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式神との出会い

――光には、父と母の記憶がない。

それどころか、生まれてからの世界は「地下」だった。


分厚い石壁。天井に空いた小さな通気孔から、わずかに差し込む日光。

時間の流れさえ曖昧になるような静寂の中で、彼はずっと、ひとりだった。


扉の外から差し入れられる食事。

そして、日々届けられる教本と筆記用具。


牢のような空間でありながら、そこは奇妙に「保護された空間」だった。


「これは“ひらがな”。これは“そろばん”」


毎日繰り返される、無機質な声。

教本には丁寧な字で「課題」が記されていた。


まるで誰かが“人間として生きる術”を、強制的に叩き込もうとしているかのようだった。


――その人物は、「劉玄りゅうげん」。

光の祖父にあたる存在だった。


ある日、幼い光は密かに聞き耳を立てて、扉の外から漏れた会話を聞いた。


「……あの子は、悪魔の血を引いている」


「だが、あの方は言った。強く、そして聡い子に育ててくれと」


「……光、という名に、希望を託して?」


「フッ。皮肉だな。闇の眷属に“光”とは」


光の中で、何かがざらりと音を立てた。


(僕は……人間じゃないのか?)


その瞬間から、彼の“学び”は変わった。

文字や数字をなぞるだけではなく、「なぜ教えられるのか」「自分とは何者なのか」を考え始めた。


やがて、劉玄が初めて光の前に姿を現した日――


その老人は厳しい目をしていた。

けれど、どこかで自分に何かを託そうとしているような、深い闇を抱えた目でもあった。


「お前を一流の陰陽師にしてやる。」


「……僕に、力を?」


それは、試練の始まりだった。


閉ざされた地下から出た光は、阿部家の奥にある修練場へと移される。

そこから始まった、地獄のような修行――術式、封印、気配の読み取り、そして実戦訓練。


そして彼は、陰陽師のいろはを叩き込まれた。


けれど、心の奥には常に問いが残っていた。


(僕は……何のために、ここに生きている?)


人間としての名前を持ち、教育を受け、戦い方を教えられながら――

悪魔としての血に、魂が蝕まれていくような感覚。


そうして育った“阿部 光”という存在は、

陽の当たらない牢の中で育った“光のない少年”だった。



陰陽師の修行が始まってから、3年が経った。


地獄のような修行を耐え抜き、彼は8歳とは思えぬ冷静さと鍛え上げられた身体を手にしていた。

だが、心はまだ幼い――人の温もりも、家族の愛も知らぬままだった。


そんなある冬の日、劉玄は彼に新たな試練を与えた。


「光。今日から1人で山で過ごしてもらう」


「……山、ですか?」


「この季節、北の雪山は命を落とす者もいる。それでも、お前は生きて下山しなければならん。それが“陰陽師”の初歩だ」


そう言い放ち、光をひとり、吹雪の山へと置き去りにした。


山は想像を超える厳しさだった。


吹きつける氷の風。

足を踏みしめるたび、雪に足を取られ体力が削られていく。

まともな食料もなく、水は雪を口に含むしかない。


「……っ、寒い……足が……動かない……」


震えながらも、光は奥歯を噛みしめ前へ進んだ。

自分の存在を証明するために。

自分が“人間”であると、誰かに認めてもらうために。


だが限界は、静かに訪れる。


視界がぐらつき、足がもつれ、雪の中へ倒れ込む光。

目の前が白く霞んでいく。


(……ここで、終わりか……)


そのときだった。


「……あなた、死にたいの?」


氷のように透き通った声が、吹雪の中に響いた。


視線を上げると、そこには白い着物をまとった少女がいた。

まるで雪の精のような、美しい少女――それが“ユキ”だった。


「私は雪女のユキ。……あなた、ちょっと気になっていたの」


彼女は光の体を抱き起こし、優しく冷気でその体力を抑え込むようにして言った。


「助けたい。だから、私の力を使って」


「力……?」


「そう。あなたの力になるから。あなたを、死なせたくないの」


――なぜか、光の胸に温かいものが灯った。


それは、誰かが“助けたい”と思ってくれるという、人生で初めての感情だった。


「……わかった」


光は弱々しく頷き、彼女と“契約”を結んだ。


契約が成立した瞬間、ユキの姿は光の背後に霊体として宿り、その身を“力”として変えた。

冷気を操り、氷の結界を纏う――その力は、少年の命を護る“守り神”となった。


「行こう、ユキ」


「うん」


こうして光は初めての“式神”と契約し、

絶望の雪山を、希望と共に下山したのだった。


それは、彼の人生で初めての“絆”の始まりだった。



雪山でユキを式神とし、生還した光は、劉玄の元で再び苛烈な修行の日々に戻った。


だが、そこに変化があった。

ユキの存在は、孤独な光にとって初めての“味方”だった。

その後も結界術、呪符の作成、式神との連携訓練……

陰陽師としての技術は着実に磨かれていった。


季節は巡り、あれから4年。


光は12歳となり、その眼差しには少年らしからぬ静けさと鋭さが宿っていた。


ある日、劉玄が口を開く。


「……陰陽師としての技術は身についた。だが、それだけでは足りぬ。

お前を“本物”と認めるには、悪魔を屠ってこそだ」


「……悪魔を?」


「そうだ」


その言葉を皮切りに、光は初めて“悪魔”の存在を目の当たりにすることになる。


劉玄に連れられた場所は、人里離れた山中の封印地。

長年封じられていたが、最近結界が弱まり、活動の気配を見せているという。


その場に立つと、空気が一変した。


湿った土の匂いに混ざって、鼻を突くような“血”の気配。

そして――


「……来たか」


地の底から這い出るように、それは現れた。

黒い靄を纏い、異形の角と牙を持つ獣のような影。


初めて見る“本物の悪魔”。


その瞬間――


光の視界が紅に染まる。


頭の奥が灼けるように熱くなる。

何かが弾け、喉奥から呻き声のような息が漏れる。


(――殺さなければ)


気がつくと、光の足は地を蹴っていた。


「ぉぉぉおおおおッ!!」


体術に呪符、ユキとの連携術――持てる全てを出し切り、光は突っ込む。

だが、悪魔の一振りで吹き飛ばされた。


「ぐっ……!」


吹き飛ばされた先で地面を転がり、肩が砕ける。

視界がぐらつく。だが、身体はまだ立とうとしていた。


(……まだ、終わっていない……)


その姿を見て、劉玄は静かに溜息を吐いた。


「愚か者が……」


その言葉と共に、劉玄の手に一枚の符が浮かぶ。

彼の気が爆発し、風が唸る。


「――《斬命符》」


次の瞬間、悪魔は一瞬で両断され、地に伏した。


呆然とする光。

そのまま意識が落ちかけたところで、劉玄が光に近づく。


彼の紅い瞳を見て、劉玄は目を細めた。


「……紅い瞳。やはりお前は……」


「……?」


「もう、私がお前に教えることはない。次に悪魔と会ったときは、お前自身で決着をつけろ。私はもう、助けない」


劉玄は背を向けると、ぽつりとだけ言い残した。


「……“それ”に呑まれるな」


その背中を、地に伏せたまま光は静かに見つめていた。


「次は……必ず、倒す……」



満月が照らす深い森。その冷気が肌を刺す夜、光は黙々と修行に励んでいた。

木々の間に張られた結界の中で、式神・ユキを銃の姿にして構え、標的を一つずつ撃ち抜いていく。


「風の流れを読む、気配を掴む…ユキ、もう一度だ」


《了解、光。》


ユキの声が脳内に響く。光は即座に銃を振り、氷の弾を撃ち放った。標的が砕け散り、木々の奥に光が差し込む。


その時だった。森の奥から鋭い咆哮が響き渡る。


「見つけたぞ……陰陽師……!」


「……!」


次の瞬間、獣のような影が光へと襲いかかってきた。鋭い爪、筋肉の膨れ上がった腕、銀色の毛並みを月光に反射させた男――それは狼男だった。


「何者だ…!」


《危ない、光!》


即座にユキを構え直し、氷弾を連射する光。しかし、男はしなやかな身のこなしで弾丸をかわすと、一気に距離を詰めてくる。


「俺は狼男一族の生き残り…貴様ら陰陽師の血を絶やしてやる!」


咆哮とともに繰り出される斬撃。光は地面を転がり回避する。ユキを素早く構え、間髪入れず氷弾を撃ち込む。

弾は仁の肩をかすめ、血飛沫が舞った。


「お前ら陰陽師は……! 俺の一族を、仲間を……皆殺しにした!」


光は氷の弾を仁の足元へ撃ち、両足を縛りつける。

が、仁は唸り声を上げてそれを引きちぎった。


仁の攻撃は止まらない。

その眼に宿るのは――孤独、怒り、絶望。


(……どこか、俺と似ている)


激しい応酬の中で、光は仁の中に自分と同じ“孤独”を見た。


「名を――名を教えろ!」


「……仁。俺は、仁だ……!」


「……仁、お前の怒りも、苦しみも、俺にはわかる。

お前も、俺と同じで、ずっと一人だったんだろ」


仁の動きが一瞬止まる。


「お前と俺は似ている。どこにも居場所がない。だけど…俺は、この力で世界を変える」


ユキを構えながら、光の瞳が月の光を受けて冷たく輝く。


「俺が…何もかも壊してやる。その代わり、俺の力になれ」


仁はその眼差しに、"王"の資質を見た。

狼男の一族は常にまとめ役の"王"がいる種族だ。

仁は頭ではなく心で理解した。


静まり返る森。


仁はしばらく何も言わなかった。

だが、その瞳から殺意が消えていた。


「…どこまで本気か、確かめてやるよ」


その瞬間、仁の魂が淡い蒼光となって宙を舞い、光の背後に収まる。

仁と契約を結び、光は静かに目を閉じた。


「ありがとう…俺は強くならなくちゃいけないんだ」



寒風が屋敷の障子を揺らす夜――

光の前に、久しぶりに劉玄が現れた。


「次の悪魔を見つけた。今晩、始末する。準備しろ」


それだけ告げると、劉玄は踵を返す。

光は頷き、式神たちと共に再び“闇”へと足を踏み入れた。


戦場は、山の麓にある朽ちかけた神社だった。

夜霧のなかに蠢く黒い気配。それは異様な瘴気を放ちながら、祠を取り込んでいた。


仁の刀を右手に、ユキの銀色の銃を左手に構える。

光は静かだった。かつてのような制御不能な殺意ではない。

燃え盛るような紅い瞳の奥に、確かな冷静さが宿っていた。


劉玄が小さく目を見開く。


「二体の式神…!?本来、陰陽師は一体の式神しか使役できぬはず…やはり、あの“清明(せいめい)”の血か…」


森羅万象を操るとまで言われた伝説の陰陽師であり光の父である安倍晴明。

その血を受け継ぐ者――光。


悪魔が動いた。闇の中で形を変え、巨大な黒犬の姿に。

目にも留まらぬスピードで突進してくる。


「ユキ!」


銃口から放たれた氷の弾が空気を裂き、悪魔の脚を凍結させる。


「仁!」


返す刀で跳びかかり、仁の一閃が悪魔の首をかすめる。

咆哮。揺れる地面。だが光は怯まない。


「うぉおおおおおお!」

光は叫びと共に悪魔へ飛び掛かり、仁の刃が悪魔の中心を貫いた。


黒い瘴気が夜空へ消えていく――


戦いのあと、静まり返る神社の前で、光は剣と銃をゆっくりと下ろした。

足元に広がる悪魔の亡骸の灰を見下ろしながら、黙っていた。


その背に、運命の影がさらに濃く落ちていくのだった。


悪魔を倒したその夜、光は静かに炎の灯る蝋燭の前に座っていた。

劉玄は彼の背中にそっと視線を落とし、静かに言った。


「お前はもう、一人前の陰陽師だ。…だが、その血を忘れるな。紅き瞳はお前の呪いのように付きまとう。私は孫のお前より人類を優先する。」


光への警告だった。

何かあれば殺すという意味だった。


半身は悪魔。式神を二体使役する陰陽師。

陰陽師の内部でも、彼は忌避の対象だった。


それでも光は、任務に応じて悪魔を狩り続けた。

黙々と、冷徹に。

その姿は「鬼神」と恐れられた。


やがて18歳になったある日――

光は劉玄のもとを訪れた。


「じいちゃん、俺……東京に行くよ」


劉玄は少し驚いたように目を細め、口元だけで笑った。


「そうか。陰陽師として、か?」


光は首を横に振った。


「一人の男として。一人で生きていくよ。」


「……お前が決めたのなら、何も言うまい」


光は最後に深く頭を下げた。


「今まで、ありがとう」


そしてその日、光は阿倍の家を去った。


東京――

喧騒と混沌の街で、彼は自らの居場所を探すことを決めた。

だが、己が異端であることは変えられない。


異界の者を狩る“陰陽師”としての顔と、

悪魔を殺したい"悪魔"の顔を持つ男。


その名は、安倍 光。

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