恐れ知らずのエスケイプ
アシェリィは冷や汗びっしょりでベッドから半身をガバッと起こした。まるですっぱり切れていた糸が元通り繋がるように彼女は自分に意識が戻ってくるのを感じた。
眠っていて起きるのとは異なった歪に精神が繋がるような気持ち悪い感覚だった。
寝ている間、見守りをしてくれていたらしい侍女が声をかけてきた。
「カロルリーチェ様、また外で誰かに”お触れ”になったんですね。あれほど無闇にお触れになってはいけないと怒られたじゃありませんか。案の定、今回も過労でお倒れになって……。今日はお楽しみになさっていた奉武大祭ですよ。まぁ、お嬢様はご覧になれませんけど。さぁ、目を覚ましたらお風呂に入りましょう。昨日は一日寝たきりでしたからね」
しばらく意識がぼんやりしていたが、徐々にはっきりと物事が考えられるようになってきた。
噂には聞いていたが、サモナーズ・ブックの転写は想像以上に負荷が高いらしい。侍女の話によれば丸一日は寝ていたようだ。
ここに居る間、もしかしてファイセル達が助けに来てくれるかと何度か考えもしたが、数日経っても全くその気配がない。
このまま待っていたら埒が明かない。彼女はそう焦っていた。それに、こんな窮屈な生活や服にも嫌気がさしてきていた。
居てもたっても居られず、やはりここは自力で突破するしかないと決意を固めた。
冷や汗を拭い、ベッドから起きるとすぐに本棚の前に走った。転写したはずの本を探す。
確か転写したのは無地の空白の多い薄手のノートだったはずだ。本棚は分厚い本が多かったのですぐにノートは見つかった。
こんなに分厚く、難しそうな本をカロルリーチェは読んでいるのだろうかと少し意識がそれた。
すぐに視線を薄手のノートに戻し、パラリパラリとめくるといくつかの幻魔との契約が刻まれていた。
限られた幻魔だけでこの有様だ。脱出に使う幻魔だけを転写したのは正解だった。
自分の力を遥かに超えるアルルケンなど転写しようものなら一体何日意識が戻らないかわかったものではない。
そう考えると余計にアルルケンと契約済みのサモナーズ・ブックを取り戻さねばならないと思えた。
「サモン・ストナーチ!! ドンドマ!!」
まず、アシェリィはノートから一体の幻魔を呼び出した。ぎゅっと握った手を開くと灰色の小石が手のひらに現れていた。
見た目はただの石ころである”ドンドマ”である。この幻魔は握った者の意志を感じ取る事が出来るらしい。
以前、試してみた結果、遠くに飛ばそうと思えば飛距離が伸びるし、水を切ろうと思えば何度も水切りが出来た。
この”意志に反応する”というところがポイントに思えた。もしかすると自分の持ち物に残る微弱な意識を追跡することが出来るのではないかと考えたのだ。
もちろん、他人や他人の物を追跡したり出来るほど高度な幻魔ではないが、自分自身の物程度なら察知できそうではあった。
「う~ん……ちょっと大きいかな……縮まないかなっ、くっ」
扉の下を通り抜けるには大きすぎるドンドマをアシェリィは思いっきりギュウギュウ握って縮めようとした。
何となく痛がっているのが伝わってくるような気もするが、辛抱してもらう他無い。そのまま圧縮し続けるとやがて小指の爪くらいの平たい石ころに変形した。
「これならッ!!」
フリフリの寝間着を着させられた少女はその姿に見合わない大振りな水切り投げフォームでドンドマを床に向けて投げつけた。
普通なら床にあたって跳ね返るところだが、彼は着地すると氷の上を滑るかのようになめらかにスーッと扉めがけて移動していった。
そしてカツンという小音と共に扉を突破して外へ出ていった。思わず少女は拳を握ってガッツポーズを決めた。
彼はすんなりと部屋を抜け出す事が出来たが、アシェリィはこうは行かない。
ここに連れてこられてからというもの、この部屋の外に出られたことは一度もなかったからだ。これには少しばかり彼の華麗な脱出方法を羨む事となった。
ドンドマがどのあたりを滑っているか具体的に知る手段はなかったが、おそらく自分の荷物を探し当てれば何かしら反応があるように思えた。
焦っても仕方が無いように思えたので侍女に小言を言われる前に入浴することにした。
風呂から上がるといつものギュウギュウとキツイ締め付けの着付けが行われる。まるで誰かにしたように自分もフリフリの服に押し込み、押し込まれていく。
巡り巡って自分にしわ寄せがやってきたように思えたが、今はこんな仕打ちをした彼を信じるしか無い。
師匠からは『幻魔はどんな姿のものでも生き物として扱うべし』と教わっていた。実際、形をなさないもの、喋らないもの、何を考えているかわからないものでも”意志”は存在する。
その意志を蔑ろにする事は幻魔そのものを軽んじることである。
現にドンドマにはただの石ならざる意志があり、こちらの考えも多少は伝わっているフシもある。
とにかく、こういったやりとりを大切にすべきということなのだろうと漠然と彼女は思った。
着付けが終わるとアシェリィは天蓋付きのベッドに座り込み、天蓋の内側で次の作戦を実行に移そうとしていた。
侍女が不思議そうな顔で覗き込んでくるので転写されたノートを開いたり閉じたりを繰り返してやり過ごした。侍女はテラスから空を見上げた。
「カロルリーチェ様、ほら、花火が上がっていますよ。王都の方ですね。神殿守護騎士のみなさんは今頃、奉武大祭を見に行ってるんでしょうねぇ。いつも廊下を見張ってる方もいらっしゃいませんし。こんな時に侵入者でも来たらどうするおつもりなんでしょうね? まぁ、そんなことはないでしょうけど……」
彼女の話を適当に流してアシェリィはノートのドンドマのページに手をかざして集中した。すると彼の動きが止まっているような気がした。
彼女の意志を伝うように動いていたものが止まるということはつまり、目的に到達した可能性が高かった。
パラパラとノートをめくって別の幻魔のページを開いた。鳥型の幻魔、ヒスピスのページである。目を閉じて集中してドンドマとヒスピスの意識をリンクさせた。
召喚術にはこうやって幻魔界を通じて二者、あるいは多者を繋げるリンゲージという術法がある。今回はドンドマの位置情報をヒスピスに伝えたのである。
だが流石にそこそこ大きいヒスピスを召喚するとなると侍女に気づかれる。
世話になってきた彼女相手に手をだすのは気が引けたが、一応彼女をやり過ごす作戦も考えてあった。
「ちょっと、ちょっと来て頂戴!!」
大きな声を上げて侍女を呼ぶ。ニコニコしてこちらへやってきた彼女に罪悪感が湧くが背に腹は代えられない。アシェリィはとあるページを開いて素早く召喚した。
「サモン・フィアレーネ!! ポルムス!!」
呼び出すと同時に彼女は腕で目を覆った。現れたのは淡く赤色に光るおふさけ顔の幽霊だった。
透けていて光だけの存在のようなものだが、昼間でも視認することが出来る。出現と同時に彼はチカチカと目眩がするほど激しく点滅した。
その光の激しい点滅をモロに見た侍女はショックで泡を吹き、卒倒した。
アシェリィは手のひらを額に当てて思わず首を横に振った。これだけはやりたくなかったのだ。これだけは。侍女に大して深々と謝罪のお辞儀をした。
「ヘイヘーイ。アシェリィちゃん、そんな事してる余裕、あるのかーい? ハーリアップだぜ!!」
ポルムスの言葉に頷き、彼女はノート片手にテラスめがけて走った。
バタンと窓を開けてテラスに出ると高所を吹き抜ける風が彼女を強く煽った。
流石にこの高さからヒスピスに捕まって降りる事は出来ない。だが彼女には別の策があった。
「サモン・エリアラージェ!! ヒスピス!!」
呼び出したヒスピスはしっかりドンドマとリンクしている。
指をさして飛んで行くように指示するとエメラルド色の綺麗な羽をしたヒスピスは飛び立った。そして風を切って急降下し、下のほうのテラスの窓をぶち破った。
おそらく、その階に取り上げられた荷物があるのだろう。
彼女なら体当たりで扉を開けて進むことが出来るはずなので、あとは荷物を運び出してくれるのを待ちつつ自分も脱出する番だ。
あと一息というところでアシェリィは複数の幻魔を召喚した事による疲労感や倦怠感を感じ始めていた。汗が頬を滴り、額からは吹き出すように発汗している。
フリフリ服の袖で荒く汗を拭い、深呼吸して心を落ち着けた。そして息が整うとノートを開いてあるページに手をかざした。
「サモン・グリンストリンガー!! ラーダ!!」
そう詠唱するとノートから緑のツタがニョキっと顔を出した、それを引っ張るとツタ全体が姿を現した。
今は短いが、伸ばす気になればかなり伸びるはずである。テラスの柵に巻き付くように命令するとラーダはシュルシュルと何重にも重なるように柵に巻き付いた。
このツタがどれだけの重さに耐えられるか実際の所、よくわかってはいなかった。
だが、ヒスピスを押さえつけた実績から考えると自分の体重くらいならなんとかなりそうに思えた。
疲労している事も考えるとかなり危険な賭けだったが、彼女は躊躇しなかった。こういう恐れ知らずで無鉄砲なところは彼女の長所でもあったが、同時に欠点でもあった。
テラスから脱出するというのはカロルリーチェの脱走方法から思いついたものである。
細いツタに命を預けるのは心細かったが、アシェリィは自分の幻魔を信用した。
自分の体に巻き付くようにイメージしているとラーダがそれに応じて腰からもものあたりまで覆うように巻き付いてくれた。
これならば途中で手を離してしまったり、滑って落ちたりという心配はなさそうである。
あとは強度だけだが、今更戸惑っていても仕方ない。アシェリィは臆する事無くテラスから身を乗り出した。




