本当の名は誰も知らない
一行はシャンテからの情報を元に、パルマーの樹目指してティアランそばの街道から森の小道を東へと歩みを進めた。
整備された街道とは違い、完全に森の中を行く事になった。街道から外れて半日ほど進んでいくと更に森は深くなり、やがて獣道と呼べるほどの道しかなくなった。
来た方向も草木で覆われ、いよいよ遭難かといったところだった。
「ん!! これは……。強い精霊の香りがしますね。こっちです!!」
アシェリィがうまい具合に精霊の気配を察知したようで、彼女が先頭を切ってヤブの中を切り抜けていった。それからさらに二、三時間歩き続けると開けた場所に出た。
そこは森がある程度、開拓されており、民家もちらほらと見えた。これが噂の人里だろうか。そこに着く頃にはもう夕暮れ時になっていた。
ザティスを除いて他の二人は疲労の色隠せずといったところだ。気を使ってザティスは声をかけた。
「こんな辺鄙な集落に宿があるとは思えねぇが、一応確認を取ってみようぜ。俺はまだ余裕があるが、ファイセルとアシェリィは疲れたろ。さ、あと一息だ。行くぞ」
彼は手をひらひら振って二人についてくるよう促した。肉体強化、特に持久力強化が得意でない者は半日も強行軍で歩けばかなり疲れてしまう。
全く魔法が使えない”エンプ”に比べれば持久力、疲労回復の面などでは上を行くのだが、それでも一度に活動できる量には限界がある。
ザティスは一番大きな建物の扉をノックした。すると長い白眉をした腰の曲がった男性の老人が玄関の扉を開けてこちらを覗いてきた。
「はて、こんな時間にどなたかの?」
「じいさん、夜分悪いな。旅の者なんだが、どこか泊まる場所を探してる。この集落に宿屋……いや、泊まれそうな場所はあるか?」
白眉の老人は難しげな表情でしばらく考え込んでいたが申し訳なさげに返事を返してきた。
「旅のお方、すいませんがこの里には宿はありませんのじゃ。それに、失礼ですが素性の知れない他所のお方を家に上げるわけにもいきません。他の家も同じでしょう。どうしてもというなら倉をお貸しすることはできますが……」
旅の三人はどうしたものかと顔を見合わせたが、ここまで来て野宿するというのも得策には思えなかった。そのため、背に腹は変えられないと老人に倉に泊めてくれるように頼み込むことにした。
「じいさん、無理言ってすまないな。倉を借りてもいいか?」
老人はまた申し訳なさげにペコペコ頭を下げて、母屋の脇の倉に三人を案内した。老人がカンテラをつけると小奇麗に手入れされた倉の様子が明らかになった。
「本当に申し訳ない。こんな所で……。堪忍してくだされ。では、私はこれで……」
老父は足早に倉から立ち去って、母屋の方に行ってしまった。その様子をみてアシェリィは寂しそうな表情を浮かべた。
「私達、全然歓迎されてないみたいですね……邪険にされてません?」
ザティスはその言葉を耳にはさみながら腕枕して倉に積んであったワラの上に寝転がった。
「何言ってんだ。倉を貸してもらっただけでもまだマシだぜ。こういう隠れ里みたいなとこは大抵よそ者に厳しいんだよ。前に村人総出で石投げられたこともあったよな?」
ファイセルは苦笑いしながら首を縦に振った。
「あぁあぁ、あの時はひどかったね。実習で立ち寄った村がよそ者にすごく厳しくてさ。村人全員が石投げてくんの。当時は大変だけど、今思うと笑っちゃうよね」
横になって天井を見つめていた大柄な青年はつぶやくように言った。
「それに、だ。幸いここらへんはまだティアランの気候圏らしい。春と夏が混在してるからこんな土間とワラ程度でも過ごすにゃ困らないってのも恵まれた点だな」
またもや細身の青年が思い返すように色々と学院の実習の思い出話を楽しげにしていた。どうやら話しによれば砂漠や豪雪地帯、ジャングルから海まで様々なところを実習で回ったらしい。それを聞いていたアシェリィは冒険心をくすぐられた。
「いいなぁ……私も行ってみたいなぁ。冒険がしたくて力を付けるため師匠に弟子入りしたようなもんですし。宝物にも興味がありますよ!!」
ファイセルとザティスは少し驚いたような表情でアシェリィを見つめた。一度に二人に見つめられて、彼女は自分が何かおかしいことをいったのかとこっ恥ずかしくなった。それに対し、ザティスは天井を眺めながらアドバイスじみた事を言った。
「ふ~ん、意外だな。その性格でトレジャーハンター志望かよ。俺の知ってるトレハンはみんながめつい奴らばっかだぜ。もしトレハン目指すならもうちょっと大胆さというか、したかさが必要だな。あと図々しさだな。騙されるより騙す。トレハンのイメージってそんなもんだからな」
ファイセルもアシェリィの志望は初めて聞いてみてやはり意外だと思ったらしい。
「僕もアシェリィはおとなしいイメージあるし、トレハンっぽくないと思うなぁ。かといって何が向いてるかって言われるとやっぱよくわかんないけど、欲望に忠実ってより人助けのほうが向いてるんじゃないかと思うよ。きっと師匠もそれを見込んで弟子にとったんだろうし」
二人の意見にアシェリィは思わず”憧れのお姉さん”の話題を口に出そうかと思ったが、喋るとなんとなくお姉さんとの秘密を破ってしまう気がして、彼女についての言及は避けることにした。
だが、彼らの指摘通り、冒険を始めてからは幻魔との契約に追われ、トレジャーどころではなかったなと振り返った。
確かに手元に残る高価な貴重品、マジックアイテムは今のところ一つも手元に無かったが、今まで見たことなかった風景、会ったことのなかった人、体験できなかった事もまたトレジャーであるとアシェリィは思っていたのでこれはこれでいいのではないかと内心思っていた。
もちろん機会があればレアなお宝も手にしてみたいという願望もあるにはあったが。
その夜は色々な雑談をして互いの理解を深めた。宿に泊まるとどうしても男女に別れてしまうのでこうやってプライベートの話が聞ける機会は貴重だった。
笑い話から真面目な話、とりとめのない会話をしているといつのまにか疲れから三人とも眠っていた。
翌朝、騒がしさに目を覚ますと倉の前に人だかりが出来ていた。外からくる人間が珍しいらしく、里の人々が見物しようと集まってきたのだ。
あまりジロジロと見られるのはいい気分ではなかったので身支度をして人並みかき分けて倉を出た。すると昨晩の老爺が三人の前に立った。
「騒がせてしまって申し訳ありません。名乗りおくれてしまいましたが、わしは村長のバッポスですじゃ。お尋ねしたいことがあってきました。ほらほら、村の皆、旅人様の邪魔になるから散りなさい」
長老の一声で里の人々は散り散りになっていった。それを確認すると彼は目を見開いて旅人に質問した。
「旅人様、もしかして、パルマーの樹を目当てに来たのですか?」
老翁がなぜか深刻そうな表情を浮かべていたのでファイセルたちは目配せをしつつ、状況をうかがいながら会話を続けた。
「ええ、そうですけど……何か問題でも?」
ファイセルの言葉を聞くと長老は眉毛を指で撫でながら懇願するように伝えてきた。
「くれぐれもパルマーの樹になる実を取るのはやめていただけますかな? あの実は我々の貴重な食料です。時たま、旅人が迷い込んで樹を荒らすことがあるのです……」
ファイセルは二人を振り返って頷きあった。そして申し訳なさ気にしている長老に声をかけた。
「わかりました。僕らは観光……いや、秘境めぐりで来ています。実は取らないとお約束しますので、樹を見に行くことを許してもらえますか?」
その返事にバッポスの表情は明るくなった。そして無言のまま深く頭を下げた。その時、彼とファイセルの間をボールが転がっていった。
「待て~!!」
「キャハハ!!」
直後、大きな体をした少女がボールの後を追って二人の間を突っ切っていった。少女はボールを素早くキャッチすると走って来た方にいる少年に投げつけた。
かなり距離が離れていたが、ボールは恐ろしいほどの勢いで少年に直撃した。
「ぐへっ!! 痛って~!! 手加減しろよな!!」
「え~~~!! 手加減したんだけどなぁ!!」
旅人を巻き込んだ事に腹を立てたのか、長老はこちらに走ってきた少女を一喝した。
「くぉれ!! フレリヤ!! また騒ぎおってからに!!」
「悪い。悪い。じっちゃん許してよ~」
フレリヤと呼ばれた少女はこちらに歩み寄ってきた。先程は動いていてよくわからなかったが、茶髪に茶色の猫のような耳が生えている。タヌキのような尻尾も生えていた。
どうやら亜人のようである。近づいてきてわかったが、身の丈はザティスより一回り大きかった。その割に顔は童顔でアシェリィと同じくらい幼く見えた。
彼女はニコッとこちらのほほえみかけた後、驚く一行をよそに少年たちの輪めがけて駆けて戻っていった。
バッポスは呆れたといった表情で肩をすくめつつ、先ほどの少女の話をした。彼はふと物悲しげな口調に変わった。
「彼女はフレリヤ……。古代アヴァル語で”空から来た者”を意味します。もっとも、本当の名前は誰も知りません。数カ月前に森の中で大怪我をしていたところを我々が保護しまして……。その、彼女は自分の名前も、覚えていなかったのです。何かの手がかりはないかと外から来た人には必ずこの話をしているのですが、全く見当が……」
彼は思わずうつむいた。しばらくの沈黙が続いたが、思い出すように長老は言った。
「わからないのであれば仕方ありますまい……おお、旅の足止めをしてしまいましたな。この近辺にそれほど凶暴なモンスターは居ないとは思うのですが、どうかお気をつけて。大したおもてなしは出来ませんがぜひ帰りにここに寄って下さい。帰られる頃にはきっとパルマーの樹のご加護があるでしょう」
長老に見送られて一行はパルマーの樹を目指した。樹に住民が行き来しているからか、里に向かってきた道より多少整備され、林道と言った感じになっていた。
道中、歩きながらポツリとファイセルが振り返るように言った。
「あの亜人の女の子、どっかで見たことある気がするんだよ……どこだっけな? いや、面識があるわけじゃないんだけど。気のせいかな……」
「え? ファイセルさんも? 私もどこか……どこかで見た事ある気がします……」
「おまえらもか? 俺もどっかで見た事ある気、するぜ?」
三人共知っているということは何かしらで有名なのだろうということは想像がついたが、一体どこで、どんな形で見たのか思い出せないことにはどうしようもなかった。
運悪く誰も彼女について思い出せず、モヤモヤを抱えたまま、アシェリィを先頭に三人は獣道を進んでいった。




