オツな愉(たの)しみ方ってヤツよ
エルフの射手が放った矢の先端に黄緑色の青々とした栗が実った。
そして、その実はいくつものトゲをターゲットめがけて怒涛の勢いで発射した。
遠くからもアルルケンを襲う無数のライトグリーンのトゲの群れが見て取れた。トゲの大きさは彼女の矢より少し丈が長い程度だった。
シャルノワーレの位置から見ても、イクセントの位置から見ても間違いなくこの攻撃は当たると思えた。
少年は用心深く宙をうかがい、少女は勝利を確信して笑みを浮かべた。
狙われた大きな蒼い狼は金属の隆起をかわした時にすっかり体のバランスを失っていた。
この姿勢から、ましてやこれだけ多くのトゲを前にしても彼はペースを乱されること無くいちはやく考えを巡らせた。
(俺の頭を0時とすると、トゲの飛んでくる方向は3時、5時、6時ってとこか。チッ。うまいぐあいに破裂時間をずらして避けられる空間をつぶしてきていやがる。これじゃ”避ける”のは無理だな……)
アルルケンはハニカム・マローネの実がはじけると同時に反射的に尻尾を猛スピードで回転させ始めた。
人間は魔力を介在させない場合は頭で考えてから実際に動作に移すまでに少なからずラグが生じる。
しかし、幻魔にはそれがない。思い立った事がすぐにその所作に反映できるのだ。
「まだ、俺の回転は死んでねぇ!!」
狼の幻魔は呪文を避けた時の体を傾けた反動を生かしつつ、そのまま尻尾で無理やり勢いをつけ、空中でスピンし始めた。
通常なら回転するまでにある程度の時間が必要なところだが、彼の尻尾はまるで送風機のファンのように高速回転し、本体を引っ張って勢い付けた。
その結果。見る見るうちに加速し、あっという間に空中でモップの先端が高速回転しているようなフォルムになった。
「避けれねぇなら、弾くッ!!」
ギュルギュルという風切り音を立てる毛の塊に無数のトゲが襲撃をかけた。
だが、アルルケンのあまりの回転速度にそれらは次々と弾かれていった。
チュンッ!! チュンッ!! チュンッ!!
弾かれたトゲが跳弾して地上に降り注いだ。目標を失った鋭い突起物は予測不可能な方向にバラけて散った。
「くっ!!」
「ええっ!? そんなのありましてっ!? ありえないわ!!」
イクセントは十八番のステップで次々と迫り来る飛来物を器用にかわしきった。
一方のシャルノワーレは勝利を確信していたために反応が遅れた。数発、流れ弾を受けつつ塀の陰に転がり込んだ。
二人とも物陰からアルルケンの出方を観察していたが、一通りトゲを弾き終わったあともまだ宙で回転していて、降りてくる気配がない。
重力で下に落ちてくるはずだが、まったく影響を受けていないかのようだ。
相手は”おそらく幻魔のようなものだ”という二人の認識は揺るぎないものとなった。
グルグル体を猛回転させている本人は余裕しゃくしゃくだった。
「せっかく空中にいるわけだし、さっきの爆発の熱のお返しといくか。ほらよっ!!」
螺旋を描く毛玉から何かが発射された。間もなくして地上の二人の周りに変化が現れた。
ポツ……ポツ……ポツポツ…………
水滴が落ちてきたのである。まるで雨のようだなと二人は不思議に思ったがすぐに身構えて戦闘体勢に移行した。
「あつッ!! これは……また熱湯かッ!!」
「ぐぅっ!! こっ癪なマネをしてくれますわね!!」
アルルケンはまるで体の水滴を絞るかのように体の水滴とさきほどの熱を混ぜて熱湯の雨を一帯に降らせた。
この雨に直に晒されれば短時間であっても重度の火傷を負いかねない。
たまらないとばかりに地上の二人は慌てて今いた位置を離れて隠れる場所を探し始めた。
(おいおい。これでも加減してやってんだぜ。このくらいの廃墟なら屋根を貫通するくらいの熱量を持たせることも出来るが、今のこいつらにゃ酷だからな。”全力を振り絞らせる”にゃやりすぎってこった。さぁ、ぼちぼちいいところだろ。さぁ、どう出てくるか)
まだ熱湯の土砂降りは止むこと無く降り注いでいる。
何とか廃墟の下に避難したイクセントだったが、体内のマナの枯渇に意識が遠のきかけていて、膝に両手をついていた。
(ハァッ、ハァッ、くっ、コインでマナの消費を抑えたつもりだったが、想像以上に消耗が激しい。マナの温存が課題だったのにこのザマだ……。まだ持つが、このままではいずれ気絶してしまう……)
少年は片目をつむり、歯を食いしばりながら宙で熱湯を撒き散らす間欠泉のような獣を軒下から睨みあげた。
(あいつ……わざと手加減しているな……? その気になれば僕やあの女を倒すのなんて赤子の手を捻るも同然なはずだ……。 戦いを……愉しんでいるのか? だけど、あいつが半殺しにするといった時の目は本気だった……。まるで体が凍りつくような。 今のところ手加減はしてくれているものの、半殺しというのはどうも冗談ではないらしい……)
再び彼は膝に手をついて荒ぶった呼吸を落ち着けようとした。しかし、やはり消耗は拭えず、幾度か気が遠くなっていた。
少年は震える右手を背中側の腰に身につけた隠しポーチに伸ばした。そして何かをしっかりと握るとそれを取り出した。
軽く握った掌を開くとそこには小指の爪ほどの大きさの美しく輝く赤色の宝石があった。
(ラグジャリー・マナ・サプライ・ジェム……とても貴重でここぞという時にしか使わないと決めていたが……むざむざ半殺しにされるわけには……いかないからなッ!!)
イクセントはその宝石を指の間に挟むと瞳を閉じてコンセントレートした。
するとすぐさま彼の体に形容し難い力の漲りがあった。同時に指の間の宝石は煌めきを失って石ころのようになった。
指の力を緩めると挟まっていた石ころはポトリと地に落ちた。そのままぐっと腕に力を入れると確かな手応えがあった。
意識もしっかりと戻って来ており、戦闘に耐えうる精神状態にまで回復した。
(マナの充填、完了。ここでサプライ・ジェムは使いたくなかったが、使ってしまったのものはしょうがない。何とかしてあの化物を退けねば……。エルフのほうはどうなったんだ……?)
マナが体に満ちて全快した少年は空を見ながら建物の陰から手を伸ばした。
相変わらず、焼けるような雨が降り注いでいたのですぐに手を引っ込めた。
空中で回転し続けるアルルケンはその微妙なパワーバランスの変化をしっかり感じ取っていた。
「お、いいぞ。小僧の方は持ち直したな。にしてもあのクラスのジェムを使ってくるとは、見た目によらず随分とまたボンボンだな。さて、エルフのガギんちょの方はどうだ?」
アルルケンはグルグルと回りながら周囲を見回したが、シャルノワーレの姿は見えなかった。
彼女は暗い廃墟の中に居た。建物の屋根を激しく打つ雨音が酷く不愉快に聞こえた。
「ぐっ……こんな……こんなことって…………」
少女はトゲの跳弾を腹部や肩など体の数カ所に負っていたが、運良く脚は無傷で済んでいた。
傷は貫通していて人間ならば致命傷になってもおかしくない当たりどころだが、エルフの彼女にとってはそれほどでもなかった。
ただ、これ以上、浅葱色の体液が流出すると生命の維持に関わる。
座って壁にもたれかかり、じっとしながら傷口を塞ぐよう試みていた。
自分で放った攻撃をそのまま打ち返された事に彼女は酷く腹を立てていた。
「まったく……何ですのこれは!? ありえない、ありえないですわ!!」
傷口を無視して拳で数回、床を殴りつけた。怒りはまだおさまらない。
「わたくしがっ!! この世にわたくしを超える者なんて存在して良いはずがありませんわ!! ありえない、ありえませんわこんな事っ!! ええいっ!!」
そのまま彼女はうつむいたままになってしまった。
その様子をモニター室は見逃さなかった。
「シャルノワーレ、意識レベル下がっています。負傷の度合いもかなり深いです。まだ戦える状態ではありますが、そろそろ回収する……え?」
再び動き出したエルフの少女に教授補佐やその場の一同が釘付けになった。
「はぁ……はぁ……うっ……これは……これだけは……うっ…………」
シャルノワーレは美しい獣の革で作られた腰の小袋から人間の目玉ほどの大きさの実を取り出した。
力なくだらりと垂れた手の上に乗ったそれはただならぬオーラを放っていた。
少女は片腕で恐れるように頭を抱えてうずくまった。ガタガタと体を震わせて何かに恐れおののいているようだった。
「あいつが悪いんだわ……。全部。私より上なんて……居るわけないのに。あいつが悪いんだわ。悪いのは私じゃない。私じゃない……。私は……私は悪くない!!!! あいつがっ!!!!! あいつがいけないんだわっ!!!!」
しばらく震えていたが、やがて彼女は吹っ切れた様子で目をかっと見開いた。
いつのまにか溢れ出る涙を無視して、勢い良く手の上の実を一気に飲み込んだ。
体内に実を取り込んで少しすると、すぐに変わった反応を見せた。
「うあああ……体が……熱い……ぐああああ……があああ…………ぐあああああああああ!!!!!」
体の底からひねり出すように彼女は唸り声を上げた。初めは少女の唸り声だったが、そう経たないうちに化物のそれへと変わっていった。
「グオオオ……ガアアア……グルルルルル……グギャオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!」
廃墟をつんざくような咆哮が響き渡った。これはただごとではないとアルルケンとイクセントは叫び声の方へと目をやった。
「っとお!! ……こいつぁ面白くなってきやがったぜ!!」
大狼は宙返りするようにして体の向きをターンさせて、回転したまま声の主の方へ向き直った。
「この咆哮……龍族かッ!?」
少年は目を細めながら廃墟の彼方をじっと見つめて警戒の姿勢をとった。




