カブトムシザリガニの化物
フォリオをあっさり撃墜した少年はどこか不機嫌そうに廃墟の真ん中を歩いていた。
周囲は廃屋に囲まれ、崩れかけの壁などの障害物も多くある場所だった。
とぼとぼと歩いていたイクセントは突如、歩みを止めて身構えた。確かに何かが聞こえるのだ。
「……………………」
最初は小さな音だったが、だんだんその音は近づいてくる。巨大な甲虫が飛来してくる音だとすぐに彼は理解した。
ブオオオオオオーーーーーーーーンンンン!!!!!
次の瞬間、廃屋の影から気味の悪いカブトムシザリガニが飛び出してきた。器用なことに直角に飛行コースを変えながらこちらに突っ込んできた。
「チッ………………」
少年は群青色のサラサラの髪を揺らしながらサイドステップで鮮やかにこれをかわした。
攻撃をかわしつつ、それと同時に素早く抜刀してガリッツの人間で言う正面脇腹のあたりに一振り斬りつけた。
ガチンッ!!!!
鈍い金属音のような音を立てて、イクセントの剣ははじかれてしまった。衝撃を受け流しながらイクセントは受け身をとった。
ズザザッッ!!!
少年は地面を擦りつつ砂煙を起こして体制を立て直した。
一方、奇襲攻撃をしかけた気味の悪い亜人はすぐさまくるりと振り返った。そして真っ赤なハサミの内側からいきなりレーザーを発射した。
この攻撃は完全にイクセントの予想外だった。まさか高速のレーザーが撃てるとは思ってもいなかったからだ。
だが、彼はまたもや華麗にステップを踏み、レーザーを的確に回避していく。
発射された跡は真っ黒焦げに焦げて煙が上がっている。一発でも喰らったら大やけどは免れないだろう。
ガリッツもガリッツで両方のハサミからレーザーを撃ちまくってなんとか当てようとしている様子だった。
だが、なぜか不思議と、どれだけ速い光線でも少年には一発も当たらないのだ。
弾幕の網の目のように乱射される間をすり抜けるようにしてイクセントは舞った。
そして相手と自分の間に壁を挟むように走り回り、巧みに直撃を回避した。
そして壁の影から躍り出るとほんの僅かなタイミングをついて攻めに転じた。
「炎龍舌波!!」
少年が足元を払うように剣を振り抜くとガリッツの背後から炎の柱が発生した。
そしてまるで舌で舐めるかのようにその柱は波となって轟音を上げて亜人を背後から飲み込んだ。
ゴヴァアアアァァン……。メリッ、メリメリメリメリ……
(昆虫ならば炎が効くはず……何?)
燃え盛る炎の舌の中からガリッツは健在なまま姿を現した。あまり効いていないようである。
(チッ…………なら水生生物用ならこれはどうだ)
小さな剣士は反撃される前に立て続けで剣技を放った。空に剣で十字を切った後、再び剣を振り切った。
「雷煌十字閃斬ッ(らいこうじゅうじせんざん)!!!」
宙に浮いた十字の電撃が飛び道具のように目にも留まらぬ速さでガリッツを襲った。
ババチッ!!!! バチバチッ!! ジジジジジジ!!!!
激しくスーパークしてまたもや剣技は轟音を立てた。だが、亜人はびくともしなかった。流石にイクセントもこれには驚き、そして呆れた。
(くっ…………必ず、必ずコイツにも弱点はあるはずだ。それさえ突けば勝つことは出来る。だが、今ここでマナを使い切るのは得策でない! ならば!!)
まだバチバチ音のする甲冑のような体を引きずりながら、甲虫の化物は徐々に距離を詰めてきていた。
少年はそれを睨みつけると詠唱しながら手首をクルクルと回して円を描いた。
「水の悪魔は生けとし生きる者の足を引き、深淵の監獄へと誘うだろう。思うが良い。それが悪夢であれ、と。しかし残酷な運命には抗えぬ運命を知れ!! ウォルタ・エゥ・ウォルタ・カンバー・スフィア!!!!」
呪文が発動するとガリッツの体はシャボン玉にくるまれて、宙に少し浮いた。
亜人は大きな水泡を殴って抵抗したが、薄い見た目とは裏腹に硬いらしく、泡の壁を打ち破ることはできなかった。
そうこうしているうちに、シャボンの足元から徐々に美しい青色をした液体がせり上がってきていた。
それを別室で見ていた教師が声を上げた。
「あれは……水牢か!! シャボンの檻で捕縛して溺れさせる呪文!! これもオリジナルのグリモアだ。なんというセンス!!」
周りの教師たちも関心の声を上げたが、ナッガンは渋い表情をしていた。
「グリモアは一級。だが、なんだあの付け焼き刃の剣術は。全く呪文とのコンビネーションが取れていない。というか、あれでは剣はほぼ飾りのようなものだ。呪文の力でゴリ押ししているに過ぎない。これは徹底的な矯正が必要だな……」
イクセントは魔法の水牢が決まったのを確認すると剣を腰の鞘におさめてガリッツに背を向けた。
「おそらくお前ならそれを打ち破るか、そうでなくてもその体なら溺れはしないだろう。お前の体に詳しくないから確信はないがな。ここでの勝負はおあずけだ。最後まで残っていればその時は決着をつける。じゃあな……」
そのまま少年は振り向かずにもと来た道をてくてくと戻っていった。
閉じ込められた亜人は足元から着実に上ってくる水を眺めながらシャボンの壁面にパンチしたり、レーザーを撃ち込んだりしていた。
だが、全く破れる気配は無かった。そうこうしているうちにガリッツとの距離は離れてやがてその姿は見えなくなった。
しばらくして、二人の衝突があった場所へシャルノワーレがたまたまやってきた。苛立ちを隠さず、ギョロギョロと視線を巡らせて弓の”獲物”を探していた。
そんな彼女は足元に続く謎の痕跡を発見した。膝に手をついてかがみ、いぶかしげにそれを観察した。
「これは……なんでこんなところがびしょ濡れなのですの?」
その濡れた何かを引きずったような跡はストリートに沿うように続いている。すぐにシャルノワーレは誰かの残した痕跡であると断定した。
そして、慎重にその形跡を辿り始めた。誰だかはわからないが、確かにこの先に”獲物”がいるはずである。
今度こそ狩ってみせると彼女は心躍らせながら後をつけた。
追跡を始めてすぐに地面を濡らした張本人に追いついた。ガリッツである。
鎧を引きずるような重厚な足音を立ててゆっくりと歩みを進めている。
遠くからでもぐっしょり濡れているのがわかった。新たな痕跡をつけながらその亜人は移動していた。
建物の影に張り付くと素早くシャルノワーレは弓を背中から取り外して構えた。
そして、半身を乗り出しながら三本の矢を同時に引き絞った。
「獲った!! トリニティ・ペネトレートッッッ!!!!!」
放たれた三本の矢は背中を向けて無防備なガリッツめがけて疾風の如きスピードで迫った。
この瞬間、エルフの少女は勝利を確信して不敵に微笑んだが、事はそう簡単にはいかなかった。
ガキン!! バキッ、カチン!!
何と、三本すべての矢がカブトムシ部位の甲羅にあっけなく弾かれてしまったのだ。
貫通属性の弓術をつかったつもりの射手はこれに酷く驚いて、思わず声を上げてしまった。
「ば、そんなバカな事あって!?」
思わず上げた素っ頓狂な声にガリッツは反応した。図体のデカさに似合わぬ旋回の速さで弓の発射源の方を向いた。
それはシャルノワーレが息を呑むかどうか程度の僅かな時間だった。
カブトムシの羽を出した亜人は猛スピードで羽ばたき、一気に間合いをつめた。想定外の速さに少女は反応しそこねた。
そこを逃すまいと巨大で凹凸の激しい、真っ赤なハサミのパンチが炸裂した。
羽の飛翔速度に上乗せして全力でブン殴る。まず一発、腹部に強烈な一撃が当たった。少女の柔らかな肌がいびつに歪む。
「かはぁっっっ!!!!!」
シャルノワーレは内臓からつばを吐きながら、軽く体が浮き上がった。そこに容赦なく二撃目の顔面パンチが叩き込まれた。
悲鳴を上げる間も無く、彼女は後方にふっとばされ、転がりながら地面を激しく擦った。
ズザザザザーーーーッ!!! ズザザザザザッ!!!!
あまりの衝撃にその体は建物の陰まで吹っ飛んでいき、ガリッツの視界から消えた。
辺りは物音一つしない静寂に包まれた。完全に勝負あったように思えたが、亜人にはそれは関係なかった。
追い打ちをかけようというのか、化物じみたその姿でゆっくりゆっくりと歩みを進めながら吹っ飛んでいった娘を確かめに行く。
時間をかけて移動して建物の陰から半身を乗り出したその時だった。
「クリーーーーンヒットォォォォォ!!!!! いただきましたわーーーーーーーッッッ!!!!」
シャルノワーレは廃屋の曲がり角でやってきたガリッツめがけて思いっきりヘビーなメイスを両手持ちで振り抜いた。
撲救のグランゼンが使っていたとされる殺人メイスだ。
明らかに彼女が扱えるサイズ、重量ではないがそれを無視して豪快なスウィングが繰り出された。
メキャァァァッ!!!!
金属のカンが潰れるような鈍い音が廃墟に響き渡った。そしてエルフの少女は思わず口角を上げて再び不敵に笑った。




