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  作者: stepano
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(二)


 学生運動をやっている増田からこの鳥山病院のバイトの話を聞いたのはちょうど大学の七号館が三派系全学連の過激派の学生らによって封鎖される一週間前のことで五月の中頃であった。

 増田とはたまたまゼミが同じでこの春知り合ったばかりであった 。

「あそこの院長とは親が知り合いでね…俺の出身地と同じなんだよ。看護婦なんかもみんな同じ町の出身だ」

「いい所だよ。まあ、俺も丸二年やったがあんな条件のいいバイト先はない」

「飯付きでさぁ、条件はいいよ。ただ薬局の手伝いだょ」

 その日、アジ演説の流れる七号館前のキャンパス広場の芝生に久しぶりに現われた増田はざっと以上のようなことを早口で説明したあと、「来週くらいから交替してくれないか」と言った。

 どちらかといえば純は気の合う佐伯なんかと相変わらず風来坊的で一日だけのしかもあまり気の使わない撮影所のエキストラとか工事現場での土方のバイトをしている方が性にあっていた。ところが一日だけのバイトなんてそうざらにはなかった。学生課の貼りだす求人募集のほとんどが長期のしかも時々、丸々授業をさぼって行かなければならないようなものばかりだった。今までやったバイトはみな学生同士の口コミによるものだった。

 最初この話を聞いたとき純は何となく引き受けたい気持ちに心が動いた。三年になっていよいよゼミに本腰を入れたい気もするが条件のいいバイトもしたい。第一、鳥山病院といえば下宿から歩いて二十分くらいで行けるし、それに毎日午後四時半から九時までの四時間半なら苦にならない。当然、日曜日は休みだしさらに飯付きで時間給百四十円なら言うことなしである。増田がこんな条件のいいバイトをなぜ辞めようとしているのか逆に純にとっては不思議だった。

「忙しくなってきそうだから到底、この分だと続けられそうもない」

 辞める理由が半分分かったのはあのときハンド・マイクを持って演説をしていた過激派学生の方を見やりながら増田が時折、彼らに向かって『その通り!』と大声で怒鳴っているのを見たときである。正直言って純はそのときまでまさか増田がK大の三派系全学連の執行部に首を突っ込んでいるとは知らなかったのである。

「これからは当分、バイトどころではなくなるんだ。忙しくなる」

「忙しくなる?」

「そう。闘争だ」

「教授会問題だ。これはまさに独裁的でありこの大学に学ぶ我々の権利を抑圧せんとしている」

 このとき、純は増田の真剣な表情を見た。そして、彼は熱っぽい口調でその七号館前で演説する同志の闘いの意義について一方的に説明し、それはまるで無関心でいる純ら一般学生を非難するかのような趣きさえ感じられた。

「今の教授会制度を変えなければいけない。我々には知る権利があるんだ…」

「古い体制と欺瞞的態度を我々は許してはならない。断固として闘わねばならない」

 増田はしきりに権利だの独裁だの体制だのという言葉を使い、また妙に欺瞞的態度という単語を好んで乱発していたが、いったい“教授会問題”とは何なのか、自分にとって何の関わりがあるのだろうか、と純は今まで考えたこともなかった自分に焦りともつかない一抹の戸惑いを感じるとともにそのとき同じ大学に学ぶ人間にかくも違う生き方があるのかと思って驚いたのである。

 しかし、純にとっては自分の大学の自治会がどんなセクトの派閥に属していようが、増田が過激派の象徴たる中核と描かれた白ヘルをかぶっていようがそんなことはどうでもいいような気がしていた。それよりもただ何となく過ぎ去った自分自身の二年間の大学生活の反省のほうがこのときはるかに重要なことのように思われた。点取り主義の受験地獄から解放された勢いもあってかこの二年間というものまともに授業に出たことがなかった。ただ悪友と“酒と悦楽とマージャン”の日々の連続でそのうち入学当時入っていたクラブ活動も辞めてしまいその日限りのバイト漁りに熱中していた。そして気がついたときには必要なゼミの専攻に何の手がかりも準備していなかったという有様だった。お陰でこの年明けからのひと月間というものはそれこそ必死になって勉強せざるを得なかった。人気のあるゼミはその選抜試験の競争率も激烈を極め、まるでまた入学前の受験生に逆戻ってしまったのである。でもどうにか二十倍の競争率を乗り越えて希望するゼミに入ることが出来、純にとってはこの迎えた大学生活三年目はとにかく真面目に授業に出ようと考えていたのである。

 だから増田のいう“教授会問題”なんてどうでもよかった。

「薬局の手伝いってどんな仕事?」

 純はバイトの具体的な中身についてとりあえず尋ねた。

「簡単な作業だよ。調合された薬を袋に詰めるだけ。尤も、カルテを見て薬を調合する場合もあるけどね」

「資格もないのに調合できるのか?」

「実際はやっている。教われば簡単な調合で済む薬ばかりだからな」

「大丈夫なのか?」

「心配ないって。ただ薬剤師の補助なんだから。何もかも言われるままにやっていればいいんだ」

「年増の薬剤師のね…」

 特別の意味があったのか、このとき増田は確かに間をおいて告げたような気がした。

 そして、その薬剤師だけが彼やその病院に働く仲間と同じ出身地でないことは明らかなように受け取れた。



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