キャンディ2 ~国落としの悪童~
ノリに乗って続編書いちゃいました。
連載も執筆中ですが、筆が進まず……
それは、男が『国落とし』と呼ばれる前のお話――
とある国の辺境の村に、一組の少年少女がいた。
二人は幼少の頃より共に過ごし、いつしか将来の約束までするようになっていた。
少年はお菓子を作るのが好きで、大人になったら都会で店を出すのを夢見る。
少女はそんな少年のお菓子が大好きで、絶対に彼のお嫁さんになるんだ、と張り切っていた。
無邪気な二人の子供は成長して、やがて大人に近づいていく。
平凡な少年に対して、少女は徐々に美しさを増していき、次第には近隣の村々で噂される程の美女へと変貌した。
それでも女は、男に一途であり続け、幼い頃の誓いを違えることはない。
嫉妬か羨望故か、同世代の周りの連中は、こぞって影口を叩く。
『あんな美女とボンクラ、彼女が可哀想だ』
男は知っていた。
人々の評価が自分を嘲笑っていることを。
男は理解していた。
自分が女に釣り合わないということを。
しかし、女との約束を果たすため、女に見合う男になるために、只ひたすら必死に頑張る。
そしてその夢が間近に迫った時――
悪夢が起こった。
クルスティア王国――偉大なる祖先が、彼の世界最悪の大悪魔ディアボロスを封じたとされる、歴史ある国。
その功績は近隣諸国どころか、遠方の国々にまで知れ渡り、国は暗黙の了解で不可侵を約束されていた。
だが、その傲慢さが腐敗を招き、中央の政治は堕落しきっている。
「ここが噂の村か。本当にそのような絶世の美女がいるのだろうな」
「……あくまで下々の者達のくだらない噂ですので」
「フンッ、まあいい。確かめれば済む話だ。行くぞ」
遠方より声が流れてきた。
合わせて、馬の蹄が地を叩く音も聞こえてくる。
村人達は一様に緊張感を高めた。人が訪ねてくるような大層な村ではないのだ。
まさか盗賊か。
誰もが息を呑んだその時、連動するように車輪の音も耳に入ってくる。
荷車が引き摺られる音。ならば、旅の商人かあるいは国の貴族の類だろう。
事情を把握した者は、次々に肩の力を抜いていった。
村に入ってきたのは、王国の宰相と護衛の騎士団だった。
何の前触れもなく、彼らは村にやって来たのだ。
王国の一部と言っても、辺境の地にある貧しい村。彼らが何しに来たのか、皆が図り兼ねていた。
「騎士様? 珍しいよね」
「ホントね」
仲睦まじく会話する男女――スポイルとルリアが、顔を見合わせて笑い合った。彼らはもうすぐ結婚するのだ。
婚約は既に済ませてある。後はささやかだが立派な式を挙げて、村の皆に祝福されたい。
その準備は着々と進んでいた。
少し前までは「平凡」と蔑まれていたスポイルも、その人柄のおかげか、村の中で徐々に認められつつある。
これで晴れて挙式を披露すれば、文句を言うものは出てこなくなるだろう。
絶世の美人と名高いルリアを娶るのだ。嫉妬くらいは当たり前である。
幸せな夫婦生活を夢見て、彼らは互いに互いを支え合っていた。
村中の視線が宰相と騎士団に集まる。
どこに行くのだろう、と眺めていたスポイルとルリアだったが、宰相と騎士団は何故か二人の前で止まった。
宰相の目がルリアを捉える。
「其方か」
「はいっ?」
「あの~、彼女が何か?」
宰相の口振りから、彼らの目的がルリアだと知ったスポイルは、訳が分からずに疑問を口にした。
途端、激しく叱咤される。
「余計な者は黙ってろ!」
宰相の横にいた騎士団長が、嫌悪を含めて恫喝をしたのだ。
平穏な村に馴染みのない剣幕。それを浴びせられたスポイルは、「ヒィッ」と頭を抱えて怯え出した。本能から来る震えが止まらない。
騎士団の面々は、そんなスポイルの醜態を見て、ニヤニヤと締りのない笑いを浮かべている。
宰相は元々、スポイルなど眼中にない。
ルリアを見回した宰相は、その美しさに感嘆の声を上げる。
「これはまた見事な美しさだ。下賎な輩には勿体無い」
「ええ、誠に素晴らしいですね」
「これなら殿下のお眼鏡にも叶うやもしれぬな」
「でしたら、どこかの貴族に養子縁組を頼まなければいけませんな」
スポイルの目の前で、おぞましい会話が開始された。
何やら勝手に進行される内容に、スポイルの血の気が引いていく。
貴族の横柄さは噂で聞いている。もしかして、ルリアをどこかに連れて行く気ではないだろうか。
何とかしなければ。
そう思い、苦情を口から放とうとするが、一向に声が出てこない。恐怖がスポイルの身体を縛り付けていた。
やがて宰相と騎士団長の相談が終わり、身勝手な決定が下される。
「よしっ、女、行くぞ」
「え、えっ? 何を言ってるんですか?」
「お前を貴族にしてやると言っておるのだ。王妃になれるやもしれぬのだぞ。こんな幸運なことはないだろう」
本来、平民に貴族に従う義務はない。
国のために生きるのは、税金の恩恵で幼い頃より贅沢を許される、貴族だけの対価だ。最も、それを意識している貴族は少ないのだが。
税金を収める側――しかも不当な税金を取り立てられている庶民には関係のないことであった。
ルリアに言う事を聞く筋合いはない。
ルールを守ってさえいれば、国の命令に従う必要はないのだ。
フィフティフィフティの関係こそが、あるべき姿。
だが圧倒的な力関係と傲慢さは、その姿さえも歪める。
当たり前のように贅沢を、そして命令を。それが今の貴族の在り方だった。
彼らの目的は、本人の両諾なしに実行に移される。
「ほら、お前ら、連れて行け」
宰相の指示に騎士達が動き出す。
スポイルは未だに足が震えて踏み出せない。
強制的に連行されそうになるルリアは、頑なに、拒絶の意を示した。
「い、行きません! 私、もうじき彼と結婚するんです!」
「彼……? 誰のことだ?」
「それは――」
「ルリア!」
「スポイル!」
ルリアの勇気が、スポイルの心を奮い立たせた。
スポイルがルリアを叫び、ルリアもスポイルを求める。
本来であれば涙もののシーンであるが――
欲に溺れきった貴族には、そんな理屈は通用しなかった。
「何だ、貴様は。おい、排除しろ」
「はッ」
愛し合う二人を無理矢理引き離そうとする、民を護る筈の騎士団。
その騎士団は今、無辜の民に向けて、暴力の矛先を向けていた。
力を持たない弱者を、愉悦を浮かべながらいたぶる騎士達に、周りで傍観していた村人達も恐怖を禁じ得ない。
嵐が過ぎ去るのを、只祈るばかりであった。
「ちょっと、何するの! やめて! 彼に乱暴しないで!」
スポイルを助けようと身を乗り出すルリアだったが、身体を抑えつけられて、身動きが取れない。
彼女はひたすら、愛する婚約者を守ろうと叫んだ。
「なら黙って従いてくるんだ。あの男がどうなってもいいのか?」
「……本当に彼に危害は加えないんですね?」
「ああ、約束は守ろう」
騎士団長の脅しに、ルリアが唇を噛み締めながら、仕方なく項垂れる。
無念な顔で屈辱を堪えるその姿は、スポイルの脳裏にしっかりと焼き付いた。
「ごめんね、スポイル……」
「……がはッ……ル、リア……」
何を謝ることがあるのか、それとも勝手に決めたことを嘆いているのだろうか。
最後にルリアの呟きが風に乗り、地面に蹲っていたスポイルの耳にも届いた。
村人達が見守る中、ルリアは王都へと消えていった。
それからスポイルは人が変わった。
長年の夢だった店を諦め、ひたすら身体を鍛えるようになったのだ。
その姿は、影口を叩いていた者達すらも同情を覚える程に、鬼気迫るものであった。
数年後、男は女を取り戻すべく、王都に潜入する。
◆◇◆◇◆◇
クルスティア王宮――言わずと知れた、国の最高施設である。
王を頂点に様々な政治を決定する、国内最高権力が集中する場所。
国の重要人物が足を運ぶ王宮内は、常日頃から厳重な警備が敷かれていた。
そんな警備を掻い潜り、一室に忍び込んだボロ服の男が、今現在、美しい衣を身に纏った女と対面していた。
元気そうな女の顔を見て、男が喜びの声を上げる。
「ルリア!」
「スポイル?」
どうやってこんな高い窓から侵入したのか。スポイルは軽快な身の粉しで、見事ルリアの部屋まで入ってきた。
ルリアは逞しくなったスポイルの変貌ぶりに、驚きを隠せない。
この数年をどのように生きて来たのだろうか。それを表すかのように、スポイルは精悍な顔付きをしている。
数年前には細かった頼りない腕も、今では筋肉の鎧で覆われていた。余程厳しいトレーニングを積んだのだろう。
さながら魔王城に姫を救出に来た勇者の如く、スポイルは意気揚々とルリアに近づいた。
「一緒に帰ろう。もう誰にも君を奪わせない!」
「なにを言ってるの?」
情熱的なスポイルに対して、ルリアの表情は冷めたものだった。
彼女が遠慮していると勘違いしたスポイルは、大手を振って宣言する。
「僕は強くなったんだ!」
「…………」
熱く語るスポイルを、ルリアは無言で見つめていた。
彼女はどうしたのだろうか? スポイルの予想していたものとは、違う展開だ。
自分とは対照的な反応をするルリアに、スポイルは曖昧な笑顔で返答を待つ。
チリチリィン
答えの代わりに、ルリアが手元の鈴を鳴らした。緊急事態を告げる鋭い鈴の音が、廊下にまで響き渡る。
すると扉を開け放って、一人の騎士が入ってきた。
「お呼びですか、王妃様――貴様ッ!」
かつてスポイルを完膚なきまでに叩きのめした男――王国最強の騎士、騎士団長ロキ。
彼がスポイルの姿を確認して、声を荒げた。
室内が張り詰めた空気に変わる。
ルリア――王妃は、冷徹に、低い声色で、ロキに命令を下す。
「不法侵入者よ。捕らえて」
「はッ」
「ル、リア……?」
「もうあの頃とは違うのよ。私には子供もいるの。この国の王子よ。私は国の母になったの」
純粋だった頃のルリアの面影は既になく、欲に目覚めた女の顔がそこにあった。
堕落しきった貴族連中と同じ、人を見下す顔だ。
彼女は何を言っているんだ?
ルリアの豹変ぶりに、スポイルが混乱する。
国を挙げての大々的な結婚披露宴で、ルリアが王妃になったのは知っていた。
だけどそれは無理矢理であり、彼女自身は望んでいないものと思い込んでいた。
それがどうして……?
「貴方は邪魔なの。ごめんね」
スポイルの疑問に答えるかのように、リリアが言葉を重ねる。
にっこりとしたルリアを見たスポイルは、朦朧とした思考の中「この女は誰だ?」と自問自答する。
ルリアの屈託のない笑みに違和感を感じ、スポイルの背にゾクリと悪寒が走った。
無意識に、スポイルは一歩後退る。
ふいに風が巻き起こった。
呆然自失とするスポイルに、ロキの容赦ない一撃が叩きつけられた。
「ぐ、がッ……」
「この屑がッ! 王妃様にまとわりつくゴミ虫は俺が成敗してくれる!」
スポイルがロキの攻撃を諸に直撃する。
王妃の自室を汚すことを配慮したのか、剣は使われず、腕を後ろに捻られて抑え込まれた形だ。
狂ったようにスポイルが叫ぶ。もはや自分がここにいる意味が分からない。
「離せぇーーーーーーッ!」
「無駄だ。俺の異能『金剛』はあらゆる攻撃を跳ね返す。龍並の皮膚の硬さだ」
スポイルが隠していた短剣をロキに突き立てるも、刃先は彼の身体に微塵たりとも入り込まない。
ロキは冷たく嘲笑うようにスポイルを痛めつける。
彼は何発か目かでスポイルを殴り倒し、気絶させた。
王妃の部屋に無断で入り込むなど、最大級の犯罪。
ここに、国内最悪の犯罪者として、スポイルは囚われた。
地下牢に投獄されて、どれくらいの日数が経っただろうか。
牢獄という割りには、スポイルの下には毎日来客がある。
ストレス発散のためか、毎回違う面子がスポイルを訪れ、無抵抗な彼をボコ殴りしていく。
今では、原型を止めない程にスポイルの顔は腫れていた。
食事も最低限のもの。当然、腹は膨れない。
空腹と拷問の影響で、既にスポイルは虫の息だった。
今日も誰かが顔を出すのだろう。今度はどんな馬鹿がやって来るのか。
スポイルは冷笑を浮かべながら、入り口を睨みつける。
やがて扉が開かれ、懐かしい顔が階段を降りてきた。かつて村で会った宰相だ。
彼は力なく俯いたスポイルの前に立ち、覗き込むようにその顎を持ち上げた。
スポイルの顔を確認すると、興味なさげにその手を下げる。
「フン、あの時の小僧か。懲りずにノコノコとやって来るとはな。王妃様もお前の事など忘れ、王と仲良くやっているというのに、憐れだな」
「「「ハハハハハハッ」」」
取り巻きの騎士達の笑い声が、朧気なスポイルの深層心理を刺激する。
スポイルの周囲をぐるぐると嘲笑が駆け巡り、彼の怒りに拍車を掛けた。
――笑うな!
彼の奥底で燻っていた怒りが爆発し、臨界点を超えた純粋なエネルギーが、国に眠っていた『ある存在』を目覚めさせた。
『ココチヨイ、イカリ オイシソウナ、アクイ』
「――誰だ!」
突如として頭の中に響き渡る声、直接本能に訴えるその歪みは、畏怖そのもの。
湧き上がるかつてない魔の気配に、宰相とその取り巻き達の顔が、恐怖に染まる。
空間が歪むように闇が集まり、ソレの存在が顕現した。
ソコにいたのは、禍々しい角を生やした、巨大で黒い頭。
石畳の床から、その大きな頭部だけが姿を見せていた。
瞳だけでも自分達の図体を越えるその巨体に、宰相達は声も出ずに口を戦慄かせた。
一部だけだが見覚えのある、王国の始まりの悪夢。
「お、お、おおおおおお前はッ! ――ディ、ディアボロ、ス!?」
「な、ななななななななな何で、復活してるんだ!」
遥か昔、世界を混沌に導いた、世界最悪の大悪魔ディアボロス。
その忌まわしい姿かたちは、世界中の教本に残っている。
千の災厄を呼び起こし、天変地異を引き起こすとまで言われている、歴史上で確認された最大最強の生物。
その黒い絶望が、今、宰相を含む貴族達の目の前にいた。
「か、かかかかかかかかかカ、カ、カペァッ――」
「や、ヤメロ、ぐぎゃぁぁあああアアアッ」
「た、助けてくれぇーーーーーーッ、――ぐぎゃッ」
立ちどころに闇に飲み込まれ、押し潰されていく貴族達。
無様に命乞いをする彼らを、ディアボロスが容赦なく蹂躙していった。
虚ろな目でその光景を見ていたスポイル。
やがて最後の一人となった彼の前に、ディアボロスが牙を突き出さんとしていた。
『オマエモ、タベテ、ヤロウ』
スポイルは、人事のようにディアボロスの言葉を受け流す。
もはや自分の"生"に興味はない。
家族と呼べる存在は、ルリア以外にはもういないのだ。
『ドウイウ、コトダ! ナゼ、ハネカエサレル? コノ、チカラハ……』
自分の力が届かない。いや、無限に吸収されていく。
異常な事態に、ディアボロスが戸惑いの色を浮かべた。
『アクイガ、ナイ? コレハ、ジュンスイナ、カナシミ?』
完全なる絶望がもたらした純粋な器。
抗うことなく、全てを――深淵の闇すらも受け入れる覚悟が、スポイルに新たな生き方を形作る。
その想いは、黒き信念は、世界を喰らい尽くす闇の王ですらも、飲み込んだ。
『ワレヲ、ギャクニ、タベルト、イウノカ! ヤメロォォオオオオォォォォォォッ』
ディアボロスの膨大な存在力が、スポイルの口に吸い込まれていく。
――これが『才能奪取』の異端者が生まれた瞬間。
生まれ変わった男は、手に入れた大悪魔の、溢れる力を解放する。
牢獄内の一切の痕跡が消え去った。
男は闇へと沈み込んだ。
◆◇◆◇◆◇
王都が炎に包まれている。辺り一帯には騎士の骸の山。
自分が国を出ている間に起きた惨状に、ロキは呆然とした。
何が起こったんだ。
ロキには判断がつかなかった。
ヨロヨロと重い足取りで彷徨いながら、彼は呟く。
「何だ、何が起こっている……?」
「だ、だんちょ、う……」
瓦礫の下から、聞き慣れた声がする。
そこにはロキを兄のように慕ってくれていた、長年の付き合いの部下がいた。
ロキの右腕――副団長だ。
「おいッ! しっかりしろ! 何があった?」
「あ、あく、ま……」
「悪魔?」
副団長は最後まで言い切ることなく、事切れた。
ロキの手に冷たい感触が広がっていく。
彼は親しい友人の死に、足元がふらつき、尻から倒れてしまった。
悪魔とは何のことだ?
この王国で悪魔と言えば、彼の大悪魔が代名詞なくらいだ。
まさか蘇ったとでも言うつもりか? そうなったら、国どころか世界の終わりだ。
荒れ狂う悲鳴、人が焦げる臭い、炎の海。
まるで世界の終わり。
生きている者なんているのだろうか。
「なんだ、なにが起こっている!」
この国は永遠に平和だと思っていた。形だけの騎士団。相手をするにしても盗賊くらいで、戦争など想定外だった。
他国が不可侵を破って攻め込んできたのか。
だとしたら、その他の国々に援軍を要請しなくては。
いや、でもそんなことがありえるのか?
覚束ない頭では思考が纏まらない。
今最優先するべき事項は――
「そうだ! 妻は? 息子は無事なのか!」
ロキは我に返り、急いで駆けていく。
ロキが自分の屋敷に辿り着くと、待ち構えていたかのように、一人の男が姿を現した。
見覚えのある男だ。つい数週間前、王妃様の私室に忍び込んだ不届きな輩である。
たわいのない雑魚だと捨て置いたが、まさかコイツがやったのだろうか。
ロキが殺気を全開にして、男――スポイルを睨みつける。
「貴様がやったのか?」
「ああ」
散歩でもするかのような軽い返事。罪の意識など皆無のようだ。
ロキの怒りが頂点に達する。
「屑が調子に乗るな! 貴様、何をしたのか分かっているのか!」
ロキの罵詈雑言に臆した様子もなく、スポイルが足元から、大きな物体を無造作に放り投げていく。
いつ戦闘に移行するかも分からない状況で、謎の行動。
くだらないやり取りにロキは苛つきを見せるが、彼がその物体の正体を理解した時、これでもと言わんばかりに目を見開いた。
ロキの目の前に転がるのは、彼の愛しいモノの成れの果て――妻と子供、両親、兄妹、の抜け殻だった。
ソレらは壊れた人形のように、虚ろな顔で横たわっている。
「ぅあ、あ、あ、ああ、ぁぁああああああああああああ――ッ」
もはや言葉にならぬ悲鳴を上げ、ロキは頭を掻き毟るように狂い出した。
そこに冷酷無比な挑発が飛ぶ。
「愛しい者を奪われた気分はどうだ?」
「き、ききききき貴様ぁ! 何をしたァ!」
「それ以上、喚くな」
叫び喚く取るに足らない存在に、スポイルが飽きたとばかりに一喝する。
気付いた瞬間には、スポイルの腕がロキの胸部を貫通していた。
「な、にを……」
何が起こったのか。
胸元を確認するが傷はない。血も痛みもないのだ。
もはや前代未聞の殺戮者を前に、ロキに不気味な戦慄が走る。
「何だこの澱んだ色は? お前にお似合いの浅ましい色だな」
「何だ、今のは?」
飴玉程の球体を指で転がし、ロキを侮辱するスポイル。
それを見たロキの本能が、死の予感、いやそれ以上の敗北の予感を感じていた。
自分の命が握られているかのような錯覚。
ロキは一歩も動けないでいた。その先は聞いてはいけない……
「コイツをお前から抜き取った」
「そ、れは……?」
「これはお前の全て。そして――」
バキッ
スポイルが飴玉を口に入れて噛み砕く。
コマ送りの感覚でその光景を見ていたロキは、突然、力が抜けて崩れ落ちた。彼もまた、抜け殻となったのだ。
これでほぼ片付いた。
ロキから流れ込んできたエネルギーが、スポイルを作り替えていく。
スポイルの肉体が瑞瑞しく強靭に変化していき、顔の造りも素材を残したまま美しく変わっていった。
鍛え上げられたロキの肉体の強さと、生まれ持ったロキの造形美をスポイルが取り込んだ形だ。
「その才能、貰い受けた」
あと一人。
「来たのね」
ルリアはやけに落ち着いていた。もはや城に残るのは彼女一人だけ。永遠の安らぎを得たような、穏やかな顔をしていた。
騎士の一人から『直感』の異能を奪い取っていたスポイルは、その根本的な理由が直ぐに分かった。
「知っていた、のか?」
驚愕の表情のスポイルを尻目に、儚い顔をしたルリアの瞳が、彼の視線を真正面から捉える。
菩薩様のような慈愛の目だった。
――全ては予定調和。
彼女がしたのは、歯車の一つを狂わせただけ。救ったのはたった一人。後はその光が世界を照らす。
ソレは彼女にとっての唯一の光、大切にしたい宝物、目の前にいる希望。
抗えない運命を捻じ曲げる、彼女の最後の抵抗だった。
この国は滅びなければならない。
腐った果実はやがて伝染し、世界全土を焼き尽くす。これも全ては……
息苦しい動悸がルリアの感情を代弁していた。
変わり果てた彼の姿を見た時は、胸が張り裂けるかと思った。傷痕を見る度に心が痛くて堪らない。
歯を食いしばりながら、必死で自分を抑えつけ、漸くこの時を迎えたのだ。
彼女は王妃の仮面を脱ぎ捨てて、恋する乙女の素顔で語り出す。
「私は異能者なの。ふふっ、知らなかったでしょ?」
「異能者? 君が?」
「そう、私の『未来視』の異能は、この国の、滅びの未来を視ていた」
ルリアは全てを知り、それでも全てを受け入れたのだ。
彼女は最後まで甘えることなく、己が断罪を望む。
「私は貴方を裏切った。これは私に課せられた罰。貴方を苦しめた私の……」
「ま、まだやり直せるさ! 一緒に帰ろう?」
ルリアの真意を知ったスポイルは、健気にも彼女の罪を許そうとする。
だがルリアは、嬉しさの中に、悲しそうとも苦しそうともとれる表情を浮かべ、首を横に振る。
「ふふ、無理よ。私は王妃。この国と共に滅びる運命」
もう遅いのだ。時計の針は進んでしまった。
今の彼女には責任がある。例え望まぬ重責を押し付けられたとしても、彼女はこの国の王妃なのだ。
況してや、逆賊と馴れ合うことはできない。生き恥を晒すような真似など、断じてできないのだ。
「さあ、私の能力も奪い取って! 遺恨を消すのよ」
「だ、ダメだ!」
ルリアの決意に水を差すように、スポイルはその結末を否定する。
ここで頷いてしまったら、何のためにここまで来たのだ。
全ては彼女とやり直すため。それが……
「ここまで来て何を躊躇しているのッ! そのつもりで来たんでしょッ!」
「僕は、そんな……」
「お願い、こんな私だけど、せめてこの魂だけでも貴方といさせて」
元々、スポイルはそこまで強い精神の持ち主ではない。
確たる目的があってこそ、彼の心は生きるのだ。
ルリアを失うこと、それはある意味、彼の死と同義であった。
それでも、その終わりしか受け入れられないルリアは、真剣な眼差しでスポイルを説得する。
揺るがないルリアの瞳に気圧されて、スポイルは破れかぶれに彼女に向かった。
「う、ぅぅ、うぁぁああああああああああああーーーーーーッ!」
ドスッ
震える手でルリアの身体に腕を突き立て、静かにソレを抜き取る。
沼地に手を突っ込むみたいに、ルリアの身体には痛みや傷といったものはない。
物理的ではない領域に、スポイルは干渉したのだ。
スポイルの掌に現れたのは、輝かんばかりの虹色の飴玉。その飴玉は、彼女の"美"をそのまま再現したかのような美しさを秘めていた。
「う、うぅ」
「ふふ、相変わらずの泣き虫ね」
「なんだよ。君の方こそ泣いているじゃないか」
「――えっ?」
昔のようなやり取りをする二人。
自分でも気付いていなかったが、ルリアも泣いていた。
成長したスポイルの逞しさに、変わらない彼の優しさに、そして故郷の懐かしさに、彼女は涙していた。
(ああ、そうか……私はずっと、これを求めていたのね……)
スポイルの温もりが、ルリアの乾いた心を癒し尽くす。
その温かさを一滴すら逃さんとばかりに、目を閉じて、一心に受け止めた。
(もう十分……)
彼女の決意は定まった。女の顔から、再び王妃の顔に戻る。
あらゆる運命を受け入れるように、両手を広げてその時を待つ。
「さあ! 下しなさい! 最後の審判を!」
「――くぅっ」
バキッ
スポイルは涙ながらに奪い取った飴玉を噛み砕いた。
彼は、崩れ落ちるルリアを壊れそうなくらい強く抱きしめながら、必死に彼女の名前を連呼する。
「ルリア、ルリア、ルリア!」
「ス、ポイル……ありがとう……この世で一番、愛してたわ……」
ソレは、全てを失った筈のルリアが、最後に残した感情、想い。
漸く、解き放たれた。彼女にとってこの数年間は長すぎたのだ。
(やっと終わった……私は今、彼に満たされている……)
ルリアの全てがスポイルに流れ込んでくる。
『いつか……貴方を幸せにしてくれる人が現れたら……大事にして、ね』
この間の冷たい笑顔は演技だったのか、にっこりと無邪気な笑顔を浮かべるルリア。
その顔はスポイルにとって、昔を想い起こさせるモノであった。
するとソレはルリアの命までをも奪い取ったのか、彼女は砂のように崩れ落ちていった。
「ああ、僕こそ……ありがとう」
一人になり沈黙が訪れる。その場に座り込むスポイル。
しばらくすると、彼は無言で立ち上がった。
スポイルが静かに瞑目する。
次の瞬間、彼の全身から、千に近い黒い帯が一斉に外へと広がった。
才能奪取の『飴玉』に、『触手』と、更に『探索』の異能を組み合わせて、国中の異能者から能力を奪い取る。
黒い触手が国中を駆け巡った。
数刻後、国の畔――
バリッ、ボリッ
感情を失った表情で、飴玉を貪り食べるスポイル。
彼の前に、一人の女が現れた。
「これをやったのはお前か?」
その女は、スポイルの奪取を逃れた、国内唯一の異能者だった。
女の問い掛けに、スポイルは国への興味を無くしたように、首を傾げて頷く。
それを見た女は、何を思ったのか、一人で勝手に納得した。
「そうか」
「……?」
女の言葉はたった一言。
無駄が嫌いな彼女は、必要以上に語らない。
「後始末はきちんとやれ」
女がパチンと指を鳴らすと、国全体が震動し、原子崩壊を始める。
女の異能が、国中の特定の元素に反応して、強力な電磁波を撒き散らしながら、大爆発を引き起こした。
残ったのは、無慈悲な破壊跡――国一つを覆うクレーターのみ。
生者、死者問わずに、クルスティア王国は跡形もなく消滅したのだった。
「私と共に来るか? 私は闇ギルド『ミストラル』のマスターをしている。とは言っても、まだ私一人だがな」
無情にして残酷な選択。証拠も恨み辛みも、その全てを闇に葬る手腕。スポイルの未練すら断ち切った。闇ギルドを統率するに相応しい決断だ。
仕える人物としては問題ないだろう。
コクンと無言で了承したスポイルは、女の後に付いていく。
ここに、男と女は新たな歴史を作り出す、歪な出会いを果たした。
これより数年後、ミストラルは裏の世界を牛耳ることになる。
それはスポイルがエレノイアに出会う、二百年前の話。
◆◇◆◇◆◇
そして今――
「お~い、ノイア!」
「なんだ、スポイル」
エレノイアが最強の傭兵の威厳を保ちながら、鋭い目でスポイルを射抜く。
プライベートでも、滅多に隙を見せない腹積もりだ。
口振りは冷たいが、照れている表情が可愛らしい。そんなエレノイアに、スポイルの心の"萌"が激しく揺さぶられる。
キランと目を輝かせたスポイルは、エレノイアが怯える中、彼女の両肩に手を置き、わざとらしく耳元で囁いた。
「一緒に風呂入ろうぜ」
「な、なっ! そ、そこまで気を許した覚えはないぞ!」
相変わらず普段はそっけない態度のスポイルだが、ちょっとした拍子にコロリと態度が豹変する。
今も、ピンク色の空気を全開にして、エレノイアの腰に手を回していた。
動揺するエレノイアをからかうように、スポイルが顔を近づけて、甘い声で説得に入る。
「いいじゃんか、それ以上のこと、散々しただろ?」
「あ、ぅ、ぇ、そ、それとこれとは話が別だ。それはまだ早くてだな……」
全てを曝け出す風呂場は未だに敷居が高いエレノイア。
男女の営みを味わったにも関わらず、彼女は未だにウブな乙女のようであった。
例のごとく、真っ赤な顔に涙目で、強引にスポイルに引き摺られていく。
「おお~、丸見えだな! お前、キレイな乳してんな~」
「ぅぅ、もうお嫁にイケナイ……」
「何言ってんだ。俺が貰うんだぞ。俺を捨てる気か?」
「っそうじゃない、けどさ……」
あるいは、ルリアはこの未来も『視て』いたのだろうか。
スポイルは失った過去を取り戻すかのように、再び愛しい女性に巡り逢った。
もしかして、彼の独占欲の強さは、ルリアの一件が尾を引いているのかもしれない。
エレノイアは知らない。
彼にはかつて、ルリアという大事な人がいたという事実を。
いつかは話す時が来るのだろう。それもまた、そう遠くない未来の可能性の一つ。
未来とは定まったものではない。ルリアの持っていた『未来視』は、あくまで可能性に過ぎないのだ。
数年、数十年、あるいは数百年、未来とは果てなき道の先にあるもの。
ルリアが護りたかったものは何だったのか。それは彼女にしか分からない。
裏の世界で恐れられる『国落とし』の悪童。
エレノイアとじゃれあうその姿は、とてもじゃないが、同一人物には思えない。
最近では馬鹿っぷりが板についてきたスポイルであった。
[完]
主人公は正義の味方ではありません。
どちらかと言えばダークヒーローみたいな感じかな?