不信仰の代償
里から二時間程歩いただろうか。アシェリィの嗅覚を頼りに一行は森の中を歩いていた。森はかなり深かったが、道はそれなりに整備されていた。
ところどころに差し込む木漏れ日が心地よかった。深部の割にモンスターの気配はない。もしかしたらパルマーの樹の影響かもしれないなとアシェリィは思っていた。
「私は修行した環境のために水属性と樹木属性の幻魔との親和性が高いみたいです。だから今回の場合はアウェイとホームで言えばホームですね。逆に岩とか、火、雷なんかは苦手……というか未開拓なんですよね。でも、難しいことに相反する属性の幻魔同士はとても仲が悪いんです。同時に多属性と契約すると仲裁に悩まされるって師匠は言ってました」
後ろをついて歩いていた二人は興味深そうにそれを聞いていた。するとザティスが思いついたように喋った。
「派閥……ってやつだな。別次元に暮らしてるはずの幻魔なのにそういうとこ人間と大差ねぇってのはなんとも言えねぇな。ルーンティア教会も表向き平等なんつってるけど内部じゃそういうドロドロの争いがあるらしいぜ。俺はそういうの大嫌いだけどな。なんつーか陰湿なんだよやり方が」
ファイセルは顎に人差し指をそえながら彼の言葉について少し考えを巡らせているようだったが、すぐにそれに対する返しが見つかったらしく口を開いた。
「確かに。僕も派閥っていうのはあんまり好きじゃないなぁ。だって窮屈じゃない。真のチームってのは自然と生まれる連帯感によって成り立つものだと思ってるし、やっぱり権利主義の派閥ってのは性に合わないかな……」
そう彼が言うやいなや、後ろからザティスが大きな手で彼の背中を小突いた。
「お~、さっすがリーダー。言うことが違うね! ただまぁちょっとクサいな。減点~」
ファイセルは煙たそうに彼の手をのけながら眉をひそめた。そして思わず肩をすくめて呆れたような表情に変わった。
「も~。茶化すんじゃないよ~」
その様子を振り向きながら見ていたアシェリィは微笑ましくなって思わず声を出してわらった。彼らが戯れるその光景はまるでちょっかいを出しあう少年そのもので屈託がなかった。
まるで幼少の頃からずっと一緒だったように思えるほど仲が深いように見えた。
「ほらザティス、またアシェリィに笑われてるじゃないか。一応僕らは保護者なんだよ? 笑われてるようじゃダメだって」
「お~、何々ファイセルくん、”威厳”とか気にするタイプ? アシェリィは仲間なんだからそんな気遣いらないと俺は思うんだがなぁ~?」
アシェリィは彼らを結びつけたまだ見ぬリジャントブイルのことに思いを馳せた。もしかしたら自分も入学できれば、まだ知らぬ誰かとこんな関係を築けるかもしれない。そう想像した彼女に一層、笑みが満ちた。
一行に緊張感はなく、さながらピクニックのようになった。その場の全員が内心、少し油断し過ぎかななどと思っていた。
だが戦いが続きがちな中、たまにはこういう旅路も悪く無いとあえて誰もそのことを指摘せずに森の中を歩いた。歩きながら三人は目的地のパルマーの樹について話した。ファイセルが疑問を口にした。
「パルマー……の樹だっけ? どんな樹なんだろう? 頭一つ抜けているわけじゃないから、大木ってわけじゃないんだろうけど……シャンテの言ったように祀られてるって雰囲気じゃなくなかった?」
ザティスも同じことを考えていたのか、長老の話を振り返った。
「ん~、『木の実をとらないでくれ』っつー話だが……。もし御神木かなんかだったりすりゃいくら住民でも食糧として木の実は取らんだろ。もっとこう、身近な、親しみのある樹なのかもしれねぇな。となると意外と地味な樹だったりしてな」
アシェリィはそれを聞いて視線を泳がせた。
「う~ん、これだけ距離が離れてるのに感知できるってのはやっぱりただの樹では無いと思うんですが……。ただ、村の人達がこれだけ道を整備しているわけですからサモナー以外にもわかりやすい特徴があるはずです。もうちょっとで着くはずですから、行ってみましょう」
三人はそれから更に三十分程、道を進んでいった。すると森の一角が人為的に切り拓かれていた。
道はそこで途切れており、大人の男性二人分くらいの丈の小ぶりな樹が生えていた。樹には様々な色や形をした大量の木の実が実っていた。
「こ、これが”パルマーの樹”か? 変わっていると言えば変わってんな。特にこの木の実が……」
ザティスは樹を眺めながらあちこち観察し始めた。ファイセルも彼に続いて樹の構造や特徴をチェックし始めた。どうやらいつものように彼らには視えていないらしい。
「……これは……精霊が樹から乖離しかかっていますね。確かに一部の人には妖精が踊っているようには見えるかもしれないけど……。このままにしておくと樹が枯れてしまいます。離れつつある精霊を集めますね」
アシェリィは両手のひらを木に向って掲げ、ふわふわ舞う精霊を一体一体ペタペタと貼り付けるように一箇所にまとめていった。
どんどん集まっていくにつれ、彼らはファイセルとザティスにも見える形へと集結していく。やがて妖精たちは木の亜人の姿のように姿を変えた。腰はエビのように曲がっており、目はないが顔らしき部分には白い髭をたくわえていた。
「ぷえーーーーーーー!! あんの耳尻尾の亜人め!! こんなペースで木の実を食べられたら全くたまらんわい!! あやうく枯れるところだったじゃろうが!!」
姿をあらわすと同時に幻魔は怒鳴り声を上げた。人間の子供ほどの身長しか無かったが、気迫は伝わってきた。どうやらよっぽど自分の置かれている現状が気に食わないらしい。続けて愚痴を口にした。
「まったく、最近の者共は!! ワシらみたいな弱小幻魔にとって人間の信仰というのは貴重なマナ、活力の元だというのに木の実の採れる樹程度の認識しかないのかの!! 昔はパルマーの樹と言えば―――」
話が長引きそうだったので、こちらから老木の幻魔に声をかけてみることにした。
「あ。あの……乖離しかかっていましたが、大丈夫ですか?」
老木の幻魔はこちらに気づいて、じっくりと観察し始めた。幸い、相手から敵意のようなものは感じない。髭を手に当たる枝でいじりながら無言のまましばらく様子をうかがっていた。
「ほぉ、お嬢さんがワシらを集結させてくれたんじゃな。礼を言うぞい。良い森の香りがするのう。それに水源も豊富と見た。まだ位の高い樹木の幻魔はおらんが、なかなか有望……といったところかの」
目や口がないので彼の表情は読めなかったが、なんだか満足そうなニュアンスで幻魔は答えた。気に入られているようだし、これは好機と見たアシェリィは一気にネゴシエーション(交渉)に乗り出した。
「あの……よろしければ私と一緒に行きませんか? お力を貸していただけると助かるのですが……」
相手の姿勢や態度からするに、恫喝するなどの荒っぽい扱いより理知的な会話が可能なのではと思った彼女は物腰柔らかに彼に提案した。
どんな返事が返ってくるか、緊張の沈黙が両者の間に流れた。少しして幻魔が口を開いた。
「ふ~む。まだサモナーとして未熟な感は否めぬな。仮に契約すればワシが樹属性ではトップになる……か。他を引っ張っていく立場は苦手じゃなぁ。じゃが、おぬしの契約している水幻魔は実に魅力的じゃ。今の環境に比べればかなりの高待遇。そうさなぁ……将来性もコミでついていってもかまわんぞ」
今までにないあっけない契約にアシェリィは拍子抜けしたが、すぐに笑顔を浮かべた。しかし、疑問に思ったことがあって幻魔に問うた。
「で、でも、樹の、パルマーの樹の精霊……幻魔が居なくなったら木の実が取れなくなったりしてしまいませんか? それが一番心配なんですけど……」
老いた樹の翁は想像していた反応とは違い、あっけらかんとしていた。
「あー、ええんじゃええんじゃ。信仰を疎かにした里の者共が悪い。ノーギャラで働く義理はないからの。それに、どのみちこのペースで実を食べられたら樹が枯れるのは不可避じゃ。ワシが生き残るために鞍替えするのを誰も咎めることは出来まい。里の連中も樹が枯れた程度では飢えはせん。ま、自業自得じゃな」
思わずアシェリィはファイセルとザティスの方を振り向いてどうすべきか確認を取った。二人は難しげな顔をしていた。確かに老木の幻魔の言っていることは正論だったが、里の人のことを考えると後ろ髪を引かれた。
「ほれほれ、どうするんじゃ。さっさと決めんとワシはふらふらどこかへ行ってしまうぞ?」
樹の幻魔のせっかちな催促に三人は顔を見合わせて頷きあった。アシェリィはサモナーズ・ブックを取り出すと幻魔の方へ白紙をかざした。
すると彼は吸い込まれるようにサモナーズ・ブックへと移動した。同時にアシェリィの中に老木の幻魔の情報が流れ込んできた。
「パルマーの大樹に宿っていた幻魔、ザンハ……。特技は木の葉を身にまとうリーブス・コート……。樹木属性、水属性を軽減……火属性に弱い。……これはうまく使えばかなり役立つ幻魔ですね。今まで契約してきた中では割と実力者ですし」
アシェリィはつぶやきながらブックをパタリと閉じて、樹に背を向けた。間もなく、この樹には実がならなくなり、少なからず里の人達の生活に影響をおよぼすだろう。
しかし、それは樹への信仰をおそろかにして食料源として扱った里の人達のせいでもあった。
それに生き残るために鞍替えしたいと申し出る幻魔を無下にする事は出来なかった。幻魔と人の関係は思っていたよりデリケートなのだなと割り切り、一行は里への道を戻り始めた。




