I miss youとは言わないで
ファイセルたちは焦っていた。王都ライネンテでの思わぬ足止め、そして幾重にも張り巡らされたカロルリーチェ捜索網にひっかかってしまった。
もうそれほど多くリジャントブイルの試験まで時間が残されてはいなかった。
試験までに魔法都市ミナレートに到着するだけならばまだ余裕はあるのだが、試験前の一週間は学科の勉強に集中するという当初の計画からすると大きく遅れている。
一行は連日、強行軍での旅路を強いられていた。
寄り道が出来ないので幻魔との契約はあまり望めないルートにはなってしまうが、今の実技と学科のバランスを見るにそこは妥協するしかなかった。
今日も一日中、出来る限り小走りで三人は小休憩をはさみつつ街道を駆け抜けていった。
ファイセルとフレリヤはそれが限界だったが、フレリヤは息を全く切らさない。その気になれば徹夜で走れるのではないかというレベルだ。
幻魔との契約が重視されない今、ウィールネールやマナボードを使うという選択肢もあったが、あくまでオルバはこれらを禁じた。これも修行の一環なのだろう。
くたくたに疲れた二人は毎日のように宿に転がり込むように上がった。
幸い、大きな街道に合流していたので一日歩けば必ずどこかしらの町にはたどり着くことが出来た。
ある日の夜、アシェリィは疲れすぎて眠れず、何度も寝返りをうちつつ、ベッドの上に横たわっていた。隣にはフレリヤが大いびきをかいて寝ている。
「う~ん、むにゃ……むにゃ……もう……食べられないよ……」
彼女の方を向くと月明かりで照らされた部屋で微笑んだまま眠る少女が見えた。
流石に寝る時は帽子も、ガーターも取るので耳や尻尾は丸出しだ。
胸のサラシも取っているので女性らしい美しい肉体の曲線が薄暗い中にシルエットとして浮かび上がった。
「は~、スタイルいいなぁ。おんなじ女の子とはちょっと思えないな……」
はちきれんばかりのボディに羨望と同時にやや呆れの意を込めつつ、誰も聞いていないつぶやきをボソッっとアシェリィはつぶやいた。
「う……うあ、……レーションは……レーションはもういいよ……」
しばらく亜人の少女を観察していると何やら物音がした。窓の方からである。気のせいかと思って窓とは反対方向に寝返りをうった。
姿勢を変えてすぐに、再び窓の方から音がした。まるで小石を窓に投げつけているような音だ。もしかして―――
もうこの時点でアシェリィはある予想がついていた。この呼び出し方をするのは思い当たる限り一人しか居ない。
外に人気がなかったので彼女は寝間着のまま、宿の玄関を開けた。ライト・オーブで宿の前はほんのり照らされていた。
予想通り奥の街の暗闇から例のお姉さんが現れた。街灯の当たらない薄暗い場所で立ち止まる。
「こんなところでお会いするなんて。偶然……じゃないですよね?」
不思議そうな顔をしてそう尋ねるとポニーテールにニーハイソックス、ロングブーツ姿の年上女性は髪を手で揺らしながら答えた。
「言ったでしょ? 私はあなたといつでも共に、あなたは私といつでも共に……って。良い冒険をしてきたのね。すっかりイクスプローラーの面構えよ。だから追いかけるのが大変になっちゃって、ようやく見つけたの。あなたにプレゼントがあってね」
お姉さんはなぜかある程度距離をとったままだ。そのままそこから何かを山なり投げて落とした。
キラキラ光る物だったので暗闇でも見失うこと無くアシェリィはキャッチすることが出来た。
掴んだ手のひらを開くとそこには豆粒ほどの小さな宝石が光っていた。綺麗にカットされたものではなく、鉱石片のようにも見えたがその輝きは確かに貴金属だった。
紫色でマーブル柄の宝石はどこか妖しい雰囲気を感じさせるものだった。ヴィーシュの珠玉とは正反対だ。
「それ、プレゼント。もうあなたを追いかけるのが難しくなっちゃった。だからもしかしてもう会えないかもしれない。でも、私のことは忘れないでほしいの。そのための記念品ってやつかしら? 私はあなたと共にいるのは変わらないんだから……」
もう会えないかもしれないという言葉に反応してアシェリィは手のひらからすぐにお姉さんに視線を移した。
ずっと昔、病弱だった頃からひとりぼっちの彼女に会いに来てくれた恩人。
名前や素性などわからないことが多すぎる。それでも冒険家やトレジャーハンターを目指すきっかけになった大切な人。
その人と今後、会えなくなるかと思うとアシェリィは断腸の思いをしていると言っても過言ではなかった。
自分でも気づかないうちに涙がこぼれる。とにかく何か声をかけたかったが、気が動転して何も言えなかった。
「あらあら。泣くことはないのよ。だって、たとえどれだけ離れていようとあなたは私と共にいるのだから。いえ、”一緒でなければならない”のだから……。それにトレジャーハンターに涙は似合わないわ」
優しく語りかけながら意味ありげな笑みを浮かべるとくるりと彼女はこちらに背を向けて街の闇の中にスーッと消えていった。
結局、アシェリィは一言も声をかけること無く彼女が去っていくのを見つめることしかできなかった。
まだ気持ちは落ち着いていなかったが、お姉さんの助言の通り次から次へと溢れ出る涙を袖で拭った。
このあたりは年中、春の気候だが夜はいささか冷える。しばらくするとヒートアップした頭もクールダウンして涙は引っ込んでいた。
冷静になると先程受け取ったプレゼントを確認しようと思え、アシェリィは今まで握っていたほうの右のてのひらを開いた。
だが、なぜかそこにあるはずの宝石はどこにもなかった。受け取ったあと、しっかり握っていたので落としたという事はまずありえない。
もし、握りつぶしてしまっていたなら何かしらの破片が残るはずだが、手には破片も汚れも全く無い。まるで本当に消えてしまったかのようだ。
足元もしばらく探してみたのだが見つからない。街灯の下だったのでもし落ちていれば光るはずである。
せっかくのプレゼントをなくしてしまって申し訳ない気持ちが溢れてきた。だが、あのお姉さんのことだ。咎めることはなく、なんとなく許してくれるように思えた。
諦めてアシェリィは宿屋に戻ろうと振り返った時だった。背後からなにやらカラコロという物同士ぶつかる乾いた物音がする。
だんだん物音は近くなってきた。人気のない暗闇の街を抜けて、たしかに何かが近づいてくる。大きさ的には犬や猫ほどだろうか。
やがて街灯の下で”それ”は止まった。何かと思って目を細めて近寄ってきたものを見てアシェリィは心臓が止まるかと思った。
中形犬らしき動物の骨がくるくると回って動いているではないか。どこからどう見てもアンデッドである。
なぜ治安の良いこんな場所にこんなアンデッドが出現するのかと彼女はパニックになった。
迎撃の構えを取るも、肝心のサモナーズ・ブックが手元に無い。
まともにやり合うとすればセンスで肉体強化するしかないが、少ししか効果は期待できない。戦うには心もとなかった。
このまま襲われて万事休すかと思われた。助けを呼ぼうかとも思った。しかし、身構えて様子を見ていると相手は襲い掛かってくる気配がない。
それどころかよく見るとお座りの姿勢でその場に座り込んでいるではないか。
間違いなくスケルトンの犬版なのだが、アンデット特有の人に対する敵対心が感じられない。前に見たゾンビやスケルトンとは明らかに雰囲気が違っている。
見てくれは恐ろしいが、じっと座るその姿は聡明な忠犬そのものでどこかギャップ萌え的な可愛らしさを感じさせる。
さらによく見ると頭を突き出して一本の骨をこちらに渡そうとしていることに気づいた。恐る恐るその骨を手に取ると、手にした瞬間、アシェリィにショックが走った。
「こ、これは……幻魔!! 不死属性の幻魔なんだ!! あなたは……バルクって言うんだね。最近亡くなったワンちゃんなのかぁ。だから位が低いんだね。能力的には本当にただの犬って感じかな……」
骨を渡したのを確認するとバルクは満足したのかお姉さんと同じように闇に溶けるように消えていった。
受け取った骨があればサモナーズ・ブックに追記して正式に契約が完了出来るはずだ。
「アンデッドと獣属性かぁ。アンデッドは始めて。アルルちゃんと仲良く出来るといいんだけど……」
疲れている上に色々なことが立て続けに起こってアシェリィは混乱していた。とりあえず今日はもう眠ってすべてをリセットしたい気分にかられた。
ぐったりしながら宿の部屋にもどるとフレリヤがすごい寝相でベッドから飛び出していた。元々、身長的にベッドからはみ出しているのだが。
「むにゃ……むにゃ。大盛りおかわり……」
鉛のような体をなんとかベッドまで運んで目を閉じる。目を閉じるとほぼ同時に彼女は深い眠りに着いた。




