エージェントは潮騒の如く
ファイセル、アーシェリィ、そしてフレリヤは張り詰めた空気の中、ゆっくりと呼び止めてきた声の主を振り返った。振り返る間の時間がとても長く感じられた。
三人が振り返ってまず目に入ったのは赤茶色のとんがり帽子だった。
それと同じ色のコートを羽織っており、腰には銀色のレイピアの柄が光った。そこはかとなく気品に満ちた出で立ちだ。
顔のフォルムはシュッとしており、細目も相まってキツネのような印象を受ける。
だが顔に似合わず醸し出す雰囲気は柔和で、穏やかな人物であるという第一印象を与えていた。
プレッシャーで牽制をかけてきてはいるものの、敵意は感じられない。むやみやたらに事を荒立てる気はなさそうだ。
その顔を見てファイセルは思わず驚き、声を上げた。
「あなたは……確か、オウガー・ホテルの件でお世話になったM.D.T.F(魔術局タスクフォース)のコフォルさんでしたよね!?」
そう声をかけた青年はどちらかと言えば記憶力の良い方である。
いや、記憶力があまり良くなくてもあれだけオウガーの恐怖を味わっていれば忘れるわけがなかった。
ましてやその特徴的な装いやキツネ顔、そしてM.D.T.Fのエージェントというエリート中のエリートとしての身分。しっかりとその姿は彼の脳裏にやきついていた。
名前を呼ばれた男はバツが悪げにとんがり帽子のヘリをつまんで左右にずらした。なんだかイマイチな反応だ。
もしかして、別人? いや、そんなはずはないとファイセルが自分の記憶を再確認しようとしたその時だった。
「あれ? あなたは確か、シリルの爆弾魔事件で私たちに助言をくれた方……ええっと、名前は思い出せませんが、コフォル?さん? ではなかった気がしますね」
突然のアシェリィの発言にファイセルは自分の記憶に少し自信がなくなってきた。
だがふとM.D.T.Fのエージェントは基本的に偽名で活動しているという情報を思い出した。
実際、自分もそれをもじってコフォーラと名乗り、リーリンカを救いに行ったわけであるし。
それにしてもアシェリィがキツネ顔の男と会っていた事も驚いた。
シリルの爆弾事件にはM.D.T.Fも介入してきていたことは知っていたが、まさか彼までいたとは。
沈黙がその場を包む中、話の中心である男がいよいよ語り始めた。
「そうさ。私はオウガー・ホテルを追っていたコフォル・ヴィーネンバッハであり、シリルの爆弾除去に協力したパンネ・マクドゥルその本人さ。だけど、今はネスラ・オルコット。本当は私個人は特定されてはいけないんだが……参ったな……」
そう言うとコフォルであって、パンネであって、ネスラでもあるが、そのいずれでもない男はどうしたものかと言った様子で腕を組んで考え込んだ。
しばらく黙り込むかと思われたが、頭の回転が速いのか、または決断が速いのか、すぐに次の言葉を続け始めた。まずは丁寧にお辞儀をしてから。口を開く。
「まぁ、私の身元についてはおいておくとしよう。まずは二人とも、お久しぶりだね。私はちゃんと君たちのことを覚えていたよ。ファイセルくんにはオウガー・ホテル解決の件でお世話になった。一応、君のことをレポートに書いておいたよ。学院に情報が行ったはずだから評価の足しになったはずだ。命を張ったかいはあったようだね」
ファイセルの方を向いたあとはアシェリィの方に向き直り、続けた。
「キミには……直接お礼を言い忘れてしまったな。アーシェリィ・クレメンツ君、創雲のオルバの二人目の弟子にしてシリル郵便配達員集団”シーポス”の一員。皆で連携して郵爆のボーンザの確保、お見事だったよ。本当は我々の仕事だったんだが、尻拭いをさせる結果になってしまった。申し訳ない」
コフォル、いや、ネスラはそう言って深々と頭を下げた。思わず二人が恐縮して慌てふためくほどに。
彼はエリートではあったが、それを鼻にかけることはなく謙虚な人柄をしているのが一連の仕草からも伝わってきた。
ネスラほどの地位ならなら協力者を足ががりや出世の駒として見る者も少なくはないだろう。
だが、彼がそうではないことはファイセルとアシェリィは身をもって知っていた。
頭をあげると彼は笑ってこそいないものの温和な表情をしていた。その瞬間、ファイセルたちを押さえつけるような気配はふっと消えた。
「いや、すまない。今回、私は行方不明になったカロルリーチェ様の捜索に当たっていてね。私の勘からすると案外このルートで逃げているのかもしれないと思ってね。何度も脱走するうちに彼女の逃走スキルはお遊びを越えたようだね。全く困ったものだ。私の読みも外れたし、恐らくもうこの周辺にはいないだろう……」
アシェリィの事をカロルリーチェと誤解していない事にフレリヤを除く二人は疑問を感じた。
「あ、あれ……? 私の事、カロルリーチェさんと間違わないんですか……?」
ネスラはこの問いに思わず苦笑いを浮かべた。そしてアシェリィの着ている学院の制服を見て更に笑った。
「ははは……。本人と間違われるから学院の制服を着てリジャントブイル学院生になりすましてたってのかい? ご苦労なことだよ。まぁ、顔背丈がそれだけ似てるとしょうがない。私は少し前に王都に帰ってきてカロルリーチェ様と直接会ったことがあるけど、全然違うね。なんでわかるかと言えば説明が難しいが、腕の立つ使い手なら一瞬でわかるはずさ。多分ファイセルくんでもわかる」
彼はそう言うと額に手を当ててうつむき首を左右に振った。なんだか酷く失望していて、うんざりといった感じだ。
「全く、ここらへんの神殿守護騎士や国防軍は手当たり次第に声をかけてるのか。実に嘆かわしい。苦情がたくさんくるわけだよ。もうここでの捜索は終わりだね。私が君たちのことを報告しておこう。そうすればアーシェリィー君がカロルリーチェ様に間違われる事はない。ただそちらの大柄な女性……」
ネスラの表情が曇った。その鋭い眼光の先には退屈そうにつま先で砂を掘るフレリヤの姿があった。
アシェリィは身の疑いが晴れることに喜んでいたが、ファイセルは嫌な汗をじっとりとかいていた。
洞察力が良く、勘のいい彼が注目していたのはむしろフレリヤの方だったのだ。報告すると言うからには彼女の素性も当然、確認しなければならないだろう。
「そこの背の高い……ご婦人。帽子を取っていただけないかな?」
さすがに帽子を脱げと言われてハイと言うほどフレリヤはうかつではなかった。
あるいはケモノの本能が彼女にあるかどうかは知らないが、彼を前にして多少なりとも警戒心が働いているのかもしれなかった。
「どうしたね? 素性がバレたら困ることでもあるのかね? 何、帽子を脱いで顔を見せてくれるだけでいいのだよ?」
ファイセルはヒヤヒヤしたが、その迫りくる追及をフレリヤは苦し紛れの理由を付けて断った。
「い、いま、頭をケガしてるんだよね。外にさらしたくないんだけど……」
彼女にしては上出来だとファイセルは思った。しかし、きっと彼は帽子を脱がしに来るだろう。どう対応しようか、彼は短い時間での決断を迫られた。
「フフッ……。私は猫を飼っていてね。いつも帰ると可愛い耳をピクピクそばだたせるのさ。 あとタヌキも好きでね、あの尻尾がたまらなく良い。そう思わないかね、ファイセル君?」
最初は脈絡の無い話題の振り方に思えたが、すぐに彼が言わんとすることがファイセルにはわかった。
彼はすでにフレリヤが指名手配犯のパルフィーと同一人物であると断定していたのだ。
本人の姿をみるまでもなく、確信しているようだった。
M.D.T.Fには諜報部もあり国内、国外問わず情報が集まってくるという。これだけ目立つのだ。目撃証言からパルフィーのおおよその位置が特定されていたとしても不思議はない。
思わずファイセルはこわばった。抵抗しようにもネスラには勝ち目が全く無いのは明らかだった。
逃げられる望みも薄い。いつのまにか苦虫を噛んだような表情になっていた。
それを見たとんがり帽子の男は帽子のヘリをつまんで押し下げながら聞こえるようなわざわざしい声でつぶやいた。
「私は動物愛護派でね。たとえ国家権力であろうとも、希少生物に狼藉を働くことは許されないと思っている。いや、本当だ。で、何の話だったかな? ああ、そこの背の高いレヂィ、素敵なお帽子ですね。大事になさって下さい」
とんがり帽子のへりで彼の表情をうかがい知ることはできなかったが、なんとなく、笑っているような、そんな気がした。
へりを下げたまま、彼は後ろを振り向いて来た道を歩き出した。
「コフォルさぁん!!」
ファイセルはフレリヤを見逃してくれた感動で思わず去りゆく彼の名を叫んだ。背を向けたネスラは背中越しに手を振りながら答えた。
「君たちにはまた近いうち会う気がする。それまで鍛錬を怠らないでくれたまえ。生きるか死ぬかで生きてくるからね……」
三人は無言のまま男の背中を見送った。やがて彼の姿は見えなくなり、その場には潮騒だけが残っていた。




