瞬きのその先で
浄化人の生み出した蒼い炎はただの炎ではなかった。激しい熱気を放ち、ザティスの背丈よりかなり高い。
風などでなびくことはなく、垂直にメラメラと燃え上がっている。舞台を区切る壁の様に彼の前に立ちはだかっていた。
しかもこの炎は透けずに、炎の向こう側の様子うかがい知ることが出来ない。
一体、今、アンナベリーがどこに居るか全くわからなかった。ザティスは溢れ出る汗を袖で思いっきり拭った。
次の瞬間、ザティスは左の脇腹に蹴り上げられるような強烈な衝撃と強い痛みを感じた。
直接、大剣で切りつけられた風ではない。おそらく祝宙紋唱だろう。
予測していなかった方向からの一撃に思わずザティスは悶絶した。いくら周りに気を張っていても、相手のいる方向がわからなくては予測のたてようがない。
思わぬ直撃で一気にアンナベリー優勢になった。だが、ザティスには考えがあった。
(おそらくこの一撃は囮!! 二撃目に確実に炎をまとった大剣の突きで決めてくるはずだ。となると俺がのけぞっている間に一気に攻めてくるに違いねぇ!! なら、このタイミングしかねぇよな!!)
「アクセラレイト・モーメント!!」
ザティスはそう詠唱すると歯を食いしばって痛みを堪え、片足を軸にクルリと振り向いた。そこには予想通り、大剣を突き出して今にも迫ってこようかというアンナベリーの姿が見えた。
本当にすんでのところで、決断が遅れていればこの大剣に貫き焼かれていただろう。
だが、悠長にしている場合ではない。こちらも残された僅かな時間でどう仕掛けるか判断する必要があった。
今の彼女はゆっくりゆっくりとこちらに向ってきているように見えるが、実際は恐ろしいまでの速度で突っ込んできているはずだ。
それならばその勢いを逆手に取るのが最善に思えた。これ以上、加速状態を続けると二回目、三回目が発動出来なくなると感じた。
彼は回転したままの勢いで左足を相手の頭部の位置に合わせ、すぐに詠唱を解いた。
すると周囲の速度が元通りになった。呪文の反動で鋭い痛みを感じつつも脚の位置をずらさず、アンナベリーの頭部を狙った。
加速魔法を受けたがわからすれば攻撃を仕掛けたつもりが逆に攻撃を仕掛けられている不思議な感覚に陥る。
彼女の場合もそうで、突進のまま突きを放ったつもりが、いつのまにか彼に頭部めがけて蹴りを放たれていたのだ。
おまけにただの蹴りでは無い。こちらの突進力が加わった強烈な一撃だ。とっさに避けようとしたが、もはや軌道を変えることは出来なかった。
「ッ―――!!!!!」
ザティスの脚は狙い通りアンナベリーにクリーンヒットした。彼女の首はアッパーを食らったときのように大きくのけぞった。
今ならアクセラレイトを使わずとも追撃をしかけられるように思えた。
だが、呪文の反動と、脇腹に食らった直撃がザティスの反応を鈍らせ、追撃は出来なかった。それでもそれなりにダメージは通ったようで、少しずつ蒼い炎は鎮火していった。
彼女は受け身をとって大きく後ろに飛び退いた。口を切ったのか、袖で口元を拭った。
そして、ニヤリと笑った。まだ笑っている余裕があるのかとザティスは底なしの体力に唖然とした。
これ以降のこの類の奇襲はきっと読まれてしまうだろう。少なくともむやみに接戦は仕掛けてこないはずである。
その気になれば相手は距離を置いて攻撃する手段も数多くある。長引けば長引くほどこちらが不利になっていくのは間違いなかった。
(思えばこの戦い、ほとんど攻められっぱなしだったな。どうせ出し渋ってもしかたねぇし、ここらで賭けに出るか。リーリンカとの約束はパァになっちまうがな……)
ザティスは腹をくくるとアンナベリーめがけて走り出した。一方の彼女は大剣を振りかぶって攻撃を待ち構えた。一撃必殺のカウンター狙いだった。
「アクセラレイト・ハーフ!!」
またもや彼は加速魔法を唱えた。このタイミングで発動してくるとは思わなかったのか、相手が大剣をスウィングしているのが見える。
それをすかさずスライディングでかわした狂犬はアンナベリーの脇腹を射程に入れた。
結局、ザティスはアクセラレイトを1:2に分けた。3回目の威力ではとてもではないが彼女をKOすることは出来ないと踏んだためだ。
「あと半分!! いくぜ!! 見よう見まねの全力鉄拳制裁!! スターシュート・ストライクぅッ!! せりゃせりゃせりゃせりゃぁあ!!」
ザティスは隙を見せたアンナベリーの脇腹めがけて全力を注いだ怒涛の連打パンチを放った。
魔法強化した上に加速した彼の乱打パンチの破壊力は絶大で、加速魔法中でも相手の骨が折れる手応えがハッキリと感じられた。
まだ加速魔法は発動している。彼女の表情が苦痛にゆがむのを視界に入れつつ、持続時間ギリギリまでこれでもかとザティスは鉄拳を打ち込んだ。
加速時間が終わるとボロボロになった彼の拳からはシューシューと煙が上がった。
「は。ははッ。もう限界だぜ。もう一歩も動けねえ。全身あちこち死ぬほど痛むぜ……。あんたは……さすがに無傷じゃなかったみてぇだが、まだ動けるんだろ? 全力で仕留めきれなかったのは残念だがな……」
アンナベリーは脇腹を抑えて顔を歪めた。吐血している様子だったが、意識はあるようだ。動けなくなって硬直しているザティスの方を見てまたもやニヤリと笑った。
「本当は、一発で終わりにしてしまおうかとおもったのですが、とても愉しい戦いでしたわ……。貴方はまだまだ強くなる。そう、私の見込みは間違っていませんでしたわ。これ以上、無駄な傷を負わせるつもりはありませんの。わたくしも決して軽傷というわけではありませんし。なんというか……もう、ボキボキですもの……」
彼女は手のひらを頬に当ててささやくようにそうつぶやいた。その表情は戦いに満足したかのように恍惚としていた。
「そうか……。あいにくこう全身が痛てぇとなるとどうしようもねぇな。ただ、ギブアップするのはまっぴらゴメンだ。俺は最後まで何があっても戦う事を諦めたくない。あとはあんたの好きなようにすりゃあ……」
それを聞くやいなや、ますます満足した様子でアンナベリーはにんまりと怪しく笑った。
そしてすぐに大剣を構えると打ち出すように平たい面でザティスを舞台から叩き出した。彼は抵抗できずに場外へと吹っ飛び、地を舐めた。
「痛って~いてて!! どさくさに紛れてお返しかよ!!」
ザティスが場外に出たのを確認すると今まで黙っていた会場は歓声に湧いた。
あやうく奉武大祭が部外者によって水を注されるところだったのである。順当に試合が進んで安堵の意もあったのだろう。
会場はアンナベリーを称える神殿守護騎士たちの声に包まれた。
ザティスはふてくされた表情でそれを聞いていたが、救護班が担架をもってやってきてくれたのでそれに縋った。
「痛って~。やっぱこれじゃファイセル達には合流できそうにねぇな。リーリンカのスパイもここまでってわけだ。アシェリィ、うまくやるんだぜ……」
勝者のアンナベリーは余裕の笑顔で観客席へ手を振っていた。
あれだけ本気で攻撃したつもりだったのにああもケロっとしていられてザティスのプライドは激しく傷ついた。
なんだかんだで手加減されてもいたのに、足元にも及ばなかった気がしてならなかった。
「畜生。畜生―――。いつか、いつか絶対勝ってやるからな……!」
彼は腕を顔にかぶせて目を覆うとそのまま担架で仮設の医務室へ運ばれていった。途中、自分の目頭が悔しさで熱くなっているのを感じるのだった。




