私は私、あなたも私?
どれだけ走っただろうか、アシェリィは怒りにまかせて走り続けていた。もう自分がどこを走っているかなど全くわからなくなっていた。
やがて、息が切れて膝に手をついて荒く呼吸をした。思わず深呼吸すると徐々に激しい呼吸は穏やかなものになっていき、やがて胸の苦しさがなくなった。
そして思いっきりため息じみた吐息を吐いた。
その頃にはすっかり頭も冷えて火山の如き憤怒はクールダウンしていた。
ふと冷静になってあたりを見渡す。すると自分が多くの人の雑踏の川の真ん中に取り残されている事に気づいた。
慣れない大勢の人混みの中で気分の悪くなったアシェリィは逃げるかのように薄暗い路地に転がり込んだ。
冷静になればなるほど自分の行動が無謀な行動が迂闊だったと思えてくる。
たとえそれが感情によって抗えない物だったにせよ、この状況を作り出してしまったのは明らかにまずかった。今、自分が大都市の中でどこにいるかさえわからない。
そんな状態で、しかもこんな巨大都市の中で人探しをするなんて出来るはずがないと彼女は思った。
更にこの石畳ジャングルの中で、自分を知っている人はファセル達しかいないという孤独感が彼女の絶望感と焦燥感を一層煽った。
「あ…………な、なんとかして先輩たちを見つけなきゃ―――」
何もアテがないからといって、呆然としていたままでは現状を打破する事が出来ないと彼女は踏んで、ファイセル達と合流する方法を模索せねばと動き始めた。
これほどの都市なら迷子を扱う国防軍管轄の憲兵の詰め所や、チップと引き換えに街を案内してくれるガイドがいるのだが、田舎出身の彼女は不幸にもそれらを知らなかった。
その為、それらを訪ねるという発想さえ浮かばなかった。
「あはは…………また迷子になっちゃった。笑われちゃうよね。こんなんじゃ。冒険者失格だよ……」
アシェリィは頬に残った涙を拭いながら路地を抜けようと歩き出した。その直後、彼女は路地の反対側から来る誰かにぶつかって思いっきり尻もちをついた。
運悪くやってきた相手と頭同士をかち合うようにぶつけあってしまったので、アシェリィは頭が割れるかのような頭痛に見舞われた。
「あいたぁッーーーーーーッ!!!!」
「いっつゥ~~~~~~~~!!!!」
同時に目の前と頭の中が一瞬、真っ白になった。このまま意識が飛んで気絶してしまうのではないかと思ったが、少しすると意識はハッキリしてきた。
頭をぶつけただけでここまで頭の中が揺れるのかと彼女は戸惑った。そして痛みが和らいできた頭を片手でさすりながら片目を開いた。
するとまた奇妙なことが起こった。自分の目の前で、”自分自身”が頭を抑えて尻もちをついているのである。
そこに鏡でもあるのかと思ったが、目の前の”自分”は両手で頭を押さえ込んでいる。
それに、着ている服も違う。純白でフリルのたくさんあるフリフリな服装で、高価そうなアクセサリーを嫌味にならない程度に身に着けている。いや、これは他人である。
髪の色や瞳、肌の色、背丈の高さはほとんど自分とそっくりだが、それは間違いなく自分とは”別人”だった。
だが、そっくりというにはあまりにも似すぎている。昔、本で読んだドッペルゲンガーや「世の中に自分と同じ顔の人は三人いる」などの事柄が頭をよぎった。
「いったいなぁ!! あんた、ちゃんと前見て……って、うえぇぇぇ!? あたしがもう一人いる?!」
互いに考えることは同じらしい。アシェリィがまだ残る頭痛の余韻を感じながら頭を擦っていると何が楽しいのだろうか、相手はにんまりと笑みを浮かべた。
それが何を意味するのか全くわからず、アシェリィは困惑した。
「ふ~ん、使える」
自分とソックリな少女は小声で何かつぶやいたようだったが、アシェリィの耳には聞き取ることが出来なかった。
そうこうしているうちにその少女はその場で駆け足しながら切迫した様子で声を荒げた。
「お願いします!! あたし、悪い人たちに追われてるの!! うまく巻けるように手伝ってください!! ここに来る連中はきっとあたしの行方を聞くわ。そしたらこの路地を反対側に向ったって伝えてください!! お願いします!!」
「あ………………」
自分と瓜二つの少女はそう言い捨てるようにして入ってきた方向とは反対の通りへと駆け抜けていった。
一体何だったのだろうかとアシェリィは首をかしげたが、頼まれごとをしてしまったのでその場でしばらく待っていることにした。
少しするとカシャンカシャンと甲冑の音が聞こえてきた。
思わず顔がこわばったが、少女の願いを無下にするわけにもいかなかった。背をピンと伸ばしてやってくるであろう”悪い人”に備えた。
すぐに音の主は路地へと入り込んできた。どこか見覚えのある鎧を着た騎士が二人、小走りでやってきた。
悪い人に追われていると聞いていたが、話が違う。その姿はどう見ても誰かを守るナイトといった出で立ちだ。
武装こそしているものの、敵意はなくてそれを行使しようと言う様子も全くなかった。彼らは自分に気づいたようで声をかけてきた。
「まったく、カロルリーチェ様、おてんばが過ぎます。シーツを窓に結んで中庭を抜けるなんて無茶な事はおやめください。それと、その冒険者ごっこも。いくらお召し物を変えた所で、貴女を見紛う事などありませんよ。よく冒険者を観察してるのですね。再現度は高いのですが、その手はもう通用しませんな」
「えっ?」
アシェリィは反論する間もなく、左右からナイト達にがっしり腕を掴まれてしまった。思わず抜け出そうと抵抗したが、とても抜け出せそうにない。
幸い、手加減はしてくれているようでそれほど痛くはなかった。力いっぱいもがきながら彼女は捻り出すように二人に抗議した。
「ちょ、ちょっと待ってください!! 人違いです!! わたしはアシェリィ。アーシェリィー・クレメンツです!! カロなんとかさんじゃありません!!」
彼女の必死の訴えも虚しく、脇を抱えている騎士達は図太い声で笑い声をあげた。
何がおかしいのかさっぱりアシェリィにはわからなかったが、まともにとりあってくれていないのはあきらかだった。
「はっはっはっ。カロルリーチェ様のご逃避は回を増すごとに進歩していきますな。今度は人違いですか。しかしだめですよ。何度も言いますが私め達が貴女のお顔を見誤ることはありません。それに、たとえ顔が見えなくても髪や、声、体型など何度も捕まえていれば覚えますとも。第七神姫近衛兵の役職は伊達ではありませんよ」
それを聞いてアシェリィは未だに自分がカロルリーチェという少女本人であると誤解されたままだということを理解した。
どうにかして誤解を解こうにもあれだけ似てしまっていると見てくれだけでは人違いだと証明するのは難しい事はわかりきっていた。
パニックになりつつもなんとかしてわからせようと考えたが方法が全く思いつかない。
いくら自分の身分を名乗った所で、よく出来た作り話の設定としか思われないだろう。ダメ元で彼女は自己紹介を始めた。
「私はアルマ村出身のアーシェリィー・クレ―――」
「あーはいはい。冒険者のアシェリィさんね。そのお話は教会本部に戻りながらいっくらでも聞いてあげますから。さ、カロルリーチェ様、教会のお部屋へ戻りますよ~」
結局、両脇を抱える騎士には叶わず、アシェリィはぐったりして抵抗するのをやめた。話を聞くからに丁重な扱いをされているし、命の危機などは感じなかった。
しかしどこに連れて行かれて何をするのかは全く見当がつかず、激しい不安に苛まれた。
路地を抜けて、広い通りに出た。そこには多くの人が行き交う雑踏の川が広がっていたが、今までと異なり、海を割るように人並みが割れて道が出来た。
なんの騒ぎかとあたりをキョロキョロと見渡すとどうやら街ゆく人々は自分たちに道を空けているらしい。
ここでは両脇を抱えられて三人が歩いている程度ではここまで注目されないはずだ。耳を澄ますと周りの人達の話し声が聞こえた。
「おお、麗しきカロルーチェ様……どうか我らにご加護を」
「街に来て我々と会ってくださるのはカロルリーチェ様くらいなものですわ」
「またアイツら神姫様をつかまえて……。いい加減自由にして差し上げたらどうじゃ」
「ママー!! またシンキのおねーちゃん捕まってら~。かくれんぼならオイラのほうが得意だぜ!!」
「こら!! 滅多なことを言うもんじゃありません!!」
理由はわからないが、カロルリーチェという少女はなんだかとても慕われているらしい。それに神姫という言葉もそここから聞き取れる。
人並みの作るほどの人徳のある人物にしてはふさわしくない粗末な扱いを受けつつ、アシェリィは遠くに見える尖塔のような建物へと連行されていくのだった。




