太陽も昇れば月も昇る
少女は心配していることがあった。少し前に一緒に旅した亜人の少女、”フレリヤ”に関してである。
希少生物保護の対象となっているということで、ぞんざいな扱いを受けているとは思わなかったがどんな生活を送っているのか心配ではあったのだ。
普段の生活にも慣れて、余裕が出来たアシェリィはボルカ教授のもとを訪ねた。
ボルカ教授の教授室に入ると雑然と様々なものがとっちらかっていた。
「ああ、君か。―――確かアシェリィだったかな? 悪いね。今丁度、片付け中で。で、なんの用事かな?」
そう問われた少女はフレリヤに会ってみたいと体を捻ってこちらを見ている教授に伝えてみた。
すると彼女はこちらを向き、指さして喋りだした。
「おお、そうだそうだ。ロンテールの娘なら今、北国のフィールドで過ごしてるよ。だけどね、ロンテールはある程度、社会性のある種族だ。ずっと雪山で暮らしていればいいかと言えばそんなことはない。時折、外食や買い物などの外出に連れ出してやる必要がある。君は彼女と親しいみたいだし、頼まれてはくれないだろうか。護衛はつけるから」
もっと厳重に保護されていると思い込んでいたのでアシェリィは拍子抜けした。
「なんだいその抜けた顔は。私は愛護派のカタブツがキライでね。その種族のしたいことを優先させるのがいいと思ってるのさ。さ、メイヤー護衛を頼んだよ」
いつの間にかアシェリィの後ろに女性が立っていた。全く気配を感じることが出来なかった。
この護衛はかなり腕が立つ。そう思えた。
ボルカが空中にチョークで文様を書くとそこがワープホールになった。
中からフレリヤが飛び出してきた。
「アシェリィ!! 元気だったか~!?」
彼女はガバッっとアシェリィに抱きついた。
亜人の少女の豊満な胸が顔に押し付けられて息が出来なくなった。
苦しいのと恥ずかしいのでアシェリィの顔は真っ赤になった。
「ちょ……ギブ!! ギブ!!」
腕を叩くとフレリヤが気づいたのかハグをやめた。
「あ……ごめんちょ」
大柄な少女はネコ耳を掻きながらベロをペロっと出した。
フレリヤは外に出るときは帽子をかぶり、尻尾をガーターに挟んでスボンの下に隠している。
「あんまり遅くならないうちに帰るんだぞ~」
ボルカ教授の見送りを受けてアシェリィ、フレリヤ、そしてメーヤーは町へと繰り出した。
「ね~ね~、フレリヤは今、どんな生活をしてるの?」
疑問に思ったことを聞いてみる。
「う~ん。雪山で駆け回ってるかな。食事は毎食十分もらってるよ。こっちとしては満足してる。ただ、時々退屈になることがあって、メーヤーと一緒に外に出ることがあるくらいかな。メーヤーのヤツ、すげぇ無口なんだよ。一言もしゃべんないんだぜ?」
フレリアは背中越しに後からついてくる女性を親指で指した。
「アシェリィはどうだ? 学院生活は面白いのか?」
早速彼女はこの間まで続いていた遠足の話をした。
フレリアはとても興味深そうにその話を聞いていた。
「い~な~。学生生活のほうが面白そうじゃないかよ~。あたしもボルカに言って転入してもらっちゃうか?」
冗談交じりで笑い合いながら二人はルーネス通りをぶらぶらと歩いていた。
だが、突如、亜人の少女がピタリと足をとめた。そして路地を脇に入っていった。
そこには拳術の道場があった。”陽日流”と看板がかかっている。
何か惹かれるものがあるのか、フレリヤはこの道場に釘付けになった。
中では門下生たちが熱心に稽古に励んでいる。
だが、フレリヤの視線を感じたからなのか、道場主は声を上げた。
「そこまで。今日は早いがここまでにします。各自、今日の内容を復習しておくように」
次々と道場から門下生が出てくる。年齢は幼い者から青年まで様々であった。女子もそこそこ居た。
人気が無くなるとフレリヤはそっと道場を覗いた。
白髪の中年男性が正座したまま微動だにせずにいた。
「あんた……もしかして……」
「ふむ。そういう君こそ……」
二人の間になんとも言えない微妙な空気が漂った。
「でも、あんたからは殺意を感じない。いや、無殺意の殺意だからか? わからない……」
男性は瞳を閉じて大きく深呼吸した。
「皮肉なものだな。流派は変わっても惹かれ合うということか。そう。私は元・月日輪廻の使い手。上から数えて二番目の弟子だ。殺しの道に辟易して今はこうして人を活かす拳、活人拳を極めている」
フレリアはソロリソロリと近寄って道場の中で男と見合った。
「げつじつナントカってのはわからない。あたし、以前の記憶が無いんだ。あんた、名前は? あたしはフレリヤ」
少女は男性に向けて手を差し出した。互いに敵意がないのを示すために握手を試みたのだ。
白髪の男性はその手を握り返した。
「今はマツバエという名で名乗っている。昔の名は捨てた。そうか、記憶がないなら無理に思い出さないほうが良いだろう。きっと辛い思いをすることになる。それよりも、だ。君はこのままだと確実に殺される。気づいているんだろう? “闇”が近づきつつあることを」
フレリヤは深刻な表情をした。ここ数日、気持ちがざわついて悪夢にうなされていたからだ。
そう、以前、月日輪廻の弟子が襲撃をかけてきたときのように。
「わたしもそうなのだよ。確実に近くに迫っていると察している。同時に君がここを訪ねて来るのもわかった。だから決めたのだよ。君に私が編み出した活人拳、陽日流の伝授を。人を殺す暗殺拳ではない流派をな。相手は上手だ。単なる月日輪廻ではもはや迫り来る弟子に勝てない。流派を織り交ぜて戦わねばな………」
マツバエは握手していた手を離した。
「うむ。この所作はやはり月日輪廻のそれだな。すこし型を見せてくれないか?」
そう頼まれたのでフレリヤは基本の組手を一人で行う演武を見せた。
アシェリィは旅の途中でよくやっていたので一応、見慣れた型ではあった。
「ふむ。受け継いだのは演武と昼夜逆転……か。少し私の演武を見てみると良い」
そう言うと彼は陽日流の型を見せ始めた。
よく見ると月日輪廻のそれとよく似ている。
マツバエは語りながら演武を続けた。
「そう。陽日流は月日輪廻をベースに編み出された拳術なのだ。特に月日輪廻に対して有効で、意図的にスキを突くようなタイミングで構えが織り込んである。君は演武を習得しているからこの流派の演武の習得もそう時間がかからず出来るだろう。どうだい? 稽古に来てみないか。なに、君の素性はわかっている。だから一対一で稽古をつけようと思う。これ以上、毒牙にかかる者を減らすためにも、な」
彼はウソは言っていないし、実際、フレリヤも彼と同じことを考えていた。
迫りくる者を退けるためには今のままでは歯が立たない。
フレリヤは真剣な表情でコクリと頷いた。
アシェリィには話の流れがよくわからなかった。詳しい事情を知らないのだから無理はないのだが。
暗殺拳の話など、誰のことを離しているのだろうか。おぼろげにフレリヤの肩書を思い出してみたりする。
それでもやはりよくわからなかった。今はフレリヤがやる気になっているということだけがわかった。
その日から彼女の陽日流の道場通いがはじまった。
アシェリィは授業があることも多いのでフレリヤとメーヤーで道場に行くことが多かった。
ある時、ボルカが声をかけた。
「フレリヤ、最近、よく外出するようになったね。なんだ~? どこか美味しい料理店でも見つけたか~? それともボーイフレンドか~? あ~、いや、そりゃないか。あははは」
人が命をかけて修行しているというのに呑気なものである。
もっとも本当のことが知れたらボルカは驚いて心臓が止まりそうなのでこのくらいのノリのほうがやりやすくはあったのだが。
一週間も稽古を続けるとマツバエと張り合うくらいにはフレリヤの腕はめきめき上達していた。
「くっ、このパワー、敏捷性、センス、記憶力、全てが驚嘆に値する!! さすが玄爺の秘蔵っ子!!!」
その日の稽古の終わりに中年の白髪男性は修行の終わりを告げた。
「もっと時間がかかるかと思っていたのだが、もう私が君に教えることはない。完敗だ。既に私よりも強くなっている。間違いない。はは、腕がなまっている気はしなかったのだがな」
彼は深いしわを作って満面の笑みを浮かべた。
「実のところ、この陽日流を学んだ者が闇の連鎖を断ってくれることを願っていたんだが、皮肉にも闇は闇の者が討つことになりそうだ。頼りない師範ですまない」
そう言うとマツバエは頭を道場につけて土下座した。
「やめてくれよ。あんたが謝る理由なんてどこにもないよ。むしろ礼を言うのはこちらのほうだ。陽日流の演武、確かに受け取ったよ」
フレリヤもそれに返すように深くお辞儀をした。
次の日の朝、ボルカが大カナブン足のコーヒーを飲みながら新聞をめくっていた。
たまたまフレリヤも同室でくつろいでいたが、教授のぼやきがきこえた。
「うげ~、治安の良いミナレートで殺人事件なんて珍しいね。どうやら暗殺者が絡んでるらしいって。被害者は陽日流のマツバエ師範……だってさ。おい、フレリヤ。フレリヤ?」
酷くショッキングな出来事だったが、不思議とフレリヤの心は静まっていた。
もちろん、殺った相手には殺意が湧いている。
だが、そこで殺意を抱けばすぐさま月日輪廻の斬れ味は損なわれてしまうということを本能で感じていたのだ。
フレリヤは大きく深呼吸すると気分を変えてボルカに声をかけた。
「なぁ、今朝のご飯はなんだろな?」




