血まみれの妖精、青臭い剣士
ファイセルがもはやこれまでかと諦めかけた時、ビンの中のリーネが現れた。
「ファイセルさん!! 液体の複製と増量です!!」
少年は驚いたようにリーネを見て、リーネの能力について思い返した。
「血液を複製して体内へ!? そんな事できるのか……いや、迷っている暇はない!!」
ファイセルは女性の口から流れた血の雫を親指ですくって、リーネのビンに親指を突っ込んだ。
「頼むよリーネッ!!」
「ぐぬぬぬ~~。普通の水と違うので複製にてこずっています。人間の血液ってフクザツですね……」
少しずつビンの中に血液がたまっていく。
「いいぞ!! で、人間の体内に入ったことはある?」
身体が血の色に染まりきって真っ赤になったリーネは困惑し大声を上げた。
「あるわけないじゃないですか!! ですが、体中にケッカンと言う管があって、シンゾウというところで体中のケッカンに血を巡らせているってのは聞いたことがあります」
「そうそう! それだけわかってれば多分大丈夫! 体内に入った後、細い血管から流れに乗ってだんだん広い血管へと移動して、体中を巡るんだ。くれぐれも流れに逆行したら駄目だからね!」
そうこうするうちにビンは女性の血液と同じ血で一杯になった。
「本当は直接血管に送るのがいいんだろうけど、今はそんなこと言ってられない。リーネが傷口から上手く血流に乗ってくれるように祈るしかない!!」
まだ塞がっていない傷口にビンの中身をかける。
「う~ん……これが血管ですかね。だんだん広くなっていきます。もしかして何度も傷口に垂らさなくても、血管内で少しずつ増量して血液量を増やせばいいんじゃないですか?」
リーネは血液の流れをつかんだようで、体の一部を血管に流すことに成功したようだった。
「血管が破裂しない程度に増量しながらその調子で全身を巡って!! 心臓にたどり着いたらそこで更に血液を増やして!!」
幸い、リーリンカの薬の影響か女性の心臓の動き自体は衰えていないようだった。
今は意識が無いが、呼吸はしているしこの状態なら血液さえなんとかなれば回復していくはずだ。
何度かに分けて傷口に液体を染み込ませるように垂らしていく。
「ハァ、ハァ……ぜ、全身にこれだけ分散出来ていればひとまず血液が極端に足りない場所は無いでしょう。私の一部が心臓に到達しました。本格的な血液の増量に入ります!!」
リーネはとても疲弊しているようだった。
短期間に液体の複製、増量を繰り返し、なおかつ精密な動作を要求されているのだ。無理もない。
「少しずつ血液量を増やしていって。体中に血が満ちたのを感じたら程々で止めて!」
女性の肌の血色がだんだん赤みを帯びてきた。
順調に流し込んだ血液がなじんでいる証拠だ。
だが、一方でビンに残った血液の量がどんどん減っていく。
「やはり無理をさせ過ぎたか!! もうちょっと堪えて!!」
心なしか液体の減少が遅くなる。しかし、血液が枯渇するのも時間の問題だ。
「あとちょっと、あとちょっと!!」
ファイセルが祈るように見守っているとリーネが告げた。
「残念ながら本当にあと少ししか持ちません!! 限界まで増血させるために直接心臓に行きます!! しばらく休眠してしまう事になるので水質チェックが出来なくなってしまいますね。ごめんなさい……」
「そんな永遠のお別れみたいな顔はやめてよ。休眠が明けるのを必ず待ってるから!!」
リーネは微笑みながらビンから姿を消した。
「ポスン」という音と共にビンの中身の液体が空になった。
ファイセルはそれを見届けた後、振り向いて唖然としていた戦士たちに声をかけた。
「やるべき事はやりました。村に戻りましょう」
戦士たちは目の前で起こった出来事を何一つ信じられないようだった。
だが、すっかり肌の色が正常に戻った女性を見て、戦士たちはこれが現実であることを確信した。
村の出口で帰りを待っていた商人や旅人が森から出てきたファイセル達を見て賞賛の声を上げる。
「おまえさんら、本当に生きとるのか? 幽霊かなんかじゃあるまいな?」
「冗談はその辺にして。早くけが人を手当てしてください。 幽霊だったら手当てなんかいらないでしょう……」
幸い、キャラバンに数人ヒーラーが居たようで冒険者の治療にあたり始めた。
だが、なぜだかファイセルの周りは人が避けていく。
「ママー、あのおにいちゃんすっごい臭い!!」
「こらっ!!」
若い母親が娘の口を塞いでお辞儀をしながら後ずさりしていった。
ファイセルはすっかり忘れていたが、擬態香水の臭いがべったり付いている事を思い出した。
既に鼻が馬鹿になっているため、どれだけ臭いのかわからない。
キャラバンの商人たちが遠まわしに臭いのひどさを示唆する。
「兄ちゃん……とりあえず風呂に入ってきた方がいいんじゃねぇか? 宿屋はあすこだからよ」
ファイセルは宿屋で風呂場を借りた。
念入りに洗ったつもりだが、臭いが落ちたのかどうか全くわからない。
風呂場を借りた礼を言い、カウンターのお姉さんに臭いについて聞いてみた。
「ぜ、全然臭いませんよ。大丈夫です」
一瞬、お姉さんの顔がしかめっ面になったのは見逃せなかった。
(あぁ……まだ臭いんだなこれは)
大人しく諦めて宿の外に出るとキャラバンの商人と旅人達が集まってきた。
しかし、妙な距離感がある。やはりよっぽど臭うらしい。
ファイセルは森での経緯を話し、報告した。
聴衆は勇気あるこの冒険者を労った。
「おっ、もしかしてその出で立ち、アンタ、洪水を食い止めた魔法剣士様だろ!? あんたのウワサでもちきりだぜ。」
「あはは……魔法剣士では、無いんですけど」
旅人は不思議そうな顔をしてファイセルを眺めた。
「剣士じゃない? するってぇとアレかい? 剣を使わずにアテラサウルスを仕留めたんかい?」
商人や旅人、村人から色々と質問攻めにあい、どこから答えていいのかわからない。
どの質問から答えようかと悩んでいると、森からキャラバンの偵察役が戻ってきた。
「ええ、確かにアテラサウルス8体の死体を確認。周囲に群れも見当たりません。今なら安全に通行できそうです!!」
一同はそれを聞いて歓喜の声を上げたが、キャラバンのリーダー格らしき中年の男性がそれを制止するよう声を張って発言した。
「これからヨーグの森を抜けようとしていて足止めを食らっていた連中は村人、旅人、商人、冒険者にかかわらず、この少年に謝礼金を払え。それがスジってモンだろう。ワシが受け取って回る。額の多寡は問わん。各々が無理をしない程度に金を払うのだ。ちなみに我々もこういう提案をするからにはキャラバンから60万シエールの支払いを決定している」
そう声がかかるとファイセルは羨望の眼差しを一手に浴びた。
しかし、それも命がけの行動をとった彼の功績からすれば妥当なものだとその場の誰もが思って異論は出なかった。
ファイセルにとっては思ったより簡単にアテラサウルスを撃破できた。
学院生活で実力がついた手応えを感じた。
だから命がけといえば大げさに思える程度だった。
洪水の方がよっぽど命がけだ。
それにしてもお金を受け取ってばかりの旅にどうにも違和感が隠せない。
(なんなんだこの旅は……こんなにお金持ちになるつもりはなかったんだけどなぁ。お金持ちにになって悪い事はないからいいと言えばいいんだけどまだ働いてもいないし、貯金額相応の年齢じゃないし、なんだか複雑な気分だなぁ……)
袋を持ったリーダーがファイセルの元へやってきてお金の入った袋を渡した。
「よくやってくれた、これでワシらも商いができる。冒険者を救ってくれたのにも礼をいうぞ。あと少しで彼らを死に追いやってしまうところだったからな」
リーダー格の男が手を差し出す。ファイセルはマントで手をぬぐって手を握り返した。
「よーし、諸君ら解散だ。各々の旅の無事を祈って!!」
冒険者や商人たちが声を上げてお互いの旅の無事を祈った。
宿屋の入り口付近の集会は幕を下ろし、冒険者や商人たちは南を目指して南下していった。
ファイセルはどっと疲れが出て、腰かけた。
もらった袋の中身は確認せず。カバンに入れる。
もう一方のだいぶ軽くなったリーリンカのバッグを開けてみた。
「滋養強壮剤は……もうないな。マナ回復剤があるけど、これは取っておいて、ゆっくり休んで回復すればいいかな。リーネが休眠から目覚めるまでは一日中歩くこともないし……」
ファイセルは短時間で多くのマナを一気に消費したため、倦怠感を覚えた。
それに、人が死にそうになる現場にも遭遇したのだ。疲れるのも無理はなかった。
いきなり宿屋のドアが開いてさっきのカウンターのお姉さんが顔をのぞかせた。
「そこの雑草臭い兄さん。アンタどうしてくれんだい。ここ1週間くらい宿屋は大繁盛だったのに、アンタが恐竜倒しちまったからガラガラじゃないか!!」
お姉さんは人が変わったかのようにヒステリックに怒っている。
擬態香水の青臭い臭いに眉を顰めて露骨に嫌悪感を示す。
きっとこれが彼女の本性なのだろう。
気持ちはわからなくもないが、八つ当たりもいい所だ。
怒り狂うお姉さんのご機嫌が取れないかと今後の予定を語ってみた。
「僕が数日泊まるんで勘弁してくださいよ」
お姉さんは綺麗な顔を歪ませて更に苦虫を噛み潰したような表情をしながら続けた。
「アンタがいたら部屋中に雑草の臭いが染み付くじゃないかい!! 一日3回は風呂に入りな!! それと、特別掃除料金で定価よりプラス2000シエール払わにゃ泊めないよ!!」
ニコニコしていれば美人なのだが、怒り出すと顔が豹変してまるで鬼のように見えてくる。
ここ以外にこの村には宿屋が無いし、このお姉さんに数日間ドヤされ続けるのだろうなとファイセルは覚悟を決めた。
今までがチヤホヤされすぎていただけで本来、流れの旅人なんてこんなものである。
「ママー!! あのお兄ちゃん臭いよ~!!」
さきほどの幼い少女がまた笑いながら無邪気に大声で叫ぶ。
母親もまた走って来て口を塞(ふさ9ぎ、謝りながら遠ざかって行った。
「あはは……そんなに臭いかな? 全然わからないや……」
再びすごい勢いで宿屋のドアが開く。
「ほら、玄関に居たらアンタが臭くて人が寄ってこないだろ!? 泊まるなら泊まるでさっさと部屋取ってお入り!!」
ファイセルは重い体をなんとか動かし、カウンターに立った。
「うわアンタ、近寄るとますますクッッサッッ!! 一泊7000シエールだよ!! あんたたっぷり謝礼金貰ったんだからとっとと払ってもらおうか」
もはや、この態度は接客業とは言えない。まるでタチの悪い借金の取り立ての様だ。
その上、ボッタクリとは救いようのない宿屋である。
少年がさっさと代金を支払って部屋に行こうとするとお姉さんに止められた。
「部屋のベッドに臭いが染み付くじゃないか!! 風呂に入ってから部屋に行きな!!」
さっき風呂に入ったので、ほとんど時間が経ってないのだが。
部屋に繋がる通路に仁王立ちされてはなす術がない。
グッタリ疲れながらも風呂に入り、入念に髪の毛とマントを洗ってようやく部屋入りを許可された。
まだ昼だったが、あまりの疲労感に倒れるようにベッドに入って彼は眠りに落ちた。




