教会の中庭の救出劇
ザティスが迫りくるアンナベリーに精神を研ぎすませている丁度その頃、ファイセルもまた必死になって高い尖塔から眼下を見下ろしていた。
中庭の上空を飛んでいる鳥は間違いなくアシェリィの幻魔である。荷物を抱えているのが見て取れた。
特にどこかへ飛び去るでもなく、その場に留まっている。アシェリィと合流するのだとファイセルは確信した。
しかし、肝心の彼女の姿はどこにも見えない。尖塔の上からでは死角になるテラスも多い。
なんだかファイセルは得も言われぬ胸騒ぎがして、フレリヤに声をかけた。
「あの幻魔がその場を動かないってことはきっとアシェリィと近くで合流する可能性が高いね。テラスから脱出しようとしてるかもしれない。フレリヤ、計画通りに下のテラスへ降りていってよ」
帽子を被った亜人の少女はコクリと頷くと尖塔からひょいっと飛び降りた。
そのまま素早くテラスの間を飛び移りながら下へ下へと降りていった。数段降りた時、高所に揺れる緑色の長髪が見えた。
「あれは……!! アシェリィだ!! そうか。ツタの幻魔を伝って下に降りてるのか。なんて無茶な作戦を……。いや、でも確かにそれしか逃げ出す方法は……」
一方のアシェリィは先程から止まらず、滝のように流れ出る汗に戸惑っていた。
片手でツタに捕まったまま、空いたほうの手で額の汗を拭うが次から次へと発汗は止まらない。額だけで無く、全身がグッショリ湿っていると感じるほどだった。
「……あ、あれ……。だ、大丈夫だと思ったんだけど……。これだけ一度に幻魔を召喚したことなかったから流石に……。き、きっと地面まではたどり着けるはず……いや、お願い、たどり着いて……!」
彼女はすがるように片手で掴んだツタの幻魔、ラーダを見た。すると明らかに異変が起こっていた。
まるで水で解いた絵の具のようにツタの色が薄まり、透けているようにも見えた。それはマナの枯渇によって幻魔の実体が維持できなくなっている証だった。
「あ……これは……ダメかも……」
その異常はファイセル側からでも確認できた。中庭で滞空してしていたヒスピスが突如消え、アシェリィの荷物が地面へ落ちていったのだ。
幻魔が予期せぬ形で消滅した場合、何らかの問題が術者に発生している可能性が高いと彼は学んでいた。
「これは……まずい!! アシェリィが力尽きたんだ!! あのツタの幻魔も長くは持たない!! なんとかして彼女が地面に激突するのを防がないといけない!! でも、こっからじゃ!! どうしたら、どうしたらいい!?」
普段は冷静な彼だったが、急に訪れた危機に取り乱さずには居られなかった。その時点で彼らに手のうちようがない。
そう思っていたから余計にパニックにならずには居られなかった。そんな彼を抱いたままのフレリヤは微かに笑みを浮かべていた。
こんな時に笑っている場合ではないとファイセルは彼女を急かそうとしたが、思わぬ言葉が帰ってきた。
「よしきたファイセル!! さっきとおんなじように、歯を食いしばって、絶対に叫んだりしないようにな!! いくぞッ!! そぉれッ!!」
その掛け声と同時に彼女は遠慮なしにファイセルを天高く放り投げた。投げられた方は堪ったものではない。
ぐんぐんと高度が上がり、尖塔をあっという間に通り越してカルティ・ランツァ・ローレンの上空まで上昇した。
彼を上に放り投げると同時にフレリヤは一気に中庭めがけて頭から飛び降りた。
十階はあろうかという高さから飛び降りた彼女は着地すると同時に受け身のローリングを取って衝撃を最小限に抑えた。
常人ならまず命は助からない高さだが、彼女はアッサリと着陸をやってのけた。
「いつつ……さすがにこの高さから飛ぶとこたえるなぁ……。アシェリィは!! お! 丁度落ちてくる!!」
上を見ながら目測を立てながらフレリヤはアシェリィの落下地点の真下に移動して彼女を受け止める準備をした。
ポジションを合わせるとほぼ同時に彼女は落下してきた。これを手堅くフレリヤはお姫様抱っこの姿勢でキャッチした。すぐに顔を覗き込む。
「うわ~。凄い汗。顔色も青ざめてるし。お~い、アシェリィ、大丈夫か?」
呼びかけて揺すっても返事がない。相当消耗しているようだった。だが、命に別状はなさそうだったのでフレリヤは彼女を芝の生えた中庭に横たえるとすぐにまた上空を見た。
「さて、今度はファイセルの番だな!!」
彼を出来る限りまっすぐ上空に投げたのでテラスに衝突することはないと思うが、何しろ落ちてくる高さが高すぎる。上手くキャッチできたとして相当の衝撃がかかるのは間違いなかった。
ドスン!!―――
鈍い音が中庭に響いた。ファイセルは目の前が真っ暗になった。最初、死んでしまったのかと思ったが、なんだか暖かくて、柔らかい感触に包まれている。心なしかなんだかいい香りもする。
どうやら、助かったらしい。肢体がついている事を確認するように手のひらを握った。手もなにやら柔らかいものに触れた。
「あ~、悪いなファイセル。腕だけじゃ受け止めきれなくて、胸で止めた」
「ふはぁッ!!」
ファイセルが地面に手をつき直して顔をあげるとそこには仰向けに寝そべったフレリヤが居た。どうやら今まで彼女の胸に顔を突っ込んでいたらしい。思わず恥ずかしくなって彼はどぎまぎした。
「ごっ、ごめん!! わざとじゃないんだ!! わざとじゃ!!」
両手のひらを向けて左右に振って誤魔化す仕草をとった彼を見てフレリヤは首をかしげた。
「ん? なんのこと? それはそうと、アシェリィが……」
二人は同時に横たわった少女を見つめた。どうやら力を使い果たして気絶してしまったようである。仕切り直したファイセルは不安がるフレリヤに安心するよう伝えた。
「大丈夫。一時的なマナ不足だよ。しばらく休めば意識を取り戻すはずさ。さ、散らばった彼女の荷物を拾い集めて、さっさと教会を出よう。ちゃんとカツラとか着替えとか用意してあるから今度はカロルリーチェ様とは間違われないはずさ」
彼らは一通り荷物を回収するとアシェリィに茶色のウィッグをかぶせた。その上から帽子をかぶせて顔を隠した。
身長差もあってか、フレリヤがアシェリィを背負うとまるで親子のように見えた。これならば眠った子供をおぶる母親のように見える。
あれだけ中庭で騒いだのに、幸いにも神殿守護騎士に気づかれることはなかったようだ。
どれだけ奉武大祭に熱中しているというのだろうか。
部外者ながらにこの警備の薄さを心配せずには居られなかった。有事の際はどうするのだろうかと思わざるを得なかった。
同時にここまで手薄だという事はザティスが善戦している事は確実だった。彼は適当に場を荒らしてフケると言っていた。
だが彼のことだ。きっと自分のやれる限界まで戦うつもりに違いない。彼の無事を祈りつつ、三人は無事に教会の門をくぐり抜けた。
「にしても、本物のカロルリーチェ様はどこに逃げたんだろうね。アシェリィが捕まったから捜索は打ち切られてるはず。その間に変装でも仮装でも出来るだろうし。ま、またこうやって教会からいなくなるわけだからすぐに再捜索されるか……」
青年は顎に指を添えて考える素振りを見せたが、考えても仕方ないことなのですぐに気分を変えてフレリヤの方を見た。
「あたし、安心したらお腹がすいたよ。せっかくオウト? に来たんだ。何かおいしいものが食べたいなぁ……」
彼女は眉をハの字にしてアシェリィを背負いつつ、片手でお腹を擦った。
「そういえば、ゴタゴタのせいで君の知りたいウルラディール家跡継ぎの女の子についても後回しになってしまっていたね。ザティスを待つ間、それについても調べよう。おいしいものについては……あは、あはは……考えておくよ」
彼はだいぶ前にすっからかんになった自分の財布をさすり、心の中で泣いた。




