ぐしゃぐしゃの受験要項
「はぁ……はぁ……。たしは……えたくない!! 手は打ったはず……!! なんであんたが!! なんで、なんでなの!? こんなの、ありえない!! ありえないッ!!」
アシェリィは目が覚めると思いっきり体の上にのしかかられて誰かに首を絞められていた。
その指の力はとても人間のものとは思えない。首を引きちぎる勢いで容赦なくギリギリと絞め付けてくる。
相手の顔を確認しようと下から覗き込んでもモヤがかかって、その正体を窺い知ることが出来ない。
ただ、指の太さや体の大きさから相手は女性のように思えた。
か細い印象とは裏腹にそれこそ巨人のような怪力で絞め付けてくる。
自分の上に馬乗りになっている”誰か”を跳ね除けようにも体は金縛りのような感覚でピクリとも動かない。
まるで石のように固まってしまい、言うことを全く聞いてくれない。
ただ、息を出来ない息苦しさははっきりと感じられた。
声を出そうとしても思うように発声することが出来ない。助けを呼ぼうとあたりを見回してもそこは真っ暗で何も見えなかった。
今は夜なのだろうか? とにかくじたばたともがくように手足を動かして抵抗した。
「リィ……シェリィ…………ア……」
聞き慣れた声がする。きっとこれはファイセルに違いない。このまま暴れていれば彼が助けてくれるはずだ。
「チッ!! 時間はいくらでもある。私は必ずあんたを…………―――」
首を締めていた相手はそう怨嗟じみたつぶやきを残してスーッっと消えていった。
「はっ、ぷはぁっ!! はぁ……はぁ……」
アシェリィはベッドから飛び起きた。体中汗びっしょりで、額には脂汗が浮かんでいた。ベッド脇には驚きの表情のままファイセルが立ち尽くしている。
「アシェリィ、大丈夫かい? 酷くうなされていたみたいだけど。なんでもインソムニアック・メソッドの副作用の一つとして、寝起き時の激しい悪夢があるんだってさ。リーリンカはそう伝えて眠ったんだけど……。ほら」
そう言いながら彼は親指で背後のベッドに横たわっている女性を指差した。アシェリィが覗き込んでみると枕元に眼鏡を置いて横たわる女性が見えた。
一瞬、誰かと思ったが、どう考えてもそれはリーリンカだった。眼鏡をしているときとは全く印象が違ったのだ。無理もない。
見てくれは美人だったが、その顔は苦悶に歪んでいてとても見られたものではない。寝ながら何やらうめいていた。
「うううう…………ぐああ、アシェ……ゆ、ゆるして…………ゆ、るし、て……うううう…………うあああ…………」
彼女は寝返りをうちつつ、胸元を激しくかきむしっていた。よっぽど酷い悪夢を見ているのだろう。
リーリンカがこうなのである。自分が妙にリアリティのある不吉な夢を見ていても気にすることはないのではとアシェリィは思った。
だが、どうしても引っかかる点があった。彼女はさきほどのように誰かに首を締められる夢をたびたび見ていたのだ。
具体的にいつからとは断定できないが、旅の途中のある時期を境に同じ内容の夢を繰り返し見るようになってしまった。
悪質なゴーストや負の残留思念、あるいはそういった類の幻魔に取り憑かれている可能性は否定できなかったが、原因が全く思い当たらない。
とはいえ、さほど遭遇頻度の高い夢ではないのでアシェリィの中ではそれは瑣末な事象に過ぎなかった。
気が向いたら教会で除霊術式を受けようかなという程度の認識だった。
そんなことをぼんやりと考えていると、彼女は自分の置かれた環境について思い出した。急に危機感を覚え、ベッドそばの青年に声をかけた。
「―――――!! ファイセル先輩、今何時ですか!?」
彼はとっさの反応に少し驚いたような顔をしていたが、すぐに柔らかな笑顔に変わった。
「アシェリィ、大丈夫だよ。今は15日の早朝。試験開始は10時半だから、まだ5時間あるよ。安心して」
アシェリィは思わず胸をなでおろした。悪夢は見ていたものの、しっかり熟睡している感覚があったのでうっかり寝過ごしたかと思ったのだ。
「はぁ……良かった。リーリンカ先輩は起こさないんですか?」
ファイセルの背中越しに彼女を観察しているととても苦しそうだった。それこそ何かに取り憑かれたかのように激しく寝返りを打っている。
「リリィは……まだ寝かせておいてやろう。それより、最後の追い込みだね。受験要項を確認したあと、ラストスパートに入るよ!!」
要項と聞いてアシェリィはゾリーの白本の付録としてついてきた受験要項を読み返した。
一応、シリルにまでこの要項は出回っており、リジャントブイルを志すものなら誰でも簡単に入手することが可能だ。
これには受験資格、試験の内容、日程などについておおまかに記載されている。
受験料は最寄りの郵便局や本屋で支払いが可能で、かなり小規模な村でも支払いが可能となっている。
よって居住場所による支払いのハンデはあまりない。
ただ、期日までに学院にたどり着かねばならないというのは田舎の受験生にとっては地味にハードルが高くはあるのだが。
アシェリィがシリルから大事に持っていた要項は長旅を共にしただけあって、ぐしゃぐしゃで文字もかすれている。
それでもカバンの中に眠る要項と夢を握り、ここまでやってきたのだ。それなりに愛着はある。
それはひとまず置いておいて、試験を受けるにあたって新しいを要項にもう一度目を通してみることにした。
“受験資格は満14~18歳前後の学生(亜人種含む)”とある。飛び級は存在しないが、逆に上限が多少緩くなっている。
噂によれば20歳を越えてもエレメンタリィ(初等科)として合格した例もあるという。
居住地域に寄る受験資格の制限は無いが、実質上の敵対国に当たるラマダンザの学生は受け入れていないようだ。
“一日目の筆記試験の内容は基礎教養50点、魔術論50点、魔術応用論50点、選択科目50点”とある。
アシェリィの場合、召喚術が専攻なので選択科目は召喚術論ということになる。
設問は選択式のみもあれば記述を必要とする物もある。少なくとも勘では突破出来ないような作りになっている。
ここにある”魔術応用論”というのがクセモノで、他の魔術学院では絶対出ないレベルのディープな知識を問われる事になる。
まずリジャントブイルを受けでもしない限り、勉強する必要のない範囲だ。そこでふるいにかけられると言ってもいい。
魔術応用論を含む合計200点の筆記試験が初日にあり、翌日に実技・面接を兼ねた二日目がある。
“実技・面接も200点満点であり、専攻別となっている。”
おそらくアシェリィの場合ならば契約している幻魔やサモナーズ・ブックを見せたりして実力を示すことになるのだろう。
要項にはこの二日間の成績で合否が決まるとある。
これにファイセルやリーリンカ、そしてザティスから聞いた知識をまとめると、筆記と実技の評価の比率はイコールではなく、かなり実技に偏っているということだ。
つまり、学科がかなり悪くても腕が良ければ受かる可能性はあるということだ。
それと、受験の倍率は受ける専攻によって違うので一概に合格率を出すのは難しいということ。
大手の予備校はコース別判定などをやっているらしいが、実際のところ、受ける専攻によって競争率に10~30倍と大きな幅があるようだ。
召喚術師は割とレアな部類の能力に入るので比較的、倍率が低いとは前々から聞いていた。
だが、少数精鋭が集まるのは間違いなく、全く油断できる状況ではなかった。
まだ要項は続いている。
“試験会場の講堂はどの部屋もマギ・ジャマーによってマジックアイテムの類は一切使用不可です。”
“マナで動いている時計なども止まってしまうので講堂の時計を確認するようにしてください。”
“また、魔術、呪文などの発動も原則として不可能です。体内の器官をマナ器官で補っている受験生が居たら予め申し出ること。”
“カンニングが発覚した場合、その者の受験資格をその後、一切認めません”
その一文で要項は終わっていた。マジックアイテムも魔術の類も一切使えないとなれば流石にカンニングは難しいだろう。
カンペを持ち込んだりは出来るかもしれないが、恐らく何らかの方法で講堂は隅から隅まで監視されているはずである。
もっとも学校が学校だけに、リジャントブイルの試験で不正をしようという者は居ないように思えた。
噂が独り歩きして受験生の間で”あそこでは何が起こってもおかしくない”と囁かれるほどである。
そんなところであえて不正を試みるとすればそれはそれで肝が座っているのではないかと思えるのだが……。
要項を読み終えると再びアシェリィはゾリーの白本と向き合った。
リーリンカと子供どうしの喧嘩のように罵詈雑言をぶつけあったことばかりが頭に残っている。
あの脳が焼き切れるようで地獄のような勉強法の効果はあったのだろうかと懐疑的に思いながら彼女はパラパラとページをめくった。
すると、不思議な事にどのページの記述にも既視感を感じた。意識の範囲では捉えられていないが、脳はちゃっかり記憶しているという感じである。
アシェリィがパラパラと参考書をめくっているとファイセルが問題を出してきた。
「……魔術応用論、ロープを魔法生物化する時、何をモチーフにするのが適しているか。選択し、理由を述べよ 1.ガララ・フィッシュ 2.アオトゲシャクトリムシ 3.オタケビザル 4.該当なし」
アシェリィは顎に指をそえて考えだしたが、すぐに回答した。
「……4の該当なし。理由は……CMCは既存の生物をモチーフとした場合、機能に限界が生じる。そのため、拡張性の高い未知の生物を意識すると良い」
「はい。正解!! いいね。コレ結構難しい問題だよ。お次。」
ポンポンといいテンポでファイセルは問題を投げかけていく。
「基礎教養、次の中で二つ名として成り立たないものを選んで理由を述べよ。1.俊影の(しゅんえいの) 2.俊破の(しゅんはの) 3.俊敏の(しゅんびんの) 4.俊刃の(しゅんじんの)」
「……3の俊敏の。ですね。二つ名は2つの文字を組み合わせて成り立つ。ただし、2つ揃って熟語となる組み合わせの場合は二つ名として用いない。ですかね」
「おお、これも正解。ま、これは簡単だけどね。じゃ、お次……」
その調子でアシェリィは20問ほど立て続けにファイセルの抜き打ちチェックを受けた。その結果、勉強しきれなかった範囲以外の14問を正解した。
「正解率6割五分ってとこだね。こりゃ残り時間しっかりやれば7割越えも狙えるよ! さて、拾いそこねたとこをカバーしようか」
ウンウン唸るリーリンカを横に二人は試験対策に打ち込んだ。あっという間に時間は過ぎて試験開始二時間前になった。
「さて、そろそろかな。アシェリィ、このホテル・アーナンテは大通りであるルーネス通りのど真ん中に位置するんだ。学院に行くにはこの通りを海の方へまっすぐ歩いていくといいよ。まぁ、迷うことはないと思うけど」
彼はそう言うと窓の外を指差した。アシェリィは窓の外からルーネス通りを見下ろした。
すると数え切れないほどの通行人が通りを埋め尽くしていた。
来た時に通ったときの活気とは違う、異様な緊張感のある集団だ。きっと彼らはこれからリジャントブイルの試験に臨む受験生たちに違いない。
「ほらね。あの波に乗っていけば、嫌でも学院にたどり着けるってわけ。さ、準備をして。忘れ物をしないようにね」
ファイセルに送り出されてアシェリィはルーネス通りの流れに合流した。華やかな通りなのに、今朝はまるで戦場への道と化してしまったようである。
彼女はそのプレッシャーに圧倒されそうになったが、自分が今まで歩いてきた旅路を思い出して前を向き、胸を張って進んだ。