7.眠りに落ちる前の、ヴォルによる考察
※ヴォル視点です。
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食事を終えた後、レーネがハーブを揉み潰したものを浸して作ったハーブ水で、顔を洗ったり口をゆすがせて貰って、多少気持ちもすっきりしたヴォルは、洞窟に凭れた状態から再び身体を伸ばして寝せて貰っていた。
外はすっかり暗くなっている。
風が吹く度に樹々の葉や枝が擦れ、それに呼応するように、遠くで獣が遠吠えをする声が不気味に響いていた。
見知らぬ土地に飛ばされた今、どうして自分は、魔法が使えなくなっているのかとため息が出た。
右手に剣、左手で魔法。ずっとそうしてきたからだろうか。怪我をして動かせなくなった今、まったく魔力を集めることができなかった。
剣は持てなくはないだろうが、左足の骨を折り、立つことすらできない状態で使い物になるかと問われれば首を振るしかない。
もっとも、その振るうべき剣自体がヴォルの手にはない訳だが。
国内貴族が一堂に揃う謁見の間に剣を持ち込めるのは国王陛下の御身を護る専属近衛騎士のみで、ヴォルには一切の武器の持ち込みを許されていなかった。
それでも、王族のひとりとして強い魔力を持つ者として誰にも負けることなどないと自負していたというのに。
「最悪だ」
口から言葉が出ていったが、本当の最悪とは違うだろう。
洞窟の入口付近では、レーネが火の番をしている。その背中へと視線を動かした。
洞窟の入り口で火を焚くのは、明かりの保持の為もあるのだろうが、獣除けの意味が大きい。
だが、普通に森の中で集めただけの薪を組んだ焚火ではその効果は弱い。飢えた肉食獣などは多少の火なら乗り越えてくることもあるからだ。よって、より効果を高める手段が必要となる。
その方法はいろいろあるが、レーネは獣除けの香木を焚火へ焼べていた。
煙に乗って、独特な薬湯のような香りが辺りに漂っている。
人の鼻にはちょっと鼻につく薬っぽい香りの煙でしかないが、嗅覚にすぐれる獣たちにとっては、一時的に鼻が利かなくなってしまう恐ろしい煙なのだ。
獲物を発見する為にも、敵から逃げる為にも、大きな武器となる嗅覚の機能を失うことを避ける為、やつらは一切近付いてこなくなるのだ。
これが使われていなければ、とっくにヴォルが流した血の匂いに惹かれて肉食の獣がやってきていたことだろう。
助けてくれた少女レーネには、森の中で安全に野営をする為の、知識があるということだ。
ヴォルはレーネの私物と思われる装備を視界に入る分だけであるがひとつひとつ確認した。
木の器に匙。銅製のスープ鍋。目の粗い毛織の毛布。スープに入っていたトウモロコシを粗く砕いたコーングリッツ。飾り気のない簡素なワンピース。無骨な革の靴。ゆるく編んだ柔らかそうな茶の髪に結んである白いリボンだけが少女らしさを表している。
そのどれもが、ヴォルの知っているサンペーレの民の生活よりかなりレベルが低くみえる。
もっとも、グリノ皇国でも地方に住んでいる者たちの生活は、皇都に住む庶民のものとまったく違う。それが当然だ。だから森で生活しているレーネの生活レベルが低く感じたとしても不思議なことはなかった。
一つひとつ考察していけばギリギリ納得できることではあるがすべてを並べてみればみるほど、レーネという少女は普通の村娘ではない気がしてしまう。
なにより、ヴォルが咄嗟に口にした母国語の呟きから、グリノ国の言葉で話し掛けられたこともある。
国が違っていたとしてもそれが隣接した村であるならば、長い歴史の中でお互いに片言程度の言葉が通じることはあるかもしれない。
しかし、グリノと接しているサンペーレの森はサンペーレ王家の所有地だ。
二十年ほど前までは子爵家の領地であったがその家は現在取り潰されており、領地は王家へと接収されたと聞いている。
村人が安易に入り込んでいい場所でも、まして勝手に住み着いていい場所などではないだろう。
だが元の子爵領民たちが先祖代々住んでいた地の近くに居を持ちたいと願いこっそりと舞い戻ってきていた可能性は否定できない。ヴォルにも故郷を思う気持ちはわかる。
しかしそれも推測でしかない。
実際には隣接する森ですらなく、まったく別の土地なのかもしれない。
だがそうなるとより、隣接している土地でもないのに、たとえ片言であろうとも他国の言葉を庶民が話せるかという疑問が湧く。
商人の家の子供ならあるだろうが、レーネにその様子はみえない。
この洞窟には塩を採りに来ていたとレーネは言っていた。自分で使う分だけだからちょっとで良いのだとも。
サンペーレで採れる鉱物に関して、ヴォルがすべてを知っている訳ではないが、グリノ皇国とサンペーレの国境付近でも岩塩が採れる。
状況からはここがサンペーレの王家所有の森だと推測できるが、実際にはどうなのだろう。
段々と、ヴォルの思考が乱れ、意識が散漫となっていく。
薬が効いてきた上に、腹が満たされたせいだろう。
それとも。火の番をする、少女がつくる優しい空間にいるからだろうか。
貴族令嬢のように手入れが行き届いているとは言い難いのに、柔らかそうな明るい茶色い髪をした少女。成人しているのかすら微妙な年頃だ。
ここで暮らす為に必要な知識を持っていて、本人は大人だと主張しているが、その割には行動のすべてがヴォルには幼く見えて仕方がなかった。
不思議な少女だ。
ヴォルはそれ以上思考を続けることができず、そのままゆっくりと眠りの中に落ちていった。