月を呑む 〜ほむら〜
季節外れもいいところですが。
桜が舞う。
ひんやりとしたはなびらが、舞い落ちる。
空には滲む春の月。
一面の桜は、ひとを惑わせるのだろう。
太智花は篝火に照らされた桜の森に佇む少年を見やった。
緋毛氈の上、脇息に片肘をつき太智花は酒を飲む。少年に向けられたまなざしには、常の彼を知る者が見れば、我が目を疑うに違いない、狂おしいほどの熱情が秘められていた。
彼の心臓がやっとからだに馴染み目覚めた少年は、その負荷のゆえか記憶をすべてなくしていた。
泣くでなくただ沈む少年を抱きしめ、幾つ夜を過ごしただろう。
身の内にある少年の心臓が、不安にコトコトと震えていた。
愛しいと、強く感じた。
貴種の血などは関係ない。ただその存在故に愛しいと感じる。
これは、恋だ。
身の内深くに刻み込まれた。
薄い色のはなびらが少年に降り注ぐ。
まるで少年を愛撫するかのように。
「織衛っ」
思った途端、我慢ならなくなった。
鋭い声に、空を見上げていた織衛が太智花を振り返る。
杯を音たてて膳に戻した太智花が、
「来い」
手を差し伸べた。
一瞬の逡巡を、太智花は見過ごさなかった。
怯えるのは当然だ。
怯えながらであれ、自分の伸ばした手に従おうとする織衛に、安堵する自分を意識した。
目の前に来た織衛を見下ろす。
髪に、肩に、雪にも似た淡い色の花びらが散っている。それを手で払い落とし、毛氈の上、太智花は織衛を抱きしめた。
ぼんやりと、胸の中、ただ、太智花の次の動きに全身で集中する織衛の横顔に、ただ、愛しさだけがこみあげる。
杯を傾ける。
とろりと刺激のある液体が喉を焼いた。
酩酊にはほど遠い思考のまま、織衛の手に干した杯を握らせ、太智花は酒を注いだ。
新たな酒精が立ちのぼる。
杯に落ちる朧な月。
「月を飲むか」
酒精に落ちた月の雛形が、織衛の吐息にさざめいて見える。
するりと、織衛の口にながれゆこうとした刹那、桜の花びらが一枚酒精の水面に落ちた。
織衛が酒を嚥下する静かな音が太智花の耳に届く。
織衛のくちびるに張りつくそれを指先でつまみ、
「不埒なはなびらだ」
と、独り語散ちざま、太智花は織衛のくちびるに自分のそれを重ねていた。
一陣の風が吹き抜け、太智花の指先からはなびらが舞い落ちる。
もはや織衛のくちびるに触れたはなびらがどれかなど、太智花にしてもわかるはずがなかった。