街の片隅で夢を見る
新宿は歌舞伎町。
昼も夜も人が絶えず、昼と夜で顔が違う。
昼は小奇麗で小生意気な学生と社会人が溢れ、夜は嘘と吐しゃ物が道端に溢れる街。
異臭と哀愁が漂う街。
そんな街の路地裏の小さな雑居ビルに事務所を構えて、今日で二日目。
宣伝もしていないし、看板すら出していないから客など来ない。が、客が来なくともやる事はあるから腹が立つ。
引っ越しのダンボール箱を無造作に折り畳みながら、南正覚 類は鼻で溜息を吐いた。
まだ開けていないダンボール箱が五つ。中には総て、ファイリングした仕事の資料が入っている。事務所は二部屋で、入口と直結した少し広めの部屋と、ドアで仕切られた小さな部屋。
歌舞伎町の大通りから路地へ入って五分ほど歩いた先にある、小さな五階建ての雑居ビルの五階だ。
周りも同じ程度のビルばかりなので、見晴らしは悪くない。
排気ガスか何か解らないが、霞がかっているけれど、遠くの方には都庁も見える。
「…飽きた。」
独りごとを呟いて、類は自身と同時に事務所に着いた、新品の来客用ソファに倒れ込んだ。
目を閉じると寝てしまうのは、癖だ。そして、片付けに飽きてしまった類は、今正に、目を閉じている。
そこへ、ドアが二度、叩かれた。
面倒臭いので無視をしたが、三〇秒ほどして、今度はドンドンと五度叩かれた。
流石に苛立ちを覚え、ソファから身を起こすと、ドアに向かって、
「煩せぇぞ!」
と怒鳴りつけた。
するとドアの向こうから、何とも言えぬ奇妙な口調で声がした。
「いやぁねぇ、怒鳴って。
開けて下さらない? ご挨拶に来たンだけどッ!」
何とも言えぬが、敢えて言うならオカマだ。
この街には掃いて捨てるほどいる。
しかしこの声は、嫌というほど聞き慣れた声だ。
返事をしてしまった事より、相手がオカマである事にその後の面倒臭さを感じた類は、うんざりしながら立ち上がり、チェーンを付けたままドアを開けた。
かったるそうに斜に構え、やっと外が覗けるほどの隙間だけを開けたドアの向こうには、声より汚い厚化粧のオカマが立っていた。
「やっぱりルイちゃんじゃないの。
開けてよ。」
顔馴染みのオカマが、慣れ慣れしく言った。
「何しに来たんだよ?」
「何よぉ! その態度! 可愛くないッ!
せっかく手伝いに来てやったのにサ!」
「誰も頼んでない。」
「んまッ! 益々可愛くないわ!
どうせまだダンボール箱、五箱くらい相手ないんでしょ!?
やったげるわよ!」
このままドアを閉め、鍵をかけてしまえばよいのだが、目の前のオカマはそうも行かない。
応答してしまった事が運の尽きと、類は溜息を吐きながら一度ドアを閉め、チェーンを外してドアを開け直した。
オカマは、類からドアを奪い取るが如くグイと力いっぱい引き開けると、ずかずかと事務所に入って来た。
「あら、いい眺めじゃない!
いい眺めの事務所は成功するのよ。」
妙なジンクスを言い放ち、オカマは窓の前で仁王立ちになった。
その後ろ姿を、類は少し遠くから腕を組んで見つめる。勿論表情は、呆れ果て、面倒臭そうだ。
「誰から聞いたんだよ?」
事務所を移転する話など、誰にもしていない。と言うより、する対象がいない。
類が言うと、オカマはくるりと振り返ってにやりと笑った。
「ルイちゃんの事なら、なんでもお見通し。」
語尾にハートマークを付けて、オカマが言った。ウィンクまで付けた。
「ま、冗談はともかく、私の情報収集力をお舐めじゃないわよ、ルイ。
お得意さんの”不動産王”に聞いたのよん。」
人差し指を立てて、オカマが言った。
「オカマバーに入り浸る”不動産王”とは、片腹痛い。」
「失礼しちゃうわ。オカマバーじゃないわよ!
立派なショットバーなんだから。」
この目の前のオカマは、生意気にも赤坂見附駅前のビルでショットバーを経営している。自身でもカクテルを振るが、大抵はバーテンダーを雇って店を任せている。その店に、歌舞伎町界隈の不動産を多数所有している”不動産王”が入り浸っている、と言うのは、有名な話ではないがそこそこ知れた話でもある。
「ルイもさ、金持ってるんだし、適当に不動産転がして、奥さん貰って隠居しなさいよ。
三〇歳にもなって、童顔の癖に独身なんて、偉そうよ。」
訳の解らない難癖を付けられ、呆れ果てたルイはソファに沈んだ。
「早く片付けて帰ってくれよ。」
背凭れに凭れて頬杖を突きながらルイが言うと、オカマは不満げに眉を顰めた。
「何言ってンのよ?
アンタもやりなさいよ。」
そう言いながら、先ほどまで類が中身を取り出していたダンボール箱の前にしゃがんで、ファイルを取り出し始めた。
「やってくれるんじゃねぇのかよ、有為?」
類の言葉を聞いたオカマが、肩をひくりとさせてしゃがんだまま類を振り返り、睨んだ。
「本名で呼ぶんじゃねぇよ。」
明らかな男声で怒りを顕わにしたオカマは、手にしていたファイルをぽいと軽く放り、立ち上がった。
「”佐久間 有為”は棄てたの。
いい? 私は”メイ”よ。」
自分を指さしながら、メイはいつも通りのオカマ口調で言った。そして、さっさと作業に戻る。
メイ、もとい、佐久間 有為は、生まれた時からの幼馴染だ。
大学進学前に、家庭の事情で類が親戚の家に引き取られた後、暫し交流は無くなったが、ふとした切欠で再開し、交流も復活した。
再開した当時、既にメイにはなっていたが、何が理由かは聞かなかった。
会う事も連絡を取り合う事も皆無に等しいが、何故か繋がりを感じずにはいられない。
考えると虫唾が走るが、人付き合いの薄い類に取って、唯一と言ってよい友人であり、親友であり、腐れ縁である。
昔から世話好きで、たまに度を越して面倒臭いのが頂けない。
「ご飯食べたの?」
「いいや。」
「じゃあ、片付け終わったら、おうちにご飯作りに行ったげるわ。」
「…ぞっとせんなぁ。」
三十路を過ぎ、片やオカマなオヤジ二人が、家で食事をする。
あまり良い光景ではない。
「どうせコンビニ弁当でしょ?
それに…。」
取りだしたファイルを抱きかかえて立ち上がったメイが、類を見てにっこり笑った。
「私、部屋解約して来ちゃったし。」
その言葉に、類の頬がぴくりと引き攣った。
オカマとの同棲生活の始まりで