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  作者: stepano
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(四)


 鳥山病院でのバイトが始まり、何時の間にか毎日の生活の中心がこの夕方から始まる病院での四時間の生活に移行しつつあった。

 K大は彼がこの病院のバイトを開始し始めてまもなく過激派の学生らによって封鎖されほとんど授業が受けられない状態が続いていた。時々、学校を覗きに行くと七号館の前で白ヘル姿の過激派グループが殺気立った眼を光らせながら築いたバリケードを守っていた。相変わらずキャンパス広場には彼らのアジ演説が響き渡り往来する一般学生の顔に無抵抗な憤りの表情が表れていた。

 増田の姿は見えなかった。勿論、あれから病院に顔を出すこともなかった。七号館を中心に主要な学部の本館を占拠した指導者の一員であってみれば当然のことだったかもしれない。恐らく彼はあの経済学部の本館である七号館の建物の一角で篭城しているのだろうと思った。

「増田君はどうしているの?」

 と、病院で婦長や受付けの里見嬢やこの春高校を卒業して入って来たという見習い看護婦たちやそして気のいい運転手の六さんから顔を見ると毎日のように聞かれた。そしてその都度、まさか“彼は今、七号館に立てこもって闘っています。”とも言えず、いつも“会っていないので分かりません”程度で済ませておいたが、相手にとってみれば増田が学生運動をやっていたことなどとっくに知っていた。

 第一、初めてこの病院に来たとき受付けの里見嬢が“また全学連の方ですか”と言い、婦長も彼が学生運動をやっていることを確かに心配していた。折しもそんな彼が二年間も続いたバイトを急に辞め、辞めたと思えば大学は過激派の学生らに占拠されたのである。

増田がこの病院で同郷の仲間にどんな自分の思想とかあるいは“反体制”について論じていたか知らなかったがこうも毎日、顔を合わすと“増田君はどうしてる?”と尋ねられてはその彼らの問いかけのなかにまるで今回の増田の行動に対して喝采を意味しているのか又は憂いなのか区別のつかない複雑な同情心を感じざるを得なかった。

「大変ねぇ…」

 その日、例の薬剤師はいつものように少し空いた時間を見計らって煙草に火を点けながらつぶやいた。授業のない日が続いていることをまるで知っているかのように鋭く切り込んできたその口調のなかに興味的な傍観者の冷笑が含まれているような気がした。

「当分だめみたいです」

 調合された胃薬を一包ずつ包みながら、他方で純は学校が封鎖されたこと自体別に大した問題ではないし、そのうち彼らの“革命かぶれ”の熱も必ず醒めてくると読んでいた。それよりも増田がここで毎日この薬剤師と向かい合って胃薬を包んだり、抗生剤のクロマイを罐のなかから取り出したり、うがい薬のブロム水とか鎮静作用のあるエバニン水を調合しながら彼女と何を話していたのだろうかということが気になった。恐らく彼の“革命かぶれ”の思想はこの湿った陰気な独房的雰囲気のなかで育ったのではあるまいかとさえ思えてくるのだった。

「何が原因なの?」

 薬剤師がポツリと言った。それは明らかに次の話を聞き出していた。そしてそれは増田とはじゅうぶんに語り尽くされてきた何かの議論のつづきを啓示しているかのように受け取れた。

「よく分からないけど今の学校当局の在り方についての不満みたいですね」

「そう。で、あなたはどう思うの?」

「彼らのやっていることですか?」

「ではなくて、当局の在り方」

 純はこのときやはり彼女の罠に引っ掛かってしまったと思った。このインテリまがいの年増女が使ったその言葉に彼女がこれまで増田と少なくとも何か特定した事柄について思想的な議論をつづけてきた余韻のようなものが表れているような気がしたからである。増田が三派系全学連を後押しし自らもその執行部に属するようになったのもひょっとするとこの女の影響を受けたのかもしれない。

「別に」

と、彼は言いかけてからやはりこの場合無関心を装ったほうがいいと思い「我々学生にとって教授会の在り方なんて関係ないですよ」

と答えた。

 女はただ黙って煙草をふかしつづけながら調合台の上に肘をつき、しばらく何かを考えるようにして座っていた。

 どう見てもその年格好からは似合わない例の少女的な髪の束ね具合やその何かに思い沈むような暗い翳りから純は益々、彼女が何か左翼的な運動に関与しているのではないかという確信を高めていった。

「でも困るわねぇ、いつまでも授業がないと」

 しばらくたってから女は再度同じことを言って顔を上げた。その純を見つめた眼の奥にはまだ微かに先程仕掛けた議論の罠に関する彼の反応を確かめようとする魂胆が見え隠れした。

「気が楽ですよ。当分」

「遊べるから?」

「そうです。こんな場合、何の後ろめたさも考えずに羽を伸ばせますからね」

 笑って答えながら本当は純にとってこの三年目の学生生活こそは真剣に授業に出ようと考えていたので反面、つられて答えた内容にいささかの不誠実さを覚えた。

 考えてみると学校が封鎖されてからもうかれこれ一週間は過ぎていた。最初のうちは三派系の“革命かぶれ”がやっている単なるデモンストレーションかと物珍しく眺めていたものだがそろそろこれは本物かもしれないと最近になって純も思い始めていた。増田はきっとこの部屋で本物の革命家を目指したに違いなかった。まさにこの二年間、独房にも似た恰好の砦においてその扇動者の手ほどきを受け、秘かにその時期を狙っていたのではないのだろうか。

 再び静寂が薬局内を襲い、純の胃薬を包む音だけが小刻みに流れた。


     


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