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木藤明日花は夢を見る 6

 彼から依頼があったのは、一か月と三日前の事だった。

 今の事務所に移転する前の、中野駅付近の古ぼけた汚い雑居ビルに、彼は現れた。

「”夢見”さんって、こちらですか…?」

 深刻そうな眼差しは、困惑と一抹の不安を湛え、ふるふると震えていた。

 堀川 研司。H大学工学科在籍、三回生。

 話を聞くと、二か月前から妙な夢を繰り返し見ると言う。

 対して怖い夢でもないし、そもそも同じ夢を見る事なら自身にも経験があるので、最初は然して疑問にも思わなかったが、二か月毎日となると話は別だ。

 大学に常駐しているカウンセラーにも相談したが、大した解決策は見出せなかった。

 致し方なくインターネットで類似症状を検索していたところ、とある巨大掲示板で『夢見』というスレッドを見付けた。細々と稼働中だったスレッドに尋ねると、中野の雑居ビルの名前を教えてくれた。

 位置を確認し、来てみたが看板はどこにもない。試しに一階の事務所に行くと、それならもしかすると四階の変な事務所の事かもと言われ、辿り着いた、という事だ。

 研司の悪夢はたった五分で終わってしまうそうだ。終わると言っても、覚えている限りの夢が、大体五分くらいの長さに思えるだけで、本当はもっと見ているのかも知れないし、本当に五分なのかも知れなかった。

 夢は元彼女の部屋の家の前で始まる。彼女とは、現実世界でも三か月前に別れたが、夢の中でもその設定のようだった。彼女は女学生向けの小奇麗な二階建てアパートの一階角部屋に住んでいて、インターフォンを押すと、中から彼女が「はい」と言って鍵を開けてくれる。

 そもそも何故彼女の家を訪れたかと言うと、彼女に呼ばれたからだった。別れ話の事だろうか、とも思い面倒くささもあったが、一度は好きになった相手だからと、来てみた、という設定だ。

 鍵の開いたドアを開けると、台所になっているが、蛻の殻で彼女の姿はない。

 奥の部屋に人の気配を感じ、靴を脱いで入って行くと、そこには、横柄にベッドに横になりながら分厚い漫画雑誌を読む、見知らぬ男性がいた。

 男性はこちらに見向きもせず、ずっと雑誌を読んで笑っている。

 状況が解らず、彼女もいないならと帰ろうとすると、背後に人の気配を感じた。

 振り向くと視界の隅に口の片隅を上げている女性が映り、そして…。

 顔をはっきり確認出来ぬまま、そこでいつも目が醒めてしまうのだそうだ。

「ナニソレ。」

 メイがつまらなさそうに言った。その反応も、理解出来ない訳ではない。元より”悪夢”と思うほど恐怖を感じる夢ではないし、当の本人も怖いと感じなかったと言っている。

 別れてこの方、元彼女とも会ってはいないし、連絡も取っていなかった。そもそも自分で振った相手であるし、復縁出来ない事も解っている。未練と言う線も考えたが、それにしても二か月毎日見るのは奇妙この上ない。

 もしかしてと思い、相談に来たと言っていた。

「未練ないとか、プライド高いんじゃないの、そのオトコノコ?」

 メイの言う事は、類も考えたのだった。確かに二か月毎日見ると言うのは奇妙ではあるが、有り得ない話でもない様な気はしたのだ。寧ろ、現実的に彼自身に何か支障が出ないなら、いっそ未練でしょうとでも言って終わりにしたかった。

 だが、わざわざ相談に訪れてくれた客を、”夢見”を試す事もせず追い払う事も憚られ、引き受ける事にしたのだった。

 その日は類が夜用事が入っていて調査が出来なかったため、翌日の夜のスケジュールに合わせる事にし、そして翌日、”夢見”を行った。

「どうだったの?」

 メイが大して興味もなさそうに尋ねると、類の顔が曇った。

「結果から言うと、”悪夢”ではあった。それに今、彼は昏睡状態に陥っている。」

「あら…。”心を食われちゃった”訳ね。」

「恐らく。」

「『恐らく』?」

「俺は、呪い主が多分、彼が俺と接触する事を想定していたんじゃないかと思ってるんだが…、彼の夢に入ろうとしたところで、電話が鳴った。無視しても良かったんだが、気が逸れて集中出来なくてな…。出れば無言電話で、頭に来て電話線引っこ抜いて、何とか夢には入ったんだが、彼の姿を確認する前に夢から追い出された。」

「ルイを追い出せる呪い主なんているの!」

 メイが驚いた。やる気こそそれほど見られないが、”夢見”としての実力は、同業者としては擢んでている事を、幼馴染であるメイは知っている。祖母の元で”夢見”としての開花を促されるずっと以前から、類が不思議と夢に出て来て、何かを解決してくれたと言う同級生の話をわんさか聞いて来たし、高校卒業直前だったか、実際に”夢見”を行うところを、この目で見てもいる。”南様”と謳われた祖母が難しいと躊躇った”悪夢”をも解決した類は、祖母の言葉を借りれば『類稀なる才恵まれた”夢見”』であり、歴代の”夢見”の中でも尤も高い能力を持って生まれた。そしてこの冷めた性格と、相反して引き受けた仕事には手を抜かぬ熱意、生まれ持った優れた勘と、少少嫌われがちな細かな拘りが、”夢見”を事業として成り立たせている。

「俺も少し気を抜いてた。電話で動揺していたのもあったが、入るのが遅れた事で、彼を見失っていたからな。アパートを探すのに手間取って、うろうろしているうちに…。」

 少しプライドが許さなかったのか見栄を張ってはいるが、一方で確かに普段の類なら或いはやらなかったヘマでもあるかも知れない。

 相手にとって、運が好かったと見るか否か。偶然と見れば大層運が好いだろうが、その直後に研司が昏睡状態に陥った結果から見て、あの夜に”悪夢”が大詰めを向かえていた事は間違いないと思えた。そうであるならば、夢についてそれだけの知恵を持つ者である。”夢見”の存在も認識していたと見た方が、類としては納得が行った。

「ルイを追い出したヤツが、呪い主ね。」

「それは間違いない。」

「振られた腹癒せかしら?」

「…その線は…考えなかった訳じゃないが…。」

「ねえ、ルイ?」

 言い淀む類の言葉をメイが遮った。

「アンタ、そのあとその件、何にも調べてないの?」

 類はふいとメイに背中を向けると、デスクの上から一冊のファイルを取り、メイに投げた。

 メイが開くと、パンチ閉じ式のファイルの一ページ目に手紙のような物が閉じてあった。「ナニコレ」と呟きながら文面を舐めた。斜め読みではあるが、差出人は母親のようで、大まかに、息子の意識が戻らないのは類の所為と思っていて、これ以上息子に関わるな、という内容が、美しい達筆な字と大らかな言葉で綴られていた。勿論、その裏から滲み出て来るのは、類への憎悪でしかない。

「誰かに、俺に相談する事を言っていたのか、何かから突き止めたのかは定かじゃないが、”夢見”を行った三日後にそれが届いた。俺はそれで、意識不明である事を知ったくらいだ。」

「……。」

「関わるなと言われてしまえばそれまでだ。夢でも見てくれれば別だけどな…。」

「現実世界での接触は無理って訳ね。まぁでも、それならこの展開はよかったじゃない。」

「ああ、口実は作れる。ただ、正面切って行くには弱すぎる。」

「どうすンの?」

「…木藤明日花の”悪夢”に堀川 研司と関係のある人物がいたとなれば、明日花も研司を知っている可能性がある。何とか、”悪夢”から辿れないか探ってみる。もしかすると、あの夢のどこかに、研司がいるかも知れない。」

 かも知れない、とは言ったが、夢には潜在意識に残る総ての人物が『棲んでいる』。だから必ずいる筈だ。彼が、明日花の夢の中でどういった位置にいるか見つける事が出来れば、”呪い主”が誰かも解るかも知れない。

 ”呪い主”を暴いてしまえば、”呪い主”を介して再び研司の”悪夢”に入れる。食われてしまった心は修復出来ないが、研司のために何か出来るはずだ。

「珍しいじゃないの。」

 無言で俯く類を、メイが面白そうに見た。

「?」

「類が積極的に夢を見ようとするなんて。」

「……。」

 ”夢見”という仕事は嫌いだ。面倒だし、見なくていい様々な黒い物を見ては気分も悪くなるし…。だが、中途半端はもっと嫌いだ。引き受けた以上、出来る事は最後までやりたい。メイはそんな性格を重々承知している筈なので、明らかにからかっていると判断できた。

 類はメイをじろりと睨みつける。

「怒ンないでよ。で、私は何かする?」

 適当に類をあしらい、メイが企みがちな笑顔を浮かべて問い掛けた。

 類も小さく溜め息を吐いて、ころっと気分を変える。

「堀川 研司の交友関係が知りたい。」

「おっけー。三時間で行けそうよ。」

「頼む。今夜も彼女の”悪夢”に入れるはずだ。それまでに欲しい。」

 さらりと言う類に、メイが踏ん反り返った。

「アタシをおナメじゃないわよ。」



 メイが事務所を出てすぐに陽は暮れ、引き続き溜め込んでいた書類整理をしながら、夜十一時を待つ。

 頼み事をしたメイは二時間もしないうちに堀川 研司の交友関係をまとめ上げ、事務所へ戻って来た。

 それを受け取り、帰そうと思ったが駄々を捏ねられ、面倒になって「邪魔をするな」とだけ言いつけた。そのメイは、事務所のソファで蟹股を広げ、鼾をかいて眠っている。その余りに不細工な寝相に、類は若干の嫌悪感を感じたが、元は男なのだからこれが当たり前だと納得する事にした。

 溜め息を吐き、メイが持って来た資料を再度見る。汚らしいオカマが集めてきた情報が確かならば、明日花の”悪夢”は想像していたよりずっと悪質なものである可能性が高い。今夜、それを確認しなければならない。

 時計を見上げる。十時を既に回った針は、刻一刻と十一時を刻もうとしている。

 そろそろ帰った頃だろう、食事か、入浴を済ませているかも知れない、などと明日花の”悪夢”を待つが、ふとこれではストーカーのようではないかと思い、類は気色の悪さに身震いをした。

 そうこうしているうち、あっという間に十一時になり、昨夜と同様、背中がざわついた。

 真っ暗な中で目を閉じると、体がすっと浮く感じがする。そして呼吸を整え、振り向くと、昨夜と同様に闇の中を落ちて行く。

 徐々に見えて来る風景は昨日と全く同じ。大学の敷地に、行きかう人人、鼻に入り込む臭い。

 昨日覚えたての大学の敷地を用心深く歩く。昨日と同じように花壇には男性がいて、そして…。

 グランド脇をジャージ姿の少女が走っていく。

 類は見失うまいと少女に走り寄り、腕を掴んだ。力任せに振り向かせると、小さな彼女はくるりと回りすぎてよろめいた。それを、腕を掴んだまま支えると、少女に真正面に向き、声をかける。

「あなたに会いに来ました。」

 少女とは、相変わらず目が合わない。これが演技かは、まだ類にも解らない。だから、わざと視線を交わらせたりはしない。

 目を合わせる事もなく、きょとんとする少女に、類はもう一度言った。

「あなたに、会いに来ました。」

 だが、反応はない。

 しかし、類は滔々と言葉を連ねる。

「堀川 研司をご存知ですね?」

 その名に、少女がはっと顔を上げる。目は合わないが…。

「研司?」

「ええ。堀川 研司。知っていますね?」

「…知ってます。でも研司が何か…?」

 視線が交わらない相手との会話とは、底知れぬ虚無感を伴うものだ。

 言葉も通じ、意思も汲めているのに、全く会話をしていると言う感覚が持てない。類はこの感覚がとても嫌いだった。

「研司は、元気ですか?」

「…いえ…、あの…、最近会っていないので…。」

 気落ちした表情で俯く少女は、終わった恋愛を嘆いているように見える。『元カレ?』というメイのメモは、真実のようだ。研司とこの少女は恋愛関係にあった。恐らく、研司の話していた『振った彼女』とは、この少女の事だ。そして、研司の”悪夢”はこの少女に絡んでいる。

「噂くらいは聞くでしょう?」

 尚も食い下がると、少女は明らかに童謡して落ち着きなく目線をあちこちに動かした。

「あ…。体調を崩したって、聞いてます…。病院に入院したとか、意識が戻らないとか…。」

 彼女はそう言うが、それでも目が合わない。その様子に、類はふと、胸に疑問を抱く。

 何故、動揺するか…。心配しているそれとは違う。それは即ち、『何か、知っている』という事だ。

 類は、腕を掴む手に力を入れ、少女を凝視した。

 研司が昏睡状態である事を知っている。それはつまり、木藤明日花の記憶している目の前の少女は、あの”事件”の後の少女であると言う事だ。そしてそれに動揺するような事があるらしい。

 類は、すっと息を吸い込み、声を押し殺して囁いた。最早、疑問は答えを得ていた。

「何故、意識が戻らないか、知っていますよね?」

 この一言に、少女の瞳孔が開いた。表情はみるみる強張り、飛び出さんばかりに見開かれた目はぎょろぎょろと震えていた。その目は徐々に類へと向き、恐怖と憎悪の入り混じる視線が、類と交わる。

 その瞬間は、明日花の”呪い主”が判明した瞬間であり、そして、メイが齎した情報が真実であると証明された瞬間である。

「知っていますよね。”木藤明日花”さん…。」

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