魔法都市のシェイクは絶望の味
街道に戻ってまた数日歩いた一行の目の前についに魔法都市ミナレートの一部が姿を表した。
ある程度整然とした建物が並んでいた王都に比べ、この都市は変わった形状の建物が多い。
また、空にはカーペットから小型のドラゴンまでありとあらゆる様々な乗り物が走っていた。
この光景はアシェリィとフレリヤにとっては異様な光景であり、思わず物珍しさに頭は上向きがちになっていた。
ファイセルには聞いていたが、ミナレートは交易が盛んな港町でもある。主にノットラントの物産品やマジックアイテムを交易したりしているらしい。
街道脇の林に目をやると木々の間から美しい蒼をたたえた海が見えた。浜辺には白い波がうちよせ、潮の香りがあたりに漂っていた。
街道の人出は一気に増え、大きめの馬車が2~3台並んでも通れるような道に所狭しと旅人や商人たちが密集している。
ウィールネール便、見たこともない動物が引く馬車などもひしめきあいつつ行進していた。
上流で降った雨の数滴が集まって大河になり、やがて海へと注ぐように街道の人数は多くなってきていた。
王都もすごかったが、これはこれで田舎出身のアシェリィはただただ圧倒されるしかなかった。
「ふぅ……やっとついたね。ここが魔法都市ミナレートさ。このまま街道を真っ直ぐ行くとルーネス通りってストリートにつながる主要で大きな門があるんだけど、そっちはこの人の数だし、はぐれちゃう可能性がある。それに誰かがフレリヤを見ていないとも限らない。だから、そこの細道にそれた場所にある”アピナの小跳ね橋”から入るよ」
ファイセルはそう言うと街道から脇の小路にそれた。木漏れ日さす並木道を三人は歩いた。
少しすると水音がした。近くを川が流れているようである。遠目に鎖で吊られた小規模な木の跳ね橋が見えた。
都市の周りは壁で囲まれていた。城塞というまで堅牢ではないが、外からの攻撃に対しての防衛能力はありそうだ。
アピナ跳ね橋をわたり、塀の内側に入ると今まで経験したこと無いような熱風がアシェリィとフレリヤを襲った。二人は思わず同時に困惑の声を上げた。
「うわぁ……あっつい……」
「むわっ!! あっち~!! なんだこりゃ!?」
声を上げると同時にすぐ二人は上着を脱ぎ始めた。ミナレートは一年中夏の気候であり、多少の変動はあるものの、30~35℃程度の気温が保たれている。
今まで春や冬の入り程度の気候で旅をしてきたのだ。この気温差に戸惑うのも無理もない。夏に慣れていない二人は早くも額に汗をびっしょりかいていた。
「ははは。二人共、夏なんて経験したことないだろうからね。しょうがないさ。特にフレリヤは寒い地方の出身だから、慣れるまでは辛いかもしれないね」
そう苦笑いするファイセルはというと、いつのまにか黒に近い紫にそまったライラマのローブと学院の制服を脱いで脇に抱え、下に着ていたシャツの袖をまくっていた。
「さて。これからの予定なんだけど……お?」
後ろの二人の方向を向いて今後の説明しようとしていた青年は誰かの気配に気づいて前へと振り向き直した。
あえて人手の少ない場所をとったのにまるで待ち受けていたかのように現れた人影に一瞬、三人に緊迫感が高まった。
その人物は背丈の低い女性で、スマートなメガネをかけていた。鮮やかで美しい青い長髪をしていて、それを三つ編みにして一本垂らしている。
ひらひらと揺れる結った髪はかなり長く、彼女の腰下まで伸びていた。
服装は白い薄手のローブの下に深緑色の学院の制服を羽織っていた。これを確認できた三人は今までの緊迫が杞憂であった事を確信した。
敵意が無いことがわかるとアシェリィはまた冷静に彼女の姿を見た。
メガネの下の愛くるしい大きな瞳、高すぎず低すぎない鼻、女性らしいふっくらした唇、飾りすぎないナチュラルメイクと彼女にはとても可愛らしく可憐に見えた。
ただ、眉をひそめて不安そうな表情を浮かべており、綺麗な顔が台無しだった。少し目線を落とすと首には日光を反射して黒光りした漆黒のチョーカーが見えた。
このチョーカーはどこかで見たことがある。いや、どこかなどというレベルではない。ほぼ毎日見ている。このチョーカーは―――
「なんだぁ。リリィかぁ……」
ファイセルが気の抜けた声を出して肩の力を抜いた。そうだ。推測するに恐らく彼女はファイセルの妻であるリーリンカという女性に違いない。
きっと彼が帰る場所まで予想してずっと待っていたのだろう。その言葉を聞くと彼女は全速力で走ってきてファイセルに抱きついた。
「なんだとはなんだッ!! 心配したんだぞ馬鹿者がッ!!」
リーリンカはギリギリと旦那を絞め殺しそうな勢いで思い切り抱きしめ、顔を彼の胸に埋めた。
抱きしめられた方はというと突然の抱擁に驚いていたようだが、すぐに彼女の背中に手を回して優しく抱き返した。
彼女は顔を埋めたまま消え入るような声でつぶやいた。
「私はお前に謝らねばならん事がある。お前が妹弟子とは言え女性と二人旅になるのが怖くて、監視役なんてつけてしまった。ザティス自身にも悪いことをしたと思っている。私が浅はかだった。許してくれ……」
彼女は泣いているのか震えながらより強くファイセルに顔を押し当ててきた。それを聞いた彼は優しくリーリンカの頭をなでた。
「ザティスから話は聞いたよ。気にすること無いんじゃない? むしろ、ザティスが居てくれて助かったよ。きっと僕だけじゃアシェリィをここまで連れてこれなかった。無事に帰ってこれたのもリリィのおかげなんだよ。ありがとう」
互いに思いやるやりとりを交わすと二人はしばらくいい感じでひっついていた。
こんな様子を見せつけられるとアシェリィとフレリヤはなんとも言えない声をあげるしかなかった。
「わぁぁぁ……」
「おぉーーーー……」
二人の反応に気付いたのか、すっかり落ち着いたリーリンカが思わず両手を突き出してファイセルを弾き飛ばした。
「ばっ、馬鹿者! い、いつまで抱きついているんだ!! これは……さ、寂しかったとか、そ、そんなんじゃないからな!!」
照れ隠しで突き飛ばしたのが誰の目にも明らかだった。きっと普段は人前で抱き合うようなバカップルではないのだろう。
そしてどさくさに紛れつつドギマギしながら彼女は話題を変えた。
「ゴ、ゴホン!! そうだ。ザティスから報告を受け取っているぞ。結局、呪文の反動で動けなくなった後、実家に帰って静養してるそうだ。本来、家族と関係修復するつもりはなかったそうだが、結果的に家族と復縁できたようだな。アシェリィには謝って礼を言っておいてくれとのことだ」
リーリンカはそう伝えるとニッコリと笑った。年下の自分が言うのも何だが、やはり思っていたとおり彼女は可愛らしかった。
同じ女性でも魅力を感じるほどだ。長い三つ編みが美しく風になびいた。
素朴なかっこよさのあるファイセルと二人で並ぶと美男美女のお似合いのカップル、いや、夫妻に見えた。
「ふむ、で、これからのことだが……。立ち話もなんだ。あまり目立たない店で話をするか。そちらの亜人のお嬢さんの話もザティスから聞いている。表立って動くのは得策ではないからな」
ついてくるようにジェスチャーした彼女が先導して、一行は市街地に踏み込んでいった。
アピナ橋を出発するとそれほどのんびり見物をする間もなく目的の店についた。
「ここが穴場のジュース・パーラ、”パーラー・コクーン”だ。この店は変わっていてな。同時に入店した人の姿や会話が他人から隠れるという風変わりなシステムのある店だ。まぁ店に入るまでは秘匿性が無いので本当の密談には適さないのだがな。だがそちらのお嬢さんを隠すくらいならここで十分だ」
おそらくザティスの手紙から報告を聞いているのだろう。リーリンカは既にフレリヤが指名手配の本人という事を知っているようだった。
彼女に促されて店に入ると自分たちの周りに薄く、白い膜のようなものが張った。
すぐに白い膜は見えなくなったが、店内を見渡すと幾つもの繭玉のようなものが点在していた。
「この店に入ると客は自動的にこの繭に包まれるんだ。基本的にはこの繭の内側からは外に音や姿がもれないようになっている」
オシャレなBGMの流れる店内を歩いて四人はテーブルに座った。どういう仕組なのか、店のBGMだけは繭の内側にも聞こえてくる。とても不思議な雰囲気だ。
全員がメニューを決め、カウンターのバーテンダーに向けて声をかけていく。これもまたどういう仕組みかオーダーだけは伝わる仕様らしい。
「じゃあ僕はオレンジとトロロ・ウミモズクのミックスで」
「私はクール・オーシャン・ブルーハワイで」
「えっと……わたしは……パーラーおすすめのミナレート・シェイクでお願いします」
「ん~あたしは溢れる肉汁爆散コーラでいいかな~」
しばらくすると髭もじゃのバーテンダーがやってきて手に持った飲み物と腕だけを繭の内側に突っ込んで飲み物を差し入れた。
それぞれの飲み物が届くと早速、サプレ夫妻を中心に今後についての話し合いが行われた。
「まずはフレリヤ……いや、パルフィーについてなんだけど、やっぱり当初の予定通り、希少生物の研究をしているボルカ先生に任せようと思う。先生は純粋に希少生物を保護するポリシーでね。指名手配の賞金程度ではなびかないし、むしろ生死問わずの手配に怒ってたくらいだからね。信頼はできるとおもうよ」
リーリンカは髪と同じような色の真っ青なジュースを飲みながら話しているが、ベロが悪魔のように真っ青に染まっているのが皆、気になっていた。
「”頼むからロンテールは殺さないでくれ、見つけたら私のところに”と土下座していたくらいだからな。生物保護用の庭園暮らしにはなるだろうが、三食昼寝付きで待遇は良いと思うぞ。で、本人はどう思ってるのだ?」
リーリンカがフレリヤの方を向くと彼女は思いっきりむせていた。手で口を抑えているが、時折コーラを吹き出している。
「ブフッ!! あんだこれ!! シュワシュワというかバチバチしすぎだろ!! ベロが……しかも、何の肉の汁なんだこれは!! グビッ……ブフフフッ!!!」
他の三人はクジラのように派手に吹き出しつつもコーラを飲み続ける彼女を見て思わず呆気に取られた。
吹き出すのがわかっていつつ諦めない彼女も彼女である。むせながらも問いかけには反応した。
「ゴフッ!! 三食昼寝付きならブッ!! 大歓迎だよ。あの手配書の女の子を護らなきゃいけないのは確かなんだけど、グビッ、フブッ!! 今はどこにいるか全く見当がつかない。 それに、普段の生活でコソコソしなきゃいけないのはゴホッゴホ……色々としんどいからさぁ。ゴクッ。フブーッ!! とりあえずはそこで世話になりつつ考えようかとおもブーッ!!」
真面目な話が台無しだったが、フレリヤの今後の身の振り方についてはとりあえず決定した。
もっとも左も右もわからず、文字通り自立が怪しい彼女にとってなにはともあれ今はそうするのがベストのように思えた。
問題が解決したのでファイセル達は今までの旅のみやげ話をリーリンカにしようとした。
しかしなぜか彼女は深刻な表情をしていた。アシェリィもそれに気がついておもわず彼女の顔を覗き込んだ。
「リリィ、どうかした? なにか考え事でもしてるのかい?」
気難しげな顔でテーブルの上に肘を立てて、指を顔の前で組んでいた彼女が重い口を開いた。
「ファイセル、今のところのアシェリィの合格判定は……?」
そう問われたファイセルは顎に指を当てて目線をそらせつつ大体の予想をつけはじめた。
サモナーの実技は専門ではないので詳しくはわからないが、学科は過去問集の成績があるのである程度特定可能だ。
「えっと……実技は中々いい幻魔もいるみたいだからB+くらいかな? 学科は今のところBってとこだね。まずまず上出来なんじゃないかな?」
黙って聞いていたリ―リンカはさきほどまでかけていたトートバッグから真っ白な表紙の分厚い参考書のようなものを取り出した。
「リジャントブイル魔法学院の問題集”ゾリーの白本”、通称”白本”だ。これはつい最近発売された新書なんだが……」
「ま、まさか……」
リーリンカは険しい顔のままで、今まで特に変わりのなかったファイセルの顔色も一気に曇った。
暗い顔になった二人を見てアシェリィも思わず困惑した表情になった。不穏な雰囲気が3人の間に流れた。
「う~ん、これ、味的には悪くはないんじゃあないかなぁ? ゴクッゴクッ……ブフーッ!! グビッ、グビッ、ブフフーーーーーッ!!」
コーラを飲んだり吹いたりするフレリヤを横目にリーリンカはテーブルの上の白本のとあるページを開くとアシェリィのほうへスーッと押し出した。
「今年の予想問題のページだ。最近発表されたと言ったが……今年の試験は出題範囲、傾向が……大幅に変更される。本番の量の一部だけだが、とりあえずこの30問を解いてみてくれ」
「――――!!」
アシェリィは恐る恐る白本を手にとって、筆記具を取り出すと問題をとき始めた。
30分ほどでマークシートと記述のすべての回答が完了した。それをざざっとリーリンカは採点した。
ますます重苦しい雰囲気が三人を包んだ。採点を終えた彼女はクイッっとメガネを上げて伏し目がちに点数を発表した。
「30問中、正解したのは……4問。F判定。合格の望み”無し”……」
「そ、そんな…………!!」
アシェリィは絶望した様子でかすかに声を絞り出した。
これには流石に驚いたのか、フレリヤも何杯目かわからない肉汁爆散コーラを飲むのをやめて耳をパタパタさせた。頭の上の帽子がヒョコヒョコ揺れる。
「今日は首長蛙の月の8日、学院の試験は15日だ。今日は宿の手配や旅の疲れもあるだろうし、試験当日は朝からだ。つまり、実際の残り日数はあと6日。現状では……残念ながら不合格確実だ」
リーリンカの容赦ない宣告に誰もアシェリィに声をかけることはできなかった。