傲りのノーブル・ハイ・エルフ
激しく上昇する気弾の群れはエルフの少女の居た見張り台をこっぱみじんにしながら空高く舞った。
破壊された欠片は四散し、アシェリィの周りにも小さな塊がパラパラと降り注いだ。
彼女は頭を抱えて防御姿勢をとりつつ、視線を上空に移した。
イクセントからは見えなかったかもしれないが、塔が崩れ落ちる直前、シャルノワーレは間一髪で建物から飛び出したのである。
柱しかない構造が幸いして、飛び込めば四方に逃げ道はあった。そのまま屋根に退避するのではとは思えたが、彼女は思わぬ策に出た。
アシェリィは見ていた。彼女は飛び出すと同時に背中から羽のように平たい一枚葉を生やし、攻撃の気弾に乗じて急上昇したのだ。
その一枚葉がくるくると回ってゆっくり下降しながら絶妙に位置調整している。滞空している状態だ。
おそらく、あの帆のような葉は種を覚醒させるシード・アウェイカーの能力だろう。
そしてうまい具合にイクセントの頭の真上の死角に潜り込んだ。
今、ちょうどイクセントは剣を鞘におさめた。早い段階で舞い上がったからか、彼はまだ相手の位置に気づいていないように思えた。
アシェリィが緊張してつばを飲み込んだ直後、二人が同時に動いた。
シャルノワーレは不安定なはずの宙吊りな状態から大きな弓を構えて直下のイクセントめがけて矢を構えた。
一方の少年もいつでも抜刀出来るように、鞘に入ったままの剣の柄に手をかけた。
まだどこから攻撃されるかわかっていないはずだが、今までの彼の立ち回りを見ていれば見えていなくとも確実に次の矢は避けるに違いない。
いよいよ正面衝突が起こる。アシェリィは息を殺しながら漁夫の利を得るタイミングを図りはじめた。
「もらいましたわッッッ!!!!! 影喰ッッッ(かげぐらい)!!」
目にも留まらぬ速さで矢は発射された。頭上から脳天を射るのかと思えば、矢はイクセントの背後の地面に突き立った。
「上かッ!! チッ、陽の光が……ッ!!! な、何ッ!? か、体が、うご!!!!!!」
明るい陽光が少年剣士に一瞬の隙を作った。
弓が地面に刺さるのを見た射手は滞空の役目を果たしていた葉を切り離してイクセントの目の前に飛び降りた。
そして素早く彼の横をすり抜けて後ろへ回り込んだ。
「てえええっ!!!」
彼女とすれ違うように少年は剣を振り抜いた。あとコンマ数秒、すれ違うのが遅ければ刃はエルフの少女を斬り裂いていただろう。
「チッ。動作妨害系の技か……。とどめを刺す気になればさせたものを。あとで後悔してもしらんぞ」
シャルノワーレは右手を握ったままひきつった笑顔を浮かべて答えた。
「か、勘違いしないでくださる? 影喰は着地狩りへの対策にすぎませんわ。もし、あの一瞬で私が攻撃を仕掛けていたら相打ちですわ。そんな美しくない結末は望みませんの。それより貴男、胸がお留守でなくって?」
少年はその言葉に怪訝な表情を浮かべたがすぐに自分の胸に手をやった。パタ、パタパタと慌てた様子で胸元を叩いた。
「あ~ら、貴男が探しているの、これでなくって?」
してやったりと言った感じでトンガリ耳の少女は右手を開いた。そこにはキラキラ銀色に光るペンタントが握られていた。
「あ~らあら、わたくし、手癖が悪くってつい……。これは……ウエスト・ノットラント稀銀ですわね? 空からでもチェーンがキラキラ光っていてよ? どうして貴男のような下民がこんな高等なアクセサリーを持っているのかしら? おおかた”盗み”でもしたんでしょう? なんとまぁ卑しい……」
少女は意地悪げに軽く投げてキャッチする動作を繰り返してペンダントを弄んだ。
「……や、やめてくれ。そ、それは大事なものなんだ。か、返してくれないか……」
アシェリィはこのやり取りを廃墟の屋上から眺めていた。ある程度離れてはいたが、状況や会話は捉えることが出来た。
今まで見る限り無感情でぶっきらぼうだったイクセントの声が震えている。よっぽど大事なものなのだろう。
その様子を見て、シャルノワーレが調子に乗っているのが遠くからでもわかった。いじめっこをいじめる人間の顔だ。
「あ~ら? 聞こえませんでしたわ。人にものを頼む態度というものがありましてよ?」
少しだけ間を置いて、イクセントは弱々しく声を振り絞った。
「……お、お願いします。それは大切なものなのです。返して下さい。どうかお願いします……」
剣から手を離し、深く頭を垂れて誠意を込めた懇願をした。
「フン!! まだね。頭が高いわ。わたくしを誰と心得て? ノーブル・ハイよ? そこらの雑種エルフとは違ってよ? 木の根っこで出来たデクの坊とは比べ物にならないの。私はカホの大樹の実から生まれたノーブル・エルフなのですわ!! さらにその中で最も陽当たりの良い場所で生まれたハイ・エルフ。つまりわたくしはノーブル・ハイ・エルフなのですわよ!!」
彼女は高らかにそう宣言して誇らしげに胸を張った。そこから一点して蔑みの表情でイクセントを見下した。
「本来なら貴男みたいな下賤な生物は私と言葉を交わすことすらあたわないの。 わかって!? さぁ、もっと頭を垂れなさい!!!! 地べたを舐めるように!!」
この言葉にカチンときたのか、少年は歯を食いしばりながら反抗的な態度を露わにした。
「あらあら? 大事な大事なペンダントがどうなってもいいのかしら? 別に私にとってはこの程度の稀銀は何のことはなくってよ。わたくし、この戦いでまるで自分がコケにされているようでとても苛立ってますの。ペンダントをいつ握りつぶしてもよくってよ?」
ウェスト・ノットラント稀銀は圧力に弱い。人の握力でぐしゃぐしゃになってしまうほどだ。
よって採掘する際は細心の注意を払う必要がある。その為、状態のいいものは非常に高価で取引されている。
エルフの貴族はギュッとペンダントを握り始めた。彼女はその脆さを知っているようだ。もちろん持ち主もそれは重々承知していた。
「…………わかった……いや、わかりました。頭を下げますから、どうかそのペンダントを返してはいただけないでしょうか…………」
イクセントは額を地面に擦り付け、土下座しながら再度、シャルノワーレに必死の懇願をした。
それを見下す少女の姿はとてもでは無いが、高貴とは言えないものだった。万人が首を左右に振る光景だろう。
「あらあら~~~。わたくしは頼めばペンダントを返すなんて一言も言ってませんわよォォ~~~~ッッ!! 貴男、なにか勘違いなさってますわね? オーーーーッホッホッホッホッッッ!!!!」
少年は地面につけていた顔を上げて、高笑いするエルフの少女を睨みつけた。
「ふ~ん。素敵な意匠のアクセサリーですこと!! でも、この中の”液体”はみたところ"ただの水"ですわね? こんなの捨てて、代わりに名匠に頼ませて美しいマナ・クリスタルと差し替えましょう!! それと……なにかしらこのくくりつけてある”木クズ”は。こんなガラクタを一緒くたにしておくなんて、貴男って最悪のセンスでしてね!!!」
全く相手を顧みない態度で彼女はペンダントを眺めていた。
「ひどい…………」
アシェリィは思わず握り拳に力が入っていた。こういった類の邪悪は許せない質だった。なんとかしてペンダントを取り返せないかと考えているときだった。
「…………せ…………」
「は?」
「……えせ…………かえせ」
イクセントはそうつぶやきながらすくっと立ち上がった。そして顔を上げた。その目は完全に据わってただならぬプレッシャーを放っていた。
「や、やろうって言いますの!? いいわ。貴男なんて真っ向から戦っても無傷で」
「だまれ」
シャルノワーレの言葉をピシャリと遮って彼は鞘から剣を抜いた。
「かえせ。かえせ、かえせかえせかえせ。かえせ。かえせかえせ」
ゆっくりと刃を掲げて略奪者に向けて切っ先を向けた。少しすると剣が水飴のようにトロトロと溶けて地面に垂れた。
金属で出来ているはずの剣が変形する間もなく液体に近づいたのだ。シャルノワーレ、そしてアシェリィも驚いた。
「ふ、フン!!! これはお笑い草ですわ!! エンハンスド・オーバー、魔法強化が行き過ぎましたわね!! もしくは剣をケチって安物を使ってたんでしょう!!! いざという時に役立たないんじゃどうしょもないですわね!!」
エルフの少女は額にほんのり汗を浮かべながら、ペンダントを腰の袋につっこんだ。
それだけで現象は止まらなかった。イクセントの剣は柄まで溶け落ちて跡形もなくなっていた。
驚くべきことに地面に落ちた液状化したパーツも全て跡形もなく蒸発していたのだ。
そして彼の姿勢は剣を突き出すものから手のひらを相手に向けるものへと変貌していた。
その掌からは地獄の業火を思わせる色合いの紅い焔の珠が確認できた。大きさはこぶし大程度である。
「なっ、何よ!! そんな小さな火の玉で何が出来るっていうの!? 守りがガラ空きですわ!! こ、こっ、ここ…………」
彼女は背中の弓を手に取ろうとしたが、迫る熱気に怯まざるを得なかった。
その頃にはもう火珠は大人の頭ほどの大きさに膨らんでいた。
珠の中では炎がめぐるように轟々と流れ、その周囲にはバチバチと激しいスパークが起こった。それでもなお、炎は拡大した。
その熱は廃屋の上のアシェリィにも伝わっていて、呼吸が困難になるほどだった。息を吸うたびに喉が焼けるようである。
この距離でこれなのだ。至近距離に居るシャルノワーレに至っては既に火傷を負っているだろう。いや、それどころでは済まないかもしれない。
アシェリィは視界に異変を捉えた。普段は姿を現さない大気の精霊がパシン、パシンと音を立てて破裂していたのだ。
こんな事は今まで経験した事は無かったし、禍々しいまでの圧倒的なマナのプレッシャーに気圧されて体が思うように動かない。
「くっ…………こ、これが……これが本当の”戦い”ッ…………!!」
屋上の少女は体にまとわりつくような熱気を振り払いながら這いずりながら建物の縁へとたどり着いて、そこから下を覗いた。
まるで下の路地は熱風吹く灼熱の河のようになっていた。様子を窺うとまだ呪文は発射されていなかった。
更に威力を上げるつもりらしい。というか、完全にイクセントは我を失っていた。
「かえせかえせ、かえせかえせかえせ、かえせかえせかえせ、かえせかえせかえせ、かえせ…………」
あんなものを喰らったら間違いなく即死である。それどころか、燃えカスさえ残らないかもしれない。
もうシャルノワーレはピクリとも動かなかった。おそらくあとわずかな時間であれが発動するはずである。
アシェリィはあの魔法の前には何もかもが焼け石に水と思えた。焼け死に水……強力な水があればあるいは……
その頃、モニター室は大騒ぎだった。
「なんだあの威力は!! エルダーでもあれほどの呪文使いはそうそう居ない!!」
「周辺の気温60℃まで上昇!! まだまだ上がり続けています!!」
「発射まで推定あと10秒!! シャルノワーレを転移させないと即死確実です!! アシェリィも大やけどは避けられません!! ナッガン教授!!」
「ナッガン先生!!」
周りが慌てふためく中、一人ナッガンは腕組みして戦いの行方を見守った。
「あれは…………。3秒前まで、待つ」
一言、彼はそう言うとモニターに集中した。




