ミステリーな遠足の正体は
少女は艶のある緑色の長い髪を風になびかせて、龍の引くゴンドラから美しい真っ青な大空を眺めていた。
目下には空の色とはまた違う美しい大海がきらめいて見えた。
冒険しているワクワク感が溢れ湧いてきて小さな冒険者は胸を躍らせた。
上を見ると風を斬るようにして飛翔する鋭い体躯を持つドラゴン、エッジバーンの腹部が見える。
アシェリィは龍族を見るのがこれが初めてで、初めて見た時はとても驚いた。今でも上を見上げるとドキドキする程である。
龍族は下級のものであっても、滅多にお目にかかれるものではない。
学院内では見かける事があるが、学生個人が使役したり、召喚しているのは非常に珍しいほどだ。
それだけドラゴンの扱いは難易度が高いというわけである。
ここは学院所有のドラゴンが運ぶ飛行船、”ドラゴン・バッケージ”の甲板の上だ。便には担任のナッガンをはじめとして、教授補佐や医療スタッフ、セミメンター、そしてメインクラスのメンバー達が乗っていた。
ゴンドラは三階建てとそこまで広くはないものの、50人程度が数日間滞在するには十分な広さや施設があった。
まだアシェリィは乗ったことがないが、客船として運用する場合はこの三倍近い乗客を乗せることが出来るらしい。
彼女は行先について思いを馳せたが、実のところ、この便がどこへと向かっているのかは担任とセミメンターしか知らなかった。
一昨日の出来事を振り返る。何か急ぎの用事があるということで、ナッガンにメインクラスの全員が呼び出されていたのである。
「諸君。私のクラスはいつもこの時期に”遠足”をしている。急な話になるが、三日後に出かける予定だ。学院のドラゴン・バッゲージを使った”本格的”な旅行になる。行き先は行ってみてのお楽しみだ。さしずめミステリーツアーといったところだな。準備に関してだが、学院では戦闘の有無の関係無しに学外に出る時は万全の用意をするのが基本だ。各自、抜かるなよ。以上だ」
アシェリィは担任の言葉を回想した。今は学院を経って3日目の朝となる。ミステリーと言うだけあって内容も日程も謎だった。
個人差はあるが、寝食を共にすることによってクラスメイト達は互いに少しずつだが親しくなり始めていた。
飽きずに景色を眺めている少女に誰かが声をかけてきた。この声は……ラーシェに違いない。
振り向くと予想通りラーシェとその傍らにガリッツが立っていた。ここ数日、彼となんとかして意思疎通出来ないかと二人で話し合っていたのだが、どうも難しそうだ。
こんな亜人は見たことがないし、かといってモンスターかと言えばそうでもない。
高度なチャットピクシーとしての能力もあるリーネを間に挟んでみても、ノイズが酷すぎて言語化が不可能だったからだ。
その割には人の言うことを理解しているフシはあるし、何とかラーシェの補助付きで学院生活を送れている。
ただし、こちらから話しかけても伝わっているんだかどうだが怪しいところもあり、チームの一員としてやっていけるかは甚だ疑問が残った。
それにしてもなんだか暑くなってきた気がする。上空を駆けているはずなのだが、どんどん周囲の気温が上がり、なんだか日差しも強くなってきた気がする。
環境の変化に気づいた生徒たちが次々とデッキへ上がってきた。
高速で飛ぶ飛行船はすぐに海から陸地へと移った。そこは一面砂だらけの砂漠地帯だった。
小さな島が無数にポツポツと続いているのが見えた。
「そう経たないうちに降りるぞ。荷物をまとめておけ」
ナッガンがそう伝えたのでクラスメイトたちは慌ただしく船を降りる準備をした。
一時間もしないうちに飛行船は何もない諸島群の島の一つに着陸した。人と積み荷を下ろすとドラゴン便はすぐに翔び立って見えなくなってしまった。
空から見る限りでは周囲に建造物の類は一切なかった。生徒たちは今まで楽しげにしていたが、すぐに困惑へと変わった。
“イヤな予感”を本能的に感じる者も少なく無かった。
班ごとに整列するとナッガンが前に出た。背後にはスタッフたちが控えている。
「ふむ。待ち合わせまでは少し時間があるな。ではお楽しみの”遠足”について話そうか―――」
担任が口を開いた瞬間だった。背後の砂が激しく巻き上がったのだ。何かが襲撃をかけてきたのかもしれない。
生徒たちはすぐさま臨戦体勢に移行したが、ナッガンは一声かけてそれを止めた。砂煙が落ち着くと彼の様子が明らかになった。
「みゅ~みゅ~」
「みにょ~ん」
「にゃもにゃも~~~~」
「きゅ~きゅ~きゅ~」
可愛らしい鳴き声がする。野生動物だろうか。姿を確認するとジパ産のお菓子、”マンジュー”の形に似た体型をしていた。
手足は短いが二足歩行でテケテケと歩いている。大きな猫耳、つぶらな瞳、ヒゲと顔はネコによく似ている。
毛色や柄に個性があって長い毛から短い毛、白、黒、ミケまでバリエーションに富んでいた。
非常に愛くるしい見た目で女生徒だけでなく、男子生徒も思わず和んだ。
彼らはナッガンにひっついたり、体をよじ登ったりしていた。大きくても50cmほどなので登られても痛くも痒くもなさそうだった。
担任教授はそれを撫でながら話を続けた。
「この連中に関してはひとまず置いておくとして……話を本題に戻すぞ」
教師はそう仕切り直したが、皆、モジモジ動く生物が気になってしょうがなかった。
「ここは北方砂漠諸島群、通称『ジュエル・デザート』のうちの一つの島だ。一般常識ではあるが、念のために確認しておくぞ。ジュエル・デザートは北方に位置する国家で、砂漠が9割を占める。だが、名の通り宝石類や貴金属・鉱石類の産出量は世界中でも突出して高い。非常に裕福な国だ」
砂漠の生物たちはナッガンの腕にぶら下がってゆらゆらと遊びだした。
「永世中立国なので同盟関係こそないが、我が国、ライネンテとの関係は良好だ。学院と切っても切り離せぬ縁があってな。ここの宝石類は非常に高い質のマナを蓄えている。呪文の触媒として使用したり、乗り物の動力、マジックアイテムと利用用途は多岐にわたる。施設で高度なシステムが構築できるのはこの国無くしては不可能なのだ」
連中は今度は肩車して遊び始めた。ナッガンは顔色一つ変えないで続けた。強面とのギャップが激しい。
「もしかしたら宝石採取が今回の目的だと思っているならそれは違う。質の良い宝石を収穫するためにはしっかり面倒を見て”育てねば”ならんのだ。宝石の質を劣化させてしまう砂瘴という成分を除去する必要がある。だがこれを人力でやろうとすると非常にコストがかかる。おまけに、宝石が盗まれないように見張る必要もある。そこで……」
説明していた教授は首から下げたホイッスルを吹いた。音が全く鳴らなかったが、反応があった。
「フォオオオオオオオーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!!」
ビリビリと地を揺るがすような何者かの鳴き声と同時に向こうの方で巨大な砂柱が噴出しているのが見えた。
ふたたび一同に静寂が戻ると話は続いた。
「砂瘴を取り除くと同時に、ガーディアンの役割も果た学院特製の魔導生物を放し飼いにしてある。コードネーム:ドリーミィー・ホウェール。通称”熱砂クジラ”だ。お前らにはこいつを狩ってもらう。安心しろ。死に”は”しない。死に”は”な……。命は奪わないようになっている。ただし、当たり前のように大怪我はする」
その一言にクラスメイト達はざわめいた。そんなことを聞かされて不安にならないわけがなかった。
「まぁ話を聞け。医療スタッフはベストを尽くした。傷跡も残らん。それに、この”遠足”は実績のあるものだ。これをこなしていった連中に落伍者は居なかった。シビアな設定ではあるがお前らの実力の範囲内ではある。俺の経験則から言えば大怪我出来る時にしておく方が逆に生存率が上がると断言できる。死にたくなかったら死ぬ思いをしろと言うことだ。俺は死人を出すのは反吐が出るほど嫌いだからな」
明らかに彼の顔に曇りが見えた。彼は以前、犯罪者を狩る部署で教官をしていたと聞いた。きっと今まで何度も教え子の死に遭遇してきたのだろう。
「なお、熱砂クジラを狩るまでは学院には帰らんぞ。授業の出欠の手続きは済んでいる。島から脱出できる者もいるかもしれんが、一歩でもこの島から外に出れば身の安全が保証できん。無理に逃走を試みるのはやめておけ。クラスの実力で前後するが、長くても一ヶ月半程度で終わる。厳しい環境から早く開放されて帰りたいならなおのこと必死でやるんだな」
彼がスパルタだとはそここで聞いていたが、まさか開始直後から遠慮なしとは流石に誰も予想できず、新入生は途方に暮れた。
他にも2つほどキツいクラスがあるようだった。それでも退学者がほとんど出ないということはなんとかなってしまうということである。
「エルダークラスの戦闘力の高い班ならば五人程度でも熱砂クジラの撃破は可能だ。だが、お前らの場合は全25名中、補助役含めても20人前後で一斉に当たらないと倒せないだろう。自己修復器官もあるから小手先の作戦や持久戦は一切通用せん。嫌でもチームワークが要求される事になる。この点もよく覚えておけ。後の詳しい解説はセミメンターに預ける。俺も責任を持って見届ける。健闘を祈るぞ」
無骨で大柄な男性は力強く、深くゆっくりと頷いた。それを知ってか知らずか謎の生物は相変わらずまとわりついていた。
解散の号令と同時にセミメンターが各々の班員を集めて話し始めた。自分の班のラーシェが捕捉の説明に入った。
「ちなみに、この遠足にはギャラリーがいるんだ。ジュエル・デザートの貴族達の娯楽って側面もあってね。見世物みたいだけど、ここの地主さんの協力で成り立ってるからね。大目に見て欲しいな。ほら、向こうから船が来るでしょ」
海上を徐々に近づいてくる船体が見えてきた。
「地主さんも挨拶してくれるっていうし、それが終わったら細かいルール説明をするね。私達セミメンターは詳細な情報は受け取ってるけど、助言以外の戦闘補助は一切禁止されてるから、戦力としては期待しちゃダメだよ。ゴメンね」
そう言いながら結った髪を揺らして彼女はお茶女にウインクした。嫌味に聞こえないような言葉選びだ。
全員たまらないとばかりに着込んでいた上着を脱ぎだした。
アシェリィは群青色の上着を脱ぎ捨て、ブラウスの袖をまくって半袖にした。似たような服装だったフォリオやイクセントも同様だった。
スカートの女子はまだいいが、ズボンの脱げない男子生徒は厳しいものがある。
リーダーは周りのメンバーの様子をこっそり観察してみた。
フォリオはなんだか青い顔をして震えていた。ブラウスの袖をまくるとギュッと相棒のホウキを握りしめていた。
ガリッツは話を聞いているんだかいないんだかでよそ見していた。そもそも彼は服を着ていない。
見た目は水棲生物のようだが、意外と高温乾燥でも機能を維持できるらしい。
この二人はともかくとして後の二人はかなりしんどそうである。
イクセントは早くも両手を膝について呼吸が荒く、息が上がっていた。
ノワレも普段着ている美しい装飾のエルフ装束を脱ぎ捨てて、下着に近い服装になって恥じらいを浮かべている。
自分も確かに辛い事は辛いのだが、多少は余裕がある。見るからにこの二人は暑い気候に弱いのだ。
エルフは植物由来の身体の構造故に多湿な環境で暮らしているのでこれは致し方なかった。
イクセントはまだどこの出身か聞いたことが無かったが、おそらく寒い地方の生まれなのだろうと思えた。
周りを見ると似たようにダウンしている者も居れば全く堪えていない者も居た。
ただ魔導生物を倒せばいいといえばシンプルだが、実際には他にも苦労は絶え無さそうである。
だが、冒険とはこうでなくてはならない。不安に揺すられながらもアシェリィは汗を拭った。自然と彼女の口角はかすかに上を向いていた。