元インペリアルガードの俺、田舎ダンジョンで自己タンクしながらスローライフしてます
■1.引退
俺はフリアナ帝国のインペリアルガード、アーク。
かつては皇帝陛下の側近として、宮廷の陰謀やら暗殺未遂やら、血生臭い修羅場を何度も潜り抜けてきた。
重厚な銀色の鎧に身を包み、巨大な塔盾を構えて陛下の前に立つ姿は、さぞ絵になっていたらしい。
少なくとも、貴族の令嬢どもからは「アーク様の盾は鉄壁ですね」などと、遠回しに褒められたりしたものだ。
だが、そんな華やかな日々はもう過去のものだ。
引退を決めたのは、去年の冬のこと。
三十五歳。
人間としてはまだまだ若い方だが、インペリアルガードとしては十分すぎるほど働いた。
二十年近く、毎日が命懸けだった。
いつ誰に斬られるか、毒を盛られるか、魔法で焼き尽くされるか。
そんな緊張感の中で生きてきた体は、もう限界が近かった。
「陛下。俺はもう、盾を置かせていただきます」
最後の謁見で、俺は膝をついてそう告げた。
皇帝は一瞬、目を細めたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「アーク。お前が望むなら、止めはせん。……だが、どこへ行くつもりだ?」
「田舎です。静かなところで、のんびり暮らしたい」
陛下は小さく笑った。
「らしいな。お前らしい選択だ。……行け。帝国はお前を忘れん」
そう言って、陛下は俺の肩を軽く叩いた。
その手は、意外と温かかった。
退役金はそこそこ出た。
インペリアルガードの功績に対する特別手当も上乗せされた。
それに、陛下から下賜された「名誉の銀盾」も売ればかなりの金になる。
だが、俺はそれを売らなかった。
ただの思い出の品として、荷物の中にそっと仕舞った。
そして、俺は馬車に揺られて、帝国の首都から遠く離れた辺境の村、ラミエルスへと向かった。
ラミエルス村。
フリアナ帝国の北東、竜骨山脈の麓にぽつんとある小さな集落だ。
人口は三百人にも満たない。
畑と牧草地と森に囲まれ、村の中心には古びた水車小屋がある。
道は土で、雨が降ればぬかるむ。
冬は雪が深く、夏は蝉の声がうるさい。
まさに、どこにでもある田舎だ。
村に着いたのは、夕暮れ時だった。
馬車から降りると、土埃まみれの俺を見て、村人たちが珍しそうに顔を覗き込んでくる。
「おお、旅の人かね?」
「都会の匂いがするねぇ」
「鎧の跡が体に残ってるな。元兵士かい?」
俺は軽く頭を下げて答えた。
「元インペリアルガードのアークです。これからはここで静かに暮らそうと思いまして」
その一言で、村人たちの目が一気に変わった。
「インペリアルガード!? 本物かい!?」
「陛下の側近だったって、あの!?」
「すげぇ……!」
騒ぎが大きくなり、村長の家に招かれて夕飯をご馳走になることになった。
村長のおばさんは、でっかい鍋いっぱいのシチューと、焼きたてのパン、村で採れた新鮮な野菜を山盛りにしてくれた。
「アークさん、これからはうちの村の住人だよ。遠慮なく頼ってくれ」
村長の言葉に、俺は素直に頷いた。
「……ありがとうございます。よろしくお願いします」
その夜、俺は村長が用意してくれた古い小屋に落ち着いた。
屋根は藁葺きで、壁は土壁。
中は狭いが、暖炉があり、ベッドとテーブルと椅子が一通り揃っている。
窓から見えるのは、月明かりに照らされた静かな山の稜線。
風が木々を揺らす音だけが聞こえる。
俺は荷物を解きながら、ふと思った。
(これが……俺の新しい人生か)
翌朝、早起きして村を歩いてみた。
村の外れに、小さなダンジョンがあると聞いていた。
村人曰く「ミニダンジョン」で、昔からあるらしい。
冒険者ギルドも村に一つだけあって、登録しているのは十人ほど。
そのほとんどが、村の若者や半分隠居みたいな爺さん婆さんだ。
俺はさっそくそのミニダンジョンへ向かった。
入口は、苔むした岩の隙間にぽっかりと開いた穴。
階段を下りると、ひんやりとした空気が肌を撫でる。
一階はスライムだらけだった。
ぷるぷると跳ねる青と緑のスライム。
俺は昔使っていた片手剣を抜き、盾を構えた。
「さて……どれだけ体が鈍ってるか、試してみるか」
スライムが飛びかかってくる。
俺は盾で軽く弾き、剣を振り下ろす。
一撃で核を潰し、スライムはぱちんと弾けて消えた。
(……まだ、いけるな)
二階に降りると、今度はゴブリン。
三匹の小柄な緑色の奴らが、棍棒を振り回して襲いかかってきた。
俺は盾を前に突き出し、突進してきたゴブリンをそのまま押し潰す。
そのまま体を捻り、剣で残りの二匹の首を薙ぎ払った。
血の臭いが鼻をつく。
だが、嫌な感じはしなかった。
むしろ、懐かしい。
三階はウルフ。
灰色の毛並みの狼が、四匹で群れを成して俺を囲んだ。
俺は深く息を吐き、盾を地面に叩きつけた。
低い姿勢で構える。
「来い」
ウルフたちが一斉に飛びかかる。
俺は盾を振り回し、一匹を吹き飛ばす。
次の瞬間、横から来た牙を剣で受け止め、そのまま押し返して喉を掻き切った。
残りの二匹は怯んだ隙に、俺が踏み込んで一気に仕留めた。
戦闘は、五分もかからなかった。
「……ふう」
俺は剣の血を拭い、鞘に収めた。
体は汗ばんでいるが、息はそれほど乱れていない。
鎧を脱いでいたとはいえ、まだまだ現役の感覚が残っているようだ。
階段を上がって地上に戻ると、村の入り口で数人の若者が待っていた。
「おお、アークさん! ダンジョン行ってたの!?」
「どうだった? スライムくらいなら楽勝でしょ?」
「三階まで行ったって!? マジかよ!」
俺は苦笑しながら答えた。
「まあ、昔の仕事の延長みたいなもんだからな。大したことないよ」
その言葉に、若者たちは目を輝かせた。
「すげぇ……! やっぱ元インペリアルガードってレベルが違うんだな」
「俺もいつかアークさんみたいになりてぇ!」
俺は肩をすくめた。
「俺はもう引退組だ。これからは、のんびり薬草採ったり、畑の手伝いしたり、そんな生活がしたいだけさ」
そう言った俺の言葉を、若者たちは半信半疑の顔で見つめてくる。
その日の夕方、俺は村の外れの野原で薬草を摘んでいた。
ばあちゃんに頼まれて、風邪薬に使うハーブを集めていたのだ。
すると、後ろから声がした。
「アークさーん!」
振り返ると、村の娘たちが三人、籠を抱えて立っていた。
「また薬草? 一緒に採ろーよ!」
「私も手伝う!」
「ついでにご飯作ってあげるから、夜はうちに来てね!」
俺はため息をつきながらも、口元が緩むのを感じた。
「……お前ら、暇なのか?」
「違うもん! アークさんが好きだからー!」
一人が顔を真っ赤にして叫ぶと、他の二人が「きゃー!」と騒ぎ始めた。
俺は頭を掻いた。
(こいつら……本気で俺をからかってんのか? それとも……)
まあ、どっちでもいいか。
俺は小さく笑って、薬草の入った籠を差し出した。
「じゃあ、手伝え。終わったら、ばあちゃんのシチューをご馳走してやるよ」
「やったー!」
娘たちは歓声を上げて、俺の周りに集まってきた。
陽が傾き、風が優しく草を揺らす。
遠くで牛の鳴き声が響き、どこからか薪の燃える匂いが漂ってくる。
俺はふと、空を見上げた。
青く澄んだ空。
雲一つない。
(……悪くないな、この生活)
これが、俺の新しい人生の始まりだった。
■2.女の子たち
俺はラミエルス村に移住して、はや三ヶ月が経った。
朝は早い。
日の出前に目が覚めて、まずは暖炉に薪をくべて火を起こす。
それから外に出て、井戸で顔を洗い、冷たい水で体を拭く。
体が冷え切るくらいが丁度いい。
昔の癖で、朝の鍛錬は欠かさない。
木刀を手に、家の裏の空き地で素振りを三百回。
汗が引く頃には、村のあちこちから煙が立ち上り始めている。
今日も変わらず、ばあちゃんの家へ向かった。
ばあちゃん――村長の母親で、村では「ラミエルの魔女婆さん」と陰で呼ばれている――は、毎朝のように俺を呼びつける。
「おーい、アーク! 今日も遅いぞ!」
玄関先で腰に手を当てて立っているばあちゃんは、八十を過ぎても背筋がピンと伸びている。
俺は苦笑しながら頭を下げた。
「すみません。素振り、ちょっと長引きました」
「ふん、若い頃の体はまだ残ってるってか。まあいい。今日は裏山の薬草採りだ。腰が痛むから、お前についてきな」
「了解しました」
俺は籠を二つ受け取り、ばあちゃんの後ろを歩く。
裏山の道は細くて急だが、ばあちゃんの足取りは軽い。
俺が昔の鎧を着て山を駆け回っていた頃を思い出すと、なんだか申し訳なくなる。
山道を登りながら、ばあちゃんがぽつりと言った。
「アーク。お前、村の娘どもに囲まれてるって聞いたぞ」
「……はあ?」
「とぼけるな。昨日もミーナとリリィとサラが、お前の小屋の前でキャッキャ言ってたじゃないか」
俺は頭を掻いた。
「あれは……ただ、薬草の分け前を渡しに来ただけですよ。それに、夕飯の残りを分けてもらったりしただけで」
「ふん。男が三十五にもなって、娘どもに囲まれて『ただ』なんて言葉が通用するかねぇ」
ばあちゃんはにやりと笑う。
「まあいいさ。お前みたいな男が来てくれて、村は活気づいたよ。昔は冒険者なんて、ろくでもないのが来ては騒いで、娘を泣かせて去ってくだけだったからな」
俺は少し黙って、足元に生えている薬草を摘みながら答えた。
「……俺は、騒ぐつもりはないんです。ただ、静かに暮らしたいだけです」
「嘘つけ。お前、ダンジョンに入るたびに、村の若者どもが後を追うように潜ってるじゃないか。あれは、ただの『静かな暮らし』か?」
俺は言葉に詰まった。
確かに、最近は一人でダンジョンに入っても、必ず誰かがついてくる。
特に、ミーナ、リリィ、サラの三人組が目立つ。
ミーナは十七歳。
村一番の元気娘で、髪を短く切って動きやすい服を好む。
弓が得意で、ダンジョンでは後衛を担当する。
リリィは十九歳。
少し内気だが、回復魔法が使える貴重な人材。
村の神殿で神官見習いをしている。
サラは十八歳。
一番おとなしそうに見えて、実は一番積極的。
料理が上手で、俺の小屋にしょっちゅう弁当を持ってくる。
三人とも、俺が村に来てから頻繁に顔を出すようになった。
最初は「元インペリアルガードの話を聞きたい」とか「ダンジョンのコツを教えて」だったのが、だんだん「一緒にご飯食べよう」「今度一緒に山に行こう」「アークさんって、結婚とか考えてる?」と、どんどんエスカレートしていった。
俺はため息をつきながら、薬草を籠に放り込んだ。
「……からかわれてるだけですよ、あいつら」
ばあちゃんは鼻で笑った。
「からかわれてるのはお前の方だろ。男が鈍感すぎるのも罪だぞ」
俺は返事をせずに、黙々と薬草を摘み続けた。
昼過ぎに村に戻ると、案の定、小屋の前に三人が待っていた。
「アークさーん! おかえりー!」
ミーナが手を振って駆け寄ってくる。
後ろでリリィが恥ずかしそうに会釈し、サラが両手に重そうな籠を持って立っている。
「またか……。お前ら、暇なのか?」
「暇じゃないもん! 今日は特別だよ!」
ミーナが胸を張る。
「今日は三人で、アークさんのためにスペシャルランチを作ってきたの! ほら、見て見て!」
サラが籠の布をめくると、中から湯気が立ち上った。
焼きたてのパイ、野菜のスープ、ローストした鳥肉、果物のコンポートまで並んでいる。
「……すげぇな、これ」
俺は素直に感心した。
リリィが小さな声で言った。
「……私、回復魔法で温かさを保ってたの。冷めないように……」
「ありがとな」
俺は三人を小屋の中に招き入れた。
狭いテーブルに料理を並べ、四人で囲む。
俺は久しぶりに、誰かと一緒に食卓を囲むという感覚を味わった。
「うまい……。マジでうまいぞ、これ」
俺が本気で褒めると、三人が顔を見合わせてにこにこする。
ミーナが身を乗り出した。
「ねえ、アークさん! 私たち、もっと一緒にダンジョン行きたいんだけど!」
「……またか。前回も言っただろ。俺はソロが好きなんだよ」
「でもでも! 三人とも、アークさんの戦い方見て勉強したいの! 盾で全部受け止めて、カウンターで一掃するの、かっこよすぎるんだもん!」
リリィが頷く。
「……私も、もっと回復のタイミングを学びたい……。アークさんなら、危ない時も冷静だから……」
サラは頰を赤らめて、ぽつりと言った。
「……私、アークさんの隣にいたいだけ……かも」
三人とも、俺をまっすぐ見つめてくる。
俺はスープを飲み干して、ため息をついた。
「……お前ら、本気で俺をからかってんのか?」
ミーナがぷくっと頰を膨らませた。
「からかってないよ! 本気だよ! アークさんみたいな人、村にいたことなかったんだもん! 強いし、優しいし、かっこいいし……」
リリィが小さな声で続ける。
「……結婚、したいって……思ってる子、結構いるよ……?」
サラが慌てて手を振った。
「ちょ、ちょっとリリィ! 言いすぎ!」
俺は思わず噴き出した。
「はは……お前ら、まだ十七、八だろ。俺はもう三十五だぞ。おっさんだよ」
ミーナがテーブルを叩いた。
「年齢なんて関係ないもん! アークさんはアークさんだよ! 私たち、ずっとアークさんのこと見てきたんだから!」
俺は頭を抱えた。
「……まいったな」
その夜、俺は一人で小屋の外に座って、空を見上げていた。
星が綺麗だ。
首都じゃ、こんな空は見られなかった。
ふと、後ろから足音がした。
振り返ると、サラが一人で立っていた。
他の二人は帰ったらしい。
「……まだ起きてたんだ」
サラは俺の隣にそっと座った。
「アークさん。さっきの話……本気で、嫌だった?」
俺は少し考えてから答えた。
「嫌じゃないよ。ただ……俺みたいな男に、若いお前らが本気で寄ってくるなんて、信じられなくてさ」
サラは小さく笑った。
「アークさんは、自分を過小評価しすぎてるよ。村に来てから、毎日誰かが助けられてる。ばあちゃんも、若者たちも、私たちも……みんな、アークさんがいてくれて嬉しいんだよ」
俺は黙って、星空を見続けた。
サラが、そっと俺の袖を掴んだ。
「……いつか、ちゃんと、お嫁さんに貰ってよ、アーク」
その言葉に、俺はようやく笑った。
「……お前ら、ほんと容赦ねぇな」
サラもくすくす笑う。
夜風が優しく吹き抜け、遠くでフクロウの声が響いた。
俺は小さく息を吐いて、呟いた。
「……まあ、悪くはないか。この生活」
これが、俺の新しい日常だった。
まだまだ、騒がしい日々が続きそうだ。
■3.ミニダンジョンの異変
俺がラミエルス村に根を下ろしてから、もう半年近くになる。
毎朝の素振りは欠かさないし、ばあちゃんの薬草採りにも付き合い、村の畑仕事も手伝う。
夜は小屋の暖炉の前でぼんやりと火を眺めながら、昔の戦場を思い出すことも減ってきた。
静かで、穏やかで、悪くない。
それが俺の新しい日常だった。
だが、最近、ミニダンジョンがおかしい。
最初に違和感を覚えたのは、三週間ほど前。
いつものように一階を掃除しに潜ったとき、スライムがいつもより多い気がした。
青と緑のぷるぷるした奴らが、普段の倍近く蠢いている。
俺は特に気にせず、盾で叩き潰しながら進んだが、二階に上がった瞬間、嫌な予感がした。
「……ゴブリン?」
階段を上がった先で、棍棒を持った緑色の小鬼が五匹、俺を待ち構えていた。
一階にゴブリンが出るなんて、これまで一度もなかった。
このミニダンジョンは階層がはっきりしていて、一階はスライム、二階はゴブリン、三階はウルフ、というのが鉄則だった。
俺は盾を構え直し、ゆっくりと距離を取った。
「階層崩れか……?」
ゴブリンどもは、いつもより目が赤く充血している。
唸り声も低く、執拗だ。
一匹が飛びかかってきたので、盾で弾き飛ばし、剣で首を刎ねた。
残りの四匹は怯まず、左右から挟み撃ちにしてくる。
俺は体を低くして盾を地面に叩きつけ、突進してきた二匹をまとめて押し潰した。
そのまま体を捻り、剣を横薙ぎに振るって残りを一掃。
血の臭いが鼻につく。
「……異常だな」
三階に上がっても、違和感は続いた。
ウルフの群れはいつも通りだったが、その中に、一匹だけ明らかに大きい奴が混じっていた。
体長は普通のウルフの倍近く、毛並みは黒く、牙が異様に長い。
「ブラックウルフ……? いや、そんな上位種はこのダンジョンに出るはずがねぇ」
俺は舌打ちしながら盾を前に突き出した。
ブラックウルフが真っ先に飛びかかってきた。
爪が盾に火花を散らし、衝撃で腕が痺れる。
普通のウルフより明らかに力が違う。
「ちっ……」
俺は盾を押し返し、剣で喉を狙った。
だが、奴は素早く後退して回避。
残りのウルフどもが一斉に襲いかかる。
俺は盾を回転させて周囲を薙ぎ払い、ブラックウルフだけを残した。
「お前だけ、特別扱いだな」
奴は低く唸りながら、俺を睨みつける。
俺は深く息を吐き、盾を構え直した。
「来い」
ブラックウルフが跳躍。
俺は盾を斜めに構えて受け止め、衝撃を逃がしながら体を捻り、剣を振り下ろした。
刃が首筋に食い込み、黒い血が噴き出す。
奴は最後に一声吠えて、崩れ落ちた。
戦闘終了。
俺は息を整えながら、周囲を見回した。
「……これは、ただの異常じゃねぇ」
その日から、ダンジョンの異変は加速した。
一週間後には、一階にゴブリンが常駐するようになった。
二階には、時折ハイゴブリンが現れる。
ハイゴブリン――通常のゴブリンの二倍近い体躯を持ち、知能も高い上位種。
棍棒ではなく、粗末な鉄剣を持っている奴までいた。
三階では、ウルフの群れに混じって、稀に「シャドウウルフ」と呼ばれる黒い影のような個体が出現するようになった。
動きが速く、暗闇に溶け込む。
俺でも、油断すると背後を取られかねない。
村の小さな冒険者ギルドでも、噂が広がり始めた。
「最近、ダンジョン変じゃね?」
「一階にゴブリン出たって聞いたぞ」
「ハイゴブリンまで……マジかよ」
「スタンピードの前兆じゃねぇの?」
スタンピード。
ダンジョン内の魔力が暴走し、モンスターが一斉に外へ溢れ出す現象。
大規模ダンジョンでは稀に起きるが、こんなミニダンジョンで起こるのは極めて珍しい。
俺はギルドの酒場で、爺さん冒険者たちに話を聞いた。
「アークさん、あんたはどう思う?」
「……まだ兆候の段階だ。だが、放っておけば確実にヤバくなる」
爺さんたちは顔を見合わせた。
「じゃあ、どうすりゃいいんだ? 村の冒険者は十人もいねぇし、みんな半端もんだぞ」
俺は杯を置いて、静かに言った。
「俺が当面、抑え込む。だが、限界はある。そろそろ本腰入れて、対策を考えねぇと」
その夜、俺は小屋に戻って剣と盾の手入れをした。
刃を研ぎ、盾の表面を磨く。
昔の癖で、指先で金属の感触を確かめる。
「……また、盾を構える時が来たか」
翌朝、俺は早々にダンジョンへ向かった。
一階。
スライムはほとんど姿を消し、代わりにゴブリン十数匹がうろついている。
俺は盾を構え、一気に突っ込んだ。
盾で突き飛ばし、剣で薙ぎ払う。
血と緑の体液が飛び散る。
一階を全滅させるのに、十五分もかからなかった。
二階。
ここはハイゴブリンが三匹。
鉄剣を振り回し、俺を囲む。
俺は盾を低く構え、突進してきた一匹を押し潰した。
そのまま回転して残りの二匹を薙ぎ払う。
だが、一匹が背後から飛びかかってきた。
「くそっ!」
俺は咄嗟に盾を背中に回し、衝撃を受ける。
腕が軋む。
振り向きざまに剣を突き刺し、ハイゴブリンを貫いた。
三階。
ウルフの群れ二十匹以上。
その中にシャドウウルフが三匹。
暗闇に溶け込み、俺の死角を狙ってくる。
俺は深く息を吐き、盾を地面に叩きつけた。
「全部、来い」
狼たちが一斉に飛びかかる。
俺は盾を振り回し、正面の群れを吹き飛ばす。
背後から来たシャドウウルフの爪を剣で受け止め、そのまま押し返して首を刎ねた。
戦闘は三十分以上続いた。
汗が目に入り、息が上がる。
だが、俺は一匹残らず仕留めた。
地上に戻ったとき、俺の体は血と汗でべっとりだった。
小屋の前で、ミーナ、リリィ、サラの三人が待っていた。
「アークさん! 大丈夫!? 血だらけ……!」
ミーナが駆け寄ってくる。
リリィが慌てて回復魔法をかけようとする。
俺は手を上げて制した。
「大した傷じゃねぇ。ただ……もう、限界が近い」
サラが小さな声で言った。
「……スタンピード、来るの?」
俺は頷いた。
「ああ。兆候はもう明らかだ。このままじゃ、数日以内にダンジョンが溢れる」
三人は顔を見合わせ、震える声で言った。
「……私たちも、戦うよ」
俺は苦笑した。
「お前ら……」
だが、目が真剣だった。
俺はゆっくりと息を吐いて、呟いた。
「……なら、覚悟しとけ。これからが、本当の戦いだ」
夕陽が沈み、村に長い影が落ちる。
俺は剣を握り直し、盾を肩に担いだ。
(まだ、終わらせねぇ)
この村を、この生活を、守るために。
■4.スタンピードの兆候
俺はもう、何日もミニダンジョンに籠もりきりだった。
日の出前に潜り、夜遅くに這い上がる。
体は血と汗とモンスターの体液でべっとり。
小屋に戻っても、服を脱いで井戸水で体を洗い、傷を布で巻いて寝るだけ。
食事はサラが持ってきてくれる弁当を、冷めたままかじる。
それでも、ダンジョンは止まらない。
一階はもうスライムなんて影も形もない。
代わりにゴブリンとハイゴブリンが溢れかえっている。
二階はハイゴブリンの群れが二十匹を超え、三階ではシャドウウルフが十匹以上、ブラックウルフまで混じってうろついている。
兆候は明らかだった。
スタンピード。
ダンジョン内の魔力が暴走し、モンスターが制御を失って外へ殺到する現象。
ミニダンジョン規模で起きるのは異常事態だ。
だが、起きてしまったものは仕方ない。
俺は盾を構え、剣を握り直す。
「今日で、決着をつける」
朝一番で潜った一階。
ゴブリン三十匹以上が、俺の姿を見るなり一斉に襲いかかってきた。
俺は盾を低く構え、地面を蹴った。
盾の縁で突き飛ばし、剣を横薙ぎに振るう。
緑の血が噴き出し、悲鳴が響く。
一匹が背後から飛びかかってきたので、肘打ちで吹き飛ばし、剣で喉を貫いた。
五分で一階全滅。
二階へ。
ハイゴブリン十五匹。
鉄剣を振り回し、俺を囲むように陣を組んでいる。
知能が高い分、連携が取れている。
俺は深く息を吐き、盾を叩きつけた。
「来いよ」
一斉に突進。
俺は盾を回転させて正面を薙ぎ払い、体を低くして下から突き上げるように剣を振るった。
二匹の首が飛ぶ。
残りが左右から挟み撃ちにしてくるが、俺は盾を背中に回し、衝撃を受けながら前へ踏み込んだ。
剣を振り回し、三匹を一気に斬り捨てる。
息が上がる。腕が重い。
それでも止まらない。
三階。
ここはもう、戦場だった。
ウルフ三十匹以上。
シャドウウルフ十匹、ブラックウルフ三匹。
暗闇の中で赤い目が無数に光っている。
俺は階段を上がった瞬間、盾を前に突き出した。
「全部、まとめて来い」
狼の群れが雪崩れ込むように襲いかかる。
俺は盾を振り回し、正面の五匹を吹き飛ばした。
背後からシャドウウルフが爪を振り下ろす。
俺は体を捻って盾で受け止め、剣で首を刎ねた。
ブラックウルフが咆哮を上げて突進。
俺は盾を斜めに構え、衝撃を逃がしながら押し返した。
そのまま剣を突き刺し、心臓を貫く。
血が噴き出し、視界が赤く染まる。
体が悲鳴を上げている。
肩が軋み、腕が痺れ、息が上がる。
足がもつれそうになる。
それでも、俺は盾を構え続けた。
「まだ……終わらねぇ」
三時間以上、戦い続けた。
三階のモンスターは、俺が最後のシャドウウルフを仕留めた瞬間、ようやく動きを止めた。
静寂が訪れる。
俺は膝をつき、盾に寄りかかった。
「……ふう」
体中が痛い。
傷は浅いが、数が多い。
血が滴り、視界がぼやける。
その時、階段の方から足音がした。
「アークさん!」
ミーナの声。
続いてリリィとサラ。
三人が、息を切らして駆け上がってきた。
ミーナが籠を放り投げて俺に駆け寄る。
「アークさん! 血だらけ……! 動かないで!」
リリィが両手を広げ、回復魔法を唱え始めた。
柔らかな光が俺の体を包む。
傷が塞がり、痛みが引いていく。
サラは涙目で、俺の頰に触れた。
「……無茶しすぎだよ……」
俺は苦笑した。
「すまねぇ……お前らに、こんな姿見せちまって」
ミーナが泣き笑いしながら言った。
「バカ! 私たち、補給に来たんだから! ほら、これ食べて!」
籠から取り出したのは、熱々のスープとパン、干し肉と果物。
俺は受け取って、ゆっくりと口に運んだ。
「……うまい」
三人は俺の周りに座り込み、それぞれ俺の傷を手当てしたり、水を飲ませたりした。
リリィが小さな声で言った。
「……まだ、モンスターは湧いてくるかも……でも、アークさんがここにいてくれるから……」
サラが俺の手を握った。
「私たちも、戦うよ。アークさん一人に、全部背負わせない」
ミーナが拳を握りしめた。
「そうだよ! 村を守るのは、アークさんだけじゃないんだから!」
俺は三人を見て、ゆっくりと頷いた。
「……ありがとな」
その瞬間、ダンジョン全体が震えた。
低く、唸るような音。
魔力が渦を巻き、最深部から、何かが這い上がってくる気配。
俺は立ち上がった。
盾を構え、剣を握る。
「……まだ、終わってねぇみたいだな」
三人も立ち上がり、それぞれ武器を構えた。
ミーナは弓を、リリィは杖を、サラは短剣を。
俺は前へ一歩踏み出した。
「行くぞ」
階段の下から、巨大な影が現れた。
ハイゴブリン王――いや、それ以上の何か。
体躯は三メートルを超え、両手に巨大な戦斧を持ち、目が赤く燃えている。
スタンピードの核。
俺は盾を叩きつけ、叫んだ。
「来い!」
怪物が咆哮を上げ、突進してきた。
俺は盾を構え、全力で受け止めた。
衝撃で体が後ろに吹き飛び、壁に叩きつけられる。
だが、俺はすぐに立ち上がった。
「まだ……いける」
ミーナの矢が飛ぶ。
リリィの回復魔法が降り注ぐ。
サラが横から短剣で斬りかかる。
俺は盾を振り回し、怪物に体当たりした。
剣を振り上げ、渾身の一撃を、首筋に叩き込んだ。
怪物が膝をつく。
俺は息を切らしながら、最後の一撃を放った。
剣が、核を貫く。
魔力が爆発し、ダンジョン全体が光に包まれた。
そして、静寂。
スタンピードは、収まった。
俺たちは四人で、互いに支え合いながら地上へ這い上がった。
村人たちが、広場に集まっていた。
俺たちの姿を見て、歓声が上がる。
「アークさん!」
「無事だった!」
「村が守られた!」
俺は盾を地面に立てかけ、ゆっくりと息を吐いた。
体は限界だった。
だが、心は軽かった。
ミーナが俺の肩に寄りかかり、笑った。
「ねえ、アークさん」
「……なんだよ」
「これで、平和になったよね?」
俺は空を見上げた。
青く澄んだ空。
雲一つない。
「……ああ」
サラがそっと俺の手を握った。
リリィが微笑む。
俺は小さく呟いた。
「……これが、俺の新しい人生だ」
村に、再び平和が訪れた。
■5.平和な日々
スタンピードから三週間が過ぎた。
ミニダンジョンは、今では静かだ。
一階に戻ったのはスライムだけ。
ぷるぷると無害に跳ね回る青と緑の塊が、昔と同じように蠢いている。
二階のゴブリンも、三階のウルフも、異常な数は消え、通常の個体数に戻った。
核を潰した日から、魔力の暴走はぴたりと止まり、村人たちは「アークさんが守ってくれた」と、口々に感謝を口にする。
俺は、もう毎日ダンジョンに潜る必要はなくなった。
朝はいつものように素振りから始まる。
三百回。
汗が引く頃には、村のあちこちから朝飯の匂いが漂ってくる。
今日はばあちゃんの家へ向かう日だ。
「おーい、アーク! 遅いぞ!」
玄関先でいつものように腰に手を当てているばあちゃん。
八十を過ぎても眼光は鋭い。
「すみません。今日はちょっと長めに振りました」
「ふん。体が鈍るのを怖がってるのかねぇ。まあいい。今日は畑の草取りだ。腰が痛むから、手伝え」
「了解」
俺は鍬と籠を受け取り、ばあちゃんの後ろを歩く。
村の外れにあるじゃがいも畑。
土は柔らかく、朝露がまだ残っている。
ばあちゃんはしゃがみ込んで、雑草を抜き始めた。
俺も隣で同じように手を動かす。
「……アーク。お前、最近顔色がいいな」
「は?」
「前はいつも疲れた顔してた。ダンジョンに籠もってた頃は、死人の目だったぞ」
俺は苦笑した。
「……今は、死んでねぇですよ」
「ふん。生きてる顔だ。それでいい」
ばあちゃんはそう言って、じゃがいもの土を払った。
昼近くになると、村の娘たちがやってきた。
「アークさーん! お昼持ってきたよー!」
ミーナが籠を振りながら駆け寄ってくる。
後ろにリリィとサラ。
三人とも、今日はエプロン姿だ。
「またお前らか……」
俺は鍬を置いて立ち上がった。
サラが頰を赤らめて言った。
「今日は三人で、畑仕事のお手伝いも兼ねて……お弁当作ってきたの」
籠の中身を見せると、焼きたての肉まん、野菜たっぷりのスープ、新鮮なサラダに、果物の盛り合わせ。
ミーナが胸を張る。
「私、肉まん捏ねたんだから! アークさん、絶対食べてよね!」
リリィが小さな声で。
「……私、スープの味付け……頑張った……」
俺はため息をつきながらも、口元が緩む。
「……ありがとな。じゃあ、ちょっと休憩するか」
四人で畑の端に座り込み、弁当を広げた。
肉まんは熱々で、肉汁がじゅわっと溢れる。
スープは優しい味。
サラダはシャキシャキで新鮮だ。
「……うまい。マジでうまいぞ、これ」
俺が本気で言うと、三人が顔を見合わせてにこにこする。
ミーナが身を乗り出した。
「ねえ、アークさん! 最近、ダンジョン行かなくなったよね? 寂しくない?」
「寂しいって……お前ら、俺が戦う姿が好きだったのか?」
「違うよ! 戦ってるアークさんもかっこいいけど……今みたいに、のんびりしてるアークさんも好きだもん」
リリィが頷く。
「……アークさんが笑うようになった……それが、一番嬉しい……」
サラはそっと俺の袖を掴んだ。
「……私たち、ずっとそばにいるから。これからも、毎日ご飯作りに来るね」
俺は頭を掻いた。
「……お前ら、ほんと容赦ねぇな」
夕方、畑仕事を終えて村に戻ると、広場で村人たちが集まっていた。
村長が俺を見つけると、にこやかに手を振る。
「アークさん! ちょうどいいところだ。今日はみんなで感謝の宴だよ。スタンピードを止めてくれたお礼さ」
俺は苦笑した。
「大げさですよ。俺一人じゃ無理だった。ミーナたちも、リリィの魔法も、サラの補給も……みんなのおかげだ」
村長は笑って肩を叩いた。
「謙遜するな。お前が盾になってくれなきゃ、村はもうなかったかもしれない。今日は、飲め。食え。騒げ」
広場には長テーブルが並び、村人たちが持ち寄った料理が山盛り。
ローストした鹿肉、野菜の煮込み、パン、果実酒。
子供たちが走り回り、爺さん婆さんたちは酒を酌み交わす。
俺は端っこの席に座らされたが、すぐにミーナ、リリィ、サラが両脇と正面を囲んできた。
「アークさん、こっちの肉、柔らかくて美味しいよ!」
「果実酒も、飲んでみて……」
「私、隣に座っていい……?」
俺は杯を受け取り、軽く口をつけた。
甘くて、フルーティー。
体が温まる。
夜が更ける頃、広場に焚き火が灯された。
村人たちが歌い出し、子供たちが輪になって踊る。
俺は少し離れたところで、火を眺めていた。
ふと、後ろから足音。
サラだった。
「……アークさん、一人?」
「ああ。ちょっと、静かにしたくなった」
サラは俺の隣に座り、膝を抱えた。
「今日、みんな嬉しそうだったね。アークさんが来てから、村が変わったって……みんな言ってるよ」
俺は小さく笑った。
「……俺も、変わったよ。昔は、盾を構えることしか考えられなかった。陛下を守るため、帝国のため……それだけだった」
サラが俺の顔を覗き込む。
「今は?」
「……今は、この村を守りたい。お前らを、ばあちゃんを、村長を、みんなを。それが、俺の新しい目的だ」
サラの目が潤んだ。
「……私たちも、アークさんを守りたい。ずっと、そばにいるから」
俺はサラの手をそっと握り返した。
「……ああ。頼むよ」
遠くで、歌声が響く。
焚き火の炎が揺れ、星空が広がる。
俺は空を見上げて、静かに息を吐いた。
薬草を摘み、ばあちゃんの手伝いをして、娘たちに囲まれて飯を食い、村人たちと酒を酌み交わす。
これが、俺のスローライフ。
これが、俺の新しい人生。
(完)




