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元インペリアルガードの俺、田舎ダンジョンで自己タンクしながらスローライフしてます

作者: 海老川ピコ
掲載日:2026/05/06

■1.引退


 俺はフリアナ帝国のインペリアルガード、アーク。

 かつては皇帝陛下の側近として、宮廷の陰謀やら暗殺未遂やら、血生臭い修羅場を何度も潜り抜けてきた。

 重厚な銀色の鎧に身を包み、巨大な塔盾を構えて陛下の前に立つ姿は、さぞ絵になっていたらしい。

 少なくとも、貴族の令嬢どもからは「アーク様の盾は鉄壁ですね」などと、遠回しに褒められたりしたものだ。

 だが、そんな華やかな日々はもう過去のものだ。

 引退を決めたのは、去年の冬のこと。

 三十五歳。

 人間としてはまだまだ若い方だが、インペリアルガードとしては十分すぎるほど働いた。

 二十年近く、毎日が命懸けだった。

 いつ誰に斬られるか、毒を盛られるか、魔法で焼き尽くされるか。

 そんな緊張感の中で生きてきた体は、もう限界が近かった。


「陛下。俺はもう、盾を置かせていただきます」


 最後の謁見で、俺は膝をついてそう告げた。

 皇帝は一瞬、目を細めたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。


「アーク。お前が望むなら、止めはせん。……だが、どこへ行くつもりだ?」

「田舎です。静かなところで、のんびり暮らしたい」


 陛下は小さく笑った。


「らしいな。お前らしい選択だ。……行け。帝国はお前を忘れん」


 そう言って、陛下は俺の肩を軽く叩いた。

 その手は、意外と温かかった。

 退役金はそこそこ出た。

 インペリアルガードの功績に対する特別手当も上乗せされた。

 それに、陛下から下賜された「名誉の銀盾」も売ればかなりの金になる。

 だが、俺はそれを売らなかった。

 ただの思い出の品として、荷物の中にそっと仕舞った。

 そして、俺は馬車に揺られて、帝国の首都から遠く離れた辺境の村、ラミエルスへと向かった。


 ラミエルス村。

 フリアナ帝国の北東、竜骨山脈の麓にぽつんとある小さな集落だ。

 人口は三百人にも満たない。

 畑と牧草地と森に囲まれ、村の中心には古びた水車小屋がある。

 道は土で、雨が降ればぬかるむ。

 冬は雪が深く、夏は蝉の声がうるさい。

 まさに、どこにでもある田舎だ。

 村に着いたのは、夕暮れ時だった。

 馬車から降りると、土埃まみれの俺を見て、村人たちが珍しそうに顔を覗き込んでくる。


「おお、旅の人かね?」

「都会の匂いがするねぇ」

「鎧の跡が体に残ってるな。元兵士かい?」


 俺は軽く頭を下げて答えた。


「元インペリアルガードのアークです。これからはここで静かに暮らそうと思いまして」


 その一言で、村人たちの目が一気に変わった。


「インペリアルガード!? 本物かい!?」

「陛下の側近だったって、あの!?」

「すげぇ……!」


 騒ぎが大きくなり、村長の家に招かれて夕飯をご馳走になることになった。

 村長のおばさんは、でっかい鍋いっぱいのシチューと、焼きたてのパン、村で採れた新鮮な野菜を山盛りにしてくれた。


「アークさん、これからはうちの村の住人だよ。遠慮なく頼ってくれ」


 村長の言葉に、俺は素直に頷いた。


「……ありがとうございます。よろしくお願いします」


 その夜、俺は村長が用意してくれた古い小屋に落ち着いた。

 屋根は藁葺きで、壁は土壁。

 中は狭いが、暖炉があり、ベッドとテーブルと椅子が一通り揃っている。

 窓から見えるのは、月明かりに照らされた静かな山の稜線。

 風が木々を揺らす音だけが聞こえる。

 俺は荷物を解きながら、ふと思った。


(これが……俺の新しい人生か)


 翌朝、早起きして村を歩いてみた。

 村の外れに、小さなダンジョンがあると聞いていた。

 村人曰く「ミニダンジョン」で、昔からあるらしい。

 冒険者ギルドも村に一つだけあって、登録しているのは十人ほど。

 そのほとんどが、村の若者や半分隠居みたいな爺さん婆さんだ。


 俺はさっそくそのミニダンジョンへ向かった。

 入口は、苔むした岩の隙間にぽっかりと開いた穴。

 階段を下りると、ひんやりとした空気が肌を撫でる。

 一階はスライムだらけだった。

 ぷるぷると跳ねる青と緑のスライム。

 俺は昔使っていた片手剣を抜き、盾を構えた。


「さて……どれだけ体が鈍ってるか、試してみるか」


 スライムが飛びかかってくる。

 俺は盾で軽く弾き、剣を振り下ろす。

 一撃で核を潰し、スライムはぱちんと弾けて消えた。


(……まだ、いけるな)


 二階に降りると、今度はゴブリン。

 三匹の小柄な緑色の奴らが、棍棒を振り回して襲いかかってきた。

 俺は盾を前に突き出し、突進してきたゴブリンをそのまま押し潰す。

 そのまま体を捻り、剣で残りの二匹の首を薙ぎ払った。

 血の臭いが鼻をつく。

 だが、嫌な感じはしなかった。

 むしろ、懐かしい。


 三階はウルフ。

 灰色の毛並みの狼が、四匹で群れを成して俺を囲んだ。

 俺は深く息を吐き、盾を地面に叩きつけた。

 低い姿勢で構える。


「来い」


 ウルフたちが一斉に飛びかかる。

 俺は盾を振り回し、一匹を吹き飛ばす。

 次の瞬間、横から来た牙を剣で受け止め、そのまま押し返して喉を掻き切った。

 残りの二匹は怯んだ隙に、俺が踏み込んで一気に仕留めた。

 戦闘は、五分もかからなかった。


「……ふう」


 俺は剣の血を拭い、鞘に収めた。

 体は汗ばんでいるが、息はそれほど乱れていない。

 鎧を脱いでいたとはいえ、まだまだ現役の感覚が残っているようだ。

 階段を上がって地上に戻ると、村の入り口で数人の若者が待っていた。


「おお、アークさん! ダンジョン行ってたの!?」

「どうだった? スライムくらいなら楽勝でしょ?」

「三階まで行ったって!? マジかよ!」


 俺は苦笑しながら答えた。


「まあ、昔の仕事の延長みたいなもんだからな。大したことないよ」


 その言葉に、若者たちは目を輝かせた。


「すげぇ……! やっぱ元インペリアルガードってレベルが違うんだな」

「俺もいつかアークさんみたいになりてぇ!」


 俺は肩をすくめた。


「俺はもう引退組だ。これからは、のんびり薬草採ったり、畑の手伝いしたり、そんな生活がしたいだけさ」


 そう言った俺の言葉を、若者たちは半信半疑の顔で見つめてくる。

 その日の夕方、俺は村の外れの野原で薬草を摘んでいた。

 ばあちゃんに頼まれて、風邪薬に使うハーブを集めていたのだ。

 すると、後ろから声がした。


「アークさーん!」


 振り返ると、村の娘たちが三人、籠を抱えて立っていた。


「また薬草? 一緒に採ろーよ!」

「私も手伝う!」

「ついでにご飯作ってあげるから、夜はうちに来てね!」


 俺はため息をつきながらも、口元が緩むのを感じた。


「……お前ら、暇なのか?」

「違うもん! アークさんが好きだからー!」


 一人が顔を真っ赤にして叫ぶと、他の二人が「きゃー!」と騒ぎ始めた。

 俺は頭を掻いた。


(こいつら……本気で俺をからかってんのか? それとも……)


 まあ、どっちでもいいか。

 俺は小さく笑って、薬草の入った籠を差し出した。


「じゃあ、手伝え。終わったら、ばあちゃんのシチューをご馳走してやるよ」

「やったー!」


 娘たちは歓声を上げて、俺の周りに集まってきた。

 陽が傾き、風が優しく草を揺らす。

 遠くで牛の鳴き声が響き、どこからか薪の燃える匂いが漂ってくる。

 俺はふと、空を見上げた。

 青く澄んだ空。

 雲一つない。


(……悪くないな、この生活)


 これが、俺の新しい人生の始まりだった。


■2.女の子たち


 俺はラミエルス村に移住して、はや三ヶ月が経った。

 朝は早い。

 日の出前に目が覚めて、まずは暖炉に薪をくべて火を起こす。

 それから外に出て、井戸で顔を洗い、冷たい水で体を拭く。

 体が冷え切るくらいが丁度いい。

 昔の癖で、朝の鍛錬は欠かさない。

 木刀を手に、家の裏の空き地で素振りを三百回。

 汗が引く頃には、村のあちこちから煙が立ち上り始めている。

 今日も変わらず、ばあちゃんの家へ向かった。

 ばあちゃん――村長の母親で、村では「ラミエルの魔女婆さん」と陰で呼ばれている――は、毎朝のように俺を呼びつける。


「おーい、アーク! 今日も遅いぞ!」


 玄関先で腰に手を当てて立っているばあちゃんは、八十を過ぎても背筋がピンと伸びている。

 俺は苦笑しながら頭を下げた。


「すみません。素振り、ちょっと長引きました」

「ふん、若い頃の体はまだ残ってるってか。まあいい。今日は裏山の薬草採りだ。腰が痛むから、お前についてきな」

「了解しました」


 俺は籠を二つ受け取り、ばあちゃんの後ろを歩く。

 裏山の道は細くて急だが、ばあちゃんの足取りは軽い。

 俺が昔の鎧を着て山を駆け回っていた頃を思い出すと、なんだか申し訳なくなる。

 山道を登りながら、ばあちゃんがぽつりと言った。


「アーク。お前、村の娘どもに囲まれてるって聞いたぞ」

「……はあ?」

「とぼけるな。昨日もミーナとリリィとサラが、お前の小屋の前でキャッキャ言ってたじゃないか」


 俺は頭を掻いた。


「あれは……ただ、薬草の分け前を渡しに来ただけですよ。それに、夕飯の残りを分けてもらったりしただけで」

「ふん。男が三十五にもなって、娘どもに囲まれて『ただ』なんて言葉が通用するかねぇ」


 ばあちゃんはにやりと笑う。


「まあいいさ。お前みたいな男が来てくれて、村は活気づいたよ。昔は冒険者なんて、ろくでもないのが来ては騒いで、娘を泣かせて去ってくだけだったからな」


 俺は少し黙って、足元に生えている薬草を摘みながら答えた。


「……俺は、騒ぐつもりはないんです。ただ、静かに暮らしたいだけです」

「嘘つけ。お前、ダンジョンに入るたびに、村の若者どもが後を追うように潜ってるじゃないか。あれは、ただの『静かな暮らし』か?」


 俺は言葉に詰まった。

 確かに、最近は一人でダンジョンに入っても、必ず誰かがついてくる。

 特に、ミーナ、リリィ、サラの三人組が目立つ。

 ミーナは十七歳。

 村一番の元気娘で、髪を短く切って動きやすい服を好む。

 弓が得意で、ダンジョンでは後衛を担当する。

 リリィは十九歳。

 少し内気だが、回復魔法が使える貴重な人材。

 村の神殿で神官見習いをしている。

 サラは十八歳。

 一番おとなしそうに見えて、実は一番積極的。

 料理が上手で、俺の小屋にしょっちゅう弁当を持ってくる。

 三人とも、俺が村に来てから頻繁に顔を出すようになった。

 最初は「元インペリアルガードの話を聞きたい」とか「ダンジョンのコツを教えて」だったのが、だんだん「一緒にご飯食べよう」「今度一緒に山に行こう」「アークさんって、結婚とか考えてる?」と、どんどんエスカレートしていった。

 俺はため息をつきながら、薬草を籠に放り込んだ。


「……からかわれてるだけですよ、あいつら」


 ばあちゃんは鼻で笑った。


「からかわれてるのはお前の方だろ。男が鈍感すぎるのも罪だぞ」


 俺は返事をせずに、黙々と薬草を摘み続けた。

 昼過ぎに村に戻ると、案の定、小屋の前に三人が待っていた。


「アークさーん! おかえりー!」


 ミーナが手を振って駆け寄ってくる。

 後ろでリリィが恥ずかしそうに会釈し、サラが両手に重そうな籠を持って立っている。


「またか……。お前ら、暇なのか?」

「暇じゃないもん! 今日は特別だよ!」


 ミーナが胸を張る。


「今日は三人で、アークさんのためにスペシャルランチを作ってきたの! ほら、見て見て!」


 サラが籠の布をめくると、中から湯気が立ち上った。

 焼きたてのパイ、野菜のスープ、ローストした鳥肉、果物のコンポートまで並んでいる。


「……すげぇな、これ」


 俺は素直に感心した。

 リリィが小さな声で言った。


「……私、回復魔法で温かさを保ってたの。冷めないように……」

「ありがとな」


 俺は三人を小屋の中に招き入れた。

 狭いテーブルに料理を並べ、四人で囲む。

 俺は久しぶりに、誰かと一緒に食卓を囲むという感覚を味わった。


「うまい……。マジでうまいぞ、これ」


 俺が本気で褒めると、三人が顔を見合わせてにこにこする。

 ミーナが身を乗り出した。


「ねえ、アークさん! 私たち、もっと一緒にダンジョン行きたいんだけど!」

「……またか。前回も言っただろ。俺はソロが好きなんだよ」

「でもでも! 三人とも、アークさんの戦い方見て勉強したいの! 盾で全部受け止めて、カウンターで一掃するの、かっこよすぎるんだもん!」


 リリィが頷く。


「……私も、もっと回復のタイミングを学びたい……。アークさんなら、危ない時も冷静だから……」


 サラは頰を赤らめて、ぽつりと言った。


「……私、アークさんの隣にいたいだけ……かも」


 三人とも、俺をまっすぐ見つめてくる。

 俺はスープを飲み干して、ため息をついた。


「……お前ら、本気で俺をからかってんのか?」


 ミーナがぷくっと頰を膨らませた。


「からかってないよ! 本気だよ! アークさんみたいな人、村にいたことなかったんだもん! 強いし、優しいし、かっこいいし……」


 リリィが小さな声で続ける。


「……結婚、したいって……思ってる子、結構いるよ……?」


 サラが慌てて手を振った。


「ちょ、ちょっとリリィ! 言いすぎ!」


 俺は思わず噴き出した。


「はは……お前ら、まだ十七、八だろ。俺はもう三十五だぞ。おっさんだよ」


 ミーナがテーブルを叩いた。


「年齢なんて関係ないもん! アークさんはアークさんだよ! 私たち、ずっとアークさんのこと見てきたんだから!」


 俺は頭を抱えた。


「……まいったな」


 その夜、俺は一人で小屋の外に座って、空を見上げていた。

 星が綺麗だ。

 首都じゃ、こんな空は見られなかった。

 ふと、後ろから足音がした。

 振り返ると、サラが一人で立っていた。

 他の二人は帰ったらしい。


「……まだ起きてたんだ」


 サラは俺の隣にそっと座った。


「アークさん。さっきの話……本気で、嫌だった?」


 俺は少し考えてから答えた。


「嫌じゃないよ。ただ……俺みたいな男に、若いお前らが本気で寄ってくるなんて、信じられなくてさ」


 サラは小さく笑った。


「アークさんは、自分を過小評価しすぎてるよ。村に来てから、毎日誰かが助けられてる。ばあちゃんも、若者たちも、私たちも……みんな、アークさんがいてくれて嬉しいんだよ」


 俺は黙って、星空を見続けた。

 サラが、そっと俺の袖を掴んだ。


「……いつか、ちゃんと、お嫁さんに貰ってよ、アーク」


 その言葉に、俺はようやく笑った。


「……お前ら、ほんと容赦ねぇな」


 サラもくすくす笑う。

 夜風が優しく吹き抜け、遠くでフクロウの声が響いた。

 俺は小さく息を吐いて、呟いた。


「……まあ、悪くはないか。この生活」


 これが、俺の新しい日常だった。

 まだまだ、騒がしい日々が続きそうだ。


■3.ミニダンジョンの異変


 俺がラミエルス村に根を下ろしてから、もう半年近くになる。

 毎朝の素振りは欠かさないし、ばあちゃんの薬草採りにも付き合い、村の畑仕事も手伝う。

 夜は小屋の暖炉の前でぼんやりと火を眺めながら、昔の戦場を思い出すことも減ってきた。

 静かで、穏やかで、悪くない。

 それが俺の新しい日常だった。


 だが、最近、ミニダンジョンがおかしい。

 最初に違和感を覚えたのは、三週間ほど前。

 いつものように一階を掃除しに潜ったとき、スライムがいつもより多い気がした。

 青と緑のぷるぷるした奴らが、普段の倍近く蠢いている。

 俺は特に気にせず、盾で叩き潰しながら進んだが、二階に上がった瞬間、嫌な予感がした。


「……ゴブリン?」


 階段を上がった先で、棍棒を持った緑色の小鬼が五匹、俺を待ち構えていた。

 一階にゴブリンが出るなんて、これまで一度もなかった。

 このミニダンジョンは階層がはっきりしていて、一階はスライム、二階はゴブリン、三階はウルフ、というのが鉄則だった。

 俺は盾を構え直し、ゆっくりと距離を取った。


「階層崩れか……?」


 ゴブリンどもは、いつもより目が赤く充血している。

 唸り声も低く、執拗だ。

 一匹が飛びかかってきたので、盾で弾き飛ばし、剣で首を刎ねた。

 残りの四匹は怯まず、左右から挟み撃ちにしてくる。

 俺は体を低くして盾を地面に叩きつけ、突進してきた二匹をまとめて押し潰した。

 そのまま体を捻り、剣を横薙ぎに振るって残りを一掃。

 血の臭いが鼻につく。


「……異常だな」


 三階に上がっても、違和感は続いた。

 ウルフの群れはいつも通りだったが、その中に、一匹だけ明らかに大きい奴が混じっていた。

 体長は普通のウルフの倍近く、毛並みは黒く、牙が異様に長い。


「ブラックウルフ……? いや、そんな上位種はこのダンジョンに出るはずがねぇ」


 俺は舌打ちしながら盾を前に突き出した。

 ブラックウルフが真っ先に飛びかかってきた。

 爪が盾に火花を散らし、衝撃で腕が痺れる。

 普通のウルフより明らかに力が違う。


「ちっ……」


 俺は盾を押し返し、剣で喉を狙った。

 だが、奴は素早く後退して回避。

 残りのウルフどもが一斉に襲いかかる。

 俺は盾を回転させて周囲を薙ぎ払い、ブラックウルフだけを残した。


「お前だけ、特別扱いだな」


 奴は低く唸りながら、俺を睨みつける。

 俺は深く息を吐き、盾を構え直した。


「来い」


 ブラックウルフが跳躍。

 俺は盾を斜めに構えて受け止め、衝撃を逃がしながら体を捻り、剣を振り下ろした。

 刃が首筋に食い込み、黒い血が噴き出す。

 奴は最後に一声吠えて、崩れ落ちた。

 戦闘終了。

 俺は息を整えながら、周囲を見回した。


「……これは、ただの異常じゃねぇ」


 その日から、ダンジョンの異変は加速した。

 一週間後には、一階にゴブリンが常駐するようになった。

 二階には、時折ハイゴブリンが現れる。

 ハイゴブリン――通常のゴブリンの二倍近い体躯を持ち、知能も高い上位種。

 棍棒ではなく、粗末な鉄剣を持っている奴までいた。

 三階では、ウルフの群れに混じって、稀に「シャドウウルフ」と呼ばれる黒い影のような個体が出現するようになった。

 動きが速く、暗闇に溶け込む。

 俺でも、油断すると背後を取られかねない。

 村の小さな冒険者ギルドでも、噂が広がり始めた。


「最近、ダンジョン変じゃね?」

「一階にゴブリン出たって聞いたぞ」

「ハイゴブリンまで……マジかよ」

「スタンピードの前兆じゃねぇの?」


 スタンピード。

 ダンジョン内の魔力が暴走し、モンスターが一斉に外へ溢れ出す現象。

 大規模ダンジョンでは稀に起きるが、こんなミニダンジョンで起こるのは極めて珍しい。

 俺はギルドの酒場で、爺さん冒険者たちに話を聞いた。


「アークさん、あんたはどう思う?」

「……まだ兆候の段階だ。だが、放っておけば確実にヤバくなる」


 爺さんたちは顔を見合わせた。


「じゃあ、どうすりゃいいんだ? 村の冒険者は十人もいねぇし、みんな半端もんだぞ」


 俺は杯を置いて、静かに言った。


「俺が当面、抑え込む。だが、限界はある。そろそろ本腰入れて、対策を考えねぇと」


 その夜、俺は小屋に戻って剣と盾の手入れをした。

 刃を研ぎ、盾の表面を磨く。

 昔の癖で、指先で金属の感触を確かめる。


「……また、盾を構える時が来たか」


 翌朝、俺は早々にダンジョンへ向かった。

 一階。

 スライムはほとんど姿を消し、代わりにゴブリン十数匹がうろついている。

 俺は盾を構え、一気に突っ込んだ。

 盾で突き飛ばし、剣で薙ぎ払う。

 血と緑の体液が飛び散る。

 一階を全滅させるのに、十五分もかからなかった。

 二階。

 ここはハイゴブリンが三匹。

 鉄剣を振り回し、俺を囲む。

 俺は盾を低く構え、突進してきた一匹を押し潰した。

 そのまま回転して残りの二匹を薙ぎ払う。

 だが、一匹が背後から飛びかかってきた。


「くそっ!」


 俺は咄嗟に盾を背中に回し、衝撃を受ける。

 腕が軋む。

 振り向きざまに剣を突き刺し、ハイゴブリンを貫いた。

 三階。

 ウルフの群れ二十匹以上。

 その中にシャドウウルフが三匹。

 暗闇に溶け込み、俺の死角を狙ってくる。

 俺は深く息を吐き、盾を地面に叩きつけた。


「全部、来い」


 狼たちが一斉に飛びかかる。

 俺は盾を振り回し、正面の群れを吹き飛ばす。

 背後から来たシャドウウルフの爪を剣で受け止め、そのまま押し返して首を刎ねた。

 戦闘は三十分以上続いた。

 汗が目に入り、息が上がる。

 だが、俺は一匹残らず仕留めた。

 地上に戻ったとき、俺の体は血と汗でべっとりだった。

 小屋の前で、ミーナ、リリィ、サラの三人が待っていた。


「アークさん! 大丈夫!? 血だらけ……!」


 ミーナが駆け寄ってくる。

 リリィが慌てて回復魔法をかけようとする。

 俺は手を上げて制した。


「大した傷じゃねぇ。ただ……もう、限界が近い」


 サラが小さな声で言った。


「……スタンピード、来るの?」


 俺は頷いた。


「ああ。兆候はもう明らかだ。このままじゃ、数日以内にダンジョンが溢れる」


 三人は顔を見合わせ、震える声で言った。


「……私たちも、戦うよ」


 俺は苦笑した。


「お前ら……」


 だが、目が真剣だった。

 俺はゆっくりと息を吐いて、呟いた。


「……なら、覚悟しとけ。これからが、本当の戦いだ」


 夕陽が沈み、村に長い影が落ちる。

 俺は剣を握り直し、盾を肩に担いだ。


(まだ、終わらせねぇ)


 この村を、この生活を、守るために。


■4.スタンピードの兆候


 俺はもう、何日もミニダンジョンに籠もりきりだった。

 日の出前に潜り、夜遅くに這い上がる。

 体は血と汗とモンスターの体液でべっとり。

 小屋に戻っても、服を脱いで井戸水で体を洗い、傷を布で巻いて寝るだけ。

 食事はサラが持ってきてくれる弁当を、冷めたままかじる。

 それでも、ダンジョンは止まらない。

 一階はもうスライムなんて影も形もない。

 代わりにゴブリンとハイゴブリンが溢れかえっている。

 二階はハイゴブリンの群れが二十匹を超え、三階ではシャドウウルフが十匹以上、ブラックウルフまで混じってうろついている。

 兆候は明らかだった。

 スタンピード。

 ダンジョン内の魔力が暴走し、モンスターが制御を失って外へ殺到する現象。

 ミニダンジョン規模で起きるのは異常事態だ。

 だが、起きてしまったものは仕方ない。

 俺は盾を構え、剣を握り直す。


「今日で、決着をつける」


 朝一番で潜った一階。

 ゴブリン三十匹以上が、俺の姿を見るなり一斉に襲いかかってきた。

 俺は盾を低く構え、地面を蹴った。

 盾の縁で突き飛ばし、剣を横薙ぎに振るう。

 緑の血が噴き出し、悲鳴が響く。

 一匹が背後から飛びかかってきたので、肘打ちで吹き飛ばし、剣で喉を貫いた。

 五分で一階全滅。

 二階へ。

 ハイゴブリン十五匹。

 鉄剣を振り回し、俺を囲むように陣を組んでいる。

 知能が高い分、連携が取れている。

 俺は深く息を吐き、盾を叩きつけた。


「来いよ」


 一斉に突進。

 俺は盾を回転させて正面を薙ぎ払い、体を低くして下から突き上げるように剣を振るった。

 二匹の首が飛ぶ。

 残りが左右から挟み撃ちにしてくるが、俺は盾を背中に回し、衝撃を受けながら前へ踏み込んだ。

 剣を振り回し、三匹を一気に斬り捨てる。

 息が上がる。腕が重い。

 それでも止まらない。

 三階。

 ここはもう、戦場だった。

 ウルフ三十匹以上。

 シャドウウルフ十匹、ブラックウルフ三匹。

 暗闇の中で赤い目が無数に光っている。

 俺は階段を上がった瞬間、盾を前に突き出した。


「全部、まとめて来い」


 狼の群れが雪崩れ込むように襲いかかる。

 俺は盾を振り回し、正面の五匹を吹き飛ばした。

 背後からシャドウウルフが爪を振り下ろす。

 俺は体を捻って盾で受け止め、剣で首を刎ねた。

 ブラックウルフが咆哮を上げて突進。

 俺は盾を斜めに構え、衝撃を逃がしながら押し返した。

 そのまま剣を突き刺し、心臓を貫く。

 血が噴き出し、視界が赤く染まる。

 体が悲鳴を上げている。

 肩が軋み、腕が痺れ、息が上がる。

 足がもつれそうになる。

 それでも、俺は盾を構え続けた。


「まだ……終わらねぇ」


 三時間以上、戦い続けた。

 三階のモンスターは、俺が最後のシャドウウルフを仕留めた瞬間、ようやく動きを止めた。

 静寂が訪れる。

 俺は膝をつき、盾に寄りかかった。


「……ふう」


 体中が痛い。

 傷は浅いが、数が多い。

 血が滴り、視界がぼやける。

 その時、階段の方から足音がした。


「アークさん!」


 ミーナの声。

 続いてリリィとサラ。

 三人が、息を切らして駆け上がってきた。

 ミーナが籠を放り投げて俺に駆け寄る。


「アークさん! 血だらけ……! 動かないで!」


 リリィが両手を広げ、回復魔法を唱え始めた。

 柔らかな光が俺の体を包む。

 傷が塞がり、痛みが引いていく。

 サラは涙目で、俺の頰に触れた。


「……無茶しすぎだよ……」


 俺は苦笑した。


「すまねぇ……お前らに、こんな姿見せちまって」


 ミーナが泣き笑いしながら言った。


「バカ! 私たち、補給に来たんだから! ほら、これ食べて!」


 籠から取り出したのは、熱々のスープとパン、干し肉と果物。

 俺は受け取って、ゆっくりと口に運んだ。


「……うまい」


 三人は俺の周りに座り込み、それぞれ俺の傷を手当てしたり、水を飲ませたりした。

 リリィが小さな声で言った。


「……まだ、モンスターは湧いてくるかも……でも、アークさんがここにいてくれるから……」


 サラが俺の手を握った。


「私たちも、戦うよ。アークさん一人に、全部背負わせない」


 ミーナが拳を握りしめた。


「そうだよ! 村を守るのは、アークさんだけじゃないんだから!」


 俺は三人を見て、ゆっくりと頷いた。


「……ありがとな」


 その瞬間、ダンジョン全体が震えた。

 低く、唸るような音。

 魔力が渦を巻き、最深部から、何かが這い上がってくる気配。

 俺は立ち上がった。

 盾を構え、剣を握る。


「……まだ、終わってねぇみたいだな」


 三人も立ち上がり、それぞれ武器を構えた。

 ミーナは弓を、リリィは杖を、サラは短剣を。

 俺は前へ一歩踏み出した。


「行くぞ」


 階段の下から、巨大な影が現れた。

 ハイゴブリン王――いや、それ以上の何か。

 体躯は三メートルを超え、両手に巨大な戦斧を持ち、目が赤く燃えている。

 スタンピードの核。

 俺は盾を叩きつけ、叫んだ。


「来い!」


 怪物が咆哮を上げ、突進してきた。

 俺は盾を構え、全力で受け止めた。

 衝撃で体が後ろに吹き飛び、壁に叩きつけられる。

 だが、俺はすぐに立ち上がった。


「まだ……いける」


 ミーナの矢が飛ぶ。

 リリィの回復魔法が降り注ぐ。

 サラが横から短剣で斬りかかる。

 俺は盾を振り回し、怪物に体当たりした。

 剣を振り上げ、渾身の一撃を、首筋に叩き込んだ。

 怪物が膝をつく。

 俺は息を切らしながら、最後の一撃を放った。

 剣が、核を貫く。

 魔力が爆発し、ダンジョン全体が光に包まれた。

 そして、静寂。

 スタンピードは、収まった。

 俺たちは四人で、互いに支え合いながら地上へ這い上がった。

 村人たちが、広場に集まっていた。

 俺たちの姿を見て、歓声が上がる。


「アークさん!」

「無事だった!」

「村が守られた!」


 俺は盾を地面に立てかけ、ゆっくりと息を吐いた。

 体は限界だった。

 だが、心は軽かった。

 ミーナが俺の肩に寄りかかり、笑った。


「ねえ、アークさん」

「……なんだよ」

「これで、平和になったよね?」


 俺は空を見上げた。

 青く澄んだ空。

 雲一つない。


「……ああ」


 サラがそっと俺の手を握った。

 リリィが微笑む。

 俺は小さく呟いた。


「……これが、俺の新しい人生だ」


 村に、再び平和が訪れた。


■5.平和な日々


 スタンピードから三週間が過ぎた。

 ミニダンジョンは、今では静かだ。

 一階に戻ったのはスライムだけ。

 ぷるぷると無害に跳ね回る青と緑の塊が、昔と同じように蠢いている。

 二階のゴブリンも、三階のウルフも、異常な数は消え、通常の個体数に戻った。

 核を潰した日から、魔力の暴走はぴたりと止まり、村人たちは「アークさんが守ってくれた」と、口々に感謝を口にする。

 俺は、もう毎日ダンジョンに潜る必要はなくなった。

 朝はいつものように素振りから始まる。

 三百回。

 汗が引く頃には、村のあちこちから朝飯の匂いが漂ってくる。

 今日はばあちゃんの家へ向かう日だ。


「おーい、アーク! 遅いぞ!」


 玄関先でいつものように腰に手を当てているばあちゃん。

 八十を過ぎても眼光は鋭い。


「すみません。今日はちょっと長めに振りました」

「ふん。体が鈍るのを怖がってるのかねぇ。まあいい。今日は畑の草取りだ。腰が痛むから、手伝え」

「了解」


 俺は鍬と籠を受け取り、ばあちゃんの後ろを歩く。

 村の外れにあるじゃがいも畑。

 土は柔らかく、朝露がまだ残っている。

 ばあちゃんはしゃがみ込んで、雑草を抜き始めた。

 俺も隣で同じように手を動かす。


「……アーク。お前、最近顔色がいいな」

「は?」

「前はいつも疲れた顔してた。ダンジョンに籠もってた頃は、死人の目だったぞ」


 俺は苦笑した。


「……今は、死んでねぇですよ」

「ふん。生きてる顔だ。それでいい」


 ばあちゃんはそう言って、じゃがいもの土を払った。

 昼近くになると、村の娘たちがやってきた。


「アークさーん! お昼持ってきたよー!」


 ミーナが籠を振りながら駆け寄ってくる。

 後ろにリリィとサラ。

 三人とも、今日はエプロン姿だ。


「またお前らか……」


 俺は鍬を置いて立ち上がった。

 サラが頰を赤らめて言った。


「今日は三人で、畑仕事のお手伝いも兼ねて……お弁当作ってきたの」


 籠の中身を見せると、焼きたての肉まん、野菜たっぷりのスープ、新鮮なサラダに、果物の盛り合わせ。

 ミーナが胸を張る。


「私、肉まん捏ねたんだから! アークさん、絶対食べてよね!」


 リリィが小さな声で。


「……私、スープの味付け……頑張った……」


 俺はため息をつきながらも、口元が緩む。


「……ありがとな。じゃあ、ちょっと休憩するか」


 四人で畑の端に座り込み、弁当を広げた。

 肉まんは熱々で、肉汁がじゅわっと溢れる。

 スープは優しい味。

 サラダはシャキシャキで新鮮だ。


「……うまい。マジでうまいぞ、これ」


 俺が本気で言うと、三人が顔を見合わせてにこにこする。

 ミーナが身を乗り出した。


「ねえ、アークさん! 最近、ダンジョン行かなくなったよね? 寂しくない?」

「寂しいって……お前ら、俺が戦う姿が好きだったのか?」

「違うよ! 戦ってるアークさんもかっこいいけど……今みたいに、のんびりしてるアークさんも好きだもん」


 リリィが頷く。


「……アークさんが笑うようになった……それが、一番嬉しい……」


 サラはそっと俺の袖を掴んだ。


「……私たち、ずっとそばにいるから。これからも、毎日ご飯作りに来るね」


 俺は頭を掻いた。


「……お前ら、ほんと容赦ねぇな」


 夕方、畑仕事を終えて村に戻ると、広場で村人たちが集まっていた。

 村長が俺を見つけると、にこやかに手を振る。


「アークさん! ちょうどいいところだ。今日はみんなで感謝の宴だよ。スタンピードを止めてくれたお礼さ」


 俺は苦笑した。


「大げさですよ。俺一人じゃ無理だった。ミーナたちも、リリィの魔法も、サラの補給も……みんなのおかげだ」


 村長は笑って肩を叩いた。


「謙遜するな。お前が盾になってくれなきゃ、村はもうなかったかもしれない。今日は、飲め。食え。騒げ」


 広場には長テーブルが並び、村人たちが持ち寄った料理が山盛り。

 ローストした鹿肉、野菜の煮込み、パン、果実酒。

 子供たちが走り回り、爺さん婆さんたちは酒を酌み交わす。

 俺は端っこの席に座らされたが、すぐにミーナ、リリィ、サラが両脇と正面を囲んできた。


「アークさん、こっちの肉、柔らかくて美味しいよ!」

「果実酒も、飲んでみて……」

「私、隣に座っていい……?」


 俺は杯を受け取り、軽く口をつけた。

 甘くて、フルーティー。

 体が温まる。

 夜が更ける頃、広場に焚き火が灯された。

 村人たちが歌い出し、子供たちが輪になって踊る。

 俺は少し離れたところで、火を眺めていた。

 ふと、後ろから足音。

 サラだった。


「……アークさん、一人?」

「ああ。ちょっと、静かにしたくなった」


 サラは俺の隣に座り、膝を抱えた。


「今日、みんな嬉しそうだったね。アークさんが来てから、村が変わったって……みんな言ってるよ」


 俺は小さく笑った。


「……俺も、変わったよ。昔は、盾を構えることしか考えられなかった。陛下を守るため、帝国のため……それだけだった」


 サラが俺の顔を覗き込む。


「今は?」

「……今は、この村を守りたい。お前らを、ばあちゃんを、村長を、みんなを。それが、俺の新しい目的だ」


 サラの目が潤んだ。


「……私たちも、アークさんを守りたい。ずっと、そばにいるから」


 俺はサラの手をそっと握り返した。


「……ああ。頼むよ」


 遠くで、歌声が響く。

 焚き火の炎が揺れ、星空が広がる。

 俺は空を見上げて、静かに息を吐いた。

 薬草を摘み、ばあちゃんの手伝いをして、娘たちに囲まれて飯を食い、村人たちと酒を酌み交わす。

 これが、俺のスローライフ。

 これが、俺の新しい人生。


(完)


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