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白い夜の予兆

事務所のソファ。

仄暗い天井を、ぼんやりと見上げていた。


――また、あの夢だ。


子供の頃、雪の中で震えていた自分。

血の匂い、遠ざかる足音、白い吐息に滲む記憶。


目を覚ました光は、額に浮いた汗を拭いながら身を起こした。

窓の外は、灰色の冬空。

ビルの隙間から漏れる陽が、淡く部屋を染めていた。


時計を見ると昼を少し回っている。

いつの間にか眠ってしまっていたようだ。


静かな部屋に、電話のバイブが響いた。


画面に浮かぶ“音葉”の名前。

しばらく眺めたあと、通話ボタンを押す。


「…もしもし」


「やっと!連絡返してくださいよ!」


光は少し息を飲んだ。

その声は怒っているというより、寂しそうだった。


「……すまない」


「ほんとにもう…。

じゃあ、お詫びとして、24日空けておいてくださいね!」


「24日…?」


「クリスマス・イブです。予定入れないでくださいよ、絶対に!」


光は曖昧な返事をしかけたが、窓の外を見て、はっきりと応じた。


「……わかった」


電話が切れた後も、スマホを見つめたまましばらく動けなかった。

その沈黙を破ったのはテレビの音だった。


《速報です。昨日、都内で謎の化け物が暴れる事件が発生。

関係者によると、鷹のような見た目をした化け物が――》


画面には、黒焦げになったビルの一角と、逃げ惑う人々の映像。

カガリの姿も映っていた。


(……カガリ。俺はどうすれば……)


スマホが再び震えた。今度は滝からだった。


「しばらく休め。警察はあの悪魔の後処理で手一杯だ。」


光は無言でメッセージを閉じた。

カガリの言葉が頭から離れない。


「俺は人を殺さない」


光は立ち上がり、窓の外に目を向ける。

白い雪が、静かに降り始めていた。



街は浮かれていた。

きらびやかなイルミネーション、鈴の音。

誰もが、誰かと笑っている。


そんな街の片隅で、光はひとつ息を吐いた。

胸の奥が、そわそわと落ち着かない。


「……これでいいのか?」


紙袋を見下ろす。

中には、小さなプレゼント。

音葉のために、自分で選んだ初めての贈り物だった。


(プレゼントなんて、生まれて初めて買ったな…)


「お待たせしました!」


振り返ると、音葉が笑っていた。

赤いマフラーに白いコート。

頬を染めたその笑顔に、光は一瞬言葉を失う。


「…いや。俺も今来たところだ」


「ふふ、嘘つき」


二人は並んで歩き、予約していたレストランへと入っていった。

落ち着いた照明、静かな音楽。

席に着いた光は、やはり少しぎこちなかった。


音葉はそんな光の様子に気づいて、くすっと笑う。


「緊張してます?」


「……少しな。こういうの、慣れてなくて」


「私は嬉しいです。

光さんと、こんなふうに過ごせて」


料理を味わいながら、たわいもない会話を重ねる二人。

自然と笑顔が増え、言葉が温かくなっていく。


食後、どちらともなく取り出した小さな箱。


「……メリークリスマス」


同時に差し出した二つのプレゼントに、二人は思わず顔を見合わせて笑った。


音葉が先に光からもらったプレゼントを開けた。

「……ネックレス?」


音葉がそっと箱を開けると、そこには繊細な銀のネックレス。

シンプルだが、中央に小さな宝石が埋め込まれていた。


「わ、すごく綺麗……つけてもいいですか?」


頷く光を前に、音葉はその場でネックレスをつける。

彼女の白い肌と鎖骨にきらりと光るそれは、不思議と彼女の印象をより柔らかくしていた。


「似合ってる」

光の言葉に音葉が照れくさそうに微笑む。


次は光が音葉からのプレゼントを開けた。

開けると中には、赤と白の組紐で結ばれた小さなお守りが入っていた。


「由緒正しい神社のものなんです。光さんをきっと守ってくれます」


思わず口元が緩む光。


(俺が陰陽師だって知ってて、こういうのを渡すか……)


陰陽師の立場からすれば、この手の“お守り”は単なる信仰の産物。

本物の魔を前にすれば何の効力も持たない──そう思いながらも、心のどこかがあたたかくなる。


「ありがとう。大切にするよ」


音葉の前では、そう素直に言えた。


初めて誰かからもらった、守られる側としての贈り物。

光はそっとポケットにしまいお守りを握る。


──どうか、この時間が続きますように。


光の胸の奥に、かすかにあった氷が、

この夜のぬくもりで少しずつ溶けていくようだった。


それは、確かに幸せなひとときだった――。


レストランを出た二人は、街のざわめきから少し離れた光の事務所へと向かった。

夜の帳が降り、窓の外には静かに雪が舞っている。


ストーブの音だけが響く室内で、音葉はホットミルクを口に運びながらぽつりと言った。


「……寒いね」


その一言とともに、音葉はそっと光の隣に腰を寄せた。

肩が触れる距離。ぬくもりが心に沁みていく。


しばらく無言が続いた後、光は呟くように言葉を漏らす。


「……この前、悪魔を殺した」


音葉は何も言わず、光の横顔を見つめた。


「名前はカガリ。……他の悪魔とは違ってた。人を助けて、人間の中に溶け込もうとしてた……」


言葉が途中で詰まる。唇を噛み、目を伏せる光。


「でも俺は、あいつを殺した。殺さなきゃいけなかった……あいつが……抑えられずに……」


拳をぎゅっと握り締め、膝の上で震えるその手。


「俺は一体……何のために生きてるんだろうな……」


静かにこぼれた涙が頬を伝う。


音葉がそっと光の肩に手を回し、抱き寄せた。


「……それでもあなたにしか、救えない人がいる」


その声は、小さく、優しく、でも強くて。


光の心の底にあった闇に、小さな光が差し込んでいく。


光が顔を上げる。音葉もその瞳を見つめ返す。


ゆっくりと、何の言葉も交わさずに──

二人の唇が重なった。


雪が、静かに降り続いていた。



温もりの残るベッドの中で、二人は語り合っていた。


音葉は光の幼少期の話を聞いて、堪えきれず涙を流した。

地下に幽閉され、修行という名の孤独と暴力にさらされた幼い日の記憶。

誰にも打ち明けたことのなかったその過去を、光はぽつりぽつりと語っていく。


音葉はそっと光の手を握る。


「よく、生きてきてくれたね……」


優しい言葉だった。

その一言が、光の胸に深く沁みる。


音葉もまた、幼い頃から兄の影響で剣道に打ち込んできたことを語った。

高校生になるまで、竹刀を振り続けた日々。

勝って、負けて、泣いて、笑って――


その話を聞きながら、光はどこか懐かしい風景を思い描いていた。


誰かと笑い合い、誰かの隣で目を閉じる。

それがどれほど幸福なことなのか、今、ようやくわかった気がした。


(……こんな夜が、ずっと続けばいい)


光は音葉の寝息を聞きながら、生まれて初めて心から安心して眠りについた。


──


だが、幸せは長くは続かない。


深夜。

何かが軋むような音で、光は目を覚ました。


(……誰かいる)


身体を起こし、ユキを銃に変え、静かに寝室を抜ける。


事務所の空気が変わっていた。温度が一気に下がり、冷たい何かが背筋を這う。


ゆっくりとドアを開けたその先に──


そこに立っていたのは、異形の存在だった。


牛の角。

イルカのような鳴き笛。

カメレオンの尾。

鷹の翼。


それらすべて、光が今まで滅した悪魔たちの“特徴”をその身にまとう、黒衣の男。

正体に気づいてから光の眼が紅く染まる。


「……なんだお前?」


光が問うと、男は静かに名乗った。


「シキ──」


声が床下から響くように低く、重かった。


「阿部光。お前を殺しに来た」


その瞬間、部屋の空気が一変した。


沈黙が、牙をむいた。


「音葉、逃げろ!!!」


光の叫びと同時に、音葉は目を覚ます。

重たい空気、肌を刺すような寒気、そして目の前に立つ異形。


「は、はいっ……!」

音葉は迷うことなく寝室を飛び出した。


刹那──


「ぐぅぉぉぉあああ!!」


床を踏み砕くような音とともに、シキの牛の角が突進してくる。

光は咄嗟に仁へ呼びかける。


「仁!」


その瞬間、仁の刀が右手に宿る。


「仁、ユキ、頼むぞ!」


仁「いくぞ。」

ユキ「やっちゃって、光!」


爆発のような咆哮を上げて、シキが突進してきた。

牛の脚力が生む一撃は、壁をいとも簡単に貫通し光の身体を外まで放り出した。


「くっ──!」


光は反撃のため、飛び上がり空中で体をひねりながら仁の刀を振るう。

だが──


「!? 消えた……!」


突如として姿を消すシキ。カメレオンの透明能力だ。


「見えない相手か……なら──!」


光は目を閉じ、気配に集中する。


しかし──


「キィィィィイイイイ……!!」


甲高く、頭の奥を揺さぶるような音。

イルカの“笛”だ。脳が痺れ、視界が歪む。


(これは──幻覚!?)


気づけば、周囲の景色が揺らいでいた。

辺りが血に染まり、音葉の叫びが木霊する。


「やめろおおおおおっ!!」


光は己の腿を刀で斬った。

痛みで我に返る。

その瞬間、シキが背後から迫る──!


光の紅い眼が光り、振り返りざまにユキの銃弾を撃ち放つ!


ズガンッ!


銃弾が当たり、シキの姿を暴き出す。

それでもシキは笑っていた。


バサァッ──!


鷹の翼を広げ飛翔するシキ。


(……早い!)


その速度、まさに音速。

鷹の飛翔が、生身の人間の反応を超えている。


──まさに、”複数の悪魔”の力を集約した存在。


仁「こいつ……今までの悪魔と比べて桁が違うぞ!」

ユキ「本気でやらなきゃ、こっちがやられる!」


光の呼吸が荒い。


(今までのどの悪魔よりも強い。このままじゃ……太刀打ちできない)


それでも、守るべきものがある。

──音葉のために。


「俺が……守る!!」


光の足が地を蹴りシキへ飛び掛かる。


目の前のシキは、複数の悪魔の力を宿している。

牛の圧倒的な破壊力。

イルカの幻惑。

カメレオンの不可視。

鷹の機動力。


それらを完全に使いこなしている。

光とて、勝てる保証などなかった。


それでも、立ち向かっていく。

刃を振るい、銃弾を放つ。

近づけば牛の腕力、離れると鷹の機動力、そしてどこにいてもイルカの笛の幻覚に惑わされ、追いついてもカメレオンのように消える。


もう光は満身創痍だった。

立っているのがやっと。視界も霞み、全身が痛む。


「思ったよりも手応えがないな」


シキが嘲る。


「人間は怒ると強くなるらしいぞ。じゃあ──」


バサッ──


鷹の翼がはためくと同時に、風のように消えた。


「……なっ!」


視界の隅で、光が凍りつく。


「やめろ……!」


だが時すでに遅かった。


シキはあっという間に光の背後へ回り込み──その手には、音葉を抱えていた。


「音葉ッ!!」


「光さんっ……!」


その声が届く間もなく──


ズドン──ッ!!!


牛の角が突き出され、音葉の胸を貫いた。


「──っ……!」


何が起こったのか、脳が追いつかない。

音葉の小さな体が、宙に浮いた。

時間が止まったように、世界が静かになる。


「やめろぉぉおおおおおおおおおおおっ!!!!!」


紅い閃光が世界を包む。


次の瞬間──


ドスッ。


その角は、今度は光の胸をも貫いていた。


血が溢れ、喉に鉄の味がこみあげる。

視界がグラグラと揺れる。


(ああ……くそっ……)


音葉が目の前にいた。

その目はもう、何も映していなかった。


光の唇がかすかに動く。


「……ごめん……守れなかった……」


そして──

二人の体は、血に染まりながら静かに崩れ落ちた。


夜空には、白く冷たい雪が舞っていた。


阿部 光・滝 音葉 死亡。

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