。
「入学して、授業を受けて、遠足して……みんな程度の差こそあれ、親しくなっては来ているんです。でもなんていうかイクセント君は人を避けがちというか、独りで居ることも多いですね……」
またもやイクセントの姉はため息をついた。図星といったところだろうか。
「そうそう。あの子ね、ちょっと馴れ合いとかの類が苦手というか嫌いでね。だから昔っから孤立しがちだったの。でもきっと君たちの班ならあの子も心を許してくれるはず。なんとなくお姉さんはそう思うな。イクセントのこと、よろしくね」
しばらくイクセントの家で過ごすと用事の住んだ一行はイクセントの快復を祈りつつ家を後にした。
様々な雑談から少年剣士の事について少しわかった気がした。
アシェリィが振り向きながら笑った。
「いいお姉さんだったね。でもあんまり似てない兄弟だったね。性格が正反対だからそう思えるのかな?」
ノワレも人差し指を振ってそれに物申した。
「まったくですわ!! お姉さんくらい愛嬌というか可愛げがあればまだマシですのに!!」
フォリオは上の空だった。
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帰る班員達の後ろ姿を窓から見る者たちがいた。
「…………帰ったか?」
「ええ……」
「姉さんはあれこれ喋り過ぎだよ」
「あらあら。いつから私が貴女のお姉さんになったのかしら」
「………………」
「冗談よ。私だって貴女の事、妹のように……いえ、妹だと思っていますもの。
「姉さん……」
「あらあら、全く、あまったれちゃんだ事」




